Ωの国

うめ紫しらす

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第二部

蝶の夢

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 ひと月後、シャオの結婚式は、表殿の神殿で厳かに執り行われた。ステンドグラスの下で永遠を誓った新郎新婦は、どこまでも幸せそうだった。


「おめでとう!」「お幸せに!」
 式に向けて花嫁を表殿へ届けるのは、宮の皆の役割だった。花嫁行列には道々、たくさんの声がかかる。箱庭で暮らす巫覡たちにとって大切なお祭りのようだった。
 シャオの好みだろう、華やかで可愛らしいドレスに、長い髪を結い上げた頭を飾るベール。本当に嬉しそうな笑顔で、彼は「ありがとう」と声に答える。その首筋にはもう封環はなく、ドレスと揃いの飾り襟が添えられていた。

「シャオ、こちらへ」
 表殿の大階段を前に銘々に着飾った宮の皆が集う。宮の長として、別れの言葉をシャオにかける役回りだった。このあとの式では新郎側の参列者が一階、俺たちは二階の桟敷席から参列することになる。そして式が終われば、シャオはそのまま外の世界へと旅立っていく。

「シャオ。これまでありがとう。いつも皆を支え、柘榴宮を温かい場所にしてくれて、とても感謝している。どうか――幸せに」
 短く言って、その肩を抱く。わ、と拍手が上がり、シャオが「俺がいなくても、上手くやれよ」と憎まれ口を叩く。
「リファ」
 名を呼んで、リファに場所を譲る。この宮を長く支えてきた二人は向かい合って、ぎゅっと互いをかたく抱きしめた。

「おめでとう。……本当に嬉しいよ。シャオ」
「ありがとう」
「ずっと、シャオがいたから楽しかった。二人で色んなことをしたり、話したよね。自分で言うのもおかしいけど、とても良いコンビだったと思う。本当に……楽しかった。ありがとう。幸せに。でも、いつでも戻ってきて」
 リファは両眼に涙を堪えながら言う。シャオはもう泣いていた。せっかくの化粧が、と笑いながら目尻を拭う。

「リファ。ありがとう。俺も、リファがいてくれなきゃ、ここまでこれなかったと思う。本当に、ありがとう。またここに遊びにくるよ。それに……今度は、『外』で会おう。待ってる。……お前にも、みんなにも、幸せがくるよう、祈ってる」
 ぐ、と固く握手をして。二人はもう一度抱き合った。
 温かい拍手が鳴り響く。
「ありがとう!」
 シャオは叫んで。皆とそれぞれ言葉を交わしながら、大階段を登っていく。

「さよなら、シャオ」
 その背を見送って、リファが小さく呟き、堪えきれないように泣いた。
 そっとリファの肩を抱き寄せて。俺は、シャオが去っていった先をじっと見上げた。

  **

「ルメール伯爵、舞の奉納」
「断る」
「バウンスさん、鉱山主みたい。お茶」
「断る」
「……いっこくらい書きなよ。本命がいるのはいいけど、縁を増やすのも大事だよ」
 リファが呆れたように言う。手紙を開けるのを手伝ってもらうのは定期的な作業になっていた。そうでもしないと文箱が溢れてしまうからだ。
「……そうだな。でもどう書けばいいのか分からない。なんて書くんだ? 知らない相手に」
「そんなの、あなたの事が知りたいです、で良いじゃない? 難しく考えすぎ。相手だって、神殿との手紙はそんなものだってわかってるよ。問題は、会ってから、でしょ」
「……会ったら、もっと面倒だろ」
 そう言うとリファはアハハと珍しく声を立てて笑った。
「そうだね。面倒、だ。でもさ、僕らは……Ωは、そうやって生きてくしかないんだよ。その『面倒』の中に幸せが見つかったら良いなって、探すしかない」
 リファは俺が『面倒』と形容したことを正しく汲み取ったようだった。

 会ってしまえば、αの香りがΩの身体を誘惑する。だから、求められてしまえば抱き合うことを拒むのは難しい。
もちろん、どうしても嫌で断ることだってあるだろう。そうなら、話は簡単だ。だが、そうではない場合の方が、ずっと多いはずで。明確に嫌ではないが、好きでもない、そういう場合に断ることは、とても難しいことのように思えた。なぜならΩにとって、発情期の相手を確保することは死活問題だから。嫌いでなければ……多少の妥協は仕方がないとも、思えてしまう。

