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魂像画
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自分が言うまでもなく、僕は天才だ…まだ高校生だけど。
僕はそんな風に言われることなんてどうでもいいんだけど、皆が言うんだから事実なんだろう、と、僕は思っていた。今だってそう思ってる。
だから、頼まれて絵を描くことだってしょっちゅうだった。どんな絵だって注文通りに描ける。だけど、唯一、人物画だけは引きうけないことにしているんだ。
なんでかって? それはね。
「…絵を描いてくれないかしら。氷室くん」
いつものように美術部室で絵を描いていた僕は、その声にハッとなってカンパスから目を逸らした。
そしてようやく、辺りが薄暗くなっていることに気付く。
美術部の他の部員達は、どうやらとっくに帰ってしまったらしい。秋の日はつるべ落とし、っていうけど、本当だな。
(いつもながら、集中すると周りが見えなくなるよな)
僕は苦笑しつつ、扉の所に佇んでいる彼女を改めて見る。
「…お願い、絵を描いて」
どうやら僕へ言っているらしい。って、名指ししてたんだから当然か。青ざめた顔で、なのに目だけがギラギラ輝いて、
「私の絵を描いて欲しいの。実物よりも美人に」
繰り返す。「八木」と書かれた胸の名札の色が緑…ということは、僕よりも1学年上、3年生の先輩なんだろう。
「卒業の思い出にしたいの。私にはもう、それしかないから」
そう彼女は言った。
(見たこともない人だな)
僕の学校は、少子化だって騒がれている昨今にしては珍しく、生徒数が多い。
それに元々、僕はあまり他人には興味がない。と言うか、興味を持たないようにしていた。
だから、いちいち人の顔を覚えちゃいないし、名前すら知らない人のほうが圧倒的だ。
(そんな人の一人なんだろう)
「僕もヒマじゃないんですが」
一応そう言ったんだ。実際僕は、秋の二科展の締め切りを一ヵ月後に控える忙しい身だったし、これから後片付けに入ろうと思っていたから。
だけど、彼女は僕の言葉を丸きり聞いちゃいなくて、
「描いて…お願いだから。氷室くん。ううん、あなたは描かなきゃいけないの」
青ざめた顔を近づけてくるんだ。
僕はこれでも校内じゃ有名人だから彼女が一方的に僕の名前を知ってたって別に不思議じゃないしそれはいいんだけど、それにしたって必死すぎだな。
本当に、どうしたんだろう。
「分りました。引き受けます」
有無を言わせない迫力に押されて、ボクは頷いていた。
二科展があったんだけど、
(何とかなる…うん、僕ならできるさ)
何故か、どうしても彼女の依頼を優先させなきゃならないような気がして、美術室に遅くまでこもって描き続けたんだ。それに不思議と、スケジュールが厳しいと思えば思う程、僕の集中力は冴えわたって、二科展に出品する為の絵は、自分でも納得の出来で描き上がった。締め切りまで十分な時間を残して。
普通ならギリギリまで時間をかけて仕上げたいところなのに、もう手を加えるところがないという会心の作だ。
さすが僕。
さあ、これで残るは「彼女の絵」だけだ。
彼女が現れるのは、決まって部員達が皆いなくなった後。静まり返った部屋の中で、僕は彼女からもらった彼女の写真と睨めっこしながら、カンパスへ筆を必死に走らせる。
「…まだ?」
決まって夕方の5時半になると、彼女は青ざめた顔で美術室に現れて、催促する。
「まだです。せかさないでください。手元が狂います」
絵は、デリケートなものなんだと僕は思っている。
ましてや、これほどまでに必死な彼女肖像画を描くのなら、それこそ彼女も僕自身も納得のいくものでなくちゃならない。
「卒業までには出来ます。だから待ってください」
毎日毎日、なんど同じ答えを繰り返したろう。そしてその答えを聞くたびに、彼女は何も言わずに立ち去る。
だけど、正直なところ、僕は焦りも感じていた。彼女の「注文」に対してだ。
「本人よりも美しく」。それが、彼女の望み。
でも、青ざめて切羽詰まったかのような顔の彼女を、どうやって美しく描ける?
