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第二章

第52話 ルールブレイカー

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 ……。
 …………。

 重い瞳を開け、辺りを見回してみる。

 空も地面も無く、なんとなく全体的にオレンジっぽい、ピンクっぽいグラデーションがかった世界。なんかそんな感じの白いモヤに覆われた世界。
 俺は再びそこで目を覚ましていた。

「……そんな……」

 俺は死んだのだ。
 またしても魔王フェリエラの手によって。

「……あああああああ!!!」

 俺は叫んでいた。
 二人の親友と、一人の少女。
 三人の顔が頭から離れなかった。

 すまない、すまない、すまない……。

 俺はなんてことを。

 魔王を倒すことを失敗したからではない。
 そんな事はこの際どうでも良い。もうどうだっていい!

 最愛の人を目の前で失う辛さ、絶望。
 それがどれほど、息が出来ないほどに苦しく、気を失うほどに心が潰される事か。

 俺は誰よりも知っていた。

 それを彼女に味合わせてしまった。

 彼女の幸せを、心を、俺がめちゃくちゃにしてしまった。

「すまない、エミュ。すまない、ロヴェル、ヒューリア……」

 泣く、という行動が成立しているのかどうかも分からないその空間で、俺はただただうずくまり、声を上げ続けていた。


 ******


 体感では丸一日。
 いやもしかしたら二日間くらいは泣き続けていたかもしれない。

 でもきっと時間はあの死の瞬間から一瞬も過ぎていない。
 ここはそういう場所だ。

 それに甘えて俺は涙を流し続けた。

 不思議なもので、どんなに悲しいことがあっても、人間は泣き続けることは出来ない。悲しみ続けることは出来ない。
 慟哭と慟哭の間に、一瞬落ち着いて息を吸う時間が必ず訪れる。
 その瞬間の心を捕まえる。
 それは、底なし沼のような哀しみから自身で這い上がる唯一の方法だ。

 俺は、悲しみの波の狭間に訪れたその瞬間に深呼吸を一つすると、強制的に立ち上がった。

「うおおおおおおお!!!」

 そして、気合を入れなおす。

 どんなに懺悔しようと、そんなに後悔しようと、俺に許された選択はたった一つしかない。
 ロヴェルとヒューリアの結婚は決まっているのだ。あの頃に戻っても、エミュはきっとまた生まれてくる。
 きっとエミュだってもっと幸せになれる世界になるはずだ。
 俺は恋人じゃなく、「ヴァルクリスおじちゃん」かもしれない。
 でも、争いの無い平和な世界で、のびのびと生きるエミュ・リングブリムに、出来る事は何でもしてやろう。

 今の俺に考えられる事はそれしかなかった。

『もう……大丈夫ですか?』

 俺の立ち直りを待っていてくれたのだろう。
 聞き覚えのある声が聞こえた。

「はい、お待たせしてしまってすみません」

 俺のその言葉に合わせて、その声の持ち主が目の間に姿を現した。
 もちろん、ベル様その人である。

『お疲れさまでした。今回も成功とまでは行かなかったようですが』
「いえ、二度目にして、かなりのピースを集めることが出来ました」

 二度目のルレーフェ・ハーズワートとしての生。
 俺は、一度目のヴァルクリスの時のように全力で生を謳歌するのではなく、常にどこか冷静に、あらゆるものを観察し、観測し、推測する人生だった。

 その結果、バラバラではあるがかなりのヒントを集めることが出来たと思っている。

 あれはおかしい!

 という確固たるものは無い。

 しかし、「あの世界のルールに当てはめれば、違和感を感じる」というようなことが多々あった。
 きっとそれらを整理すれば、辿り着ける答えがあるはずだ。
 推理とは常にそういうものである。

 ……なんて、雲をも掴むような話でカッコつけてはいるが、正直に言おう。
 
 俺は既に一つの仮定に辿り着いている。

 後はその推論の正しさを、俺の中で証明するだけである。

『ベル様、質問を宜しいでしょうか』
「ええ、今回もその時間ですね」

 心なしかベル様も少し柔らかくなった気がする。ただ慣れて来ただけだろうか?

