Ωの国

うめ紫しらす

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第二部

長い夜の昔話 2

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「宮司様とはいつ知り合ったんだ?」
 夜着に着替えて寝台に入り込む。帰りたくなさそうなルシアンの背中を引き止めて、狭い寝台に押し込めてやると、満更でもなさそうな表情をみせた。まるで狼に懐かれたような気持ちでその懐に身を寄せて、気になっていた事を聞く。

「いつ、と言えばいいのでしょうね。
 ……彼女は、私の大叔母にあたるはずです。こちらが認識したのは十年ほど前ですが、あちらにとっては小さな頃から知っているはず」
「血縁なのか」
「ええ、魔術家系として長い歴史がある一門です。ただ、私は名を公に名乗ることを許されていませんが」
 事も無げに言って、けれど小さく溜息をついてみせた。

「それは……どうしてなのか聞いてもいいか?」
「構いませんよ。別に楽しい話じゃありませんが。……あなたに私の事を知ってもらうのは、嬉しい」
 指先で頬に触れられる。そうやって、自分の気持ちを伝えてくれるのは嬉しかった。

「どこから話ましょうか」
「最初から。……大丈夫、夜はまだ長いよ」
「ええ……」

 それでは、最初から。とルシアンは言葉を辿る。
「私には、双子の兄がいました。
 彼はΩで、けれど魔法の才があった。……私達の両親は、その才を惜しんで、彼を神殿に渡すことを拒みました。

 けれど年頃になって、発情が間近に迫ると、彼を家に置くことは困難になりました。

 一門のαたちが、彼の発情期の相手を巡って争うようになってしまったからです。
 両親は困り果て、兄はとうとう神殿に出仕することになりました」
 ふぅ、と息を吐いて、ルシアンは目を閉じた。

「お兄さんは、どんな人だったの」
「彼は、……アレクシスは、いつも明るく、楽しげで、優しかった。ともに生まれたせいか、私達は互いの魔力を共有していました。どこにいても、手繰たぐり寄せれば彼の魔力に触れる事が出来た。
 彼が生み出す魔力は力強く、澄んでいました。私は彼の魔力に触れるのが好きでした。
 もしあのまま、出仕せずに魔法の道を歩めていたら……そう夢をみます」

 神殿では、魔法を習うことはできない。剣術についてもそうだ。木剣を持ち込むとき、強くいさめられた。それは巫覡には必要のないものだと。その時は警備上の都合かと思ったが、彼らはきっとΩの力を削ぐためにそうした規定をもっているのだ。

「出仕すれば、宮司をしている大婆様が面倒を見てくれると、両親たちは期待していました。
 彼は大神殿に入り、あなたのように宮をもつ身になった。――翡翠の君と」

 けれど、とルシアンは言葉を切った。

翡翠宮ひすいぐうに彼は受け入れられませんでした。外の世界から来た者を、彼らは拒否した。そして彼自身も神巫となった自分の処遇を受け入れられなかった。
 ……最初の神事で、彼は禰宜を刺し、死なせてしまった。
 その禰宜を選んだのは大婆様でした」

「夢見でみたのに……?」

「夢見とは、完全な未来を教えてくれる訳では無いのです。獏としたシーンから吉兆を読み解くだけ。例えば笑っているシーンが見えても、それがどのような感情で、どんな理由で、どんな経緯で起こったかはわからない」

「どうやってそのシーンに辿り着くかを、解釈する必要があるのか」

「ええ。
 大婆様は読み違えた。結果、禰宜は亡くなった。
 その後もアレクは禰宜を拒み続けました。けれど最後には、屈するしかなかった。その哀しみは想像に耐えません。

 全てが大婆様の責任だとは思いません。それでも、彼女の差配を、その結果を、私は許すことはできない。

 出仕して離れ離れになってから。アレクの魔力が日毎に澱んで、輝きを失っていくのを、――私は眺めていることしかできなかった」

 手紙を出しました。と、彼は続ける。

「何度も。でも彼の心には届かなかった。私はαで、外にいて、日々魔術の腕を磨いていました。彼の持て得なかったものを全て享受し、なんの枷もなく。それで……何を言っても、欺瞞でしかなかった」

