Ωの国

うめ紫しらす

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第三部

愛とはどんな *

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 避妊薬が世に出回って。変化はゆっくりと、確実に起きていた。
 誰と神事を執り行っても、受胎しない。
 誰を番とするかは、巫覡が自ら封環を外した相手に――与えられるもの。
 その前提に立てば、Ωにとって新しい選択肢が広がっていた。

 より多くの縁を結び、自らの意思でαたちに、番になる権利を競わせる者達が現れた。


「お手上げ、じゃ」
 昼下がり、午後の茶会に招待されて宮司様に会えば、世間話もそこそこに話題は昨今の風潮――一人のΩが結ぶ縁の増加――に及んだ。

「一途なものは皆、わかりやすくて良い。だが手当たり次第に縁を結ぶ輩は、どう神託を出せばよいのかさっぱりじゃ。妾は的はずれな禰宜を選びたくはない。そのために遠見の力を使っておる。じゃが気の多い巫覡たちの意図を汲むのは容易ではない。そやつらを四六時中見ておるわけにもいかぬからな。――おぬし、なんということを仕出かしてくれる」

 じっと朱い瞳がこちらを見上げる。恨みがましく言っているが、今までにない事態に不安を感じているようだった。

「なんのことでしょう、宮司様。私も最近の風潮には思うところがありますが――神託に対する不満は少なくなってきているように思います」
 しらを切ると、宮司様はむぅ、とあからさまにむくれてみせ、けれどそれ以上の追及はしなかった。

 避妊薬はあくまでガルシア商会が外から持ち込み、神官長が黙認した、という筋書きを貫かないといけなかった。そのためには、内情を知る人物は少ないほどいい。信用していないわけではないが、今はまだ宮司様を巻き込む訳にはいかなかった。
「何を考えているのか、のう」
 こちらを試すような視線で宮司様がいう。
「べつに、何も。ただ――神殿にとっては、悪いことばかりではないでしょう」

 宮司様のいう、気の多い巫覡の増加は、神殿の受け取る喜捨を増やすことにつながっていた。巫覡が受胎を気にせず気軽に縁を結べるなら、必然、神事の回数や相手の数は増えていく。
 そうして一人の巫覡が相手にするαが増えれば、気に入った巫覡の禰宜に、ひいては番に選んでもらえるよう、αたちは競うように神事を申し込んで喜捨をした。

「神官長は浅慮にも喜捨の増加を喜んでおるようだが。……妾にはそれは一過性のものに思える。いずれαたちも気づくじゃろう。いくら通っても、それだけでは巫覡にとって自分が『唯一』の存在になりえないことを」

「ええ、そうですね。けれど……望みをかけずにはいられないのも、また人の性分でしょう」
 事実として、喜捨は増えている。あからさまに明言はされないが、ここ最近、神殿の財務状況が好転しているのは神官たちの振る舞いをみればわかった。
 巫覡に対して贈られる贈答品も増えていて。宮の内外で誰がどんなにものを貰ったのか、噂話には事欠かない。

 みな、選ばれることに――誰かの唯一になることに、夢を見ているのだ。
 冷静になって考えれば、一人の巫覡をめぐって争うことの困難さはわかるのに、――それ忘れさせてしまうのが恋慕の情の厄介なところだ。

「お主は、この先に『新しい世の中』があると思うのだな……? 本当に。妾には、破滅に向かっておるようにしか思えん」
 そう言うと、思考を放棄するように宮司様は天を仰いでみせる。

「宮司様に見通せぬ将来が、私に見通せるはずがないでしょう。けれど、何かが変わってきていることは確かです。なにより、柘榴宮の皆も、他の宮の巫女たちも……みな、前より喜びに満ちている」
「それが分かると」
「はい。顔をみれば分かります」

 ふぅ、と息をついて宮司様は俺の眼を正面から見る。諦めと、けれど信じようとする意思が混ざった瞳。

「お主を招き入れたのは妾じゃ。……好きなだけ、思うがままにやれば良い。じゃが、お主自身のことを蔑ろにしてはならんぞ」
 言葉に心配を滲ませて、宮司様がこちらを見上げる。その視線を受け止めて「わかってます」と俺は力強く答えた。
 まだまだ、やるべきことは沢山あった。

