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第三部
エピローグ
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夜が終わる時。世界はゆっくりと変化していく。
明るくなった空の淵から、太陽が登るまで。
少しずつ、少しずつ、夜の青と朝焼けの赤が混じり合っていく。
溶け合っていく色は一瞬で。
美しいと思った。
「参議、お待ち下さい。お一人ではなりません」
「図書室に行くだけだ、すぐ戻る」
護衛に付けられた近衛を連れ歩くのは、趣味ではなかった。城を出るときだけ同行すれば良いと言っているのに、どこにでも着いてくる。
「咎められるのは私です。ご理解を」
そう言われれば、受けるしかない。溜息をついて、歩調を緩めて歩く。
王命を受けて刷新された神殿の運営方針は、伝統に固執する抵抗勢力を活気づかせた。彼等にとっては、噛み跡をさらして王宮で職務を持つΩなど、認められるものでは無い。脅迫まがいの警告文が飛び込み、怪文書がまかれ、果てはボヤを出した。捕まったのはβの男で。Ωでもαでもなく、ただΩに古い戒律を守らせようとする存在は、理解に堪えなかった。
けれどそれもまた、世間に蔓延る宿痾そのものだ。
「……またか」
借りようと思った資料に持ち出しの許可を取ろうとすれば、さっきまでいた司書の姿が見えなかった。仕方なく必要な部分を書き写し、本を元の棚に戻す。司書のうち何人かは、こうして明らかに俺と口を聞くのを避けていた。知らぬうちに席を外すのは可愛いもので、目の前で退出されたこともある。
Ωが外に出てどうなるか。
身を持って体験すれば、それは決して楽な道のりではないと知れた。
「……良いのですか」
「用は済んだ」
近衛は、俺の周りで見聞きした全て王に報告しているようだった。だからついてきてほしく無いのだ、と何度言いかけたことだろう。
ことさら騒ぎ立てることは嫌だった。
けれど、無かったことにしてしまうのも、違う。
「問題無い」
微笑んで、私室に帰る道を歩き出す。資料などまた見に来ればいいだけだ。
「そうやって御無理をするのは、止めて下さい」
「無理ではない。これしきの事で腹を立てていたら埒が明かないだけだ」
本心を言って、溜息をつく。近衛がこちらに肩入れしてくれるのはありがたかったが、あまり親しくすれば色香に迷った、などと心無い事を言われてしまう。
王宮をしてこれなのだから、この先、Ωが外に出るのに、どれだけの困難があるのか。どうしたら、その困難を取り除けるのか。
考えることも、すべき事も、山積みだった。
「昼食は出かける。供を頼む」
「は、承知」
言いおいて私室に入る。部屋の中は唯一気を抜ける場所だった。
書きかけの書簡を広げ、書き写してきた資料を引いて続きをしたためる。
与えられた御前参議の職は、王を補佐し、政策の立案と実行に関わる。担当はこれからの神殿の在り方、Ωの処遇と、この国の伝統的価値観、社会規範のすり合わせかたを模索することで――それはつまり、自分自身の存在価値を確立するのと同義だった。
自分の立ち居振る舞いがこれからのΩの在り方を指し示す。
重い責務だったが、望んだ事を実現することには手応えを感じていた。
「よし」
書簡を書き終えると、出かける用意をする。参議の官服は帯剣を前提に作られていないが、無理を言って短剣を挿せるようにしてもらった。護身のためでもあるし、気持ちが落ち着く。
「どちらへ?」
「大神殿へ。宮司様と昼食をとる」
定期的に行っている情報交換の場だった。
**
「……外での就学は、まずは特別授業という形で実施し、様子をみつつ機会を増やす方向でまとまりそうです」
「それが良かろう。警護はつけるのか?」
「はい、一応。神殿の衛兵から出していただけるように申し送りしています」
年少者たちの就学機会を増やす、という名目で、神殿の内側にある手習所から外の学校へ移行する計画を進めていた。
「宮長からも付き添いを出そうと思います」
翡翠宮の長を辞して、今は宮司副官を務めるハクロが言う。「柘榴の君にはご快諾いただきました」