「シャオはラッキーな奴だな……」
 溜息とともに吐き出すと、リファはまた可笑しそうにクスクスと笑った。
「まあね。でもシャオだって、初めから良い人に出会ったわけじゃないよ。……たくさん、嫌な思いもして。それでも諦めずに探し続けたから。だから、巡り会えたんだ」
 思い出話を辿るようにして、リファは微笑んだ。
「だからさ、何人か会ってみなよ。ものは試し、だよ」
 そう言って、リファは次の封筒を手に取る。
「ルシアンさん。なにこれ。知り合い?」
 言って、リファはひらりと開いた便箋をこちらに差し出す。

 ――あなたが欲しい

 だだ一言、走り書きの文字が書かれた便箋。
 その下にはただ、ルシアンとだけ書かれている。

 誰。
 そう思いながら、わかっていた。
「ああ、たぶん……」
 とリファから便箋を受け取る。その紙に手が触れた途端。
 無数の蝶が飛び出した。
「わ、……きれい」
 リファが驚いて声を上げる。
 色とりどりの魔法の蝶は、きらきらと光る鱗粉をこぼしながら立ち昇るように広がって、やがて空に溶けて消えていく。
 最後の一葉がひらひらと空に溶けると、一枚の栞が浮かんで。ふわりと手の中へと落ちてきた。

 蝶のマークがついたそれは、魔法の印を封じ込めたものに違いない。
「……リファ。いま見たことは、秘密にしてくれないか」
「うん、いいよ。……でもさ、いつかちゃんと教えてくれる?」
 わかった、と答えるとリファは楽しそうにこっちを覗き込む。
「返事、書くの?」
「わからない。でも――」
 宛先もわからない。届くかもわからない。けれど、きっと伝わる――手の中の栞をみながら、なぜだかそう、確信していた。

  **

 その夜、夢を見た。
 蝶が飛ぶ夢を。

「ご機嫌よう」
 声に寝室の窓辺を見れば、赤い眼の魔法使いが立っていた。印を透かし入れた黒いビロードのローブに、ゆったりとドレープを取った黒のシャツ。夜陰に紛れ込むような出で立ちの中で、赤い瞳が静かに煌めいている。
「・・・・・・どうやってここへ」
 寝台から身を起こして問いかければ、秘密だとばかりに微笑んでみせる。

「栞が鍵か」
「御内密に。一度きりの使い捨てですが」
 窓辺の机上におかれた栞をつまみ上げ、魔法使いは手の中で火をつけて灰に変えた。いつかの魔法教練で聞いた記憶がある。魔法路を通すには行き先と送り元をつなぐ鍵が必要なのだと。そして、人が通れるほどの魔法路を通すには莫大な魔力が必要で、専用の部隊を組む必要があるとも。
 異名が一人歩きするほどの才とは――いったいどんなものなのだろう。

「どこにいるのか、ずいぶん探しました。・・・・・・大神殿だと分かってからは、どうやって手紙を届けようかと。何度か送ったのですが、なかなか届かず……これでも苦心したんですよ」
 まるで褒めてくれとばかりに言うと、寝台の横にひざまずいてこちらを見上げる。
「手紙の返事をいただきに参りました。柘榴の君」

「……ルシアンが本名なのか?」
「ええ。あまり知られていませんが。ルシアン・ランバートと申します。あなたの名は?」
「サリュー・プラムランド」
「サリューとお呼びしても?」
 頷きで返すと、ニコリと笑う。

「ルシアンと。呼んでくれますか、サリュー」
 嬉しそうに言って、じっとこちらを見つめる。まるで呼ばれるのを待っている飼い犬のようで、なんだか可笑しい。
「ルシアン」
「はい」
 あまりに馬鹿馬鹿しくて笑えてくるのに、なぜだか、泣きそうだった。

「どうしました? 何か辛いことが?」
「いや。……来てくれてありがとう」
 思ったままに感謝の気持ちを言うと、心の中が温かくなる。
「喜んで頂けたなら、何より。それでは、――お返事をいただけますか」
 ――あなたが欲しい。
 たった一言の恋文。どんな言葉よりもあからさまな欲望。
 なのに、どれだけ言葉を飾られるよりも。心に響く。
 ただ、嬉しかった。そのまっすぐな気持ちが。

「……うん」
 鼓動が早くなる。ただ頷いただけなのにやたらと恥ずかしくて、なのに応えられた事が誇らしくもある。
「もう、二度と会えないと思ってた」
 最初から、諦めていた。
 手紙を出す先もわからず、便りをもらうわけでもなく。

