Ωの国

うめ紫しらす

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第三部

嵐か、凪か *

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 ルシアンが公表したΩ向けの避妊魔法とその印の解説書は、またたく間に世間の耳目を集めた。

 称賛の声が上がる一方で、高名な神官が神事における避妊に対する批判を新聞に投書するなど、人目を集めたことで事態は次第に大きくなっていった。

 それまで互いに静観していた、神事の神聖性を重視する立場と、避妊薬の実用性を重んじる立場の対立関係が明確化し――ついには神殿が公に声明を出さざるを得ない状況へと陥った。
 曰く――神事における避妊薬の使用を禁ずる、と。

 それは、新たな混乱を引き起こした。


「柘榴の君、カロルくん、ご機嫌よう」
 手習所にカロルを送り届けると、同じようにカロルの友達、ライアを送ってきた翡翠宮の長、ハクロと行き当たった。長い金色の髪をゆるくまとめ上げ、優美な容姿を持つ彼は、見た通りのたおやかで優しい男だった。

「ご機嫌よう、翡翠の君。やあ、ライア。いってらっしゃい」
 子供たちが教室にかけて行くのを見送ると、ハクロが声をかけてきた。
「あの。お時間があれば、お話でもいかがですか」

 手習所が終わるまで約一刻。手持ち無沙汰な待ち時間をお喋りで過ごすのは、年少組の付き添いでよく見かける交流だった。互いに男性宮の長とあって、ハクロは情報交換をするにはちょうどよい相手だった。

「ええ、もちろん」
 近場の東屋まで移動しながら、ハクロは話し始める。
「あの……最近、宮の様子はいかがですか」
「まだ少しざわついてはいますね。みんな、戸惑っているというか」

 避妊薬の使用が公に禁じられて、十日あまり。この間にシーズンに入った者は一人とあって、宮に表だった騒ぎは起きていない。
 避妊薬を大っぴらに購入することはできなくなったが、みなそれぞれの備蓄があるのか、入手するツテがあるのか、当面のあいだは大きな不都合は露見しそうになかった。

 ただ、それよりも――精神的な変化が大きいと感じる。
 今までになく皆、神官の、神殿のやり方に不満を抱いているようだった。

「そう、ですよね」
 はぁ、とハクロは肩を落とすように溜息をついた。
「私も、皆にどう声をかければいいのか分からなくて。翡翠宮は伝統的に神殿の規律を重んじる風紀があるんです。なので、これまで神殿のやり方に異を唱えることはあまり無くて……でも、今回の決定には違和感があって」

 実感のこもった言い方だった。たとえ好いた禰宜が相手でも、受胎する可能性を自分がコントロールできることは、心に余裕をもたせる。
 その自由を一度手にしてしまえば。
 取り上げられることは、耐え難い。

「急に禁じられてしまうと、……今までは何だったのかと思います」
「ええ。本当に」

 それから。近くの東屋のベンチに腰掛けて、日々の些末な事を話題に、とりとめもなくお喋りが続いた。
 翡翠宮は柘榴宮よりも少し人数が多く、また年長のものに偏っているようだった。

「この一年、降嫁がなくて。もうすぐ部屋が足りなくなりそうです……」
 神事で受胎する率は決して高くはない。だが、ゼロではなかった。避妊薬が出回ることで、受胎により降嫁して宮を去る巫覡の数は確実に減っていた。
 それに、既に決まった相手がいる巫覡たちが、避妊薬を手にしたことで、結婚を先延ばしにするような話も聞いていた。

 宮の長だって、以前は三年を待たずに降嫁して入れ替わるのが普通だった。それが、避妊薬が広まってから降嫁した宮長はわずかに二人。
 以前なら、俺もハクロもとっくに降嫁しているはずだ。
 その一方で、新しく受け入れる巫覡の数は減るはずもなく……。つまりは、神殿の中で暮らす巫覡の数は、少しずつ増えていた。

 だから。

 神殿はどこかのタイミングで、避妊薬を否定するしかなかった。例え喜捨が増えようとも、このまま神殿に残る巫覡が増え続ければ、神殿の運営は遠からず破綻する。
 ルシアンの本に対するいざこざは、神殿の中の判断を明確化するきっかけになったに過ぎないだろう。
 ようやく神官たちがだけだ。

