Ωの国

うめ紫しらす

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第二部

めぐり逢い

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 一週間後、シャオは表殿から帰ってきた。
 その首筋には、真新しい噛み跡がついていた。

「ねぇ。シャオ、いなくなっちゃうの」
 日課となった稽古を終えると、かたわらで真似をしていたカロルが不意に言った。
「……嫌か」
 座り込んで目線を合わせて聞くと、カロルはむぅ、と口をつぐんだ。
「やだよ。だって……シャオともっと遊びたい」
「……シャオは結婚するんだ、それも大好きな人とな」
 諭すように言ったが、そんなこと知ってる、というように視線を外される。

 シャオが帰ってきてから、宮の中は祝福の温かな気配に満ちていた。やがて執り行なわれる結婚式に向け、お祭り騒ぎのように慌ただしく物事が進んでいる。

 流石にカロルも、その中で、シャオが居なくなるのはいやだ、というのははばかられたのだろう。
「外に出た神巫も、ここに出入りすることは出来るんだろ? きっと会いに来てくれるさ」
 慰めるように言えば、それも知ってる、とばかりにカロルは頭をぶんぶんと振った。

「みんなずっとここにいれば良いのに」
 寂しさを爆発させるように言って、カロルは泣き出してしまった。
 その頭を撫でてやっていると、宮からリファが歩いてくる。
「柘榴さま、神官が呼んでるよ。……カロル、おいで」
「リファ、……リファはいなくならないでね」

「大丈夫。カロルが泣き虫なうちは出てかないよ」
 優しく言って、俺からカロルを引き継ぐようにその肩を抱いた。
「すまない、ありがとう」
「うん。シャオも呼ばれてたから、挙式の話かも」
「ああ、わかった」

 神官の呼び出しは、リファの言う通り、シャオの結婚式の日取りについてだった。宮の長として祝の席を取り仕切る必要があるらしい。シャオと二人で一通りの説明をうけ、準備の手筈てはずを確認する。と、ついでのように神官は付け足した。

「柘榴様にご依頼のあった茶会ですが、先方から明日の夕刻でとお知らせ頂いております。ご準備をお願い致します」
「……わかった」
 隣で聞いていたシャオが、ニヤニヤとこっちを見て。バチン、と背中を叩いた。

  **

「こちらへどうぞ、柘榴の君」
 神官が示す扉を通り、表殿へと入る。最初に案内された際に、それがきらびやかなステンドグラスに彩られた神殿であることは知っていた。その中を奥へと進めば、おごそかな雰囲気の中に洗練された調度が配置され、気品ある空間が演出されている。シェルター同様に火気を持ち込めないのか、光路虫の燭台とあちこちに蛍光石があしらわれ、ほの明るく室内を照らしていた。

「この区域にはαの方々が出入りします。巫覡ふげきの皆様とは別の通路を使っていただくようになっておりますが、くれぐれもお一人で出歩かぬように」
 階段を上がり、ステンドグラスの明かりに照らされた講堂を見下ろしながら桟敷席さじきせきを横切って長い廊下へと進む。
 角を折れると、沢山の扉が並ぶ広間に出た。

「こちらが茶会に用いる談話室の区画です。お部屋ごとに宮と同じ名前がついております。柘榴の間はこちらに」
 と、奥まった場所の扉を指し示す。扉には柘榴のマークが柘榴石ガーネットかたどられていた。
がちゃり、と神官が鍵を開ける。

「鍵は外から施錠いたします。お帰りの際はお迎えにあがりますので、室内のベルをご利用ください」
 言って、彼女は重厚なあつらえの扉を開ける。
 中は窓のない小部屋だった。奥にα用のだろう、もうひとつ別の扉がある。それから、ゆったりと座れる肘掛け付きの椅子が二脚と、揃いのデザインのカウチ。かたわらには小さなサイドテーブルに、茶器の用意されたティーカート。部屋の片隅には腰丈の戸棚があり、光路虫の燭台が置かれている。壁は落ち着いた藍色のビロードで飾られ、天井には空が描かれていた。

「茶器はこちらに。この棚のものは何でもお使いください。お帰りの際の呼び鈴はこちらにございます」
 慣れた手つきで説明を終えると、神官は「それでは、お客様の到着をしばしお待ちください」と言って部屋を辞した。
 がちゃり、と鍵の締まる音がする。

 手持ち無沙汰に部屋をぐるりと回り、戸棚の中を覗き込む。茶器に合わせた小皿、茶葉、茶菓子用のクッキー、砂糖、蜂蜜、それから、何枚ものシーツ。
 なんだ? という違和感は、その下に寝巻きに似たローブを二揃い見つけて、確信に変わる。

「つまり、これは……」
 思い当たって、ドッと鼓動が早くなる。
 どうりで、宮を出る時にシャオとリファが愉しそうにしていたわけだ。それに朝からこれを着ろ、あれをつけろと、身支度にもさんざん口を挟まれた。