 あれはたった一度きりの逢瀬だったのだと、思い出さぬように封をした。
 思い出して――期待するのは怖かった。
 あのとき感じた愛おしさを抱いたまま誰かに組み敷かれるより、封をして忘れてしまうほうが傷つかずに済むと。

「遅くなってすいません。許してくださいますか」
 そう言って、彼は手を差し出す。
「うん。……許す」
 手を取ると、捧げ持つようにして口づけられる。
「ありがたき幸せ」
 芝居がかったセリフで、こちらを見上げる赤い瞳。

「会いたかった」
 囁くように言えば、ゆっくりと立ち上がった影が近づく。

「ん、」
 そっと触れるだけの口づけ。
 ふわりと香る、αの、彼の香り。
「もっと――ほしい、」
 とローブを掴む。唇を開いて口づけようとして、食むように甘噛される。
「ぁ」
 吐息がこぼれて。抱き寄せられる。

「このまま、抱いても?」
「……皆にバレる」
「では秘密のカーテンを下ろしましょう。悪趣味な覗き見も出来ないように」
 パチンと指を鳴らし、なにやら印を結ぶ。あたりが暗くなって、それからまた戻る。
「便利だな」と思った通りのことを言うと、ふふ、と得意げに笑ってみせる。

「あなたのためなら。何だってしましょう」
「それは……怖いな……」
 思ったままにいうと「怖がらないで」と訴えるように抱きすくめられ、首筋に口づけられる。指先が封環をそっと撫でて、肌がぞくりとざわめいた。

「あなたが嫌がるなら、何もしません」
「……どうだか」
「本当です。さ、」
 言って、優しく口づけられる。それから静かに指先が寝巻きの中に入り込んでくる。
「ん、」
 触れられると、身体は待ち望んだように震えた。動きに応えながら、こちらから手を伸ばしてローブを取ろうとすると「どうかこのまま」と制止される。

「わかった……っあ」
 そのまま、そっと静かに胸の尖りに触れられる。くるくると弄られると身体の奥に熱がこみ上げて、もっと、と訴えかけてくる。はやく、と先をねだるように腰が揺れて、恥ずかしくて。
「や……」
「いや? それとも?」

「……はやく」
 もどかしさに急かすようにねだると、寝台の上に組み敷かれる。長い髪が降り注ぐように視界を遮って、ルシアンだけしか見えなくなる。
「きれい」
 そっと手を伸ばして、その頬に触れた。「ルシアン」名を呼べば、
「はい」と応えてくれる。

「俺で、いいの」
「はい。あなたが良い。……好きです」
 頬に触れていた手を取られて、手のひらに口づけられる。
「うん。俺も」
 言うと、心の中があたたかくなる。

「嬉しい。あなたこそ、私でいいんですか? お尋ねものですよ」
「いい。……会えないのは、嫌だけど」
「そんな可愛いことを言わないで。このまま……連れ去ってしまいたくなる」
 溜息混じりに言うと、ルシアンは「ダメですか」と聞く。
 その瞳はどこまでも真剣で。

「……どうかな」
 連れ去られたら。この場所を――この国を離れたら。それはずいぶん素敵な提案に思えた。
 けれど。

「それは、……嫌かな」
 すぐには選ぶ事ができない。
「ええ。あなたが望まないなら……何度でも会いにきますから」
 約束するように額に口づけられる。
「ありがとう」

 それから。
 ゆっくりと、静かに抱き合った。

 夜が明ける前。
「お別れの前に、あなたに一つ贈り物を」
 そう言って彼は、手のひらに小さな龍を取り出してみせる。
「お守りです」
 手のひらの龍は眠そうにあくびをして、こっちを見た。
「ここに」
 と俺の鎖骨の下を指す。
「ここに?」
 どういう意味だと訝しると、龍は俺の肌の中に飛び込んだ。すい、と気持ち良さそうに肌の中を泳ぐと、かすかにくすぐったい。
「ルーとお呼びください。命じれば私につながります。エサはいりませんので。……それでは」

 そう言うと、魔法使いは名残り惜しそうに俺の頬に触れて、窓辺へと向かう。
 低く古語を詠唱し、印を結んで。
 ふわりとその姿は掻き消えた。

 まるで夢のように。

 けれど、肌の中には確かにその印が残っていた。

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