 ――浅慮じゃ

 と神官長の判断を看破した宮司様の見方は正しかったわけで。
 その浅慮さが、巫覡たちの不興を買っていた。

「この先、どうなるのか……心配です」
 ハクロは小さく溜息を吐く。
「そうですね……」
 自分自身も、まだこの先を見通すことはできずにいた。

  **

「柘榴の君、どうぞこちらへ」
 神官に呼ばれて、連れ立って表殿を歩く。今宵の神事は舞の奉納。そのための衣装に着替え、化粧を施して。長い廊下を進んでいく。ひらひらと揺れる衣装の裾がくすぐったい。

 舞の奉納は、神楽殿と呼ばれる舞台で行う。
 周囲を塀に囲まれた外に設けられた神楽殿は、四方の柱で屋根を支え持つ東屋のような佇まいをしている。神楽は神へ依頼人の願いを届け、神から神気を降ろす役目を持つ。そのため余人の介在を断つことが必要とされ、神楽殿の中に人目はない。

 舞台には依頼人の座る正面に降りる段があり、舞の奉納を終え、神を降ろした巫覡は階下へと降りたって、依頼人に降ろした神気を分け与える。

 巫覡の体に宿る神気を分け与える方法は、巫覡に一任されていた。
 主にハグやキス、身体への愛撫などが選ばれる。過激なものは口淫に至るらしいが、よほどのことがなければ挿入を伴う行為は供されない。

 舞もまた、巫覡の趣向に合わせて用意される。俺が選んだのは、剣舞。それは神巫にのみ許される舞で、二本の短剣を用いて演舞を行う。剣についた鈴の音と、打ち鳴らす足音で拍を取りながら、くるくると位を変えて剣を振るう。俺にとっては習った踊りの中で唯一、楽しんで踊れるレパートリーだった。剣を使った動きには慣れもあり、評判も悪く無い。

 りん、と鈴が鳴って、踊りの余韻を空に還していく。

 息が上がるほどの運動量だったが、舞を終えた後はいつも、心が静かに落ち着く。
「神気を授ける」
 言って、剣を納め、舞台から降りる。ゆっくりと歩んで、依頼人の座る前に立つ。
「商売繁盛だったな。ガルシア・エヴァンス」
 おう、と太々しく答えた男の頬に口付けを落とすと、抱き寄せられて口付けられる。

「ん……」
 膝の上に乗りあげて深く重なる口付けに応えると、妙にあっさりと彼は身を引いて。
「嬢ちゃん、いい舞だった。……綺麗だ」

 噛み締めるように言ってガルシアは俺の頭を撫でた。それから耳元に唇を寄せて。
「例の考案者には話をつけてきた。すぐにうちのを許諾品として流通させる。神殿にも販路を確保したから、心配するな」と囁いた。
「……ありがとう」

 表立って何も伝えることができなかったというのに、意図を超えて手配してくれるのは、流石だった。

「しかし、お前さん、すごいのを手懐けてるな……。死ぬかと思ったぞ」
 心の底から呆れたように続けて、ガルシアは思い出した様に苦い顔をした。

「悪い。……躾が効かなくて、外に出せないんだ」
 そう言ってみると、ハッと笑って。

「違ぇねえ。しっかり縄つけて見張っといてくれ」
 とクツクツと笑った。

「分かった。……一つ、お願いがある。五日後の正午にセーブル広場の噴水前で待っていてくれないか。友人に会って欲しい」
「いいぜ。そっちはなんだな?」

 そうだ、と答えると「なら安心だ」とうそぶいて。
「噂話を集めて記事にできる男だ。接触すべき相手を教えてやってくれ」
「わかった。なら、……少し前金をもらっとくか」

 言った唇が口付けをねだって。
 もう一度唇を重ねれば、食い尽くすように貪られる。

「……ふ、ぁ……」

「あとは良い人にやってもらいな」
 すっかり勃ちあがった前を触りながら囁かれて。
「……馬鹿野郎」
 とろんと溶けた声で言うと、ガルシアは楽しそうに笑った。

「舞以上のものはもう頼まない。禰宜も断る。そう約束したからな。……寂しい限りだが、命は惜しい」
 じゃあな、と頭を撫でられる。その体躯を、ぎゅっと抱きしめた。
「すまない。……ありがとう。これからもよろしく頼む」

 耳元に囁き返すと、ぐっと強く抱き返される。花のような、ガルシアの甘い香り。
「誰かに想われるのは、悪くないもんさ。こちらこそよろしく頼む」

 ちゅ、と手の甲に親愛の口付けを落とすと、ガルシアは俺を降ろして立ち上がり、そのまま、振り返りもせず去っていく。

「……あのバカ」
 その背が見えなくなってから。俺は彼を脅した魔法使いに、悪態をついた。今度あったら、何があったのか問い詰めてやらないと。
 そう思って。
 けれど自分が存外、怒ってはいないことに気づく。むしろ、嬉しいような、面映ゆい感情がくすぶっていて。
 想われるのは、悪くない――確かにそうかも知れなかった。