「リファか。なら良かろう。その場で衛兵と渡り合えるものがおらんとな」
新しい事を進める現場は、何が起こるか分からない。リファなら問題なく対処できるだろう。
「ありがとう。当日まで準備を頼む」
「アレはどうなっておる? 試験は上手くいったのか」
宮司様の言葉に、視線がこちらに集まる。
「効果はあるようです。ただ、全員ではない。やはり複数のパターンが必要のようだと結論付けています。再度、協力者を募って別のパターンを試すそうです」
発情の抑制を目指した印の研究は、隣国の魔法大学校を母体として検証が進められていた。
個人差が大きい、とルシアンが感じていた通り、人によって効果のある、ないが大きく違う事がわかってきた。発情の間隔が三ヶ月程度と長いため、検証にはどうしても時間がかかる。そのためルシアンは向こうの教職とこちらの職を兼務しながら全体の指揮を取っていた。
「いま一番効果の高い印については、試験的な販売が出来ないか、販路を探ってもらっています。規模が適当な市場が見つかれば試験販売に踏み切ろうと」
問題は、試してみるまで効果があるかわらかない、という点だった。何か事前に判断できるようなものがあれば良いのに、なかなかその方法が見つからない。
「重畳、じゃの。調整がついたなら何よりじゃ」
「ええ、なんとか……」
実績のあるガルシア商会に委託するのを考案者に拒否された時はどうしようかと思ったが、当のガルシアが紹介してくれた商家がうまく引き取ってくれた。ガルシア曰く、この国に籍を置く商会としては「まだリスクが高い」との判断らしい。避妊と違って発情を抑制するのは、神事そのものの否定になりかねない。神事に価値を置くこの国にとっては劇薬になるだろう。
「ゆくゆくはこの国にも持ち込めるよう、下地作りを急がねばな」
「はい。ついては、……」
次に進むために打てる手を考えて、実行に移すために必要な情報と手立てを揃えていく。そのために自分の才を余すとこなく使い切る。
それが、この身体がΩになった理由なのだと、今は実感していた。
もう少し先の未来へ。
Ωが、発情に振り回されずに暮らせる世界を実現できるまで。
ただ思い切り、走り続けていたかった。
Fin.
明るくなった空の淵から、太陽が登るまで。
少しずつ、少しずつ、夜の青と朝焼けの赤が混じり合っていく。
溶け合っていく色は一瞬で。
美しいと思った。
「参議、お待ち下さい。お一人ではなりません」
「図書室に行くだけだ、すぐ戻る」
護衛に付けられた近衛を連れ歩くのは、趣味ではなかった。城を出るときだけ同行すれば良いと言っているのに、どこにでも着いてくる。
「咎められるのは私です。ご理解を」
そう言われれば、受けるしかない。溜息をついて、歩調を緩めて歩く。
王命を受けて刷新された神殿の運営方針は、伝統に固執する抵抗勢力を活気づかせた。彼等にとっては、噛み跡をさらして王宮で職務を持つΩなど、認められるものでは無い。脅迫まがいの警告文が飛び込み、怪文書がまかれ、果てはボヤを出した。捕まったのはβの男で。Ωでもαでもなく、ただΩに古い戒律を守らせようとする存在は、理解に堪えなかった。
けれどそれもまた、世間に蔓延る宿痾そのものだ。
「……またか」
借りようと思った資料に持ち出しの許可を取ろうとすれば、さっきまでいた司書の姿が見えなかった。仕方なく必要な部分を書き写し、本を元の棚に戻す。司書のうち何人かは、こうして明らかに俺と口を聞くのを避けていた。知らぬうちに席を外すのは可愛いもので、目の前で退出されたこともある。
Ωが外に出てどうなるか。
身を持って体験すれば、それは決して楽な道のりではないと知れた。
「……良いのですか」
「用は済んだ」
近衛は、俺の周りで見聞きした全て王に報告しているようだった。だからついてきてほしく無いのだ、と何度言いかけたことだろう。
ことさら騒ぎ立てることは嫌だった。
けれど、無かったことにしてしまうのも、違う。
「問題無い」
微笑んで、私室に帰る道を歩き出す。資料などまた見に来ればいいだけだ。
「そうやって御無理をするのは、止めて下さい」
「無理ではない。これしきの事で腹を立てていたら埒が明かないだけだ」
