ヤモリの家守

天鳥そら

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そんなはずないでしょう

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かつ丼を食べてからお風呂に入り、テレビをつける。好きなドラマが始まるちょうど五分前。自分の段どりの良さににんまり笑ってから、畳に座り込んだ。隣の部屋に響かないようにと音量を調節していると、部屋の前を通り過ぎる足音がした。

多分このアパートの住人だろうと思いながらも、うろうろとする足音は階段を降りていく。友達や知り合いには住所やアパートを教えている。もしかしたら誰か尋ねて来たのかもしれない。気になって靴を履きドアの前まで行ったところで大声が上がった。

「泥棒!泥棒!」

凍りついたまま動けず表の動きに耳をすませる。まさか、空き巣がこのアパートにやって来たの。早鐘のように鳴る心臓を懸命に沈めながら、玄関チェーンを外してそっとドアを開けて外をうかがう。私の部屋より離れた部屋なんだろう。ばたんと扉が大きく開く音がした。

「泥棒ってうちのアパートか!」

名前はわからないけれど、一階の部屋に住んでいる男が叫んでいる。


「うちに入ろうとしたみたいだけどね。ダメだったよ!」


「誰かの部屋に入ったの?」

「入ってない!入ってない!」

アパートの住人が外にいるらしいので、私も急いで飛び出した。目の前に広がる奇妙な光景に思わず後ずさる。
一階の部屋の前には庭がある。大して手入れされていない庭木の陰から小さな生き物の大群が、一人の人間に襲いかかっているのだ。

「何これ、ネズミ?」

「篠村さん。ヤモリだよ」

「矢川さん!」

「大捕り物だね~」

のんきに笑う矢川さんのそばに並んで、生き物の大群をじっと見つめる。確かにヤモリの大群なんだろう。小さくて力のないように見える生き物が連係プレーを取り、犯人の動きを封じてる。手で払っても体をよじっても群がるヤモリの様子は、見ていてかなり気持ちが悪い。ヤモリの大群に襲われているので男か女か老人か若者かどうかも判断がつかない。一階に住む大家さんと男連中がヤモリの中をかき分けて、縄で泥棒と思われる人間を縛り上げる。犯人の自由を奪った後、ヤモリはさーっと薮の中に逃げていき、数匹のヤモリだけが残った。犯人の顔がアパートの電灯に照らされた時、私は驚きのあまりその場にへたり込んだ。

「篠村さん。大丈夫?」

「あの人…」

私は矢川さんが差し出してくれた手にすがりついて、小さく叫んだ。


「私の彼氏」

「え?」

どうしてという声は私の喉の奥に消えていく。もしかしたら、私の部屋に来ようとしただけなのかもしれない。誤解を解かなければと何とか立ち上がって、階段を降りていく。アパートの住人に睨まれたまま、縄で縛られ座り込んでいる彼の元へと駆け寄った。

「すみません!その人、私の知り合いなの」

驚きの表情を浮かべるアパートの住人にすみませんと頭を下げて、彼の元にしゃがみこんだ。

「こんな夜遅くにどうしたの?私の部屋に来ようとしたんだよね?」


部屋が分からなかったのなら連絡をくれれば良いのにと涙目になる私に、大家さんの厳しい声が背後からした。


「そいつはね、女の一人暮らしを狙ってる空き巣だよ。間違いない」

「そ、そんなわけないです。この人は私の…」

彼を縛り上げた男の人が私を気の毒そうな目で見つめる。

「君の大切な人なんだね。だけどね、その人が空き巣なのは間違いないよ」

「そんな、そんな」

頭がぐるぐるまわって気持ちが悪い。一体何を言っているんだろう。私はひどく取り乱しながら自分と彼の関係や自分を心配してここまで来てくれたんだろうということを話す。その間彼はずっと押し黙ったままだった。私が話し終えても住人の表情は私を憐れむように見るだけで、彼に対する態度は変わらなかった。

「ねえ、このままじゃ、泥棒にされちゃうよ。ちゃんと説明しないと…」

「ここの大家はたんまりお金を持ってるって噂があったんだよ」

震える声で必死に話す私に、低くく暗い声で彼は応えた。一体何を言っているんだろう。いつもの彼とは違う様子に私は口を開くことができなかった。

「早苗がここにいるからさ、やめとこうかと思ったんだけど」

悪びれもしない表情は本当に彼だろうか。温厚で資産家の息子だということで金銭感覚はちょっとズレてるけれど、こんなことする人間には見えなかった。

「変だと思わなかった?はっきり言ってさ、俺は資産家の息子でもなんでもないわけよ」

私のことを小馬鹿にするように、口の端を上げて笑う。顔がこわばって、気づけば私は手を振り上げていた。ぱんっという小気味良い音はアパートだけでなくあたりに響いたけれど、まわりのことなど気にしている場合じゃなかった。

「本当に、本当に泥棒なの?人違いじゃなくて」

彼は私の瞳からこぼれ落ちる涙に一瞬黙ったけれど、すぐにふてぶてしい態度に戻った。私が平手で打った頬は赤くなっていたけれど、誰も気にしていなかった。

「お前がバカなんだ」


彼がぽつりと呟いた時、パトカーのサイレンがけたたましい音をたててアパートの前に止まった。夜風が頬をなでて、軽く鼻をすする。胸にぽっかり空いたような穴に冷たい風が吹く。暗いトンネルを通り抜けていくようにどこかへすーっと駆け抜けていった。


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