  **

 夜の一番昏い時間。ふと目を覚ますと、寝台に気配を感じる。
 手を伸ばすと長い髪に触れた。そっと起き上がって、薄暗い中を探す。自分が寝ていた場所を囲む様に丸まって眠るルシアンを見つけて、少し笑った。

 わざわざ狭い場所に潜り込んで眠らなくても、起こせばいいのに。

 この二年余りの日々の間。夜が更けてから彼はふらりとやってきた。こうして俺を起こさない様に寝台に潜り込んで、静かに眠っていることもあれば、起きるまで静かに待っていたり。それから、いたずらをしながら起こしにかかったり。

 気の済むまで抱き合って朝日を迎えることも、くだらない話をしながら夜を繋ぐことも、体温を感じながらただ眠ることも。どれもかけがえのない時間となって、俺の中に降り積もっている。

「ルシアン」
 名を呼んで。そっとその頬に口付ける。少し眉間に力が入って、目覚めそうな気配に慌てて離れる。

「……サリュー?」
「ごめん。起こした」
 言うと、手が伸びてきて、抱き寄せられる。
「ちょっと、」
 ぎゅっと抱き込まれると、口付けが降ってくる。
 いくつも、いくつも。

「……なんだよ」
 首筋から肩、腕、指先、と順に触れられて。くすぐったくて目を細めて問うと、腕の内側に跡を残される。

「……っ。やめろよ」
「嫌です。これは私のものだって、全部しるしを付けておかないと」
 冗談なのか本気なのか分からない声音で言って、今度は首筋に跡をつけられる。うなじの際に口付けられると、ぞくりと肌が震えた。

「見えるとこに付けるな、ちょっと、」
 抗議すれば「見えないと意味がないでしょう」と組み伏せられる。
 手を絡めとられて夜着の胸元を開かれて。鎖骨の上、胸元、脇腹と次々に花を散らされた。

「なんだよ、もう……」
「これくらいの腹いせ、許して下さい」
 開き直ったように言い放って。まだ飽き足りないのか下履きに手が伸びる。

「じゃあ、好きにしろ。それで気が治まるなら」
 諦めて言うと、ふふ、と笑った気配がして。「優しいですね」と声がして。剥き出しにされた内股にも赤い跡を残さされる。

「悪いのは俺だろ」
 それは本当の気持ちだった。
 心当たりのある名を出せば、火に油を注ぐのは明らかだった。理由を伏せたのを感じたのか、脚を開かれて下着ごしに中心を撫でられる。穂先をなぞられるとびくっと身体が反応した。

「これも、私のものですか」
 なぞられながら問われる。
「うん……」
 答えて、本当の気持ちなのに、ぎゅっと胸の奥がつぶれる。
 だって、ぜんぜん、そんな風には出来てなくて。……触られたら、誰だって気持ち良くなるくせに。

「ここも」
 指先が潜り込んできて、後ろの窄まりに触れる。
「……うん、そう」
 答えて。
 思いがけず涙が零れた。

「なんで泣くんです。サリュー」
「だって……さ。ごめん。全部あげたいのに。ぜんぜん……ちゃんと出来なくて」

 自分で選んだことだ、と開き直ってしまえば良いのか。
 Ωの性質だから、と割り切れば良いのか。
 でもやっぱり、そんな風にはとても思えなくて。
 自分が情けなくなって、さらに泣けて。

「ごめん」
 泣き止もうと目を瞑ると、暗闇の中で次々気持ちが溢れて、もう駄目だった。

「サリュー」
 名前を呼ばれて。
「すみません。……意地悪をしたかったわけじゃなくて。傷つけたなら、謝ります」
 目を開けると、しゅん、と項垂れた瞳が覗き込んでくる。
「いや、俺も、別に……ごめん」
 泣くつもりなんかなかったのに。

「あのさ……好きだよ。ずっと。出会った時から。……本当に」
 ありったけ、素直に言葉にする。恥ずかしくても言わないと、伝えないといけなかった。

「俺の我儘に付き合わせて、悪いと思ってる。だから、全部俺のせい、だ。
 けどさ。それでもまだ俺のこと好きでいてくれるなら、……すごく嬉しい」

 言いたいことを全部言い終わると、少し気持ちが落ち着いた。

「あなたって人は、本当に……仕方のない人ですね」
 呆れるような、感嘆するような。不思議な声音だった。

「あなたは、私に甘すぎる。……もっと単純に、怒れば良いんです。私のことなんか」
 言った瞳が、ふわりと微笑んだ。
「でもあなたの、そういうところが好きです……愛してる。
 なのに私はあなたを傷つけてしまう。あなたが許してくれることに甘えてしまう……馬鹿な男です」

