Ωの国

うめ紫しらす

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第一部

朝のひかり

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禰宜の出立を見送り、泥のように眠りについて目覚めると、もう、ほとんど身体の熱を感じなかった。
身体の調子が良い、と告げるとマヤは「すぐに受胎確認を」と、深刻な口調で手巾を差し出した。
「自分で拭くから」
と手巾を奪い取り、内股に溢れた残滓を拭いとる。
「よかった。懐妊されてはいませんね」
マヤは手巾を改めると、ほっとするように言う。
「まだ発情期は続いておられますが、終わりは遠くないかと」
「なら良かった」
ええ、よろしゅうございました、とマヤは微笑む。

「湯殿は準備できております。こちらへ」
うん、と首肯いて寝台を降りる。
湯桶の中で昨夜の残滓を洗い流していく。禰宜がつけていった痕を肌に見つけ、なんだか可笑しくなる。たったひと夜の交わりだというのに、その痕跡を愛おしく感じた。

もう二度と、会わぬひとかも知れないのに。

一抹の寂しさが心の中に灯る。
この発情期が終わったとしても。自分が隣国に赴いて彼に会うことはないだろう。国境を越えるためには国による認可が必要だった。Ωとなった自分に、他国への渡航許可が降りるはずもない。
そして追放者である彼も、神託の特例もなくこの国に足を踏み入れることは叶わないはずだ。
だから。もう、会えない。
そう考えると、胸の奥が苦しくなる。

「お食事の用意ができております。もう朝餉あさげには遅う御座いますから、昼餉をかねたものとなります」
 湯浴みを済ませて衣服を身に着けると、そうマヤが言った。寝台のある部屋に戻ると、テーブルが持ち込まれ、新鮮な食材をふんだんに使った膳が準備されている。促されるまま席に着けば、感じていなかった空腹が姿を現した。

「ありがとう。……なあ、なぜこんなに良い扱いなんだ? どの巫女もこのような扱いを受けるのか?」
「……恐れながら、巫女様すべてがこのような待遇を得られるわけではありません」
 そう、マヤは膳の世話をしながらゆっくりと語った。

「ひとつには、あなた様が神巫かんなぎであらせられること。男性のΩは、女性のΩより希少なのです。
 もうひとつは、あなた様が神降ろしの身であること。

 ご存知の通り、他の巫覡ふげきのみなさまは子供の頃に分化が明らかになり、神殿へと出仕されます。未分化のまま年を重ね、あなた様のように突然発情を迎える方を、神降ろし、と呼んでおります。

 このような御方は神の御意志によって、十年あまりにいちど現れるとされています。
 そして、神降ろしの方は他の巫覡にはない、特別な力をお持ちになるといいます。今代の宮司様も神降ろしで御座いますから」

 神降ろし。

 初めて聞く言葉だった。Ωの、神殿のことについては、知らないことばかりだ。
「特別な力など、俺にはないけど」
「やがて目覚めるのです。宮司様も、巫女として覚醒されてから徐々にその御力を見出されました。ですから、神殿はあなた様が御力に目覚め、神の御意思を顕現けんげんされるまで万難を排してお仕えするのです」
 そう言われても、まったく心あたりはない。

「もし、何も力に目覚めなかったら?」
「そのような心配はご不用です。神の御身心にお委ねください」
 すべては、神のみぞ知る、か。

 心の中で独り言ちて、膳を進める。どれも学舎の食事より美味しく、美しく飾られている。
 これほどの扱い受ける価値が、本当に自分にあるのだろうか。

「お食事中、失礼いたします」
 声がして、戸口を見やるとタチアナがいた。
「神巫さまには、昨日も滞りなく神事をお済ませとのこと、誠におよろこび申し上げます。
 本日は清めの印をお授けせずともよろしいようですね。代わりに薬湯をお持ちいたします。清めの印ほど効果はございませんが、お身体のご快復に効きましょう。
 さて、御加減がよろしければ、本日はこのあと装束の御用意のため、神具を作る神官とご面会いただきたく。お身体に触れますが、どの者もβの女性で御座いますから、ご安心を」

