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第二章
第1話 魔物の侵攻
しおりを挟む【※ラルアー大陸地図 第二章版】
ラルアゼート王国歴751年のことである。
魔王が、カートライア辺境領家に復活を遂げたのが王国歴743年。
魔王の結界が解け、その侵攻が始まったのが二年後の745年であった。
過去の伝承によると、魔王の復活から侵攻まではおよそ一年と言われていたが、何故か遅れに遅れたその状況に、多くの国民たちは、「犠牲になったカートライア辺境伯領の人々の必死の抵抗があったのではないか」と噂した。
カートライア辺境伯家には、北東三辺境領で最強の剣士ヴァルクリス・カートライア。そして、疾風の戦乙女ミュー・ラピスラズリが居たからだ。
「結界の中で、息絶えるまで、剣と槍を振るい続けた二人の英雄が、人々に一年の猶予をもたらしたに違いない」
そのような英雄譚が大陸中で語られた。
そしてとうとう、今は亡きカートライア辺境伯に、国王陛下から勲章が与えられる事となったのであった。
しかし、魔王の侵攻が始まってからは、それも自然と忘れ去られた。それ程に、その戦いは苛烈を極めた。
必死に防衛するも、魔物に突破され、滅んでいく町や村は数知れず、滅んだ貴族の領地もその数は二十に上ろうとしていた。
一年、また一年と耐えていくうちに、今年こそ、来年こそと、日に日に人々の、聖女の誕生に対する期待が高まっていっていた。
中でも、大陸中央南端部、フィアローディ伯爵領は、苦戦を強いられていた。
大陸の貴族領の中でも屈指の人口を誇るフィアローディ伯爵領は、編成された領地騎士隊も、領民義勇軍も、そして傭兵たちも一丸となって魔物の対処に当たっていた。
しかし、人口の多さは、この世界の人間を食料とする魔物からしても良い標的となるようで、他の過疎化した領地に比べて、はるかに多くの魔物の侵攻に苛まれていた。
そして、魔物の侵攻を受け始め、二年後の747年に、東隣のサンマリア男爵領が、その更に二年後の749年には西隣のリハリス子爵領が魔物に滅ぼされた。さらに北側は、いつ魔物が現れてもおかしくない無人の山岳地帯で、南側は彼方まで水平線が続く海である。結果、領地は魔物の占領地に囲まれる形となっていた。
そして、それからおよそ二年。現在、魔王復活からおよそ八年後の751年。
ついに、フィアローディ伯爵領の前線の防御の要である、元リハリス子爵領との境目にある、ブロドの砦町が落とされたのである。
「くそっ! 魔物の量がどんどん増えている。このままでは」
その報告が届いたその日の夜、フィアローディ伯爵であるジェイク・リュド・フィアローディが、自身の執務室で、ブロド陥落の知らせに焦りをあらわにした。
ブロドが落とされれば、そのままの勢いで、街や村が食い荒らされるのは必至であった。
魔物を抑えることが出来る鉄壁の防衛拠点の内側には、生産量を安定させるために農業や畜産業が盛んな町が多い。それは人々が生きて行くための知恵であった。
つまり逆に、防衛拠点が落とされれば、軍事に特化していないその生命線が絶たれるのは時間の問題であった。
「くそっ! 魔王が復活してから早八年。まだ聖女様は見つからんのか!」
「はい、王宮からそのような報告は頂いておりません」
フィアローディ伯爵に、宰相のドイルが答える。
「父上! ブロドを奪還致しましょう! 私が直々に参ります!」
頭を抱えるフィアローディ伯爵に、鎧をまとった青年が直訴した。
彼はフィアローディ伯爵家の長男、セリウス・フィアローディ。
父親譲りの鮮やかな赤髪を後ろに束ねたその姿は、まるで今年18歳になったばかりとは思えないほどの貫禄を携えており、幼い頃から武芸を磨いてきた彼は、今や伯爵直轄の騎士隊長であった。
「いや待てセリウス。ブロドには魔王の幹部が攻めてきているという報告が上がってきている。有象無象の魔物ならばともかく、幹部クラスが来たとなれば話は別だ。奴らは魔法を使う以上、伝承の魔法使い様や聖女様でなければ太刀打ちできん」
「しかし……」
セリウスの提案ももっともである。ブロドの内側に点在する多くの土地を魔物に奪われれば、フィアローディ領の半数以上の民が飢えるのは必至だ。
「魔王の幹部は、その強力な力ゆえ、それほど長く魔法を使えないと聞いています。事実、各地で目撃された魔王の幹部、魔人ドーディアも、魔女シャルヘィスも、それぞれ一つの領地を壊滅させて以降、姿を見せないと聞いております。
もしもブロドが、その幹部に落とされ、もしもそれで力を使い果たしたならば、奪還のチャンスはあります!」
確かに理には適っている。それにもともと選択の余地は無かった。伯爵は、領内で最も頼れるその若者に下知を出した。
