Ωの国

うめ紫しらす

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第三部

手繰る糸

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 次の発情期まで、もうひと月を切っていた。

 やるべきことは明らかだった。次の禰宜をだれに頼むか。
 そのために――だれとえにしを結ぶか。

 まずはフェル先輩に手紙を書いた。先日の茶会のお礼と、また会えますか、と。気持ちを偽るのは気が引けたが、王家の一員である彼との縁は、きっとこれから必要になるはずだった。返事はすぐに来て、また茶会をしようと申し込まれる。挙げられた日付を選んで返事をするのは、気が重かった。
 会えばきっと、また抱かれる。
 そうわかっていて。
 けれど、それは自分で選んだことだった。

 それから、ガルシア商会について調べた。入れ墨の男の神殿に対する理解や、やり口は、これから神殿を相手にするには必ず必要になると思えた。神殿に出入りする商人に聞けば、男の名がそのままガルシアであることが、すぐに分かった。茶会の誘いの手紙を書けば、彼はすぐに応諾してくれた。

 これで二人。

 最後にリファにより分けてもらった手紙を端から読み返して、返事を出す相手を決めた。気は乗らないが、発情の日数を考えれば、もう少し誰かと縁を結ぶ必要があった。
 何もしないまま、神官や宮司様の差配で禰宜を与えられるよりは、自分で相手を選ぶほうがいくらかはマシだと思えた。
 
「柘榴様、どうしたの。これ」
 書きあがった封筒がずらりと並んだ文箱に、リファが信じられない、という表情で聞いた。
「方針を変えた。……練習だと思ってとにかく返事を書いてみた」
 端的に状況を伝えて「読んで、おかしくないかチェックしてくれるか」と頼む。
「この量を? まあ、いいけど……。どういう心境の変化なの? 蝶の人は?」
 聞きたいことを順に口にしながら。リファは端の封筒を手に取って、中に目を通してくれる。

「いろいろあって……禰宜には呼べないんだ。だから、縁を増やさないとならない」
 はぁ、と思わずため息をつくと「そう」とリファは同情するような視線をこちらによこす。
「柘榴様も大変だね。まあ、……数人見つけておけば、大丈夫だよ。何日か続けて呼んでもらえることだってあるし」
「……そうなのか」
 てっきり一日ごとに交代なのだと思っていたが。それを聞くと、リファは「その時々かな」と答える。
「あ、でも……柘榴様の場合、逆に毎日変えてもらうほうがいいのかも? 続けて同じ人だと、好きになっちゃうからね。どうしても」
 さらりと恐ろしいことを言って、リファは苦笑する。

「好きになるって……発情期シーズンだから、か?」
「それはわからないけど。でも実際……そういうものなんじゃない? やっぱ情がわくっていうか」
 その説明は、実感としてΩらしい、と感じられた。発情期の、あのαに対する強い欲求は、普通の感覚とは大きく違う。性的な欲求に満たされた時の幸福感。それが、恋愛の思慕にとって代わるのは確かにありそうで。
「情、か……」

 考え込んで。ふと、フェル先輩の言っていた「これから積み重ねていけばいい」という言葉を思い返す。もし褥を共にするたびに『好き』になるなら。言葉を重ねるより、もっとずっと――そのほうが簡単で。彼の振る舞いは、彼が多くのΩと過ごしてきたからこそのものかもしれなくて。

 怖くなる。

「なあ、リファ。なら……好きって何なんだ」
 思わず口に出して問いかけると、リファは曖昧に微笑んで見せた。
「そんなこと、わかるわけないでしょ。でも……結局は、自分の気持ちの持ち方、じゃない?」
 それよりも、と目を落としていた手紙をこちらに向ける。
「これ。要件は伝わるけど、それだけじゃだめだって。……この前も言ったよ」
 はぁ、とリファはわざとらしくため息をついて見せて。「ま、だね」と笑って見せた。

  **

「やあ。サリュー。手紙をありがとう」
 フェル先輩は、柘榴の間に現れると朗らかに言った。
「こちらこそ。……お越しいただき、ありがとうございます」
 対する俺は、がちがちに緊張していて。ぎこちなく礼を言うと、どうぞ、とカウチを勧める。