 馴染みのΩとαが二人きりで会って、なにもない方がおかしい、ということなのだろう。

 それなら――見知らぬαたちの手紙が熱烈だったわけが分かる。

 はぁ、と溜息をついて肩を落とす。そっと棚を閉め、椅子に腰掛ける。目の前にはゆったりと横たわれる、優雅な曲線を持った美しいカウチがたたずんでいる。

 コン、と奥の扉がノックされた。続いて、かちゃり、と鍵の開く音がして。
「それでは、どうぞご歓談ください」
 声がして、案内役の神官が扉を締める。

 そこに彼がいた。
「やあ、こんにちは。お招きをありがとう。……柘榴の君、とお呼びすれば良いかな?」
 柔らかな微笑みと、落ち着いた声音。上品で質の良いシャツと淡い色のジャケットを着こなす様子は、この人が紛れもなく王子なのだと再認識させられる。見慣れた士官学校の制服とは違う印象に、どうにも気持ちが落ち着かない。

「どうか、サリューとお呼びください。先輩」
 気に入ったわけでもない与えられた名前を呼ばれるのは、嫌だった。
「わかった。では私も、先輩ではなくフェルと」
「えっと……はい?」
 なぜ、と問いそうになって、そうか、そうなるのか、と納得した。この方は本当に俺を好いていてくれる、のだろうか。
「あの。えっと……ありがとうございます。その。来てくれて。あと、お手紙も」
 思ったように言葉がでてこないのをなんとか繋ぎながら、何が言いたいのか分からなくなってくる。
「……またお会いできて、嬉しいです」

 どうにか言葉を切ると、ふわりと、かすかにαの、フェル先輩の香りがわかる。
 発情期でなくても感じるものなのか、と感心していると、ぎゅっと抱きしめられていた。
「私も、会えて嬉しいよ。サリュー」
 決して小さくはない自分が、鍛えられた体躯に抱き込まれると、一回り小さくなったように感じる。温かくて、心地よい感触。
「先輩」
 これもΩになったせいなのだろうか。心地よさに力が抜けて、いつまでもこうしていたい心地になる。
「あったかい……」
「子供みたいな事を言う」
 ふふ、と先輩は笑って、身体を離した。

「少し話そう」
 と、先輩は手を引いてカウチへ誘う。
「あ、お茶、淹れます」
「いいから、こっちへ」
 ぐ、と腕を取られて、もつれ込むようにカウチに座る。というか、バランスを崩してほぼ倒れ込んでしまった。あ、と思ったときにはもう、組み敷かれていた。
「話を、するって、」
 見上げた青い瞳に問いかけると、しぃ、と口に指を立てられる。
「会いたかった。このあいだは、すぐに帰らなくてはならなくて、すまなかった。君を残して帰ってしまったたことを悔いていたんだ」
 そう言って、愛おしそうに目を細める。

「いえ、……大丈夫です、俺の方こそ、急にあんな……巻き込んですまなかったです」
「謝ることじゃない。私は君に巡り会えて、とても嬉しかった」
 囁いた唇がゆっくりと近づく。
「ん、」
 優しい口づけ。
 やっぱり、触れられると、それだけで心地よさが満ちてきて、されるがままになってしまう。
 彼がαだから、だろうか。自分がΩだからか。
 それとも、すでにしとねをともにした仲だから、だろうか。

 ――わからない。
 わからないけど、何かが間違っているように思えてならない。
「ん……っ。あ、待って……!」
「ん? どうして?」
 深くなる口づけに流されそうになって。でも、と気持ちが立ち止まる。手をついてそっと身体を押し返すと、不思議そうに先輩がこちらを覗き込む。
「あの。その、……この間のは、その、事故みたいな感じで。だから、急にこうなって……ほんとに、本当に、俺で、いいのかなって……」

「そんなことか。君と俺は神託によって選ばれた仲。それ以上に大事なことがあるかい? 私達には運命が約束されているんだ」
 優しくて、力強い響きで、先輩は言った。
 神託。運命。
 ロマンチックな言葉だった。俺だって、先輩とこうして巡り会えて、縁を持てたのは嬉しかった。Ωの身体だって、αと触れ合って、喜んでいるのがわかる。それに、先輩はどこをとっても素敵な人だった。これ以上に良い相手を探す、そんなこと出来ないくらいに。

 でも――違う。

「でも、ちゃんと、好きになりたいんです。運命とか、神託とかじゃなくて……あなたを」
あなたの事をもっと知りたい。憧れの先輩としてではなく、遠い王子様としてでもなく。

 ふぅ、と先輩は息をついて。
「私のことが嫌かい?」
「いいえ。先輩の事は、……好き、です。でもその、もっとちゃんと好きになりたいって言うか」
「それは、これから積み重ねていけばいい。難しく考える事はないさ」
 そう言って、彼は優しく俺の頭を撫でた。まるで子供を諭すみたいに。

 これから――こうして小さな部屋で逢瀬を重ねて。
 シーズンが来たら、禰宜をお願いして。
 毎日、彼からの手紙を待って過ごす。

 それで……?

「……でも、」
「君が、私との縁を信じられない気持ちはわかるよ。誰だって戸惑うだろう。けれどΩとαは、神に選ばれて結ばれる物さ。そこに疑念を抱いては、神に背くことになる。私は、――君を選んでくれた神に感謝しているよ」
サリュー、と甘い響きで呼ばれる。その瞳には、強い意志が宿っていた。自分の言葉こそが、真実だと言うような。

 これ以上、何も言う事は出来ない。
 そう、悟る。

「……はい。俺も、……感謝してます」

 これは、運命なのだから。
 こんなに素敵な人と、巡り合わせてくれたのだから。

「ん、……」
 抱きしめられれば――Ωの身体はよろこんで彼を受け入れた。

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