彼女が微笑んでいるのは写真の中だけ。しかもそれは、さも「申し訳ない」といった風な、気弱な…はっきり言って、魅力の欠片もない、そんな笑顔。
美しさっていうのは、内面からにじみ出て来るものだ。僕はそう信じている。
(それが欠片も感じられないなんて…)
彼女が美人じゃなかった、っていうわけじゃない。芸術家の端くれとして審美眼くらいはあるつもりだけど、造形だけで言うなら彼女は「美人」の範疇に入ると思う。
それでも、なんというか…そう、表情。絶望に覆われているようなそれを見て、僕は悪寒すら感じるんだ。
だけどやっぱり、彼女は言う。「この顔よりも美しく描け」と。
…ああ、描いたさ。鬼気迫るその迫力に気圧されつつも、僕は自分を信じて描き続けた。僕にはそれを描く力があるから。
写真の彼女、現実の彼女、そのどちらよりも少しだけ美しく見えるように。だって僕は芸術家であり、「プロ」なんだから。プロであるなら、依頼された以上は描き切るべきで、完成させるべきなんだ。
そして描き上がったちょうどその日。
僕が何も言わないのに、誰にも告げた覚えはないのに、
「出来たのね」
と言いながら美術室の扉を開けて、彼女が顔を出した。いつも彼女が現れる時刻…夕方の五時半。
卒業式までにはまだ少し余裕がある時期だから日もとっぷりと暮れていて、他の部員の姿もすでにない。
「は、はい…気に入っていただけるかどうか分からないけど」
戸惑いながら僕が言うと、
「…素敵ね。頂いていくわ」
「あ、待って!」
僕の絵を眺めていた彼女は、いきなり横から手を出してそれを小脇に抱え、どこへともなく歩いていく。
彼女の注文通りに描けて、彼女も満足してるようだから僕の役目は終わったんだし放っておけばいいものを、何故かその後を上履きのままで外まで追いかけていた。
不思議なことに、いつもならグラウンドで活動している運動部の生徒達の姿は一人もなくて、遅くまで活動している文化部の連中と一人や二人、すれ違うはずの道にも誰もいない。
つまりその時、僕と彼女の周りには誰もいなかったのだ。ただ、ボクと彼女をつなぐように道があるだけ。
彼女の姿を見失わないように、追いかけて…いつもなら明かりが灯るはずの教室も、その日は暗いまま。
しかも、僕は走っているつもりなのに、早足とは言え歩いてるだけに見える彼女に何故か追い付けない。その異様さに気付くこともなく、僕は彼女の後を追う。
彼女の後姿だけが、ぼうっと浮かび上がったような暗闇の中、僕はいつしか、普通は誰も通ることのない学校の裏の雑木林へと向かう道を歩いていることにようやく気付いた。この道は雑木林の中で途切れてるし私有地だから生徒は入っちゃいけないと、うんざりするくらいに教師らから言われてる。
それでも、高校生くらいだとそういう大人の言葉に反発して敢えて踏み込むのがいてもおかしくなさそうなのに、不思議とそんな話も聞かない、なのに教師はしつこく「入るな」と言ってくる、今から考えれば不可解な場所。
(あ、あれ?)
不意に、彼女の姿がとある木の裏で消えた。きょろきょろ辺りを見回していると、
『ありがとう。これで私も心置きなく』
そこから、声が聞こえてくる。
『貴方だけだったわね。私に気付いてくれたの…』
地を這うような声、とはこのことを言うんじゃないだろうか。そこでようやく我に帰って、僕は肌に粟粒を立てた。
別に気配を隠すどころか声までかけながら追ってたから当然だと思うけど、彼女はボクが後をついてきていることを知っていた。
そして、自分の視界の端に捉えられたものに恐る恐る目を向けて…情けないけどボクは腰を抜かす。
雑木林の奥の奥、ちょっと見たところでは全然分らないところに…木の枝からぶらさがっている、一見するとボロボロの布のようなものが枝に引っかかって垂れさがってるようにも見えるそれは……
(し…死体……!?)
そこで僕の足は、僕の意思に関係なく、すっくとばかりに立った。
ようやく出すことの出来た悲鳴を、恥も外聞もなく上げながら、
(人のいるところへ、とにかく、人のいるところへ…!)