 さて、これはまず確認である。

「ベル様は、もしも、地球が核戦争や大災害で滅ぶとしたら、誰かを送り込んでその元凶を絶とうとしますか?」
『いいえ。それはその世界の歩みの必然ですから』
「ではもしも、地球に、異星人や、変異した巨大生物、魔王なんかが現れて地球を滅ぼそうとしたら、それを排除しようとしますか?」
『いいえ』

 そう、そうなのだ。

 二度目にここに来た時に、俺のミッションは、「ラルアー世界の女神さま、えっと、ウル様か。そのウル様の囚われている状況を救って欲しい」というところまでは理解した。そしてそれが、ラルアーを救う事と同義である事、とも。
 だから俺は、あの世界の滅びの元凶になりうる魔王のブレイクにチャレンジした。

 しかし、女神様たちからしたら、仮に地球やラルアーが「魔王に滅ぼされようと知ったこっちゃない」のだ。

 思い出す。
 俺は超記憶症候群ハイパーサイメシアではない。でも、気になった事柄の記憶力はずば抜けていると自負している。
 ベル様は初めて来たとき俺に言った。

『あなたに、その世界を救って欲しい』と。

 「滅亡」から救うとか、「危機」から救うとか、そういう文言は言っていない。
 俺が勝手に勘違いしただけである。
 そりゃあ仕方ないだろう。「世界を救え」と言われれば「滅亡から救う」と考えてしまうのは、きわめて自然なのだから。
 つまり、「地球の滅亡」、「ラルアーの人類全滅の危機」などは、女神さまが救うべき対象では無い▪▪▪▪▪▪▪▪▪▪という事だ。

 では何が女神様の救うべき対象か。
 何度も出てきている話である。

 「世界が自然の流れで動かない状態」を救う、という事だろう。
 そしてそれががんじがらめに決められたルール。
 そのルールの維持の強要によってウル様が囚われている。

 これは間違いない。

 つまり俺が倒すべきは、あの世界を「滅ぼす何か」ではない。
 あの世界を「がんじがらめにしているルール」なのだ。

 この根本に誤解があった。

 では、そのルールを作ったのは誰だ?
 もちろんウル様だ。
 世界を創ることが出来るのはウル様だけである。

 次に、ウル様があの世界をああいう形にした、つまり、ウル様が自縄自縛じじょうじばくした、その原因がある。
 俺はそれが「参考にしたなんらかの異世界作品」なのだろうと思った。
 「これと同じものを作ろう」と思って着手したら、ムズすぎて他のことが出来なくなってしまった、と。

 しかし、千本以上、ファンタジー、異世界作品を見て来た俺でも、酷似した世界観の作品は無い。
 となると、可能性は二つ。
 一つ、ラルアー世界がウル様のオリジナルである、という事。
 そしてもしもそうでないのだとすれば……。

「ベル様。ベル様たちのような女神様たちには、暗いとか明るいとか、そういった概念はありますか?」
『いいえ、光というものの存在は知っていますが、私達には良く分からないものです』
「では、汚い話で申し訳ありませんが、ベル様たちは排泄行為というものをなさいますでしょうか?」
『いいえ。私の地球の人々がそういう行為をするように進化していったのは知っていますが』

 ベル様でこのレベルなのだ。
 ウル様が蓄光灯石や下水道のある世界を、オリジナルで創れるとは到底思えない。

 この段階で、ラルアーが100%ウル様のオリジナルである、という線は否定されたと言って良いだろう。

 ……武者震いがする。
 なんかとんでもない真実に近づいている。そんな気がする。


 ともかく次だ。
 俺は迷いなく、質問を続けた。

「ベル様、俺がここに呼ばれた理由をもう一度、お教えくださいますでしょうか?」
『はい。異世界を救うたった一人。地球の全人類の歴史の中で、最も適任なあなたを選びました』

 ベル様が、あの時と同じ答えを返した。
 必ずここに答えがある。

 ベル様はある意味きわめて合理的な存在だ。
 なんとなくこの人は、異世界救済に向いている要素が多い、程度の適正で救世主に選んだりはしない。もちろん参考程度の加点にはなるだろうが、圧倒的な要素があるはずなのだ。

