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第三部
共犯者たち
しおりを挟む避妊薬の出現で変わっていったのは、巫覡たちの振る舞いだけではなかった。
「リファ。……どうしたの」
表殿から帰ってきたばかりのリファが落ち込んでいるように見えて、玄関先で声をかける。「ちょっと、ね……」と返す声にも覇気がない。
長く続いた相手が結婚に踏み切ってくれない、と嘆いていた頃が嘘のように、いま、リファにはたくさんの求婚者が現れていた。
もともとは相手に一途にでいたリファも、想い人の訪れがなくなってしまえば、新しい相手を探すより他はない。
ここ最近は何人かのαと新たに親交を深めていて――初めて迎える発情期のはずだった。
「……話したくなったら、いつでも聞くよ」
そう言うと、ふ、といつもの様に柔らかく笑う。
「ありがとう。なら、夜、部屋に行っても良い?」
もちろん、と答えれば、嬉しそうに笑顔を見せて「それじゃ、また後で」とリファは自室へと向かう。
夜になれば。
静かな世界で神事の事を話すのは、宮の中ではよくある話だった。相手の事、将来のこと、Ωであること、神巫であること、神殿のこと、宮のこと。語るべきことはいつだって尽きない。
「柘榴様、起きてる?」
みなが寝静まるころ。リファはそう私室の扉をノックした。
「開いてるよ」
言えば、扉を開けて寝間着のリファが現れる。
「飲むか?」
と葡萄酒を差し出すと「僕も持ってきた」と笑い合う。杯を交わして、寝台の上でくつろいで。
「……なんか、全然ピンとこなくて」
と、リファは話し始めた。
「前はさ、もっと皆、必死な感じがあって、ちゃんと向き合うような人が多かった気がする。
けど今はみんな、少しの間だけ楽しければそれで良いっていうか。……何人も掛け持ちしてる見たいなひともいて。なんかすっきりしない」
グッと杯を仰いで、次々と湧いてくる感情を言葉にしようとして。
「みんな、……真剣じゃなくなった?」
視線の中の言いたいこと汲み上げて言葉にすると、「そう!」と大きく頷いた。
「前はさ、やっぱり番になりたいって言う気持ちがあって、もし受胎したら責任も取るぞって、そういう覚悟があったと思う。
それがさ、今は別に。……だって確認されるんだよ? 薬飲んでるかって。なんかさ……興醒めじゃない?」
あまりに勢いよく言うので、思わず笑ってしまう。避妊薬の話は、Ωたちに広がるのとほぼ同じ早さでαたちにも広がっていた。
「薬を持ってくるやつもいるらしいぞ」
会ったことはないが、と付け加えるとリファは「最低」と吐き捨てる様に言う。
「そんなみみっちい器で禰宜になるとか、ない。ありえない」
新しいモノはいつだって良いことばかりではなく、悪いことも運んでくる。
突然の懐妊による結婚のリスクが減れば、αにとっては禰宜を務めることへの責任は小さくなる。それは、裏を返せば神事の価値が下がることと同じだった。
神事の価値が下がれば。それは神託を与える神殿の権威を、存在意義を低下させる。
「神官はもっとさ、ちゃんと禰宜を選んでほしいよ」
リファは深い溜息をついて、大げさに天を仰いだ。
「そうだな。こっちの意見も聞いて欲しいよな。それに、出禁にすべき奴とか、いるよな」
そうだよ! とリファが同意する。その後もあれこれと神事にまつわる愚痴を言い合って、あっという間に時間が過ぎた。
**
「おや、先客が」
夜更けの遅く。
彼はどこからともなく静かにやってきて、寝台で眠るリファを見つけた。
内心のもやもやを打ち明けてすっきりしたのか、毛布にくるまって眠る顔は、安らかだ。
「飲むか?」
残りの葡萄酒を飲みながら机に向かっていた俺は、現れた長身を見上げて、杯を差し出す。
「声、聞いてなかったのか」
身につけたルーを通して、いつだってこちらの状況は筒抜けのはずで。
「最初だけ。どうも私が聞くべき話ではなかったので。……そのまま眠ってしまったんですね」
杯を受け取って、傾けながら微笑む顔は柔らかで、嘘を言っているようには見えない。まあ、確かにΩからみた神事の愚痴など、αにとって聞くべきものでは無いだろう。
「別に、……お前のことなんか喋ってない」
そう言ってみせると、それは残念、とルシアンは満更でもない顔をする。
「お客様には眠っていてもらいましょう」
小さく囁いてリファに魔法をかける。いつ見ても鮮やかで、理解することを諦めるしかなかった。
「こちらへ」と招かれて一人掛けのソファに誘われる。ゆったりとした作りだが流石に「狭いだろ、」と文句を言うと、抱きあげられて横抱きに膝に乗せられた。そのまま、抱き寄せられて口付けられる。
「やめろよ、リファがいるのに」
「大丈夫、深く眠ってます。……何も聞こえません」
そう言われても、気になるものは仕方ない。嫌だ、と態度で示すと、眉を下げて困ったような顔をして。
「わかりました」
