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六 蜂起
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その当時でも和人全てがアイヌの人々を見下していたかというと、当然ながらそうではない。
武士の中にも、例えば故庄左衛門と親しくしていて、今もその息子である庄太夫をひそかに気遣っている弘前の杉山吉成を初めとして、松前藩以外にも多数、アイヌの同情者はいた。
それに、松前藩に「服従を誓っている」と見られている蝦夷西側のアイヌ達……その相談役達の中にも、庄左衛門のように実際にアイヌの人々に触れ、彼らと生活を共にしているうちに、アイヌが気の毒でならなくなったという和人商人もいたのだ。
しかし、実際、直接蝦夷と関わりの無い武士、あるいは商人でしかない自分達に何が出来るか。松前藩に抗議したところで、武士ならば他所の藩のことに要らざる口出しをしたということで、幕府から藩にお咎めが来る。商人ならば良くて取引永久禁止、悪くすれば己の首が飛ぶ。となると、それら愛すべき「善意の人々」が、アイヌの人々のために何かしたいと思っても、せいぜいが「アイヌのために、己に出来る範囲で便宜を図る」くらいが関の山だったのではなかろうか。
メナシクルに新たに相談役としてやってきた市座衛門も、恐らくはこれらのシサム商人の部類に入るだろう。彼としても、決して松前藩対アイヌといった全面戦争を望んでいたわけではないのだ。
だもので彼は、
「立ち上がっても、潰されるのではないか。一度の戦闘でケリをつけることが、果たしてお前たちに出来るのか。もはや何を言っても無駄だと思うが、松前藩を甘く見るな」
親友の息子に、こういったことを何度となく告げたに違いない。
何よりも、松前藩の後ろには江戸幕府がついているのである。蝦夷のことは松前藩に一任しているし、従って蝦夷と松前藩の間で起きる事件にはさほど関与しない、という、今は「松前藩に対して少し冷たいのではないか」とも思える無関心さを示してはいるが、
「松前藩は、幕府に必ず助けを求める。そうなったらアイヌはどうなるのだ」
戦いが長引いて、松前藩が「アイヌごとき」の鎮圧に手こずっていると聞けば、その面目にかけても幕府は出てくる。それまでに松前藩の鼻をくじくということが、果たして出来るのか、と、市座衛門は言うのである。
シャクシャインの息子であるカンリリカもそれに同調して、
「松前藩に逆らったところで、我らに勝ち目は無い。となれば、アイヌの血を細々とでも後世に伝えることこそが肝要ではないか」
と父に訴えるようになっていた。
しかし、戦いの狼煙は、すでに上げられてしまっていた。
「松前藩に救援を頼みに行ったアイヌが、無情にも毒を盛られて帰された」というこの事件は、蝦夷全土にあっという間に広まってしまったのである。それを聞き知って、今までだんまりを決め込んでいたアイヌ達も、さすがに腹に据えかねたらしく、
「立ち上がるなら味方する」
といった他のコタンの使いが、続々とメナシクルへやってくるようになっている。
静内川下流のチャシで、松前藩との戦いの準備を着々とこなしているシャクシャインに、ある者は、
「ここまで侮辱されて黙っているようでは、人間ではない」
拳を振り上げ振り上げしながら訴え、そしてまたある者は、
「貴方の傘下になら入ってもいい」
怒りに任せて、そんなことまで言った。
そんなアイヌ達へこの時、シャクシャインが飛ばした激に曰く、
「松前藩は我らを滅ぼそうとしており、現にウタフは毒殺された。今年の商船の貨物にはみな毒が入っていると言える。だから、蝦夷全土に住むアイヌ達は力を合わせて、奥地のシサムを殺し、その米及び味噌を奪って兵糧にし、アイヌモシリからシサムを追い出して我らがモシリを取り戻そう。もしウタリで蹴起に賛成しない者があるならば、シサムより先に殺す」
と。
ある意味、何とも原始的なこの内容は、激、というよりも、むしろ脅迫に近いと言える。松前藩に及び腰になっていた、この事件以前のアイヌコタンそれぞれへ送っていたなら、きっと黙殺されていたに違いない。生活は苦しくても、松前藩から直接に被害を受けたことの無い区域の人々には、やはり、
「嵐は頭を低くしていれば、いつか通り過ぎるもの…」
せいぜいそんな風にしか、認識されていなかったのだ。
しかし、今回ばかりは「ここで引っ込んでいたら、きっと松前藩は本格的に我らを支配する」という恐れが、現実のものとなってアイヌの人々の胸に迫ったらしい。
「我々は松前藩の奴隷ではない。我々の生活を守らねばならない」
手遅れになるまでに、何とかしなければならないという恐怖が、彼らを一つにまとめたのであろう。
従って、毎日のようにやってくる使いと、ただ黙ってそれに頷いているシャクシャインの様子を見ていた庄太夫は、
「蝦夷アイヌ王国も、夢ではない」
市座衛門に、とうとうはっきりとそう漏らすようになっている。
「蝦夷全土のアイヌが団結すれば、例え種子島がなくても、松前藩にかなりの程度立ち向かえるのではないか。アイヌだとていつもいつも言うなりになっているばかりではないと分からせるだけでもいい。そうなれば対等の立場になれるはずだ。ひとつの王国として認められる」
庄太夫がこのように……市座衛門ばかりではなく、弘前の杉山吉成にも書簡で密かに……己の胸のうちにあることを熱く語っている間にも、「ウタフ毒殺事件」を聞き知って憤ったアイヌ達は、それぞれのコタンにおいて、蝦夷各地の商場にやってくるシサム商人や砂金堀たちへの攻撃を開始していた。長年、和人から不当な扱いを受けていたことに対するアイヌ民族の心の中で燻っていた恨みが、このことでついに爆発したのだ。
シャクシャインの呼びかけに応じて一斉蜂起したアイヌたちの居住区域は、釧路沿岸のシラヌカ(現白糠町)から、西は天塩のマシケ(現増毛町)にまで及んで、
「小父、東でも西でも、アイヌの人たちが和人の鷹待や交易商船を襲っています」
庄太夫が「幸先が良い」とばかりに市座衛門に告げたのが、寛文(一六六九)年六月のことである。