 つまり、確実に俺にしか知らない、俺だけが知っている何かがある。

 この際、頭や体の能力面は全て排除だ。そんなのどう考えても俺が一番ではない。
 一つの事にのめり込んだ、その道の圧倒的なオタクという線も無い。そんな趣味は無いからだ。

 となると、ありうるのは、俺だけが知っている情報、或いは、俺だけが持っていた所有物、という事になる。

 ……そういや。
 「情報」という単語で思い出した。
 広瀬雄介としての俺が倒れた時は、運良く引き継ぐ仕事も無い、プロジェクトの狭間のタイミングだったんだけど、唯一、あれだけは引継ぎを忘れてしまった。
 そう。あの、アンケートの企画である。

『あなたが異世界に行って、欲しいもの、求める物、外せない条件などを3つ挙げて下さい』

 で、そのアンケートを元に、お抱えの人気作家さんに新作をオファーして、果たして売れるのか、みたいな企画。

 あのアンケートの集計結果。
 あれは俺のPCにしかデータが入っていなかったから、死んでしまって、あのデータを誰かに渡すことが出来なかったのだ。
 共有しようと思った矢先に倒れちゃったもんだからさ。

 でもまあつまり、俺しか知らない情報とかってのは、例えばそういう……。

 そこまで言って思った。

 ちょっと待て!!

 あのアンケートの結果。

『異世界に行って、欲しいもの、求める物、外せない条件』

 あの上位は何だった?

 一位は確実に覚えている。

 『自分だけのチート能力』だ。
 これは、自分のデスクでため息をついたから良く覚えている。
 どいつもこいつも承認欲求を満たしたくてたまらないんだな、と。

 でも、二位は……二位は確か……。そう、アレだ。三位は……四位……五位……。

 ゆっくりとバラバラになったピースが、ひとりでに動いてカチリとはまっていく。

 確実だ。
 ベル様が俺を救世主に選んだ理由。
 それは、「数多くの異世界作品を知っている上位ランカー」の中で、「あのアンケート結果という情報を持っていた」という決め手があったからだ。

 そんな事で? と思うなかれ。
 一応俺がいた出版社は巨大企業であり、その看板を使って、多くの異世界作品ファンから得られた大量のアンケート集計結果は、地球人が求める異世界像そのものと言ってもいい。地球人に異世界を作らせれば、ほぼあのアンケート結果通りのものが出来上がる、という訳だ。

 俺の持っていた情報、それは、「理想の異世界」の姿である。

 そして、じゃあラルアーはどうなっているか、というと。

 当然。
 見事にアンケート結果にぴたりとはまっている世界が出来上がっていた。

 となると……。
 ああああああ……。

 二回のラルアーでの人生での疑問、謎、引っかかっていた言葉の意味などが、たった今、するすると「正解」という一枚の絵に次々とはまっていく。

 そりゃあ、王都に魔王が復活しないはずだ。
 そりゃあ、首を切り落としても魔王が倒せないはずだ。
 そりゃあ、どれだけ頑張って倒しても、魔王が再び復活するはずだ。

「あははははは! 分かった! 分かったぞ!!! 俺が本来、この世界でしなくてはならなかった事が、その答えが!」
『本当ですか!?』

 ベル様が、目を輝かせた、ように見えた。

「お任せください。これまでとは違います。確実に、やるべきことが見えました。これで俺はミューやエフィリアとやり直せるんですよね!」
『みゅー? えふぃりあ? ああ、その二人が、あなたが以前、言っていた大切な人、の名前、なのですね?』

 聞きなれない単語に、ベル様が少し食いついた。そりゃそうだろう。そもそも名前という概念が無かったんだから。
 そういえば、この二人の事をベル様には話していなかったっけ。

「はい。魔物に殺されてしまいました。幸い、その瞬間は、僕の魂はラルアーのものでは無かったので、僕は助かりましたが」
『どういう事ですか?』

 さすがにこの情報はベル様も知らなかったようで、俺は魔物に見つからない能力の事を逐一報告した。恐らく、ラルアーで決められているルールの対象外なのだろう、という予想もきちんと付け加えておいた。