  **

「……それでは、ごゆっくりご歓談ください」
 神官の声を残して、静かに扉が閉まる。この小さな柘榴の間に、もう何度閉じ込められたか分からない。

「おかえりなさい。フェル」
「ただいま。ほんのひと月だと言うのに、もう何年も離れていたような気がするよ」
 柔らかに囁かれて、腕の中へと抱き込まれる。確かに、ひと月も会わないなど、ここで逢瀬を重ねるようになって、初めての事だった。

 士官学校を卒業した彼は、王宮近衛師団へと籍を移していた。ひと月前、国王の国内視察に警邏けいらとして同行すると言うと、彼は手紙を書く、と約束した。そして実際、フェルはまめに手紙をよこしてくれた。
「手紙、ありがとうございました」
 誰と会い、何を見、何を感じたか。素朴なものから、国政に関わるものまで、まるで備忘録のように記された手紙はとても興味深かった。

「ああ。……お前も一緒に連れてゆければいいのに」
 ふぅ、と息を吐いて、髪の伸びたうなじに顔を埋められる。αの香りが近づいて、胸の奥でΩの本能がとろりと安らいでいくのがわかる。
「ええ。ほんとうに。でも……俺はΩだから」
 言うと、慰めるように額に口付けされる。

「接見したものの中に、交易を行うものがいた。その者によると、Ωを神殿に囲うのは時代遅れだと。諸外国では町中に暮らすものが少なくないという」
「……そうなのですか」
 それは既に知っていた。もはやΩを隔離する政策をとる国は少なく、条件付きあるいはまったくの制約無しで暮らせる国が増えている。

 神殿はそうした情報がいたずらに市中に広がらぬよう、国に要請していた。神殿がそう主張することは分かる。だが、なぜ国が神殿の言うことを聞いているのかは分からなかった。
 国、あるいは王家や貴族にとって、Ωを神殿に押し込めることは、単なる伝統なのか、宗教的な様式なのか。それとも……何か別の意志があるのか。

「そのような事が可能なら、我が国も取り入れればよいのでは?」
「ああ、そう思った。それで、爺様にそう進言した。だが一笑に付されてしまったよ」
 フェルが爺様というのは、国王その人だ。フェルの話を聞いていると、王は末の孫であるフェルのことをいたく気に入っているようだった。

「なぜ、ですか……」
「さぁな。爺様のお考えは私には推し量ることもできない。ただ……そんなことをすれば国が滅ぶ、と仰せだった」
 国が滅ぶ。
 それほどの事が起こるのだろうか? Ωを囲わなければ?

「では、この国は、……変わらぬと」
 呟くと、フェルに顔を覗き込まれる。
「そう心配するな。旅の途中で、手習所のことを爺様に話した。いたく感心しておられたよ。元はサリューの考えだと言うと、驚いておられた」
 スッと背筋が寒くなる。まさかこういう形で王に自分の名が繋がるとは……いや、フェルとの仲を進めればいずれ繋がる線だ。ここで引いては、ダメだ。

「俺のことを? ……光栄です」
「ああ、神降ろしだからこそ、そうした慧眼をもつのだろうと仰せだった」
 フェルはまるで我が事を褒められたように嬉しそうだった。
「そんな、俺は別に」
 弱々しく否定すると、ぎゅっと強く抱き寄せられる。「お前には力がある。サリュー」そう言って、彼は優しく頭を撫でてくれる。まるで小さな子供にするような仕草だった。

「人の機微を読み解いて策を立てる、そういう才が。お前が士官になれば、良い仕事をしたであろうに……」
 残念そうにフェルは嘆く。その声音は嘘偽りなく、俺のことを称賛している。

「……俺の才? 本当にそう思うのですか」
「ああ。私の見立てを疑うな。あのまま上の級に進んでいれば、参謀としての実力が知れたものを。惜しい事だ……視察の間、私が手紙を書いたのは、私が『知る』よりお前が『知る』ことのほうが、この先の国益になると思ったからだ」
 そういって微笑む表情は晴れ晴れとしている。

「私はお前の才が開く世をみてみたい」
 そっと手を取られて、口付けを落とされる。敬意を込めた優しい眼差しで見上げられると、胸の奥がぎゅっと切なくなる。

「俺には、そんな、……」
「サリュー。才がない、と言うことは簡単だ。けれど認めたほうが良い。お前が成すべき事を見出すために」
 視線がぶつかる。青く澄んだ眼差しに、飲み込まれるように惹きつけられる。

 それから、ゆっくりとフェルが近づいて唇が重なった。ついばむように軽く触れられ、少しずつ深く重ねられる。
「ん、」
「このまま……いいか?」
 問いかけにコクリと頷けば、抱き上げられてカウチへと運ばれる。