和人にとっては、まさに不意打ちであったろう。この奇襲で、東蝦夷では二一三人、西蝦夷では一四三人の松前藩関係の人々が死んだと記録されている。すなわち白老九人、幌別二十三人、三石十人、幌泉十一人、十勝二十人、釧路音別十三人、白糠十三人。日本海岸において、後志歌棄二人、磯谷二十人、岩内三十人、余市四十三人、古平十八人、小樽祝津七人、増毛二十三人。
もちろん、日頃からアイヌに親切だったシサム商人たちは、命を助けられている。
助けられてはいるが、
「いつ何時、我らに向かって牙をむくか分かりません」
庄太夫は、自分も和人の癖に、何度もシャクシャインにそう言って、暗に殺すことを告げた。庄太夫に言わせれば、
「商人ゆえに直接支配に加担していないが、傍観しているだけでも加害者になる」
のである。従って、中立の立場というのはありえない。白か黒かでしかないわけで、それらの商人たちを、彼は臆病で卑怯だと決めつけた。
「卑怯者は許せません」
(俺は和人ではあるが、和人の中で誰よりもアイヌの人々のことを知っている)
自分がアイヌの人々の窮状を救うのだ、という義憤に任せ、彼はシャクシャインに向かってそれらの商人を殺害はせぬまでも、せめて虜にするよう、何度も繰り返し告げたものだ。
それに対してシャクシャインは、
「確かに、俺達の敵は松前藩のシサムだ。しかしお前がそうであるように、商人の全てが我らの敵だというわけではあるまい」
そう言って笑うのみだった。
言われて庄太夫は、
(シャクシャイン殿にも、きっと考えがあるのだ)
そう考え、シブシブ黙るのであるが、
「まずは胆振、後志、日高、十勝、空知、天塩…これらの土地を順繰りに回って、平定しましょう。これらは皆、貴方に恭順を誓っています。貴方が赴けば、諸手を挙げて感が芸するはずだ」
「うん」
地図を指し示しながら言うと、シャクシャインは大きな目をらんらんと光らせて、食い入るようにそれを見つめる。それは決してこの娘婿の存在を軽視してはいないという何よりの証拠で、
「それらの土地に住むアイヌ達を味方につけてから南下して、室蘭へ。国縫を獲るべく動きましょう。さすれば必ず、蛎崎蔵人広林が出てくるはずです。彼を倒すことが出来たら、アイヌの人々の士気も高まりましょう」
義父の姿勢に力を得て、庄太夫は熱を持って語り続けるのだ。
概して、アイヌの人々の行動範囲はあまり広くない。他部族と争う時はともかく、日常生活に必要な獲物を手に入れるだけで良しとしていた人々だったし、他のコタンを侵さないことが大前提であったから、
「出来れば一月以内には国縫へ。可能でしょうか」
「十分だ。お前の言葉、助かる」
そんな「献言」には、シャクシャインはわずかに白い歯を見せて笑うことで謝意を示した道東へは足を運んだことも無いから、地名は知っていても、正確な距離感や位置はつかめない。そのことについては庄太夫に深く感謝しているようである。
果たして庄太夫の策通り、
「このまま松前まで進め!」
シャクシャインの叫びも勇ましく、蝦夷のアイヌたちはまず内陸へ進軍、それらの痴呆のアイヌ達を加えて二千の「軍隊」を組織しながら南下して、国縫を目指し進んでいったのだが…。
蝦夷には本州と違って梅雨が無い。言わずもがなのことだが、初夏になっても気温は低いために比較的過ごしやすい。よって、袖を拭きぬける風も爽やかで、
「今更言っても仕方の無いことだが」
しかし、市座衛門が暗い顔をして庄太夫に告げる言葉は、爽やかさとは程遠い。
「お前は、蝦夷全土のアイヌが立ち上がれば松前藩に対抗できると言った。しかしどうだ」
実際には、石狩と宗谷、そして釧路以東のアイヌ達は、この「蜂起」に参加しなかったのである。そのことを市座衛門は重く見た。
何分、宗谷も釧路も松前からは遠い。それにこれらの地域の人々は、現実にはほとんど和人たちと関わりがないと言っても良かった。まだ和人が生活領域に入ってきている度合いも少なく、従って、他の地域のように「はっきりと」支配されているわけではなかったのである。さらには、
「石狩からは梨のつぶてだろう」
市座衛門が言うように、石狩に住むアイヌたちは、松前藩の支配を酷く受けている身でありながら、シャクシャインの呼びかけを黙殺している。
「お前の言うように、いつ寝返る分からないぞ」
人間として熟成するまで、尾張で揉まれていただけに、市座衛門の言葉には何ともいえぬ重みがある。しかし、消極的な言葉を吐いていながらも、
「そこまで仰るのでしたら、何故我らを止めないのです」
「そうさな。お前たちを見ていると、若い頃のことを思い出すからか。もちろん、お前達のやろうとしていることは、私から見ても愚かの極みとしか思えないが」
庄太夫に逆に問われて、市座衛門は苦笑するのだ。
「もう一度、何かに賭けてみるのもいいかもしれない……とも思うのだ。老いてもなお、蝦夷をアイヌの民の手に取り戻そうとする情熱を失っていないシャクシャイン殿を見ていると、私の体中の血もなぜか熱くなるような気がする。蝦夷アイヌ王国実現と、そしての外交を担う我々が、蝦夷商売の頂点に立つ、つまり蝦夷での商売において、勝つということ。もしそれらが叶えば、松前の両浜組など物の数ではない。アイヌの民の生活も格段に楽になる。なにせい、お前はアイヌの味方なのだから、彼らに悪い取引はせぬに違いない。そうだな」
「その通りです」
「そうなれば異民族であるアイヌと、和人との対等な取引はきっと実現する……もしも叶うことなら、ぜひこの目で見てみたいとも思ってしまうのだ」
それにもともと市座衛門自身、アイヌの人々に対して同情を抱いている。だからこそ、
「だから、まだ迷っている。しかし時というものは、待ってくれんものだな」
几帳面に手入れされた髭を撫でつつ、口元に浮かべた苦笑をそのままに、市座衛門は言うのであろう。それは、戦の火蓋が切られても尚、静内川下流のコタンに留まり、メナシクルアイヌの人々に、なるだけ普段の生活をしてもらおうと、今日も商場に出かけている、最上の助之丞にしても同じに違いない。
「はっきり言わせてもらうが、引き上げるなら今のうちだということも分かっている。この現状を、松前藩に知らせた上で、のう。さすれば今なら、それぞれの地へ戻って、今までどおりの商いを続けることも、出来ぬ相談ではない」
「……そうですね」