僕は一生懸命走った。もうここにはいたくない。後ろを振り返ったら、彼女に捕まってしまうような、そんなたまらない恐怖感に襲われながら。
それから学校は、大騒ぎになった。彼女の後を追ってた時には誰もいなかったのに、僕が這う這うの体で戻ってくると、「どうした!?」とサッカー部だったか野球部だったかの顧問の教師が驚いたように声を掛けてくる。
「し…死体が、人が死んでます…!」
そんな僕の言葉にまた驚いて、顧問の教師は職員室へとすっとんでいった。
僕も職員室から出てきた教頭や学年主任をはじめとした何人もの教師に連行されるように職員室へ連れていかれて、事情を聞かれた。
だけど、そんなことを聞かれても、僕に何が言えたろう。
ただ発見した時のことを、通報で駆け付けた警察や校長や教頭や学年主任の教師が居並ぶ前で言っただけだ。
「八木さんっていう三年生の女子について行ったら、雑木林の中で…」
でも僕の話を聞いていた学年主任の教師が怪訝そうな顔になる。
「ヤギ…?。今の三年にヤギって名前の生徒はいないはずだが。矢木沢のことか…?」
問い掛けられて僕は、
「違います。名札には、八つの木で八木ってなってました」
そこまで言って、僕は察した。これはややこしい話になるって。だから彼女に絵を描かされてたことも言わなかった。
言ったって信じちゃくれないだろうし。
そして、「八木って名前だと思ってた気になる先輩が、立ち入り禁止になってる道の方に歩いていくから気になって後を追いかけた」っていうだけにしておいたんだ。
なのにそれから判明した事実に、僕はもっと背筋を凍らされた。
僕が見付けてしまった「死体」の名前こそが、「八木」。こうなると当然、僕が見たという三年の女子生徒は実は幽霊だったんじゃないかなんて噂が広まる。でもこのことは、警察以外は校長と教頭と学年主任しか知らないはずなのに、誰が漏らしたんだか。でもそれはどうでもいいか。
そんなことより彼女は、僕よりも10年も先輩だった。友達が出来ないことを苦にして自殺してしまったのだという彼女の「遺体」は、カラスにつつかれたり、虫に食われたりして悲惨な有様だったという。
(一瞬しか見なくて幸いだった)
あの日、警察の人の取調べに応じながら、悪いけど僕はそう思っていた。かなりお腹も減っていたはずなのに、食欲も一気に吹き飛んで、おまけに
(わ、もうこんな時間か)
警察はさすがに未成年の僕をいつまでも留め置けないということで早々に解放してくれたのに、教師たちはそうじゃなかった。もう夜の八時も回ったっていうのに。
クタクタに疲れ果てて、とにかく一旦、荷物を取る為に美術室へ戻らせてもらう許可をもらって戻ってきたら、
(…なんで)
彼女が「その場所」へ持っていったかと思ったのに、あの絵はいつのまにか美術室に戻っている。
僕が描いていたその場所で、イーゼルにかけられて。
それ以上その絵をかけっぱなしにしておくのに忍びず、僕は他の絵と同じように布をかけて、絶対見られないように厳重に紐をかけて…美術控室に保管された他の絵の一番下へしまった。
この絵は、絶対に他の人に見せちゃいけない。
ほとんど本能みたいな感じでそう思った。
(燃やしてしまおうか)
紐でぐるぐる巻きにしている間、何度そう考えたろう。だけど、そのたびに、彼女の声が
『お願い…燃やさないで』
直接頭の中に響いて、そのたびにズキズキ痛むから諦めたんだ。やっと学校の生徒に気付いてもらえた彼女は、このままずっと、彼女の存在を知っておいて欲しいんだって、そう思って。
ようやく僕が、親に迎えに来てもらって家に帰れたのは、夜の十時過ぎだった。
そして翌日、学校は警察やマスコミが押しかけて大変な騒ぎになってた。校門の近くにはテレビカメラが何台も並んでて、雑木林に向かう道にもパトカーが止まってる。
それを横目に見ながら、まるきり眠ることが出来なかったからか痛む頭を振り振り校門をくぐると、やっぱり気になるのはあの絵のこと。
昼休みに美術室へ入って、僕は思わず立ちすくんだ。
「何をやってるんだ!」
「あら、だって」
女子部員の一人が、せっかく僕が「封印」していたその絵を、わざわざ紐を解いて美術室のロッカーの上へ飾っている。
「すぐに戻せ! これはダメだって!」
「だ、だって、こんなに素敵な絵なんだもの。この絵の人だって、こんなに素敵に微笑ってるんだし、そんなに怒らなくたって」