「よし、セリウスよ! 直属の騎士隊を全て率い、急ぎブロドに向かい、砦を奪還せよ! 奪還できた暁には、全ての人員を用いて、防御機能を復興させよ!」
「御意! 早速準備に当たります!」
セリウスは素早く敬礼し、部屋を出て行こうとした。その直前に部屋の扉が開いた。
「兄上様、父上様」
「おお、リーシャ、アイシャ、どうした?」
そこにいたのは、伯爵の二人の愛娘であり、セリウスの妹である、双子のリーシャとアイシャであった。
伯爵家は四人兄妹である。一番上がセリウス、その下に弟のディアスがいる。彼は現在15歳。北の山岳部の砦の防衛の任に当たっていた。そして、女の子が欲しかった伯爵に産まれた、待望の双子の娘がリーシャとアイシャであった。
母親譲りの美しい金髪を長く伸ばした二人のその可憐さは、領地の民達が、彼女らのことを『フィアローディの妖精姉妹』と呼ぶほどであった。
年が離れていたこともあり、伯爵や夫人は勿論、兄二人も妹達を溺愛していた。
二人とも齢8歳。
姉のリーシャは、こんなご時世ではあるが、少し前に、フィアローディの遥か北西に位置するハーズワート公爵家の嫡男との婚約が決まっていた。ハーズワート家の長男、ヴェローニがリーシャに一目惚れしたのだ。伯爵家の娘が公爵家に嫁ぐなど、誰もが羨む玉の輿である。
しかし領地が魔物の占領下によって孤立させられて以降、交流は途絶えてしまっていた。
一方、妹のアイシャにはそういう話はまだ上がってきていなかった。しっかりしていて、明るく、外交的な姉のリーシャとは対照的に、妹のアイシャは人見知りで、あまり他人と親しげに話すことが出来なかった。
先程までの二人のやり取りを聞いていたのだろう。姉のリーシャがドレスの裾をつまんで父に挨拶し、口を開いた。
「アイシャが心配しています。セリウス兄さまが遠くへ行ってしまわれるんじゃないかって」
「あ、あの、セリウス兄さま」
姉のリーシャがそう言うと、リーシャの陰に隠れていたアイシャがおずおずと前に出た。そんな妹たちに、セリウスはかがんで視線を合わせると、頭を撫で、優しく諭した。
「すまないね、リーシャ、アイシャ。私はこれからブロドの砦に向かわなくてはならない。周りの人たちの命と、領地の皆の食べものを守らないと、二人がご飯を食べられなくなってしまうからね。寂しいとは思うけれど、我慢してくれるかい?」
「ほら、アイシャ。ちゃんと兄上様の無事をお祈りして、帰るのを待ちましょう? 大丈夫、私達の自慢の兄上様ですもの、きっと魔物を打ち倒して帰ってきて下さるに違いないわ」
リーシャが姉らしく、妹のアイシャを諭した。
そしてアイシャがしぶしぶ納得し、リーシャに頭を撫でられながら部屋に戻って行く。同時に生まれたのに、こうも性格に違いが出るものか、とジェイク伯爵とセリウスが苦笑いしながら顔を見合わせる。それが家族の日常であった。
しかし、その日、妹は引き下がらなかった。
「父上様、どうか兄上様を、お引き止めください。行かないでくださいませ」
その言葉に、ジェイクとセリウスは少し面食らった。
幼い娘のわがままに若干困ったのも確かだが、そんなわがままを通すような子では無かったからだ。特にアイシャは。
「どうしたんだい、アイシャ。君がそんなわがままを言うなんて珍しい」
「ああ、それに、いくら最愛の娘の頼みでも、私達は貴族。この伯爵領とその領民を守らなくてはならない。聞き分けてくれないか?」
どうしても強く出られない。それくらい、伯爵と長男はこの幼い娘たちを可愛がっていた。
「違うのです。イヤな予感がしたのです。アイシャは、アイシャは……」
アイシャが目に涙をためて、何かを言おうとしたその時、慌ただしい足音と共に、部屋が慌ただしくノックされた。
「閣下、閣下!」
「入れ!」
ドイル宰相が扉に向かって叫び、扉が開く。
そこには、息を切らした、鎧姿の若者が立っていた。
その腕章は、北方の守りについていた次男ディアスの隊の者であった。
「北方の砦に魔王の幹部が出現。砦は破られ、わが軍は壊滅。この領都にまで一気に押し寄せてくる勢いでございます」
「なんだと!?」
「ディアスは!? ディアスはどうなった!?」
伯爵が使者に詰め寄る。
「申し訳ございません。私が伝令を仰せつかった時は、皆と共に、何とか奮戦しておられましたが、今はどうなっているかは……」
「……くっ!!」
(どうする? 北の砦が破られれば、領都までは目と鼻の先。魔物が勢いに乗ってなだれ込んでくれば、途中の数少ない街や村は壊滅だろう。
セリウスをブロドに派遣したところで、到着した時にはすでに、フィアローディの領都が陥落している可能性がある。かといって、幹部魔物相手に、我々でどうにかなるものなのか?)
