Ωの国

うめ紫しらす

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第一部

夜明けと紫煙

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 満足するまで身体を繋げて。いつの間にか、意識を手放していたらしい。
 目覚めると、煙草の香りがした。

「ん……?」
「目が覚めたか? 気分はどうだ」
「……もう、へいき」
 答えたが、喉ががらがらで上手く声が出ない。
「まずは水だな。待ってろ」
 祭服をまとった禰宜ねぎは、さっぱりした表情だ。

「俺はもう帰っても良かったんだが。まあ、やるだけやって帰るのも、な」
 どれくらい時間が経っているのだろう。まだ夜は明けていないようだったが、身体が回復した感じを見ると、しばらくぐっすり眠っていたように思える。見れば、身体は拭き清められ、寝具も整えられていた。衣服こそ纏っていなかったが、世話を焼いてくれたのだろう。

「ありがとうございます」
 がらがらの声で言うと、彼は「礼を言われるようなことじゃない」と微笑んだ。水差しから水をカップに移して持ってきてくれる。
「呼び出されて、抱き合って、ハイさようなら、ってんのは、動く張り型ってところだからな。それじゃあ割に合わねぇ」
 けに言って、にっと笑って見せ、けれど瞳の奥は少しも笑っていなかった。
 ん、と差し出された水を受け取って飲み干す。

「ええ、本当に……すいません。ありがとうございました」
 急な呼び出しに応じ、発情しきった見知らぬ自分の相手をしてくれて――感謝するばかりだ。
「勘違いしないでくれ。神巫かんなぎ様が悪いわけじゃない。発情は仕方ねえことだし、あんたには充分、いい思いをさせてもらった。俺が言ってるのは、神殿のクソ野郎どものことさ」

 言って、彼は新しい煙草に火をつけた。小さな火打箱をカチリと作動させ、紫煙をくすぶらせる。
「だいたい、神託ってのが気に入らねえ。誰に抱かれるかなんて、そんなの神巫様が決めればいいことだろ。それを宮司ぐうじが勝手に決めて、押し付けて」
 神のお導きだなんだ言うのが胡散うさんくせえ、と吐き捨てるように言って、彼は寝台に腰掛けた。

「あんたは神降ろしだと聞きました。……さぞおつらかったでしょう。俺を怖がるのも無理はねぇ。なのに、神事だからって俺に抱かれなきゃならない……こんな酷え話が、今もって続いてるのは、神殿の奴らのせいでしょう。あんたは少しも悪くない」
 言いたいことを言い切ったのか、彼は美味そうに煙草を咥えた。

 彼の、神殿を愚弄ぐろうするような考え方は、自分にはない視点だった。
 神殿があるから、巫女は禰宜に抱かれなければならない。確かに、言われてみればその通りだ。自分とて、神殿に……このシェルターにくるまでは、分かっていなかった。

 Ωが神殿に仕えることの意味を。その有り様を。

 こうなるまで――神殿の外の世界に暮らすものとして、Ωが神殿に暮らすのは、当然のことだと思っていた。
 発情したΩをシェルターに囲うことも。巫女として、禰宜を迎え入れることも。

 ――当たり前のことだと思っていた。

「あの……神託は、宮司様がお決めになるのですか」
「ああ。いつもじゃないがな。普通の巫女たちのは神官が決めることの方が多い。神巫様は神降ろしだから、宮司が出張ってきてるんだろ」
 当たり前のことだ、と言うように彼は説明する。

「なぜ、あなたは……神殿の内情にお詳しいのですか」
 聞くと、彼はニヤリと笑った。
「世俗の身分を明かすことは禁じられてる。知ってるだろ」
 だが、と彼は続けた。

「神殿の決めた禁則なんてのは、破るためにあるもんさ」
 これみたいにな、と彼は煙草と小さな火打箱を示した。そういえば、このシェルターは火を使うのを禁じていたはずだ。だから灯りもすべて光路虫や蛍光石を用いていると聞いた。
 一体どうやって持ち込んだのか。驚いて見ると、彼は愉しそうに笑った。

「俺は他国との交易品を扱うガルシア商会って商売をやってる。異教徒の物を売り捌くためには、色々と神殿に便宜を図る必要があってな。まあ、ありていに言えば神殿の許可をもらうためには、神殿についてよく知ってなきゃならない、ってことだ。そのために、あいつらの考え方ややり方について詳しくなっちまった」
 知れば知るほど反吐が出るがな、と付け加えて。それから、彼は俺を正面から見た。

「禰宜の神託を受けたのも、半分はあいつらに恩を売るためさ。だからあんたは何も謝る必要はない」
 言って、彼は手を伸ばして俺の額に触れた。
「よし、熱もひいたな。そりゃ、あんだけヤれば、まあ満足するだろうよ。まったく、体力のある神巫ってのは手に負えねぇ。お陰ですっからかんだ」