『なるほど、元凶を絶つだけでなく、不利なルールの外の存在でもあったのですね』
「はい、逆に言えば、有利なルールも適用されないと思われるので、それは残念ですが」
『有利なルール?』
「あの世界の魂の中から、ランダムで魔法使いに産まれる、というルールですよ。多分、僕は何万回生まれ変わっても、魔法使いにはなれないんです、きっと」

 いじけたようにそう言う俺に、ベル様は少し微笑んだ。
 それは、そういう気がしたわけでは無く、確かに女神の微笑みに違いなかった。



 さて、次回、どのタイミングがベストだろうか。

 フェリエラ期に産まれると、魔物に殺される恐れがある。いくら見つからないといっても、危険なのには変わりない。
 となるとやはり、魔王復活の少し前のフェリエラ期。魔王復活の際に十三歳くらいがちょうどいいかな?
 十三歳なら十分に一人で行動できるだろう。そこでカートライア邸に避難していれば、万が一にも結界に巻き込まれることは無い。

 後の、ルールブレイクの為の手筈は……。
 あちらでのんびり整えるか。

 ああ、そうだ忘れるところだった。

「ベル様、次回は、貴族だと色々と面倒なので、有力な商会とか牧場主とか、その辺でお願い出来ますでしょうか?」
『ええ、わかりました』

 俺は諸々の条件を伝えて、再び、三度目の戦いに挑むべく、ラルアーへのゲートをくぐった。

 問題ない。
 これまでの二回とは明らかに違う。
 今回の俺は、為すべきことに辿り着いたのだから。

「それでは行って参ります」

 こうして、俺は、おそらく今回が最後となるであろう、ラルアー世界での三度目の生まれ変わりに踏み出したのだった。

「まさか、例え話だと思っていたのに、本当に俺が『ルールブレイカー』だったとはね」

 そんな事を考えながら、俺はゲートの中に消えて行った。



 ******


 時間軸は曖昧であるが、時系列的には、彼が旅立った後。
 その声が響いた。

 きっと正確には、声では無いのだろう。
 思念、概念。
 いずれにしても正確な表現が難しいので、敢えて「声」としておこう。

『あれ? 誰か、聞こえますか?』

 それはラルアー世界の女神からの、地球の女神に向けての交信だった

『……あなたは、ウル?』

 もちろん、そう名前を言ったわけでは無い。ラルアーの女神はその名前の存在すらも知らないのだから。
 しかし、「声」としたのと同様に、敢えてここでは「名前」として表記せざるを得ない。寧ろそれ以外には不可能な交信だった。

『ベル? どうした事でしょう? 少しだけ、ほんの少しだけ、力が戻ったのです。あの世界の維持に必要な力が、ほんの少し減りました。おかげでこうして交信が出来てます』
『実は今、私の地球からあなたを救うことが出来る知恵者を、あなたの世界に送り込んでいます。きっと彼が、前回の生で、その枝葉のルールを壊してくれたのでしょう』

 女神ベルは、ラルアーの女神にそう告げた。
 ラルアーの女神は、思念で礼を述べつつ、しかしながら依然としてほとんど身動きが取れない事も伝えた。

『どのような制限が解除されたのか、分かりますか?』
『……あの世界で特別な扱いに指定されていた二つの存在が、その根本から消滅したようです。おかげで、その分の力が戻りました』
『二つの存在、ですか』

 女神ベルが、不敵に笑った、ように見えた。
 恐らく広瀬雄介の魂だった彼なら、そのように形容したに違いない。

『という事は、今、魂二つ分の力なら、動かせるという事ですね?』
『はい。しかし、たかが魂二つ分の力などでは、何も出来ません』

 申し訳なさそうに発言する女神ウルに、自信満々にベルは言い放った。
 もしかしたら、彼との関りで、女神本人も少し感情という概念を理解し始めているのかもしれなかった。


『ウル、あなたにお願いしたいことがあります』



 第二章 ルレーフェ・ハーズワート編 ―完―


(第三章 第1話 『確信へ向かう旅』へつづく)
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