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第二部
恋文の嗜み
しおりを挟むジャイアントオーガは近づけば近づくほどに大きく見える。
その身長はリベルの軽く三倍はあろう。あんなのがいたら、転移門が塞がれてしまうのも無理もない。
ジャイアントオーガは付近にいた冒険者をあらかた打ち倒し、街路を悠々と歩いてくる。それを見て、逃げ出す冒険者も少なくない。
「さあ、相手をしてもらおうか」
リベルは狙いを定めると、一気に駆け抜ける。
そして敵の懐へと潜り込むと、剣を叩き込んだ。
ガキィン!
「くっ……硬いな!」
剣は皮膚をわずかに傷つけるばかり。致命傷にはほど遠い。
そしてジャイアントオーガは今の一撃で彼の存在に気がついてしまった。
右足を後ろに軽く引く。蹴りを放つつもりのようだ。
巨体ゆえに動きはさほど早くない。
蹴りが放たれてもなお、リベルには余裕があった。
――躱せる。
巨体だからこそ、繊細な動きはできない。
リベルは敵の動きをしかと捉えてタイミングを見計らう。
彼が足に力を込めた直後――
「ぐはっ!?」
いつの間にか、彼の体は宙に舞い上がっていた。
遅れてすさまじい衝撃に気がつく。彼の口からはごぽっと音を立てて血が噴き出した。
「リベルくん!」
アマネが叫び、クルルシアが作り出した銀の板を足場に跳んでくる。
受け止められつつ、リベルは敵を睨む。
「なにが……起きた」
「わからないよ。いきなりオーガの攻撃が見えなくなったと思ったら、リベルくんが吹っ飛んで……」
「100S階層の連中は、時間をも制御できるという話は本当だったのか」
「だったら、勝てっこないよ。逃げようよ」
「そんなわけにいくか。ちょうどいい相手が現れたんだ。ここで乗り越えていかなくてどうする……!」
リベルは闘争心を剥き出しにしつつ、ジャイアントオーガを観察する。
他の冒険者を蹴散らす様子から見るに、その能力は一瞬しか使えないようだ。まだ100S階層の魔物でも、ランクが低い方なのかもしれない。
ほんの一瞬だけ、攻撃の際に見えなくなる瞬間がある。
そこで能力を発動させているのだろう。連続して使っている気配はない。
「敵の攻撃を一発、なんとか耐える。そして反撃する」
「……リベル! 無茶よ! あんなのもう一発も耐えられる体力、残ってないでしょ!?」
「だからクルル、頼む。俺を守ってくれ」
「もう、無茶言って……! どうせ止めても聞かないんでしょ?」
「ああ。よくわかってるじゃないか」
泣きそうな顔になるクルルであるが、幾度も修羅場をくぐってきている。
ぐっと杖を握ると、ジャイアントオーガを睨みつけた。
「一発だけだからね。それ以上は持たないから」
「ああ。それでいい」
「本当に……馬鹿なんだから」
「アマネも頼む」
「おっけー。なにすればいい?」
「目くらましを。俺が敵に近づくために」
「任せて!」
策が決まったときには、もうジャイアントオーガは間近に迫ってきていた。
どこかで時間を操ったのだろう、想定よりも距離は近い。
明らかにリベルを追撃しようとしている。
「せっかちなやつめ」
「リベルくんが言うこと?」
アマネに呆れられつつ、リベルは動き出す。
先ほどの攻撃を受けたせいで、体はまだ痛んでいる。だが気合いは十分。剣も一発振れればいい。それが当たらなければ、反撃でやられるだけなのだから。
もはや美しかった家々は崩れ、周囲に隠れる場所はない。
すっかり見晴らしがよくなり、どこからでも見えるようになった彼らを、オーガや冒険者たちは遠巻きに眺めていた。
そして――
「グガァアアアアアアア!」
ジャイアントオーガの拳が迫る。
その直後、わずかな魔力の揺らぎが感じられる。時間の制御の前触れだ。
「リベル!」
クルルシアは杖を掲げると、銀の盾を生み出した。
それが彼とジャイアントオーガの間に入り込むや否や、甲高い音が響いた。
続いて赤々とした炎が舞い上がる。それはリベルの姿を隠し、オーガの目を眩ませる。
「行って!」
アマネの声を受けて、リベルは駆け出した。
一瞬にしてジャイアントオーガの背後に回り込み、跳躍。首へと狙いを定めると、瞬間的に魔力を高めた。
彼の周囲が歪むほど高密度の魔力が、剣身に絡みついていく。
ぞっとするほど強く、禍々しいほどに濃く輝きを増していく。
そして――
「せぇい!」
勢いよく剣が放たれると、魔力が刃となって襲いかかる。
ジャイアントオーガの首に食い込むと、血を噴き出させながら突き進んでいく。
「グォオオオオオ!」
断末魔の悲鳴が上がる。
魔力の刃は薄く小さくなりながら、オーガの首を抉り取る。その先端がなかばほどを過ぎて脊椎を分断したところで、ふっと消え去った。
首はほとんど落ちたも同然。
もはやジャイアントオーガの命はあと幾ばくか。
リベルが勝利を確信するや否や、ジャイアントオーガの首がぐるりと振り返った。その衝撃で完全に首は落ちて地に転がり落ちるも、体のほうはその一瞬でリベルへと狙いを定めている。
「リベルくん!」
「リベル!」
二人の声が響く中、リベルは迫る拳を見据える。
空中ゆえに、うまく移動して回避するのは不可能。剣で凌ぐのも無理だ。すでに剣身はぼろぼろになっているし、逸らすのも力の差がありすぎる。
一発受けて耐える。無理だ。ヒビの入った骨が砕け散るだろう。
じっと待っていれば、なすすべもなく死がやってくる。
この状況を打破するには――
