Ωの国

うめ紫しらす

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第二部

運命、それとも

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柘榴ざくろさま、どちらへお出でですか」
 その新しく与えられた名前に、俺はまったく納得できていなかった。
「稽古」
 部屋付きの神官に短く言って、木剣を手に裏庭を目指す。剣技は得意でも何でもなかったが、身体を動かすことくらいしか、気の晴れる事はなかった。

 大神殿に着いて、はや一週間。タチアナにつれられて魔法路を通り、送り届けられたのは、まるで城郭のようにたくさんの建物が立ち並ぶΩの園だった。

 高い城壁と強固な警備に守られ、誰の侵入も誰の離反も認めない、閉じられた世界。まさに、籠の鳥だった。
 けれど、内部に入ってしまうと皆がその事を忘れたかのように日常を謳歌おうかしている。それもそのはずで、小さな頃から閉じられた世界に慣れてしまえば、何もかもが当たり前で、外の世界など、夢物語でしかない。――そう気がつくのに時間はかからなかった。

 誰も外の世界を、Ωではない生き方を――知らないのだから。

「……98、99、100」
 考え事をしない様に数を数えながら剣を振る。これほど真面目に基礎練に励むのは、生まれて初めてかもしれない。
「ねぇ、それすると強くなるの」
 休憩に水を飲んでいると、後ろから声がかかる。ちらりと振り返ると、カロルだった。柘榴宮ざくろぐうで最も小さな男のΩ。栗色の巻き毛が愛らしく、7歳にしてはあどけない空気を持っている。
「さあな。しないよりはマシだが、これだけで強くなるわけじゃない」
「そ。……ね、人を刺したことはある?」
「ない。魔物ならある」
 そう答えるとへぇ、と面白がるように近づいてくる。意外な事を聞くな、と思ったが、大人の男が珍しいせいだろうか。

「それ、お話ししてくれる?」
 ねだるように俺を見上げる子供を振り払えるわけもなく、座り込んで話をしてやることにする。
 時間なら、いくらでもあった。

「訓練で、北の山に行ったんだ。カレーア山脈、知ってるか?」
「ううん、どこにあるの」
「ここが王都なら、この辺り。寒くて雪がたくさん積もる」
 地面に簡単な地図をかいてやる。
 カロルは面白そうに俺が雪山の魔物退治に出かけた話を聞き終え、「柘榴さま、凄いね!」と満足そうに笑った。
 実際には隊列を組んでの作戦で、俺の働きは大したことはないのだが。まあ、子供相手に胸を張るくらいは許されるだろう。

「ね、僕も練習したら、強くなれるかな」
「ああ、なれるさ」
 くしゃりと髪を撫でてやると、カロルははにかんで笑う。
「そしたらさ、……αをやっつけられるかな」
 カロルは内緒話をするように声を潜めると、真剣な眼差しで言った。

「αを? どうして?」
「だって、僕、大人になったら、αのお嫁さんにならないといけないんでしょ。でも僕、いやだ。結婚するなら、Ωの女の子がいい」
 秘密を打ち明けるように、ワクワクとした目でカロルは言う。
「僕聞いたんだ。剣で刺したら、結婚しなくていいって。だからさ、剣の練習してさ、えいって刺してやるの」
 うふふ、と楽しそうに言って、カロルは嬉しそうに俺をみる。

「……そうだな、嫌な奴と結婚したくないもんな」
 返す言葉を迷って、カロルの頭を撫でてやる。当たり前のように神事の話を知っているのは、神殿の中ではそれこそが日常だからだろう。

「カロル~。おやつだよ~。あ、柘榴さま」
「シャオ! おやつ何!」
「プディング。食堂にあるよ、行っておいで」
 カロルを呼びにでてきたシャオは、宮に住まうΩの中で最年長にあたる。黒髪を長く編んで、ゆったりとした中性的なローブをまとい、一見すると女の子のような可愛らしい面立をしているが、立派に喉仏が出てくる年頃だ。いつもカロルを初めとした宮の子どもたちの面倒をよく見ている。

「柘榴さま、また稽古? そんなことしてて良いの」
 からかう様にこちらに近づいてくる。先の柘榴さまが降嫁こうかし、空位となっていた間、この宮の取りまとめ役だったためか、先輩風を吹かせるように妙に馴れ馴れしい。だが変に畏まった態度をとられるよりは、ずっとよかった。

「お前もやるか?」
「やだよ、ムキムキになるとか、ない」
 ふん、と笑い飛ばすように言って、それよりも、と怒ったような表情を作ってみせる。
「ちゃんと招待の手紙は書いたの? 三ヶ月なんてあっという間だよ」
 まるで上官だな、とその口ぶりをみながら溜息をつく。