 こちらの反応を見ながらも、タチアナは滔々とうとうと一方的に語り終える。
「わかった。神官との面会は、誰が同席するんだ?」
「私が。お部屋に参ります」
「マヤは同席できないか?」
「恐れながら。湯女たちは神官に面会することはできません。この者たちはΩですから」
 隣で、マヤの気配が強張こわばる。
「それでは、また後ほどうかがいます」
 うやうやしくお辞儀をして、タチアナは部屋を出て行く。
「マヤ。……すまなかった。知らなかったんだ」
 恥をかかせてしまった事を謝ると、マヤはふるふると首を横に振った。
「いいえ。お心遣い、ありがとうございます。わたくしの方こそ、……差し出がましい口をきいたのがいけなかったのです」
 そう、マヤは自分の失態であるかのように詫びた。確かに、マヤの同席を願ったのは、彼女が装束を作りましょう、と口にしたからだ。ではなぜ、彼女はそんなことを言ったのか。
「少し、話を聞かせてくれないか」
 あなたの事を。
 そう言うと、マヤは困ったような、嬉しいような表情で、小さく「お望みなら」と答えた。

  **

 何からお話すれば、と躊躇ためらうマヤに、最初から、と頼んだ。
 時間なら充分にある。
「マヤの事が知りたいんだ」
「そうですね……私の父は領主を務めておりました。武芸に秀でたαらしい方でした。母は神殿の巫女として父と出会い、そして私を授かりました」
 マヤは寝台に腰掛け、横に座る俺から視線を外して語り始めた。
「父と母と。それからαの兄と、βの兄が2人、おりました。末の私を父も兄たちも、たいへん可愛がってくれた。
けれど、私がΩとわかると父は私への興味を失いました。兄たちと遊ぶこともなくなりました。

 神殿に巫女として出仕する日、御輿みこしに乗せられる戸口で別れたきり、二度と会うことは叶いませんでした。
 母とは神殿で会うことはできましたが、彼女が次の子を宿すと、共に過ごすことはできなくなりました。

 悲しかったですが、私は神殿の中では恵まれた地位をいただきました。姫巫女様の乳姉妹ちきょうだいにお選びいただいたのです。王家の血を引く姫巫女様は、神殿の中でも離宮を与えられ、多くの者が仕えお支えします。その離宮に侍る乳姉妹として、姫様と齢の近く、家柄の良いものが選ばれました。また、長じた後には、姫様は私を側仕えにお選びくださいました。

 姫様の側仕えとして様々な経験を積ませていただきました。あなた様にお仕えするのは、その時分を思い出し、懐かしく感じていました。そのせいで、つい出過ぎた口をきいてしまいました。

 姫巫女様の御装束を共に考え、神官に依頼する、そんな昔の振る舞いを、つい重ねてしまいました。いまはご覧のように、端女はしための湯女でございます。縁あってあなた様のお世話にあたっておりますが、通常ならば、神巫さまのお目にかかることも無い身です」

 マヤはそう言って、顔を隠す面覆いの端をめくり、その下に着けられた首元を覆う布を外した。
 うなじには古い噛み跡がのこっている。αがΩを番にするためにつける、噛み跡。

「姫巫女様が他国へ嫁がれ、私もまた番を得ました。けれど、子をなすより先に、夫は魔物に襲われ命を落としました。番を失ったΩは、もう発情することもなければ、子を宿すこともできません。婚家から神殿へ戻るよういわれ、神殿へ戻ってからは端女の湯女としてろくをいただいています」

 初めて聞く話だった。Ωが、巫女としてどんな世界を生きているのか、俺は何も知らなかった。

「もう発情しないのなら、外の世界で過ごすことはできないのか?」
「縁があれば、そのようなことも可能でしょう。けれど私には帰るべき家も、頼るべきひともありません。それに――幼い頃から神殿で暮らし、外の世界のことは何も知らないのです。かてを得るすべも、世を渡る知恵も。何もないのです」
 そう言ったマヤは、寂しそうに、だが全てを受け入れたように微笑んだ。

「姫巫女様は? ご息災ではないのか?」
「ご息災かと存じます。けれど姫巫女様は、国のために他国に嫁がれました。異国の地で暮らす苦労をかけたくないと、私をこの国にお留めくださいました。
 ……国のため、御身をかけて異教の地におもむいた御方を、どうして頼れましょう。私はただ、姫様に神の加護があることをお祈りするだけです」
 そっと、彼女は目の端に浮かんだ涙を拭った。

「すまない。……話してくれて、ありがとう」
「いいえ。私のような者の身の上を案じてくださり、感謝いたします。……あなた様はまだ神殿の中を――Ωの有り様をご存知ない。私の話が少しでもお役に立てれば良いと存じます。あなた様も、これから、神殿の中で生きて行くのですから」
 マヤのそう言って、優しく微笑んだ。

 Ωにとって、神殿こそが、生きる世界なのだと。
 その潤んだ瞳は伝えていた。
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