昨夜の遅くから速報が流れ始めたニュースでは、第一発見者が僕だということは、当然、マスコミとしては伏せていた。でも学校内では僕がそうだというのはすっかり広まっていて、そんな僕の絵だっていうのは一目見れば分かるはずなのに勝手なことをしたその女子部員は僕の剣幕に口を尖らせて、
「分ったわよぉ」
と不満そうにしながらも、僕がやっていたように、その絵へ布をかけ、紐を巻き始める。
デリカシーの欠片もない女子部員から、「封印しなおした」その絵をひったくるようにして、元の場所へ戻しながら、その時僕は、とんでもなく不吉な予感に囚われていた。
そしてその予感は、不幸にも的中してしまったんだ。
絵の「封印」を解いた女子部員は、学校からの帰り道、何を思ったのか踏み切りの遮断機をくぐって、線路の中へ入ったらしい。
周りの人が止める間もない、一瞬の出来事だったそうだ。
だからその後、僕は先輩、後輩を問わず部員の人に言い含めている。
「一番下に置いてある、あの絵を見ちゃダメだよ。どんな不幸が襲い掛かっても知らないよ」
…それにも関わらず、毎年、その絵は一度は封印を解かれて美術室に飾られた。
そしてその日は必ず、学校の生徒の誰かが不幸な事故に遭う。
もちろん僕だって何度もその絵を他の場所に移そうとした。嫌だけど家に持ち帰ろうともした。なのにその度に美術控室の鍵が壊れて開けられなくなったり、教師に急用を言いつけられたりして、何故か移動させることもできなかった。
そんな時、僕は必ず、
『ダメよ…せっかく友達を作るチャンスなのに』
と、頭の隅で密かに笑う声を聞く。
僕が「生きていられる」のは、きっと彼女なりの「お礼」なのだろう。いや、むしろ「呪い」なのかもしれないが。
その笑い声を聞くたび、ため息と一緒につくづく思うのだ。
(もう肖像画は二度と描かない)
…美術室に、二度と夜遅くまで残るまい、と。「天才」も、あの世の人からの依頼の前には形無しだから。
FIN~
僕はそんな風に言われることなんてどうでもいいんだけど、皆が言うんだから事実なんだろう、と、僕は思っていた。今だってそう思ってる。
だから、頼まれて絵を描くことだってしょっちゅうだった。どんな絵だって注文通りに描ける。だけど、唯一、人物画だけは引きうけないことにしているんだ。
なんでかって? それはね。
「…絵を描いてくれないかしら。氷室くん」
いつものように美術部室で絵を描いていた僕は、その声にハッとなってカンパスから目を逸らした。
そしてようやく、辺りが薄暗くなっていることに気付く。
美術部の他の部員達は、どうやらとっくに帰ってしまったらしい。秋の日はつるべ落とし、っていうけど、本当だな。
(いつもながら、集中すると周りが見えなくなるよな)
僕は苦笑しつつ、扉の所に佇んでいる彼女を改めて見る。
「…お願い、絵を描いて」
どうやら僕へ言っているらしい。って、名指ししてたんだから当然か。青ざめた顔で、なのに目だけがギラギラ輝いて、
「私の絵を描いて欲しいの。実物よりも美人に」
繰り返す。「八木」と書かれた胸の名札の色が緑…ということは、僕よりも1学年上、3年生の先輩なんだろう。
「卒業の思い出にしたいの。私にはもう、それしかないから」
そう彼女は言った。
(見たこともない人だな)
僕の学校は、少子化だって騒がれている昨今にしては珍しく、生徒数が多い。
それに元々、僕はあまり他人には興味がない。と言うか、興味を持たないようにしていた。
だから、いちいち人の顔を覚えちゃいないし、名前すら知らない人のほうが圧倒的だ。
(そんな人の一人なんだろう)
「僕もヒマじゃないんですが」
一応そう言ったんだ。実際僕は、秋の二科展の締め切りを一ヵ月後に控える忙しい身だったし、これから後片付けに入ろうと思っていたから。
だけど、彼女は僕の言葉を丸きり聞いちゃいなくて、
「描いて…お願いだから。氷室くん。ううん、あなたは描かなきゃいけないの」
青ざめた顔を近づけてくるんだ。
僕はこれでも校内じゃ有名人だから彼女が一方的に僕の名前を知ってたって別に不思議じゃないしそれはいいんだけど、それにしたって必死すぎだな。
本当に、どうしたんだろう。
「分りました。引き受けます」
有無を言わせない迫力に押されて、ボクは頷いていた。
二科展があったんだけど、
(何とかなる…うん、僕ならできるさ)