「ああ、今日はまず茶を飲もう。先日言っていただろう、話がしたい、と。あの後、私なりに考えてみた。サリュー、君が生まれついてのΩでないことを、どうも私は軽んじていたと思う」
 そういって、フェル先輩は対になった一人掛け用のソファに腰掛ける。
「茶をれてくれるか?」
 笑いかけるその声は明るく澄んでいて。
「はい」
 答えた自分は、確かに先輩の気遣いを嬉しく思っていた。

「では君は、カレーア山脈の演習で私の隊にいたのか」
 茶を飲みながら話を、といって。互いが話題にできることといえば、士官学校での思い出だった。
「はい。偵察を務めていました。中隊長だったあなたと相対することはありませんでしたけど。でも、先輩の隊に配属されて……嬉しかったです。あの、先輩は……みなの憧れでしたから」
「そうか。そう言ってもらえて嬉しいよ。あの演習はなかなか骨のあるものだからな。私も隊を率いる責務で、各隊の人員までは気が回っていなかった。……そのとき声をかけていればな」

 彼は残念そうにいったが、三学年合同の演習は大隊三百名を三つの中隊に分けて行われる大規模なもので。先輩の指揮する中隊に入れたとは言え、その中で駒のように動く自分と、全体を指揮する先輩とでは接点があるはずもなかった。
 ただ、中隊として行動を共にする合間に、彼を垣間見れるのが嬉しかった思い出がある。

「いえ、私は特に目立つ役目を果たしたわけでもありませんから」
 そう言って笑いかけると、フェル先輩も微笑んだ。
 小さなテーブルを挟んでソファに向き合い、こうして士官学校のあれこれを話すのは、純粋に、楽しかった。まるで――先輩と、学友になったような気持ちで。

「サリュー。……不思議な気分だ。あの演習を共にした君と、こうして茶会を共にしているのが。……神降ろし、というのは本当に……数奇なものだな」
 そう言うと彼は、ゆっくりと立ち上がって。俺の前に膝をつく。
「だが、だからこそ神に感謝するよ。こうして君と出会う事が出来て、……良かった」
 そう言って、先輩は俺の手をとって甲に口づける。
 ちりり、と熱が走って。
 鼓動が早くなる。

「先輩」
「フェルでいい。もう君の先輩じゃなく……神事の相手だ」
 先輩はゆっくりと立ちあがって。口づけた俺の手を、引く。
 ああ、やっぱり。
 そのままカウチに誘われて。否応もなく組み敷かれる。
 さっきまでの、楽しかった気持ちが冷たく凍りついていくようだった。

「サリュー……?」
 俺を覗き込む青く美しい瞳。憧れだった眼差し。
 こんなにも近くにあるのに、どこか遠くて。
「いえ……大丈夫です……フェル」
 諦めたように名を呼んで。ゆっくりと、俺は落ちてくる体を抱きしめる。
 近づいた体躯から、αの、フェルの香りがする。甘くて雄々しい、彼を体現するようなそれに包まれると、身体の奥は綻ぶように反応する。
「……ぁ」
 触れられれば、ちゃんと、気持ちよくて。
 泣き出しそうになって、耐えるようにぎゅっとしがみついた。

「ん? どうかしたかい?」
 うかがうような声に、大丈夫、と囁き返す。ためらいを打ち払うように、こっちから唇を寄せて、口づけて見せる。そっと、触れ合わせるだけで、精一杯で。
「かわいいな」
 フェルはそう、嬉しそうに微笑んだ。まるで疑うそぶりもなく、緊張に震えているのだなというように、優しく口づけを返される。
「……っん」
 深く口づけられて優しく舌先で触れられると、強張った気持ちを押し流すように快感が目覚めていく。
「……ふ、……ぁ」

 大丈夫、と心地よさを追いかけて、願う。
 これはなことで。
 触れられたら気持ちいいのは当然のことで。
 フェルが素敵な人だというのも、自分が憧れていた人だということも、真実で。
 それ以上のことは何もない、と。

「っ、あっ」
 これはただの、神事で。

「……っあ。……んっ」
 ただ、気持ちよくなればそれでよくて。

 それで――『好き』になるなら。
 そんなのはきっと、本当の好きじゃない、と思った。
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