そう言って、吐息が触れる距離で見つめられる。じっと見つめられると赤い輝きに魅せられて。――ああ、だいぶ酔いが回っているみたいだ。
「キスは許してくれますか」
頷くと、もう一度、今度はついばむように唇が触れる。欲情とはちがう、愛情の確認みたいな、優しい触れ方。
俺の気持ちを汲んでくれるようなやり方に、嬉しくなる。
表殿ではなく私室だからか、神巫の神事としての逢瀬ではないからか。ルシアンといると、柘榴の君としての自分ではなく、素の自分が強く出て――つい、甘えてしまう。
けれどそれを、ルシアンが悪くないと思っていることも知っている。
「ひとつ、相談があります。近々、あの印の解説を出版しようと思います。あちらの国で。……いいですか」
「別に、いいけど。なぜ……?」
子供が抱っこされているような姿勢で、心地よく人肌を感じながら、話を聞く。
「粗悪な模倣品と、考案者だと名乗る輩がでてきています。……こちらから正しい内容を公表すれば、効果がないものを作る抑止になります」
確かに、それで効果がない模倣品は減るだろう。
「解説があれば、……完全な模倣品が出回る、か。……それでいいのか?」
「同じ仕組みを使ったのなら使用料を、と迫ることが出来ます。そのあたりは専門家に任せますが」
なるほど、と合点して「それはいいな」と返す。
模倣品を作るような奴が素直に使用料を払うかはわからないが、許諾制にすれば、少なくとも買い手にはどれが効果があるものかは明らかになるだろう。
「……うん、いいんじゃないか」
正直、ルシアンがこういうことを言いだすのは、意外だった。印を作ったときには、あとのことは知らない、という風情だったのに。
「ありがとう。では話を進めます」
感謝のしるしのように頬に唇を寄せて、ルシアンはこっちをじっと見る。
「あなたと苦労して作った秘密を公表するのは、少し残念ではあるのですが」
「……ちょっと待て。それは……俺の身体のいろいろを本に書くってことか……?」
ルシアンが魔法を、印を、完成させるまで、実に様々な実験に付き合った。必要なことだから、と割り切って協力したが、モノがものだけに、実験の中身は赤裸々なものも多い。
Ωの身体がどんなものなのか。受胎に至るまでにどんな過程があり、どこに制約をかければ良いのか。それから、考案した制約で本当に受胎しないのか。
それぞれ確認するために、どれくらい褥を重ねたことか。それに、印が発情に影響しないかどうかも、自分の身で違いがないか確認して……報告したり、もした。
そうした内容が記されるのは、……恥ずかしい、と思う。
「もちろんあなただってわかる様な詳細は載せません。ただ、検証した結果だけは明らかにしないと」
それは、そう、だと思う。
「事前に内容を確認しますか」
「……いや、いい。任せる」
実験に付き合っていたころ、内容や魔法の理論を解説してくれた事もあった。だが、そもそも素養がなく、魔法の基礎しか知らない自分には手に負えない代物で。いっそ中身を知らないままにしたほうが気が楽だった。
「ではそのように。本当に……あなたの献身がなければ完成しえなかった物です。それだけは忘れないでください」
気遣うような声音でルシアンは言う。
「うん、ありがとう。でも、言い出したのも俺だから」
だから――本当はリファの言うことも、宮司様の言ったことも。これから起こること全ての責任は自分にある。
「けど、その本が出たら、……お前は大丈夫なのか?」
目立つべきではない、と言っていた状況は今もさして変わりはしない。それに、神殿の中には避妊薬は神への冒涜だと言う者もいた。そうした批判がルシアンに向かうのは、申し訳ない気持ちになる。
「ええ、大丈夫です。あちらの国で名乗っている名で、魔法大学校を通して出しますから。
……それでも神殿との溝は深まりますが。考案者として名が売れれば、様々なやり玉に挙げられるでしょうから」
その程度のことは、望む所だ、というように少し楽しげに言って。ふふ、と笑う。その表情からは、付随する事態を引き受ける、という自負と、対処へのゆるぎない自信が垣間みえる。
どんな心境の変化があったかは分からないが、ただ素直に頼もしく思った。
「ごめん、本当なら、俺が受けるべき批判なのに」
「いいえ。実際に、作ったのは私。それは紛れもなく私の責ですから。それに……こうしてあなたと分かち合えるのは、嬉しい」
誇るような、不敵な笑みを浮かべて。ルシアンはぎゅっと俺を抱きしめた。
俺も、嬉しくて。感謝するより他はなくて。「ありがとう」と、心からの言葉を贈った。
「もう少しだけ、」
ねだるように囁かれて、唇を重ねる。優しくて、心が温かくなるような、静かな口付け。
それから杯を傾けながら少し話をして。
夜明け前に、彼はまた姿を消した。
やがて、朝日が昇ってくる。
俺は明るく白んでいく空を、じっと見ていた。
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