もっともな市座衛門の言葉に、庄太夫も頷いた。アイヌ民族であるシャクシャインはともかく、それに組する自分たちはあくまで「和人」であり、しかも松前藩に雇われている身なのである。身分の上から言っても、商人が武士に逆らうなど、まさに狂気の沙汰としか思えない。だが、
「勝つのだな?」
静かに問う市座衛門の声は、ある種の覚悟が込められている。
「……そのつもりでいます」
「よし、分かった」
庄太夫が答えると、市座衛門も深く頷いた。恐らく市座衛門は最悪の場合も考えて、とつおいつしていたに違いないのだが、
「だが忘れるな。お前はあくまで和人であり、アイヌではない」
続いたその言葉には、もう迷いは無かった。ということは、つまり己の死をも覚悟したということに他ならない。
「そして私も、悲しいかなアイヌではない……忘れてはならないと思う」
(何を当たり前のことを)
「……はい」
その言葉を不審に思いながらも、
(市座小父は、やはり頼りになる味方だったのだ)
庄太夫はそう考え、純粋に喜んでいたのである。
その間にも、シャクシャイン率いるアイヌ軍は、道南を着々と国縫へ向かって進んだ。そして梅雨の無い六月に入る頃、
「ご注進、ご注進! 一大事にござりまする」
叫びながら、松前蔵人の護る福山の城に駆け込んできた者がいる。
「恐れ多い事ながら、蛎崎蔵人広林様ご自身に、直々に訴えねばならぬことにて」
訴えた人物の顔には茶色く乾いた血や、火事にでもあったのか、何やら焦げたような煤の跡などがあちこちにこびりつき、着ている物も泥まみれで、ところどころに破れて汚れた肌が見えていたりもする。
「なんと、お前は文四郎ではないか。シャクシャインとやらに襲われて、行方が分からぬとは聞いていたが、一体今までどこでどうしていたのだ」
あまりにも騒がしいので、何事かと思って出てきた蛎崎広林は、変わり果てた文四郎の姿を見て驚き、彼から漂ってくる臭気に思わず鼻をつまんだ。
「アイヌどもに見つかると殺されまするゆえ、このような姿で主に山野に潜伏しておりました。そしてたまさかに、商人仲間の元に匿ってもらうという暮らしをしておりましたゆえ。おかげで辛うじて生き延びることが出来ました。むさ苦しい姿をお目にかけ、まことに申し訳ないことながら」
すると文四郎は、息も絶え絶えといったように挨拶を述べた後、
「しかし、このようなのんきな挨拶を交わしている場合ではありませぬ。シャクシャインがアイヌどもを引き連れ、こちらへ向かっておりまする」
左右の者に支えられつつ、辛うじてそう述べた後、張り詰めていた気が緩んだのか、意識を失ってしまったのである。
「とりあえず、どこか部屋を開けて寝かせてやれ」
家来へ言いつけながら、
(いよいよ直接やって来たか)
広林は、たちまち額に浮き出てきた汗を、右の袖でぐいと拭った。
広林も無論、アイヌたちによる和人商人の殺害を聞いている。被害にあった商人たちの生き残りから、つぶさに報告を出させもしているし、藩の本拠のある松前、福山両城にそれらをいちいち届けさせもしていた。
「その調子だと、いつ何時この城にも襲撃に来るかもしれぬ」
というわけで、それなりの防備を整えてもいたのだが、
「今、揃えられるだけの種子島(鉄砲)を揃えろ! それから、江戸の甚十郎様に疾く報せるのだ」
城の者たちに慌しく告げたその言葉は、この上なく震えていた。
そして広林は、
(参勤交代とは何と忌々しい制度であることか)
舌打ちしたいような、泣きたいような気分で思った。こういった際に、一番頼りになるはずの現当主の大叔父、松前泰広は、幕府の制度のため、幼い藩主の代理としてちょうど半年前から江戸へ詰めているのだ。
なにさま、太平の世が来て久しい。日本で起きた最後の大きな戦いである大阪の陣はもう、はるか昔のことである。広林にしたところで、その頃は物心つくかつかぬか、といった年であった。おまけに蝦夷でも折々対アイヌ戦は起きてはいたが、
「あれらは基本的に、犬のようにおとなしい、従順な民族ゆえ」
常日頃から、どこかその考えが根底にあったため、まさか蝦夷のほぼ全域のアイヌが、大挙して向かってくるとは思いもしなかったところは、奢った支配者らしいと言える。
(なんのアイヌの乱ごとき、ケクシケやヘナウケで経験しているではないか。あのように追い払えばよいのだ)
己を叱咤してみても、「今回ばかりはどこか違う…」と、頭の隅で不吉な考えばかりが過ぎってしまうのだ。
(藩すべてを巻き込んでしまう…大規模ないくさになるやもしれん)
気がつけば、己の手はすっかり血の気が引いており、しかも震えが止まらない。青黒くさえ見える両手を擦り合わせつつ、
(シャクシャインとやらの得意は、弓であったな。ならば弓で攻めて来る)
混乱した頭を何とか平静に保とうと努力しながら、
「アイヌどもの武器には毒が塗られている。矢は盾で防げ。決して矢を受けることの無いように。本家やご公儀からも、何らかの助けが来ようから、それまでは、じかに武器を構えるな。種子島の一斉射撃で追い払え。とにかく援軍が来るまでは、城壁を越えられることのないように、と伝えよ。私もおっつけ、国縫へ参るであろう。佐藤権左衛門及び松前儀左衛門らにも、兵を整えて後から急ぎ参れと言え」
広林は国縫城主らしく命じた。その一方で、
(我らに従属を誓っているアイヌどもに、使いをやらねば)
とも考えている。
多分に広林の希望的観測も入っているが、
(蝦夷全てのアイヌが、団結しているわけではない)
と見たからである。異民族とはいえ、同じ人間である。なるほど、確かにシャクシャイン率いるアイヌ達は、蝦夷に入り込んでいる和人たちや商船を襲って、初戦は気勢を上げた。しかし、同じ人間であるなら、まだどちらが優勢か分からずに日和見を決め込んでいる輩も必ずいるはずで、
(とにかく、アイヌどもを分断させることだ。こちらに刃向かう気のある無しを、今一度確認しておかねばならん)
特に、それはシャクシャインの激に応じなかった石狩に住むアイヌに多い、と、広林は考えた。かつて市座衛門が漏らした懸念が、ここに来てやはり松前藩側に利用されることになったというわけだ。
ともかく、広林がその思惑に沿って、それらのアイヌに使いを出しつつ、兵三百を伴って国縫付近に到着した時には、ようやく蝦夷にも夏の気配が感じられるようになっていた。