 そんな風に言われると、気恥ずかしくて。涙が滲んで。
「ありがとう」
 そう言うのが精一杯だった。
「私こそ」
 言った視線が近づいて。どちらからともなく唇を触れ合わせる。

「……っん、……っ」
 触れ合えば、気持ちが繋がったような気がして。でもそれだけじゃ、足りなくて。
「抱いて。……全部お前のにして」
 吐息に混ぜて言うと、恥ずかしすぎて。でも身体中が触れられたくてたまらなかった。
「ええ。……全部、ください」
 囁きが、熱っぽい視線とともに返される。ああ、この眼に、焼き殺されても構わない。
 あとはもう、言葉はいらなかった。

「ぁ……」
 身体の隅々を確かめるように触れられる。もう全部知られているはずなのに、初めて触れられるみたいに肌が震えた。
「……っあ」
 指先で柔らかい場所を暴かれて。触れられれば快感に溺れるのなんか造作もないはずのに。
 なのに、胸の奥が切なくなって、快楽だけじゃない、温かな心地よさが身体中に広がっていく。

「好きです、サリュー」
 囁き。身体を開かれて、ゆっくりと、欲望が熱になって押し入ってくる。内側を押し拓かれる切なさがたまらなく愛おしくて。
 奥深くまでいっぱいに満たされるだけで、湧き上がるこの感情はなんだろう。
「……っ、……ぁ、いっちゃう、やだ、待って……!」
 びくんっと身体が跳ねる。
「……っ、大丈夫ですか」
 じっと、耐えるように俺を覗き込んだ瞳。いつもは怜悧な表情が、欲情して、上気した様。きっと俺だけが知っている姿。
「……なか……いっぱいで……、きもちいい」
 いつもは言えないようなことを言うと、密着した中のものが硬度を増して。

「……知りませんよ」
 余裕をなくしたように言って、脚を取られる。グッと開かれて、押し込まれて。
 ずんっと深く突き上げられる。
「……! ぁっ、ぁん……!」
 ずちゅ、ずちゅ、と深く射貫かれると、気持ちよくて。
「ぁ、だめ、いっちゃう、……ぁん」
 ただ一瞬、上り詰めていく。それだけの享楽なのに――どうしてこんなにも必死になってしまうんだろう。
「ぁ、あ……! そこ、すき……ぁ、ぁ!」
「…っ」
 絶頂に押し上げられて、ひくっ、と奥が締めあがる。
 ぴん、と張り詰めた奥に、熱を放たれて。ふるりと身体が震えた。
「んぁ、」
 達したはずなのに、身体はもっと、と欲しがっていて。
 はぁはぁと荒い息のまま、――うなじが疼く。
「噛んで、」
 呻くように欲望を声に出すと、もう止まれなかった。

「かんで……!」
 封環が邪魔で。こんなものいらない、と鋼の輪を掴む。
 力任せに引きはがそうとして。指先に痛みが走るのも、構わなかった。
「止めなさい、指が、」
「嫌だ! かんでくれなきゃ、いやだ…!」
 身体の奥から沸々と欲望が込み上げて、本能に支配される。
 ぶあっと総毛立って。奥が熱くなって。

「あ、……!」
 気がつけば、それは紛れもなく発情だった。
「サリュー? 大丈夫ですか」
「うそ……」
 まだ二ヶ月は先のはずなのに。
 熱くて。
 αの、ルシアンの匂いが心地よくて。
「何で」
 鼓動の音が、うるさいくらいに響く。
 触れたくて。
 触れてほしくて。
 欲情が、香りとなって放たれる。

「……待って、ください。……熱い」
「逃げて。……お前が暴走したら、誰も止められなくなる」
 ハァハァと荒い息が重なる。

「ええ、わかってます。大丈夫……」
 息を整えるように後ずさってルシアンは低く唸った。
「サリュー、……一緒に来てくれますか」
 差し伸べられた手を、取りたくて。
「行っても、良…いの……?」

 わからなくなる。

「大丈夫、来てください」
 その手をとって、抱き上げられてしまえば、もう迷うことはなかった。
「……連れてって」

 夜が明けるまでは。
 まだしばらくの猶予があった。
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