 褒めてるのかけなしているのか。独り言なのか、言い聞かせているのか。反応に困って二の句を継げずにいると、からかう様にぺちん、と額をはたかれる。

「良いか、もしあんたが神降ろしとしてこの先『力』に目覚めたら、そうしたらあんたは神殿の中央深くに関わる事になる。その時、ちょっとだけガルシアの名を思い出せ。なに、表立って名前を出すことはないぞ。そんなことしたら不正になっちまうからな」
「……はい」
 頷くと、いい子だ、とばかりに彼は髪をぐしゃぐしゃと掻き撫でた。

「よし。じゃあ、俺は帰る。身体を大事にしろよ。……また縁があれば、な」
 ちゅ、と額に口づけを落として、俺の返事も待たずに彼は自らベルを鳴らす。

「お呼びでしょうか」
「帰る。神巫さまもお目覚めだ」
 戸口がするすると開く。
「あの! ……ありがとうございます!」
 慌てて声を掛けると、ひらひらと手を振って。そして、彼はあっさりと部屋をでていった。

  **

 そのまま、俺の発情期は終わりを迎えた。

 懐妊もなく、発情もないまま二度目の朝を迎えると、訪れたタチアナがかしこまった様子で俺の前にぬかづいた。

「神巫さま。神事のお勤めご苦労様でございました。
 本日を持って王都へお移りいただくことと相成りました。つきましてはお支度を整え次第、出立することとなります。必要なお荷物は私共の方でお運び致しますので、ご安心を。

 また、王都にご到着されてから、御両親との面会を予定致しております。僅かなお時間となり恐縮ですが、出仕のご挨拶をお願い致します」

 相変わらず、口を挟む余地も、反論する余地もない言い様だった。
「王都とは、つまり、大神殿へ出仕すると言うことか」
「左様にございます」
「では両親との挨拶とは。……この先、会えぬということか」
「まったく、というわけではありません。されど、大神殿は神に近い聖域。気軽に外の者を招く場ではございませんので。ご堪忍ください」
 さらりとした言様にさすがに怒りが沸き起こる。
「なぜ前もって言わない」
「その様に取り決められております」
 こちらの怒りなど少しも解さぬ様子で、タチアナは言ってのける。

「マヤはどうなる」
「あの者は帯同致しません。私は到着まで警護にお供致します。その先は、王都のものが警護に付きます」
 ぐ、と拳に力が入る。

 クソ野郎どもが、とガルシアが吐き捨てた気持ちが今なら分かる。
 Ωとして覚醒した、ただそれだけのことで――なぜここまで奪われねばならないのか。
「先日手配した神巫さまの御装束が出来上がっております。どうぞお支度を」
 深く礼をして、タチアナは部屋を辞す。その背中を睨むことくらいしか、今の俺には出来ない。たとえ逃げ出したとして。この国に、Ωのいられる場所は神殿しかないのだから。

「失礼します」
 マヤが、装束をかかげ持って入ってくる。
「お支度を」
「……ああ」
 彼女は、勝って知ったる手つきで、俺の衣の紐を解き、下着を取り去り、封環に手をかける。

「新しいものができております」
 断りをいって、彼女は鍵を開ける。
「お体に合わせてはおりますが、肌に馴染むまではお薬をお使いください。荷物にお入れします。鍵もご自分でお持ちください。道中、くれぐれも他人に渡さぬよう」
 細々とした世話を焼きながら、彼女は俺の身体を拭き清め、真新しい、神巫としての祭服を整えてくれた。その心配りは、この部屋に来たときから少しも変わらない。

「マヤ」
 全ての装いを整え終わって、俺は彼女に声をかけた。
「側にいてくれてありがとう。あなたのおかげで、何度も救われた。……あなたに会えて、よかった」
 彼女の眼を見て、心のままに言葉を紡ぐ。それだけで、涙が浮かんでくる。
 もしもこの場にマヤがいなければ、この数日の時間はもっと耐えがたいものになっていただろう。

「とんでもない事でございます。……! 御言葉、ありがとうございます」
 マヤの目も、見る間に潤んで。涙が溢れた。
「どうか。神の御加護がありますように」
 そう言うと、彼女はそっと俯いて。

「……悔いのない選択を、なさって下さい」
 そう、押し殺すように言葉を繋いだ。
「うん。わかった。マヤも、元気で」
 そっと肩に手をかけ、下を向いて涙を堪える彼女に答える。

「さあ、こちらへ」
 タチアナが戸口から声をかける。
「解った」名残おしかったが、いかなければならない。
「お待ちください、」
 マヤが振り絞るようにして、俺を抱きとめた。
「なるべく受胎せぬよう、ご留意ください。男のかたはお産でお命を失います」
 口早に小さく耳元で囁いて、マヤは俺の眼をじっと見た。
「……ありがとう」

 マヤの険しい表情が、その仕草が、彼女が禁を犯して俺に伝えようとしてくれた事を悟らせた。
 ――受胎せぬように。
 それは、神事の目的そのものに背く事だ。わざわざ神官たちは俺に教えないだろう。
「下がりなさい! 神巫さま、失礼しました。さ、こちらへ」
 タチアナが一喝し、マヤは額づいて道をあける。
「マヤ。どうか息災で」
 最後に別れの言葉を贈り、前を向いて歩き出す。

 王都、大神殿へ。

 その先にどんな運命が待っているのか――まだ俺には、わからない。

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