そして、
「やって来おったか」
城まであと一息、というところで、汗みずくになってやってきた物見の報告を聞き、広林は低く呻き、
「これだけは、我等が一歩先んじた。城を獲られるのだけは免れたというわけだ」
呟いて、口辺に苦笑いを浮かべたのである。
二千のアイヌ軍もまた、近くの室蘭までやってきているらしい。それを聞いて、せっかく国縫城下に集まっていた商人たちの中にも、本州へ逃げ帰る支度をしている者がいるという。そんな城下の者達へ広林は、
「土塁を築け! さすれば弓矢を幾分なりとも防げる。壁を高く、高くして守るのだ」
連れてきた三百の兵士達と、現地の金堀工夫二百、総勢五百で急ぎ土塁を築かせた。
そうこうしているうちに、松前から後続の佐藤権左衛門、松前儀左衛門、そして新井田瀬兵衛らがそれぞれ兵を率いてやってきた。その数、合計五百。
「やあ、これでようよう彼奴らの半分か。少しは心を安んじられようというものだ」
彼らの顔を見ながら、広林は大いに胸を撫で下ろしたものだ。
工夫達も、金堀とはいっても体格は良い。職業柄、ある程度の戦闘に耐えられるだけの武芸も持っている。そう思って彼が安心した頃、国縫川の向こうに、アイヌの軍勢がついに姿を現したのである。
記録によると、シャクシャイン率いるアイヌ部族達は、七月には国縫川近くまで到達したという。川までやってくれば城はもう目と鼻の先で、幅六、七間あまりのその小さな流れの向こうに、松前藩の兵士達がずらりと鉄砲を並べて待ち構えていた。
「かかれ!」
シャクシャインの掛け声とともに、アイヌ達は一斉に毒矢を浴びせかけた。それらは城壁を越えて確かに届いたはずが、
「いかん! 伏せろ!」
次の瞬間、シャクシャインは顔を青ざめさせることになった。
予測していたことではあったが、松前藩はあるだけの種子島(鉄砲)を用意させていたのである。こちらの矢が届いたと思った刹那、耳を劈く轟音が響いて、シャクシャインの前にいたアイヌたちがバタバタと倒れた。
「ひるむな、矢を浴びせ続けろ! きっと負傷している奴らはいる」
シャクシャインが勇ましく味方を叱咤すれば、
「とにかく息着く暇を与えるな。射撃を続けよ」
城内では、蛎崎広林が額に汗をじっとりと滲ませて号令する。
攻める側も守る側も必死の「戦い」だった。記録によると、この時、最初の一斉射撃で撃ち殺されたアイヌ達は百人あまりであるという。
シャクシャイン側は、
(国縫だけでも落とせば、きっと他のアイヌ達もかけつける。とにかく松前藩から新たな援軍が来るまでには落とさねばならぬ)
と思っていたし、蛎崎広林としても、鉄砲がある分有利とはいえ、
(とにかく甚十郎(松前泰広)がご公儀の許可を得て、蝦夷へ戻ってくるまでは踏ん張らねばならぬ。ここで持ちこたえねば、福山も松前も危うい。日和っているアイヌ達も、いつ後ろから襲ってくるか分からぬ)
松前泰広が、幕府の許しを得た鉄砲隊を率いて戻ってくるまでは、勝敗は分からないと思っている。
(周り全て、敵だと思っていたほうが良い)
そもそも蝦夷はアイヌの地なのである。アイヌのポンヤウンペとまで言われている人物を、彼らが慕っていないという保証はどこにもない。最終的には数の論理で、どうしても兵士の数が多いほうが勝つ。
それに、堅固な鎧に身を固め、この上なく注意に注意を重ねているつもりでも、どうにかして鎧の継ぎ目を射抜かれ、毒が回って死亡する藩兵達が少なからずいた。だから、緊張を強いられているという点では、シャクシャイン以上であったかもしれぬ。
よって、蛎崎広林は、松前泰広の到着を一日千秋の思いで待ちわびたし、シャクシャインはシャクシャインで、
「恐れるな。いつか火薬は尽きる! 俺達の矢はしかし尽きることは無い! 内浦のアイヌともつなぎを取ってある。彼らは俺達に協力して背後から国縫を攻めると言ってきた!」
城からの絶え間ない鉄砲攻撃により、及び腰になるアイヌ達を叱咤激励しながら、
(和人も意外に粘る……)
ことに、内心限り無く焦っていたのである。
つまりこの戦いは、「いつ松前泰広が国縫に到着するか」の一点にかかっていたとも言える。メナシクル相談役の庄太夫でさえ、
「蝦夷は遠い。松前泰広は江戸詰めであるし、公儀の許しを得るにも時間がかかろうから、戻って来られるのは早くとも半年後ではないか」
と常々言い、
「国縫を囲めば、食糧も奪えましょう。半年もあれば、相手から白旗を掲げるはずです」
そのようにも進言していたから、
「焦るな。相手は根気の無いシサムだ。やつらが根を上げるまで囲めばよい」
シャクシャインもまたそれを信用して、配下のアイヌを励まし励まし、八月上旬までそれこそ「根気良く」戦っていたのだが……。
「計算外だったな」
国縫へ侵攻して二週間後には、シャクシャインはそう言って国縫から引き上げながら、部下に苦笑を漏らすことになった。寛文九(一六六九)年旧暦八月二十一日のことである。
「庄太夫も、こうまで早く松前の奴らが戻ってくるとは思っていなかったのだろう」
急報を受けた松前泰広が、幕府へ懸命に事の重大さを伝えた結果、いつもならば腰の重い幕府が急遽、弘前、盛岡、久保田の三藩にも救援を命じて、さらには松前泰広自身が松前へ戻ってきたのだ……。
これにより、辛うじて連絡を取り付けられていた内浦湾アイヌとは、完全に分断されてしまった。内浦湾のアイヌも、その背後の松前から攻撃を受けるとあっては、そちらに対せねばならぬ。従ってシャクシャインとの連絡も、ついに途絶えてしまったのだ。
そのうち、ついに松前泰広自身が鉄砲一五〇〇丁を携えて国縫へやってきた。それが嘘ではない証拠に、国縫側の攻撃は俄然、勢いを増す。対してアイヌ側は日が経つに従って負傷者ばかりが増えていく。
「引き上げろ!」
ここに至って、シャクシャインもついに国縫城占拠を諦めた。傷つき、倒れたアイヌの同胞を背負うよう生き残りに命じながら、
(江戸幕府も、そこまで俺達のことを重く見ていたのだ)
そんなアイヌの民の一人を自らも背負い、白髪を乱して静内へ退却していくシャクシャインは、決して庄太夫の見通しの甘さを責めなかった。ばかりか、
(これからは、俺達の土地で戦うのだ)