本心を言って、溜息をつく。近衛がこちらに肩入れしてくれるのはありがたかったが、あまり親しくすれば色香に迷った、などと心無い事を言われてしまう。
王宮をしてこれなのだから、この先、Ωが外に出るのに、どれだけの困難があるのか。どうしたら、その困難を取り除けるのか。
考えることも、すべき事も、山積みだった。
「昼食は出かける。供を頼む」
「は、承知」
言いおいて私室に入る。部屋の中は唯一気を抜ける場所だった。
書きかけの書簡を広げ、書き写してきた資料を引いて続きをしたためる。
与えられた御前参議の職は、王を補佐し、政策の立案と実行に関わる。担当はこれからの神殿の在り方、Ωの処遇と、この国の伝統的価値観、社会規範のすり合わせかたを模索することで――それはつまり、自分自身の存在価値を確立するのと同義だった。
自分の立ち居振る舞いがこれからのΩの在り方を指し示す。
重い責務だったが、望んだ事を実現することには手応えを感じていた。
「よし」
書簡を書き終えると、出かける用意をする。参議の官服は帯剣を前提に作られていないが、無理を言って短剣を挿せるようにしてもらった。護身のためでもあるし、気持ちが落ち着く。
「どちらへ?」
「大神殿へ。宮司様と昼食をとる」
定期的に行っている情報交換の場だった。
**
「……外での就学は、まずは特別授業という形で実施し、様子をみつつ機会を増やす方向でまとまりそうです」
「それが良かろう。警護はつけるのか?」
「はい、一応。神殿の衛兵から出していただけるように申し送りしています」
年少者たちの就学機会を増やす、という名目で、神殿の内側にある手習所から外の学校へ移行する計画を進めていた。
「宮長からも付き添いを出そうと思います」
翡翠宮の長を辞して、今は宮司副官を務めるハクロが言う。「柘榴の君にはご快諾いただきました」
「リファか。なら良かろう。その場で衛兵と渡り合えるものがおらんとな」
新しい事を進める現場は、何が起こるか分からない。リファなら問題なく対処できるだろう。
「ありがとう。当日まで準備を頼む」
「アレはどうなっておる? 試験は上手くいったのか」
宮司様の言葉に、視線がこちらに集まる。
「効果はあるようです。ただ、全員ではない。やはり複数のパターンが必要のようだと結論付けています。再度、協力者を募って別のパターンを試すそうです」
発情の抑制を目指した印の研究は、隣国の魔法大学校を母体として検証が進められていた。
個人差が大きい、とルシアンが感じていた通り、人によって効果のある、ないが大きく違う事がわかってきた。発情の間隔が三ヶ月程度と長いため、検証にはどうしても時間がかかる。そのためルシアンは向こうの教職とこちらの職を兼務しながら全体の指揮を取っていた。
「いま一番効果の高い印については、試験的な販売が出来ないか、販路を探ってもらっています。規模が適当な市場が見つかれば試験販売に踏み切ろうと」
問題は、試してみるまで効果があるかわらかない、という点だった。何か事前に判断できるようなものがあれば良いのに、なかなかその方法が見つからない。
「重畳、じゃの。調整がついたなら何よりじゃ」
「ええ、なんとか……」
実績のあるガルシア商会に委託するのを考案者に拒否された時はどうしようかと思ったが、当のガルシアが紹介してくれた商家がうまく引き取ってくれた。ガルシア曰く、この国に籍を置く商会としては「まだリスクが高い」との判断らしい。避妊と違って発情を抑制するのは、神事そのものの否定になりかねない。神事に価値を置くこの国にとっては劇薬になるだろう。
「ゆくゆくはこの国にも持ち込めるよう、下地作りを急がねばな」
「はい。ついては、……」
次に進むために打てる手を考えて、実行に移すために必要な情報と手立てを揃えていく。そのために自分の才を余すとこなく使い切る。
それが、この身体がΩになった理由なのだと、今は実感していた。
もう少し先の未来へ。
Ωが、発情に振り回されずに暮らせる世界を実現できるまで。
ただ思い切り、走り続けていたかった。
Fin.
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