 ここで逢瀬を重ねるたび、フェルは変わった、と感じることが増えた。それは彼が近衛師団に入り、真に部下を持つ身となったためかもしれないし、成年王族として公務に出るようになったためかもしれないし、――この部屋で何度も語り合い、幾度も手紙を交わしたせいかもしれない。

 以前のように自分の意志を押し付けるような振る舞いが減って、こちらの出方を伺うような、気遣うような振る舞いが増えた。
 言葉も交わさずに組み敷かれることもなくなり、今はむしろ言葉を交わすことに重きを置くような素振りを見せさえする。
 その変化は、……とても、魅力的だった。

「……ん」
 カウチの上で抱きかかえられ、口付けながら衣服を乱される。滑り込んできた指先に肌をなぞられると、期待感に身体の奥が熱を持つ。
「もっと声を聞かせてくれ」
 囁かれて、小さな胸の尖りを探り当てられる。「ぁ、ん」吐息の中に声が漏れて、いじめられると止められなくなっていく。もうこの身体の弱いところなんて、とっくに暴かれていた。

「あ、ン、それ……ぁ、っん」
 そっと奥から快感を汲み上げるように擦られ、ぎゅっと摘まれる。じぃんと痺れたような快感が背筋を通って身体中に広がっていく。
「ん、あっ」
「お前の中に、導いてくれるか」
 抱き寄せられて囁かれる。重ねられた腰の下に熱く猛った硬さを感じ取る。頷いて腰を浮かし、指先を伸ばして衣服の下で窮屈そうに喘いでいる熱を取り出す。

 指先で擦ると、ぬるりと先走りが溢れてくる。
「まってて」
 言いおいて、一度身体を離した。目の前で衣服を脱ぎさって、熟れた尖りも、固く立ち上がった前も、高揚した肌も、全てを明るい部屋の中へさらけ出す。

 フェルの視線を感じながら、再びその腰に跨り、指先を添えて、熱い猛りの先端を後腔に導いていく。準備なら充分に済ませてあった。
「ん、っあ」
 先端を飲み込むのが、少し苦しい。腰をゆっくり落として、拓かれていく身体に意識を集中する。

「まって、まだ……っあ」
 ゆっくりと中に導くと、慣れた身体は迎え入れるように滑りを増して、思ったより深く入り込む。
「ん、ぁ、っう」
 はやる身体をなだめる様にして奥まで迎え入れる。中を満たされると、それだけでうっとりと身体が喜ぶのがわかる。

「っふ、ぁ」
「上手にできたな。そのまま、動いて……そう、」
 ご褒美のように首筋に口付けられる。促されるままゆっくりと腰を動かすと、ナカがさざめく様に快感に震えていく。少しずつ角度をかえながら、悦いところを探し出す。

「あっ、あっ、っあ」
 びん、と背中を弾かれるような場所を見つけて、腰を振ると、もう止まれなかった。

「ココ……、きもち、い。ぁ、……アッ、ダメ、ぁ、……いきそ」
 とろん、と頭が快楽に酔って、夢中になって中を擦る。じっとフェルが見てる前で乱れるのは、恥ずかしくて、でもその羞恥心すら快楽のきっかけになり果てて。

「前、触って。ね、……お願い」
 甘えると、指先が伸びてきて、勃ち上がった先端に触れる。腰を揺らしながら触れられると、あっという間に射精感がたかまって、内側が切なく喘ぐ。

「そこ、ッあ、……ァ、もっと……!」
 ビクッとひときわ大きい波がきて。あとは攫われるように登り詰める。

「ァ、ふ」
 びくん、と絶頂を迎えて精を吐き出すと、フェルの視線と目が合う。愛おしむような、悲しむような、感情の入り混じった不思議な表情だった。なにか興を削いだのでは、と恥ずかしくなって。でもナカに呑み込んた彼の屹立はまだ熱く猛っていて。

「フェル……?」
 問いかけると、抱きしめられる。
「上手にできたな。……次は、私の番だ」
 言って、ぐるりと体勢を入れ替えられる。カウチに横たえられ、脚をひらかれて腰をあげると、ぐっと深くまで屹立が潜り込む。

「ッあ」
「……すまない、少し抑えが効かない」
 言って。くんっと腰を打ちつけられる。

「あッ!」
 一度達した身体はとろとろで、擦られる場所全部がきもちいい。
「っあ、……ぁ」
 ぱちゅん、と打ちつけられるたびに快感が広がる。抽送が深く、勢いを増しても、とろけた後腔は貪欲で。