つまりゲリラ戦を展開することに決めていたのだ。国縫城占拠は諦めても、和人の支配をやめさせること、蝦夷から和人を追い出すということを、まだまだ諦めてはいなかったのである。
武士の中にも、例えば故庄左衛門と親しくしていて、今もその息子である庄太夫をひそかに気遣っている弘前の杉山吉成を初めとして、松前藩以外にも多数、アイヌの同情者はいた。
それに、松前藩に「服従を誓っている」と見られている蝦夷西側のアイヌ達……その相談役達の中にも、庄左衛門のように実際にアイヌの人々に触れ、彼らと生活を共にしているうちに、アイヌが気の毒でならなくなったという和人商人もいたのだ。
しかし、実際、直接蝦夷と関わりの無い武士、あるいは商人でしかない自分達に何が出来るか。松前藩に抗議したところで、武士ならば他所の藩のことに要らざる口出しをしたということで、幕府から藩にお咎めが来る。商人ならば良くて取引永久禁止、悪くすれば己の首が飛ぶ。となると、それら愛すべき「善意の人々」が、アイヌの人々のために何かしたいと思っても、せいぜいが「アイヌのために、己に出来る範囲で便宜を図る」くらいが関の山だったのではなかろうか。
メナシクルに新たに相談役としてやってきた市座衛門も、恐らくはこれらのシサム商人の部類に入るだろう。彼としても、決して松前藩対アイヌといった全面戦争を望んでいたわけではないのだ。
だもので彼は、
「立ち上がっても、潰されるのではないか。一度の戦闘でケリをつけることが、果たしてお前たちに出来るのか。もはや何を言っても無駄だと思うが、松前藩を甘く見るな」
親友の息子に、こういったことを何度となく告げたに違いない。
何よりも、松前藩の後ろには江戸幕府がついているのである。蝦夷のことは松前藩に一任しているし、従って蝦夷と松前藩の間で起きる事件にはさほど関与しない、という、今は「松前藩に対して少し冷たいのではないか」とも思える無関心さを示してはいるが、
「松前藩は、幕府に必ず助けを求める。そうなったらアイヌはどうなるのだ」
戦いが長引いて、松前藩が「アイヌごとき」の鎮圧に手こずっていると聞けば、その面目にかけても幕府は出てくる。それまでに松前藩の鼻をくじくということが、果たして出来るのか、と、市座衛門は言うのである。
シャクシャインの息子であるカンリリカもそれに同調して、
「松前藩に逆らったところで、我らに勝ち目は無い。となれば、アイヌの血を細々とでも後世に伝えることこそが肝要ではないか」
と父に訴えるようになっていた。
しかし、戦いの狼煙は、すでに上げられてしまっていた。
「松前藩に救援を頼みに行ったアイヌが、無情にも毒を盛られて帰された」というこの事件は、蝦夷全土にあっという間に広まってしまったのである。それを聞き知って、今までだんまりを決め込んでいたアイヌ達も、さすがに腹に据えかねたらしく、
「立ち上がるなら味方する」
といった他のコタンの使いが、続々とメナシクルへやってくるようになっている。
静内川下流のチャシで、松前藩との戦いの準備を着々とこなしているシャクシャインに、ある者は、
「ここまで侮辱されて黙っているようでは、人間ではない」
拳を振り上げ振り上げしながら訴え、そしてまたある者は、
「貴方の傘下になら入ってもいい」
怒りに任せて、そんなことまで言った。
そんなアイヌ達へこの時、シャクシャインが飛ばした激に曰く、
「松前藩は我らを滅ぼそうとしており、現にウタフは毒殺された。今年の商船の貨物にはみな毒が入っていると言える。だから、蝦夷全土に住むアイヌ達は力を合わせて、奥地のシサムを殺し、その米及び味噌を奪って兵糧にし、アイヌモシリからシサムを追い出して我らがモシリを取り戻そう。もしウタリで蹴起に賛成しない者があるならば、シサムより先に殺す」
と。
ある意味、何とも原始的なこの内容は、激、というよりも、むしろ脅迫に近いと言える。松前藩に及び腰になっていた、この事件以前のアイヌコタンそれぞれへ送っていたなら、きっと黙殺されていたに違いない。生活は苦しくても、松前藩から直接に被害を受けたことの無い区域の人々には、やはり、
「嵐は頭を低くしていれば、いつか通り過ぎるもの…」
せいぜいそんな風にしか、認識されていなかったのだ。
しかし、今回ばかりは「ここで引っ込んでいたら、きっと松前藩は本格的に我らを支配する」という恐れが、現実のものとなってアイヌの人々の胸に迫ったらしい。
「我々は松前藩の奴隷ではない。我々の生活を守らねばならない」
手遅れになるまでに、何とかしなければならないという恐怖が、彼らを一つにまとめたのであろう。
従って、毎日のようにやってくる使いと、ただ黙ってそれに頷いているシャクシャインの様子を見ていた庄太夫は、
「蝦夷アイヌ王国も、夢ではない」
市座衛門に、とうとうはっきりとそう漏らすようになっている。
「蝦夷全土のアイヌが団結すれば、例え種子島がなくても、松前藩にかなりの程度立ち向かえるのではないか。アイヌだとていつもいつも言うなりになっているばかりではないと分からせるだけでもいい。そうなれば対等の立場になれるはずだ。ひとつの王国として認められる」
庄太夫がこのように……市座衛門ばかりではなく、弘前の杉山吉成にも書簡で密かに……己の胸のうちにあることを熱く語っている間にも、「ウタフ毒殺事件」を聞き知って憤ったアイヌ達は、それぞれのコタンにおいて、蝦夷各地の商場にやってくるシサム商人や砂金堀たちへの攻撃を開始していた。長年、和人から不当な扱いを受けていたことに対するアイヌ民族の心の中で燻っていた恨みが、このことでついに爆発したのだ。
シャクシャインの呼びかけに応じて一斉蜂起したアイヌたちの居住区域は、釧路沿岸のシラヌカ(現白糠町)から、西は天塩のマシケ(現増毛町)にまで及んで、
「小父、東でも西でも、アイヌの人たちが和人の鷹待や交易商船を襲っています」
庄太夫が「幸先が良い」とばかりに市座衛門に告げたのが、寛文(一六六九)年六月のことである。
和人にとっては、まさに不意打ちであったろう。この奇襲で、東蝦夷では二一三人、西蝦夷では一四三人の松前藩関係の人々が死んだと記録されている。すなわち白老九人、幌別二十三人、三石十人、幌泉十一人、十勝二十人、釧路音別十三人、白糠十三人。日本海岸において、後志歌棄二人、磯谷二十人、岩内三十人、余市四十三人、古平十八人、小樽祝津七人、増毛二十三人。