何故か、どうしても彼女の依頼を優先させなきゃならないような気がして、美術室に遅くまでこもって描き続けたんだ。それに不思議と、スケジュールが厳しいと思えば思う程、僕の集中力は冴えわたって、二科展に出品する為の絵は、自分でも納得の出来で描き上がった。締め切りまで十分な時間を残して。
普通ならギリギリまで時間をかけて仕上げたいところなのに、もう手を加えるところがないという会心の作だ。
さすが僕。
さあ、これで残るは「彼女の絵」だけだ。
彼女が現れるのは、決まって部員達が皆いなくなった後。静まり返った部屋の中で、僕は彼女からもらった彼女の写真と睨めっこしながら、カンパスへ筆を必死に走らせる。
「…まだ?」
決まって夕方の5時半になると、彼女は青ざめた顔で美術室に現れて、催促する。
「まだです。せかさないでください。手元が狂います」
絵は、デリケートなものなんだと僕は思っている。
ましてや、これほどまでに必死な彼女肖像画を描くのなら、それこそ彼女も僕自身も納得のいくものでなくちゃならない。
「卒業までには出来ます。だから待ってください」
毎日毎日、なんど同じ答えを繰り返したろう。そしてその答えを聞くたびに、彼女は何も言わずに立ち去る。
だけど、正直なところ、僕は焦りも感じていた。彼女の「注文」に対してだ。
「本人よりも美しく」。それが、彼女の望み。
でも、青ざめて切羽詰まったかのような顔の彼女を、どうやって美しく描ける?
彼女が微笑んでいるのは写真の中だけ。しかもそれは、さも「申し訳ない」といった風な、気弱な…はっきり言って、魅力の欠片もない、そんな笑顔。
美しさっていうのは、内面からにじみ出て来るものだ。僕はそう信じている。
(それが欠片も感じられないなんて…)
彼女が美人じゃなかった、っていうわけじゃない。芸術家の端くれとして審美眼くらいはあるつもりだけど、造形だけで言うなら彼女は「美人」の範疇に入ると思う。
それでも、なんというか…そう、表情。絶望に覆われているようなそれを見て、僕は悪寒すら感じるんだ。
だけどやっぱり、彼女は言う。「この顔よりも美しく描け」と。
…ああ、描いたさ。鬼気迫るその迫力に気圧されつつも、僕は自分を信じて描き続けた。僕にはそれを描く力があるから。
写真の彼女、現実の彼女、そのどちらよりも少しだけ美しく見えるように。だって僕は芸術家であり、「プロ」なんだから。プロであるなら、依頼された以上は描き切るべきで、完成させるべきなんだ。
そして描き上がったちょうどその日。
僕が何も言わないのに、誰にも告げた覚えはないのに、
「出来たのね」
と言いながら美術室の扉を開けて、彼女が顔を出した。いつも彼女が現れる時刻…夕方の五時半。
卒業式までにはまだ少し余裕がある時期だから日もとっぷりと暮れていて、他の部員の姿もすでにない。
「は、はい…気に入っていただけるかどうか分からないけど」
戸惑いながら僕が言うと、
「…素敵ね。頂いていくわ」
「あ、待って!」
僕の絵を眺めていた彼女は、いきなり横から手を出してそれを小脇に抱え、どこへともなく歩いていく。
彼女の注文通りに描けて、彼女も満足してるようだから僕の役目は終わったんだし放っておけばいいものを、何故かその後を上履きのままで外まで追いかけていた。
不思議なことに、いつもならグラウンドで活動している運動部の生徒達の姿は一人もなくて、遅くまで活動している文化部の連中と一人や二人、すれ違うはずの道にも誰もいない。
つまりその時、僕と彼女の周りには誰もいなかったのだ。ただ、ボクと彼女をつなぐように道があるだけ。
彼女の姿を見失わないように、追いかけて…いつもなら明かりが灯るはずの教室も、その日は暗いまま。
しかも、僕は走っているつもりなのに、早足とは言え歩いてるだけに見える彼女に何故か追い付けない。その異様さに気付くこともなく、僕は彼女の後を追う。
彼女の後姿だけが、ぼうっと浮かび上がったような暗闇の中、僕はいつしか、普通は誰も通ることのない学校の裏の雑木林へと向かう道を歩いていることにようやく気付いた。この道は雑木林の中で途切れてるし私有地だから生徒は入っちゃいけないと、うんざりするくらいに教師らから言われてる。
それでも、高校生くらいだとそういう大人の言葉に反発して敢えて踏み込むのがいてもおかしくなさそうなのに、不思議とそんな話も聞かない、なのに教師はしつこく「入るな」と言ってくる、今から考えれば不可解な場所。
(あ、あれ?)