「そこ、ぁ、きもちい、……っあ、」
 喘ぎながら見上げれば、ふぅふぅと息をこぼしながら快感を求めて腰を揺らす様子はかわいくて。たまらない愛おしさを感じる。ああ、これがさっきフェルが感じていた感情の半分なのか、と思いあたって。では残りの悲しそうな翳りはなんだったのだろう。

「ッあ、ン……!」
 奥の奥へと滑り込まれて、ぐ、と息が詰まる。でもその苦しさに喘ぐ感覚が、嫌いじゃなかった。目いっぱいの深くまでひらかれて、もう余裕もなく快感にのまれる。

「っ……!」
 ひときわ激しく打ちつけられて。絶頂を迎えたフェルが奥へと放つ。
「……はぁっ。……大丈夫か」
「うん、……気持ちよかった」
 素直に返すと、ふふ、と笑いかけられる。
「私もだ。……ひさしぶりで、とても良かった」
 恥ずかしそうに言うので、心の中が温かくなる。そっと手を伸ばして、口付けをねだると、すぐに応えてくれる。

「好きだよ、サリュー。……愛してる」
 囁かれて、「俺も」と返す。その言葉が嘘なのか、それとも今この瞬間は本物なのか、もう自分ではよくわからない。ただ、抱かれる相手として、彼は充分に魅力的で。俺のことを、慕ってくれて。それで――Ωとαで。
 ここではそれ以上は何も必要じゃなかった。

「少し、話をしよう」
 最低限の後始末をして、カウチに並んで横たわると、フェルは言った。
「うん」
 その表情が寂しそうなので、なんだろうと身構える。

「……手紙に書けなかった事がある」
 言って、フェルは俺をぎゅっと抱きしめた。
「見合いの話があって。……相手に会った」
 まるで許しを乞うような声音で彼は言う。

「そう……結婚、するの?」
 思いのほか、するりと言葉が出た。
「いや、まだ分からない。相手の希望もあるからな」
「……どんなひと?」

 仮にも王族の相手となれば、相手にも格式が求められる。だがそうした相手――Ωなら、多くはこの大神殿に囲われているはずだった。
「サナカンドの一の姫だ。……婿に、と請われている」
 どくん、と心臓が跳ねた。サナカンドは南方の小国で、交易で栄える豊かな国だ。その一の姫なら――将来は王配に就くということだ。

「婿に、」
「まだ決まってはいない。姫の気持ちが一番だからな。……だが、国としては逃すには惜しい手だ」
 サリュー、と甘く呼ばれる。視線を向けると,青い瞳に覗き込まれる。
「もし……一緒に来てくれと言ったら、笑うか」

「一緒に……?」
「サナカンドはΩを特別視しない。王女もΩだが、継承権を失わない程に。……だから、俺の副官として、お前を帯同するのは難しくない」
 苦しそうに、フェルは言った。それが不義理であると、分かっていて。それでも請わずにいられないというように。

「……あなたの副官として」
「ああ。すぐにとは言わない。話自体がなくなるかもしれない。だが……考えてみてくれ」
 はい、とは答えられなかった。

 帯同するなら、それは愛妾になるということだ。そして他国へ婿入りする身が、表立って愛妾を抱えられるはずも無い。
 副官として表の立場を与えられて、秘密の関係を続ける。
 それは、どう考えても分の悪い賭けだった。露見すれば自分だけではなく、フェルも、この国も、王女様だって評判を落とす。

「……フェルは、それで良いの」
 聞くと、答えは返らなかった。ただぎゅっと抱きしめられて、「すまない」と小さく言って。

 気づくと、涙が出ていた。
 ぽろぽろと零れて――止めることは、できなかった。
 泣くような資格なんて無いのに。

「行けない。一緒になんて……。ごめんなさい」
 それだけ言うと、もう後は言葉にならない。
 フェルもそれ以上は聞こうとしなかった。


「また、会いにきてもいいか」
 帰り際、フェルはそう聞いた。
「……もちろん」
 そう答えて、静かにその頬に口付けを贈る。
 この部屋には嘘ばかり満ちていて。
 それはきっと、いつかはこぼれ落ちて崩れてしまうもので。
 こなごなに砕け散るその瞬間まで、愛だと思わせたなら。
 きっとそれだけで、良かった。
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