もちろん、日頃からアイヌに親切だったシサム商人たちは、命を助けられている。
助けられてはいるが、
「いつ何時、我らに向かって牙をむくか分かりません」
庄太夫は、自分も和人の癖に、何度もシャクシャインにそう言って、暗に殺すことを告げた。庄太夫に言わせれば、
「商人ゆえに直接支配に加担していないが、傍観しているだけでも加害者になる」
のである。従って、中立の立場というのはありえない。白か黒かでしかないわけで、それらの商人たちを、彼は臆病で卑怯だと決めつけた。
「卑怯者は許せません」
(俺は和人ではあるが、和人の中で誰よりもアイヌの人々のことを知っている)
自分がアイヌの人々の窮状を救うのだ、という義憤に任せ、彼はシャクシャインに向かってそれらの商人を殺害はせぬまでも、せめて虜にするよう、何度も繰り返し告げたものだ。
それに対してシャクシャインは、
「確かに、俺達の敵は松前藩のシサムだ。しかしお前がそうであるように、商人の全てが我らの敵だというわけではあるまい」
そう言って笑うのみだった。
言われて庄太夫は、
(シャクシャイン殿にも、きっと考えがあるのだ)
そう考え、シブシブ黙るのであるが、
「まずは胆振、後志、日高、十勝、空知、天塩…これらの土地を順繰りに回って、平定しましょう。これらは皆、貴方に恭順を誓っています。貴方が赴けば、諸手を挙げて感が芸するはずだ」
「うん」
地図を指し示しながら言うと、シャクシャインは大きな目をらんらんと光らせて、食い入るようにそれを見つめる。それは決してこの娘婿の存在を軽視してはいないという何よりの証拠で、
「それらの土地に住むアイヌ達を味方につけてから南下して、室蘭へ。国縫を獲るべく動きましょう。さすれば必ず、蛎崎蔵人広林が出てくるはずです。彼を倒すことが出来たら、アイヌの人々の士気も高まりましょう」
義父の姿勢に力を得て、庄太夫は熱を持って語り続けるのだ。
概して、アイヌの人々の行動範囲はあまり広くない。他部族と争う時はともかく、日常生活に必要な獲物を手に入れるだけで良しとしていた人々だったし、他のコタンを侵さないことが大前提であったから、
「出来れば一月以内には国縫へ。可能でしょうか」
「十分だ。お前の言葉、助かる」
そんな「献言」には、シャクシャインはわずかに白い歯を見せて笑うことで謝意を示した道東へは足を運んだことも無いから、地名は知っていても、正確な距離感や位置はつかめない。そのことについては庄太夫に深く感謝しているようである。
果たして庄太夫の策通り、
「このまま松前まで進め!」
シャクシャインの叫びも勇ましく、蝦夷のアイヌたちはまず内陸へ進軍、それらの痴呆のアイヌ達を加えて二千の「軍隊」を組織しながら南下して、国縫を目指し進んでいったのだが…。
蝦夷には本州と違って梅雨が無い。言わずもがなのことだが、初夏になっても気温は低いために比較的過ごしやすい。よって、袖を拭きぬける風も爽やかで、
「今更言っても仕方の無いことだが」
しかし、市座衛門が暗い顔をして庄太夫に告げる言葉は、爽やかさとは程遠い。
「お前は、蝦夷全土のアイヌが立ち上がれば松前藩に対抗できると言った。しかしどうだ」
実際には、石狩と宗谷、そして釧路以東のアイヌ達は、この「蜂起」に参加しなかったのである。そのことを市座衛門は重く見た。
何分、宗谷も釧路も松前からは遠い。それにこれらの地域の人々は、現実にはほとんど和人たちと関わりがないと言っても良かった。まだ和人が生活領域に入ってきている度合いも少なく、従って、他の地域のように「はっきりと」支配されているわけではなかったのである。さらには、
「石狩からは梨のつぶてだろう」
市座衛門が言うように、石狩に住むアイヌたちは、松前藩の支配を酷く受けている身でありながら、シャクシャインの呼びかけを黙殺している。
「お前の言うように、いつ寝返る分からないぞ」
人間として熟成するまで、尾張で揉まれていただけに、市座衛門の言葉には何ともいえぬ重みがある。しかし、消極的な言葉を吐いていながらも、
「そこまで仰るのでしたら、何故我らを止めないのです」
「そうさな。お前たちを見ていると、若い頃のことを思い出すからか。もちろん、お前達のやろうとしていることは、私から見ても愚かの極みとしか思えないが」
庄太夫に逆に問われて、市座衛門は苦笑するのだ。
「もう一度、何かに賭けてみるのもいいかもしれない……とも思うのだ。老いてもなお、蝦夷をアイヌの民の手に取り戻そうとする情熱を失っていないシャクシャイン殿を見ていると、私の体中の血もなぜか熱くなるような気がする。蝦夷アイヌ王国実現と、そしての外交を担う我々が、蝦夷商売の頂点に立つ、つまり蝦夷での商売において、勝つということ。もしそれらが叶えば、松前の両浜組など物の数ではない。アイヌの民の生活も格段に楽になる。なにせい、お前はアイヌの味方なのだから、彼らに悪い取引はせぬに違いない。そうだな」
「その通りです」
「そうなれば異民族であるアイヌと、和人との対等な取引はきっと実現する……もしも叶うことなら、ぜひこの目で見てみたいとも思ってしまうのだ」
それにもともと市座衛門自身、アイヌの人々に対して同情を抱いている。だからこそ、
「だから、まだ迷っている。しかし時というものは、待ってくれんものだな」
几帳面に手入れされた髭を撫でつつ、口元に浮かべた苦笑をそのままに、市座衛門は言うのであろう。それは、戦の火蓋が切られても尚、静内川下流のコタンに留まり、メナシクルアイヌの人々に、なるだけ普段の生活をしてもらおうと、今日も商場に出かけている、最上の助之丞にしても同じに違いない。
「はっきり言わせてもらうが、引き上げるなら今のうちだということも分かっている。この現状を、松前藩に知らせた上で、のう。さすれば今なら、それぞれの地へ戻って、今までどおりの商いを続けることも、出来ぬ相談ではない」
「……そうですね」
もっともな市座衛門の言葉に、庄太夫も頷いた。アイヌ民族であるシャクシャインはともかく、それに組する自分たちはあくまで「和人」であり、しかも松前藩に雇われている身なのである。身分の上から言っても、商人が武士に逆らうなど、まさに狂気の沙汰としか思えない。だが、