 ともに生まれ、ともに過ごし、同じように魔法の才に秀でて――なのに、Ωであるがゆえにその道を失う。
 自分には、アレクシスの絶望を想像することは容易かった。どれほどルシアンが彼の身を案じたとして。彼に嫉妬や羨望を感じずはいられないだろう。どんなに苦しくても、その手を取ることは――出来ないだろう。

「あなたの禰宜の神託を受けたとき――私は嬉しかったのです」

 そう彼は言って、微笑んだ。

「自分勝手な話ですが。もしあなたの役に立てたなら……アレクの手向けになるかと」
 そうして、小さく、すみません、と謝ってみせる。

「それは別に。どんな理由であれ、俺はルシアンが来てくれて良かったよ。それで……その後、お兄さんは、どうしたの」

 続きを聞くのは怖かった。アレクシスの絶望を見ることは、自分のすぐそばにある崖を覗き込むようなものだ。

「詳しい経緯まではわかりません。
 ただ、彼はやがて受胎し、そしてそれを隠した事で、亡くなりました。
 ご存知かもしれませんが、男性のΩは出産に魔法的介入を必要とします。ごく早期から適切に管理しなければ、胎児は正常に発達せず、妊夫は健康を損ない、多くの場合で命を失う。……アレクは知っていたはずです。
 けれど、彼は……誰にも受胎を悟らせないよう振る舞い、そして死に至った。彼がそう選択した理由は、今となってはわかりません」

 言葉を区切って、ルシアンは手のひらに小さな炎を呼び出してみせた。その焔の赤は、どこか禍々しく暗く煌いている。

「彼が亡くなると、どうしてか、彼の魔力は私の内にとどまりました。おかげで私は人よりも多くの魔力を扱うことができる。けれど、彼の残した魔力はとても哀しくて。まるでこの世界を恨むように怒りに満ちています」

 ルシアンがふっと息を吹くと、手のひらの焔は宙に溶けて消える。

「彼の葬儀で、私はこの力に呑まれました。
 きっかけがなんだったかはよく覚えていないのです。ただ、哀しくて、全て壊してしまいたいという強い願いが満ちていました。

 あたり一面を炎にべて、彼の亡骸を灰に還した。
 あとは、一門の者が総出で止めたそうです。……ですが、その場に宮司と神官長がいたことで事は大きくなり、私は国外追放の身となりました」

 ふふ、と彼は笑って。
「自分が自分でなくなる、そういう時にこそ、この身体に宿る本性が現れるのかも知れません。あなたは……怖くはないですか」

 差し伸べられた手をとって、指を絡める。
「そうだな、怖いよ……。ルシアンが制御できない力を、俺がどうにか出来るわけがない。でも、その一度きりのだと言うなら、きっと何か理由があったはずだ。それが分からない事のほうが、ずっと怖い」

 言って、絡めた指先に口づけを贈る。
「例え何が隠れていようと、俺が知ってるルシアンは俺に優しいよ。それが分かってれば良い」

「……ありがとう」

 嬉しそうに言って、ルシアンは俺を抱き寄せた。体温が近づいて、温かさが心を寄せる。ああ、やっぱり、抱きすくめられると、心地よい。

「こっちこそ。話しにくい事を話してくれてありがとう」

「ええ、もうこれで隠し事は何もありません。あとはただ我儘で自惚れが強い、それだけの男です」

 ふ、と微笑んだ視線が絡む。静かに唇を重ねると、胸の奥に巣食った不安が溶けていく。

「サリュー。大婆様の言う通り、あなたが、神殿からΩを解き放つ鍵となるなら。私は何を賭してもあなたの力になりましょう。
 ただ、私は――夢見の宣託を鵜呑みにすることはできない。

 あなたの身が危うくなるような真似はさせられません。どうか、ルーを、私の一部を、側に置かせてください」

 心配するように、赤い瞳が俺を映す。
 もう何も失いたくないと、不安に駆られた表情。理由を聞けば、その思いの強さはわかる。

「いいよ。最初から、そう言えば良かったんだ。……でも、やっぱり全部見られるのはやだな」

 取り外しができるようにできないか、と願うと、彼は少し考えて、手の中に指輪を呼び出した。銀の輪には小さな赤い石がめられている。

「ではこの指輪をルーの巣にします。指輪を外して離れれば、ルーを置いていける。それでいかがです」
「うん。ありがとう」

 ルシアンは満足そうに頷き、そっと俺の右手の薬指にその赤い石をはめてくれた。
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