「……何を書けばいいのか分からないんだ」
「はぁ? あんたいい大人だろ、恋文くらい貰ったこと無いのかよ」
「……茶会の招待だろ? なんで恋文なんだ」
 言うと、はぁ~とわざとらしく大きな溜息をついてシャオは天を仰いだ。

「なんのための茶会だよ? 新しい出会い、禰宜選び、ひいては番になって! って茶会。好きとか会いたいとか抱いてとか、何でもいいから来てもらうんだよ。早く目ぼしい相手を見つけとかねーと、神官に適当なやつをつけられるぞ」
 まくしたてるように言って、シャオは可笑しそうに笑った。
「神降ろしってのは、ほんとに何も知らないな」
「……悪かったな」
 流石にムッとして返すと、シャオはまだ楽しそうに笑っている。その顔があまりに無邪気なので、怒る気にもならない。先の柘榴さまがいなくなってから、ずっと宮の代理として気を張っていたのかもしれない。

「お前はどんなのを書くんだ。良かったら手本に見せてくれ」
「やだよ。そんなの。自分で考えろよ」
 すげもなく言って、じゃあな、とシャオは手を振る。
「プディング、食べたければ来なよ」
 思い出したように振り返って言う。
 可愛げがないのかあるのか微妙だが、いい奴だとは思う。

 それにしても……適当なやつ、か。
 シャオが言ったことはすでに神官たちに説明されていた。もっとも、もっと格式張った言い方だったが。

 曰く、禰宜とは爾来じらい、神の御心によって決まるもの。
 だが、神に日々祈りを捧げ、願いかければ神も信心を汲んでくれる――と言うことだった。つまり、Ωとして、神殿に暮らしていれば、神様が似合いの相手を選んでくれる、と言うことらしい。

 ではどうやって神に祈りを捧げれば良いのか。
 その手立てとして、巫女として祈祷や舞の奉納、あるいは星占いや告解と言った神殿の神事を通し、信者と縁を結ぶことが必要だ、と神官は言った。人のために為し、神に奉仕することでより良い縁が見つかる、とも。

 茶会は、そうした神事の一つとしてあるらしい。信者と神のために語らい、信心の安寧を得て、縁を広げる。そんな事を神官は言っていた。
 そのために、神殿のΩは、αに向けて茶会の招待を出す、そう言うものらしい。まったく知らなかったが、これもαにとっては常識なのかもしれない。

「柘榴さま。またお手紙来てたよ。大人気だね」
 食堂に向かうと、年長組のリファが優しく微笑んだ。物静かで、優しいリファは宮内の雑用を率先して片付けてくれる。手紙の仕分けもその一つだ。

「なんでだろうな。……誰も俺のことなんか知らないはずなのに」
 Ωから出す招待をまたず、茶会に呼んでくれ、と言う手紙もとどく。あるいは、祈祷してくれ、とか、舞の奉納をお願いしたい、とか。そうした信者からの依頼をこなし、αと知り合う中で、禰宜となる相手が、ひいては番となる相手が絞り込まれて行く……らしい。

 神降ろしの神事とは、何もかもが違う。それは、神降ろしには他のαと縁がないまま、突然発情期が始まってしまうからだろう。

 だが、神殿のΩとて、縁を結べば意中の相手を禰宜に選べるかは、わからない、のだと言う。
 それを話してくれた時、シャオの表情は悲しげだった。
「何でもかんでも、神の御心のままに、だからな。まあ、祈るしかねぇよ」

 裏では神官たちが画策しているのだ、と言うことはどのΩも理解していた。理解して――そして、諦めていた。それは、変えることのできない世界の則なのだと。
「だって、禰宜をもらえ無かったらさ、やっぱ無理だもんな。だから、しかたないってーか」
 それに、番になれれば、外に出られるしな。
 強がるように言って、シャオは笑って見せた。

「シャオにも手紙、はい」
 リファが渡すと、ぼっ、と明かりが灯るようにシャオの耳が赤くなる。
「うっせ」
 何も言っていないのに、視線があった俺に噛みついてくる。まだまだ子供だな、と笑ってしまうと、シャオは手紙をひったくるようにして行ってしまった。

「好きなやつがいるんだな」
 出ていった足音を聞きながらリファに言うと「そう、可愛いよね、シャオ」とニッコリ笑ってみせる。
「リファは?」
 と水を向けると、ふふ、と意味ありげに笑ってみせる。
「ないしょ」
 そう言うと、彼は見せつけるように、自分宛ての手紙をひらひらと振って見せた。

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