「父上! いかがいたしましょう」
考えるジェイクにセリウスが下知を乞う。しかし、この状況で最善手など浮かびようもなかった。
「ドイル、どうすべきだと思う?」
「……まずはこの領都を防衛するのが最優先かと」
「そんな、ドイル宰相! ディアスへの援軍は!?」
宰相の答えに、長兄のセリウスが食ってかかった。しかしドイルは微動だにせず言葉を続けた。
「例え援軍に向かい、敗走中のディアス様の部隊と合流できたとしても、敵は幹部クラス。手負いの兵たちを守りつつ、敵を倒し、軍を立て直すのは難しいでしょう。
であれば、逃げ帰って来た者達を速やかに収容出来るよう準備しつつ、万全の態勢で迎え撃つのが最も被害が少ないかと」
「弟を見捨てろと言うのか!?」
「そうではございません! 民を避難させ、守りを固めるのが先決だと申し上げているのです。その間に、斥候を出し、状況を把握すべきです」
「今向かえば、助けられるかもしれん!」
「セリウス様の隊が返り討ちにあったら、ここはおしまいです。城門を閉じ、城壁から攻撃すれば少なくとも下級魔物の侵攻には時間を稼げます」
「もう良い!」
ドイルとセリウスの言い争いに、伯爵が一喝した。その言葉に、ヒートアップしていた二人は我を取り戻したように黙った。
「すまぬ、ドイル殿」
「いえ、申し訳ありません、セリウス様」
落ち着いた二人を見て、伯爵は意を決したように立ち上がり、そして言った。
「城門を固く閉じ、反撃の準備をせよ。逃げ帰って来た兵は速やかに救出、手当てできるように準備を。
そして、民には荷物を最小限に纏め、避難の準備をするように伝えよ。もしも城壁が破られたら、街を捨て、別の門から他領地に逃げるように指示を出せ。運が良ければ生き延びれるやもしれぬ。我々の役目はその時間を稼ぐことくらいだ」
「父上……」
父の言葉にセリウスは言葉を失った。
勿論、失望したからではない。
伯爵である父の役目は、領民の命を守ることだ。それを最優先にしなくてはならない。それこそが貴族の義務である。それを、弟の命に我を忘れた自分を恥じたが故の沈黙であった。
「分かりました。直ぐに準備を整えます」
「ああ、頼む」
セリウスは、伯爵に深々と頭を下げると、今度こそ足早に部屋を出た。次いで宰相のドイルも、民にそのお触れを出すために部屋を辞した。
「リーシャ、アイシャ、二人とも聞いていただろう。お前たちは戦うことは出来ないからな、もしもここに危険がせまったら、フィアローディを捨て、なんとかしてハーズワート公爵領に逃げなさい。家が潰れては婚約もどうなるかは分からないが、少なくとも保護してはくれるだろう。
さあ、今日はもう休んで、明日、一番で旅支度を整えなさい」
伯爵は二人の愛娘を抱きしめながら言った。
(しかし無事に、公爵領にたどり着ける可能性など無いに等しい。ああ、どうか聖女様、この二人をお救い下さい)
そして、二人の為に、内心で祈りを捧げることくらいしか出来ない、その無力さに打ちひしがれるのであった。
(第2話 『悪夢の始まり』へつづく)
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