「やるしかないよな。さあ、やってみせるんだ」
自分を鼓舞しながら、リベルは意識を集中させる。
直後、彼の姿がかき消えた。ジャイアントオーガの拳は空を切った。
「リベルくん、どこ!?」
「こっちだ。助けてくれ!」
先ほどまで彼がいた場所よりもずっと下方で、彼は落下していた。
アマネは急いで駆け寄ると、リベルをキャッチする。ジャイアントオーガの追撃を気にするが、巨体はもはや倒れ込むことしかできなかった。
「リベルくん、なにしたの?」
「ただ落下しただけだ」
「ええ……」
「ちょっとだけ、時間は早めたんだけどな」
体がうまく動かなかったから、時間だけを早くして落下したのだ。それにより敵の攻撃を躱したと言うことである。
「ぶっつけ本番で、成功させちゃうなんて……」
「すごいだろ?」
「うーん、そうなんだけど……」
「リベルの馬鹿! すごい馬鹿よ!」
走ってくるクルルシアは何度も何度も暴言を吐く。
ちょっぴり涙目になりながら。
「でもまあ、なんとか成功しただろ」
「しなかったらどうするつもりだったの!」
「さあて、これで俺も100Sランクの仲間入りか」
「そうやって、すぐに話を逸らそうとするんだから」
「逸らそうとしてるんじゃなくて、リベルくんはそれしか頭にないだけかもしれないよ」
「まあな」
「威張るんじゃないの! まったく!」
そんな戦いの余韻に浸っている間にも、残るオーガは冒険者たちによってすべて打ち倒されていた。
ジャイアントオーガさえいなければ、倒すのは造作もない。
「さて、帰りは転移門を使おうか。魔導車は壊れちまったからな」
そう思って、そちらに視線を向けると――
バキ、ゴキゴキ。
音を立てて、現れる存在がある。
ジャイアントオーガが一体、二体……その数は十を超えてなお増え続ける。
「はは……そりゃ渋滞するわけだ」
「どうするのリベル!?」
「逃げよう、さすがにこれは無理だ」
彼らは市壁に向かって走り出すが、敵はどんどん近づいてくる。
「逃げ切れないよ! どうしよう!?」
「冒険者たちが援護してくれりゃ……ああもう、全員逃げちまったな」
「もう、なんとかしてよリベル!」
「そう言われても……走るのですら精一杯なんだが」
もはや満身創痍で、戦う気力も残っていない。
いや、それは嘘だ。気力だけは十分すぎる。本音を言えば、あれらすべてと戦いたいくらいである。
が、いかんせん体がついてこない。残念ながら。
ひたすら足を動かしている間にも敵は増え続けて、今やその数は百を超えている。
あんなのに占拠されたら、いったい誰が手出しできようか――。
リベルがそう考えた直後、まばゆい光が生じた。
それはすべてのジャイアントオーガを包み込んだかと思えば、敵の姿は跡形もなく消え去っていた。
なにが起きたのか。
ただ一つ明らかなのは、さらなる強い存在がやったということ。
こんな状況だというのに、リベルの胸は高鳴っていた。
「リベルさん、お久しぶりですね」
柔らかな声音には聞き覚えがあった。
「ミレイか」
「ピンポン! ご名答です!」
軽い口調のミレイは、いつしかリベルの前に来ていた。
「お手合わせの約束、果たしに来てくれたと見ていいだろうか」
「ぶー。ハズレです。まだまだリベルさんは未熟ですからね」
「そうか。後の楽しみに取っておこう」
「ふふ、追いかけられるのも悪くないですね」
ミレイがわざとらしくはにかむと、クルルシアが口を尖らせる。
「ちょっと、リベルを唆さないでよ」
「あら、リベルさんが自主的に追いかけてるだけですよ」
「この女狐……!」
「あの、私もあなたも狐なんですが」
「あたしも!」
「おいおい、喧嘩するなよ」
「リベルのせいでしょ!」
「リベルさんのせいですね」
「リベルくんが悪いね」
一斉に三人に見られて、リベルは口を閉ざした。
もうなにも言わないでおこう、と。
が、そう思ったのも束の間、好奇心に負けた。
「ミレイはこのジャイアントオーガを退治しに来たのか?」
「違いますよう。私はもっと上の階層にいるので、本来はここに来ることはないんですよ。ちょっぴり休暇ができたので、リベルさんの様子を見にきたら、困っていたみたいなので助けてあげました」
「なるほど。それは助かった」
「いえいえ、どういたしまして」
ミレイはにっこりと微笑むと、くるりと背を向けた。
「それじゃあ、私は行きますね。忙しいので。こちらとは時間の流れが違うので、あんまり長居はできないんですよ。リベルさん、もっと強くなってくださいね」
「あ、ちょっと――」
クルルシアが呼び止めるや否や、ミレイの姿は消えていた。
「……なんだったのよ」
「もう少し有意義な質問をすればよかったな」
リベルは呟きつつ、ミレイを思い浮かべて「いつかその高みに辿り着いてみせよう」と気合いを入れるのだった。
やがて転移門が正常に動き出すと、近くの町から続々と応援がやってくる。
が、すでにジャイアントオーガは消し飛ばされてしまった。だからぽかんとするばかりである。
「さあ、次は100Sランク階層だ。楽しみだな」
「もう、リベル! 私たちはまだなんだけど」
「仕方ないな。ちょっとだけ待ってやろう」
「リベルくん、いい気になってるなあ。すぐに追いついちゃうんだからね!」
賑やかな彼らは戦いの余韻を楽しむ。
その数日後、彼らは新たな階層へと進むのだった。
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