「勝つのだな?」
静かに問う市座衛門の声は、ある種の覚悟が込められている。
「……そのつもりでいます」
「よし、分かった」
庄太夫が答えると、市座衛門も深く頷いた。恐らく市座衛門は最悪の場合も考えて、とつおいつしていたに違いないのだが、
「だが忘れるな。お前はあくまで和人であり、アイヌではない」
続いたその言葉には、もう迷いは無かった。ということは、つまり己の死をも覚悟したということに他ならない。
「そして私も、悲しいかなアイヌではない……忘れてはならないと思う」
(何を当たり前のことを)
「……はい」
その言葉を不審に思いながらも、
(市座小父は、やはり頼りになる味方だったのだ)
庄太夫はそう考え、純粋に喜んでいたのである。
その間にも、シャクシャイン率いるアイヌ軍は、道南を着々と国縫へ向かって進んだ。そして梅雨の無い六月に入る頃、
「ご注進、ご注進! 一大事にござりまする」
叫びながら、松前蔵人の護る福山の城に駆け込んできた者がいる。
「恐れ多い事ながら、蛎崎蔵人広林様ご自身に、直々に訴えねばならぬことにて」
訴えた人物の顔には茶色く乾いた血や、火事にでもあったのか、何やら焦げたような煤の跡などがあちこちにこびりつき、着ている物も泥まみれで、ところどころに破れて汚れた肌が見えていたりもする。
「なんと、お前は文四郎ではないか。シャクシャインとやらに襲われて、行方が分からぬとは聞いていたが、一体今までどこでどうしていたのだ」
あまりにも騒がしいので、何事かと思って出てきた蛎崎広林は、変わり果てた文四郎の姿を見て驚き、彼から漂ってくる臭気に思わず鼻をつまんだ。
「アイヌどもに見つかると殺されまするゆえ、このような姿で主に山野に潜伏しておりました。そしてたまさかに、商人仲間の元に匿ってもらうという暮らしをしておりましたゆえ。おかげで辛うじて生き延びることが出来ました。むさ苦しい姿をお目にかけ、まことに申し訳ないことながら」
すると文四郎は、息も絶え絶えといったように挨拶を述べた後、
「しかし、このようなのんきな挨拶を交わしている場合ではありませぬ。シャクシャインがアイヌどもを引き連れ、こちらへ向かっておりまする」
左右の者に支えられつつ、辛うじてそう述べた後、張り詰めていた気が緩んだのか、意識を失ってしまったのである。
「とりあえず、どこか部屋を開けて寝かせてやれ」
家来へ言いつけながら、
(いよいよ直接やって来たか)
広林は、たちまち額に浮き出てきた汗を、右の袖でぐいと拭った。
広林も無論、アイヌたちによる和人商人の殺害を聞いている。被害にあった商人たちの生き残りから、つぶさに報告を出させもしているし、藩の本拠のある松前、福山両城にそれらをいちいち届けさせもしていた。
「その調子だと、いつ何時この城にも襲撃に来るかもしれぬ」
というわけで、それなりの防備を整えてもいたのだが、
「今、揃えられるだけの種子島(鉄砲)を揃えろ! それから、江戸の甚十郎様に疾く報せるのだ」
城の者たちに慌しく告げたその言葉は、この上なく震えていた。
そして広林は、
(参勤交代とは何と忌々しい制度であることか)
舌打ちしたいような、泣きたいような気分で思った。こういった際に、一番頼りになるはずの現当主の大叔父、松前泰広は、幕府の制度のため、幼い藩主の代理としてちょうど半年前から江戸へ詰めているのだ。
なにさま、太平の世が来て久しい。日本で起きた最後の大きな戦いである大阪の陣はもう、はるか昔のことである。広林にしたところで、その頃は物心つくかつかぬか、といった年であった。おまけに蝦夷でも折々対アイヌ戦は起きてはいたが、
「あれらは基本的に、犬のようにおとなしい、従順な民族ゆえ」
常日頃から、どこかその考えが根底にあったため、まさか蝦夷のほぼ全域のアイヌが、大挙して向かってくるとは思いもしなかったところは、奢った支配者らしいと言える。
(なんのアイヌの乱ごとき、ケクシケやヘナウケで経験しているではないか。あのように追い払えばよいのだ)
己を叱咤してみても、「今回ばかりはどこか違う…」と、頭の隅で不吉な考えばかりが過ぎってしまうのだ。
(藩すべてを巻き込んでしまう…大規模ないくさになるやもしれん)
気がつけば、己の手はすっかり血の気が引いており、しかも震えが止まらない。青黒くさえ見える両手を擦り合わせつつ、
(シャクシャインとやらの得意は、弓であったな。ならば弓で攻めて来る)
混乱した頭を何とか平静に保とうと努力しながら、
「アイヌどもの武器には毒が塗られている。矢は盾で防げ。決して矢を受けることの無いように。本家やご公儀からも、何らかの助けが来ようから、それまでは、じかに武器を構えるな。種子島の一斉射撃で追い払え。とにかく援軍が来るまでは、城壁を越えられることのないように、と伝えよ。私もおっつけ、国縫へ参るであろう。佐藤権左衛門及び松前儀左衛門らにも、兵を整えて後から急ぎ参れと言え」
広林は国縫城主らしく命じた。その一方で、
(我らに従属を誓っているアイヌどもに、使いをやらねば)
とも考えている。
多分に広林の希望的観測も入っているが、
(蝦夷全てのアイヌが、団結しているわけではない)
と見たからである。異民族とはいえ、同じ人間である。なるほど、確かにシャクシャイン率いるアイヌ達は、蝦夷に入り込んでいる和人たちや商船を襲って、初戦は気勢を上げた。しかし、同じ人間であるなら、まだどちらが優勢か分からずに日和見を決め込んでいる輩も必ずいるはずで、
(とにかく、アイヌどもを分断させることだ。こちらに刃向かう気のある無しを、今一度確認しておかねばならん)
特に、それはシャクシャインの激に応じなかった石狩に住むアイヌに多い、と、広林は考えた。かつて市座衛門が漏らした懸念が、ここに来てやはり松前藩側に利用されることになったというわけだ。
ともかく、広林がその思惑に沿って、それらのアイヌに使いを出しつつ、兵三百を伴って国縫付近に到着した時には、ようやく蝦夷にも夏の気配が感じられるようになっていた。
そして、
「やって来おったか」
城まであと一息、というところで、汗みずくになってやってきた物見の報告を聞き、広林は低く呻き、
「これだけは、我等が一歩先んじた。城を獲られるのだけは免れたというわけだ」
呟いて、口辺に苦笑いを浮かべたのである。
二千のアイヌ軍もまた、近くの室蘭までやってきているらしい。それを聞いて、せっかく国縫城下に集まっていた商人たちの中にも、本州へ逃げ帰る支度をしている者がいるという。そんな城下の者達へ広林は、
「土塁を築け! さすれば弓矢を幾分なりとも防げる。壁を高く、高くして守るのだ」
連れてきた三百の兵士達と、現地の金堀工夫二百、総勢五百で急ぎ土塁を築かせた。
そうこうしているうちに、松前から後続の佐藤権左衛門、松前儀左衛門、そして新井田瀬兵衛らがそれぞれ兵を率いてやってきた。その数、合計五百。
「やあ、これでようよう彼奴らの半分か。少しは心を安んじられようというものだ」
彼らの顔を見ながら、広林は大いに胸を撫で下ろしたものだ。
工夫達も、金堀とはいっても体格は良い。職業柄、ある程度の戦闘に耐えられるだけの武芸も持っている。そう思って彼が安心した頃、国縫川の向こうに、アイヌの軍勢がついに姿を現したのである。
記録によると、シャクシャイン率いるアイヌ部族達は、七月には国縫川近くまで到達したという。川までやってくれば城はもう目と鼻の先で、幅六、七間あまりのその小さな流れの向こうに、松前藩の兵士達がずらりと鉄砲を並べて待ち構えていた。
「かかれ!」
シャクシャインの掛け声とともに、アイヌ達は一斉に毒矢を浴びせかけた。それらは城壁を越えて確かに届いたはずが、
「いかん! 伏せろ!」
次の瞬間、シャクシャインは顔を青ざめさせることになった。
予測していたことではあったが、松前藩はあるだけの種子島(鉄砲)を用意させていたのである。こちらの矢が届いたと思った刹那、耳を劈く轟音が響いて、シャクシャインの前にいたアイヌたちがバタバタと倒れた。
「ひるむな、矢を浴びせ続けろ! きっと負傷している奴らはいる」
シャクシャインが勇ましく味方を叱咤すれば、
「とにかく息着く暇を与えるな。射撃を続けよ」
城内では、蛎崎広林が額に汗をじっとりと滲ませて号令する。
攻める側も守る側も必死の「戦い」だった。記録によると、この時、最初の一斉射撃で撃ち殺されたアイヌ達は百人あまりであるという。
シャクシャイン側は、
(国縫だけでも落とせば、きっと他のアイヌ達もかけつける。とにかく松前藩から新たな援軍が来るまでには落とさねばならぬ)
と思っていたし、蛎崎広林としても、鉄砲がある分有利とはいえ、
(とにかく甚十郎(松前泰広)がご公儀の許可を得て、蝦夷へ戻ってくるまでは踏ん張らねばならぬ。ここで持ちこたえねば、福山も松前も危うい。日和っているアイヌ達も、いつ後ろから襲ってくるか分からぬ)
松前泰広が、幕府の許しを得た鉄砲隊を率いて戻ってくるまでは、勝敗は分からないと思っている。
(周り全て、敵だと思っていたほうが良い)
そもそも蝦夷はアイヌの地なのである。アイヌのポンヤウンペとまで言われている人物を、彼らが慕っていないという保証はどこにもない。最終的には数の論理で、どうしても兵士の数が多いほうが勝つ。
それに、堅固な鎧に身を固め、この上なく注意に注意を重ねているつもりでも、どうにかして鎧の継ぎ目を射抜かれ、毒が回って死亡する藩兵達が少なからずいた。だから、緊張を強いられているという点では、シャクシャイン以上であったかもしれぬ。
よって、蛎崎広林は、松前泰広の到着を一日千秋の思いで待ちわびたし、シャクシャインはシャクシャインで、
「恐れるな。いつか火薬は尽きる! 俺達の矢はしかし尽きることは無い! 内浦のアイヌともつなぎを取ってある。彼らは俺達に協力して背後から国縫を攻めると言ってきた!」
城からの絶え間ない鉄砲攻撃により、及び腰になるアイヌ達を叱咤激励しながら、
(和人も意外に粘る……)
ことに、内心限り無く焦っていたのである。
つまりこの戦いは、「いつ松前泰広が国縫に到着するか」の一点にかかっていたとも言える。メナシクル相談役の庄太夫でさえ、
「蝦夷は遠い。松前泰広は江戸詰めであるし、公儀の許しを得るにも時間がかかろうから、戻って来られるのは早くとも半年後ではないか」
と常々言い、
「国縫を囲めば、食糧も奪えましょう。半年もあれば、相手から白旗を掲げるはずです」
そのようにも進言していたから、
「焦るな。相手は根気の無いシサムだ。やつらが根を上げるまで囲めばよい」
シャクシャインもまたそれを信用して、配下のアイヌを励まし励まし、八月上旬までそれこそ「根気良く」戦っていたのだが……。
「計算外だったな」
国縫へ侵攻して二週間後には、シャクシャインはそう言って国縫から引き上げながら、部下に苦笑を漏らすことになった。寛文九(一六六九)年旧暦八月二十一日のことである。
「庄太夫も、こうまで早く松前の奴らが戻ってくるとは思っていなかったのだろう」
急報を受けた松前泰広が、幕府へ懸命に事の重大さを伝えた結果、いつもならば腰の重い幕府が急遽、弘前、盛岡、久保田の三藩にも救援を命じて、さらには松前泰広自身が松前へ戻ってきたのだ……。
これにより、辛うじて連絡を取り付けられていた内浦湾アイヌとは、完全に分断されてしまった。内浦湾のアイヌも、その背後の松前から攻撃を受けるとあっては、そちらに対せねばならぬ。従ってシャクシャインとの連絡も、ついに途絶えてしまったのだ。
そのうち、ついに松前泰広自身が鉄砲一五〇〇丁を携えて国縫へやってきた。それが嘘ではない証拠に、国縫側の攻撃は俄然、勢いを増す。対してアイヌ側は日が経つに従って負傷者ばかりが増えていく。
「引き上げろ!」
ここに至って、シャクシャインもついに国縫城占拠を諦めた。傷つき、倒れたアイヌの同胞を背負うよう生き残りに命じながら、
(江戸幕府も、そこまで俺達のことを重く見ていたのだ)
そんなアイヌの民の一人を自らも背負い、白髪を乱して静内へ退却していくシャクシャインは、決して庄太夫の見通しの甘さを責めなかった。ばかりか、
(これからは、俺達の土地で戦うのだ)
つまりゲリラ戦を展開することに決めていたのだ。国縫城占拠は諦めても、和人の支配をやめさせること、蝦夷から和人を追い出すということを、まだまだ諦めてはいなかったのである。
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