不意に、彼女の姿がとある木の裏で消えた。きょろきょろ辺りを見回していると、
『ありがとう。これで私も心置きなく』
そこから、声が聞こえてくる。
『貴方だけだったわね。私に気付いてくれたの…』
地を這うような声、とはこのことを言うんじゃないだろうか。そこでようやく我に帰って、僕は肌に粟粒を立てた。
別に気配を隠すどころか声までかけながら追ってたから当然だと思うけど、彼女はボクが後をついてきていることを知っていた。
そして、自分の視界の端に捉えられたものに恐る恐る目を向けて…情けないけどボクは腰を抜かす。
雑木林の奥の奥、ちょっと見たところでは全然分らないところに…木の枝からぶらさがっている、一見するとボロボロの布のようなものが枝に引っかかって垂れさがってるようにも見えるそれは……
(し…死体……!?)
そこで僕の足は、僕の意思に関係なく、すっくとばかりに立った。
ようやく出すことの出来た悲鳴を、恥も外聞もなく上げながら、
(人のいるところへ、とにかく、人のいるところへ…!)
僕は一生懸命走った。もうここにはいたくない。後ろを振り返ったら、彼女に捕まってしまうような、そんなたまらない恐怖感に襲われながら。
それから学校は、大騒ぎになった。彼女の後を追ってた時には誰もいなかったのに、僕が這う這うの体で戻ってくると、「どうした!?」とサッカー部だったか野球部だったかの顧問の教師が驚いたように声を掛けてくる。
「し…死体が、人が死んでます…!」
そんな僕の言葉にまた驚いて、顧問の教師は職員室へとすっとんでいった。
僕も職員室から出てきた教頭や学年主任をはじめとした何人もの教師に連行されるように職員室へ連れていかれて、事情を聞かれた。
だけど、そんなことを聞かれても、僕に何が言えたろう。
ただ発見した時のことを、通報で駆け付けた警察や校長や教頭や学年主任の教師が居並ぶ前で言っただけだ。
「八木さんっていう三年生の女子について行ったら、雑木林の中で…」
でも僕の話を聞いていた学年主任の教師が怪訝そうな顔になる。
「ヤギ…?。今の三年にヤギって名前の生徒はいないはずだが。矢木沢のことか…?」
問い掛けられて僕は、
「違います。名札には、八つの木で八木ってなってました」
そこまで言って、僕は察した。これはややこしい話になるって。だから彼女に絵を描かされてたことも言わなかった。
言ったって信じちゃくれないだろうし。
そして、「八木って名前だと思ってた気になる先輩が、立ち入り禁止になってる道の方に歩いていくから気になって後を追いかけた」っていうだけにしておいたんだ。
なのにそれから判明した事実に、僕はもっと背筋を凍らされた。
僕が見付けてしまった「死体」の名前こそが、「八木」。こうなると当然、僕が見たという三年の女子生徒は実は幽霊だったんじゃないかなんて噂が広まる。でもこのことは、警察以外は校長と教頭と学年主任しか知らないはずなのに、誰が漏らしたんだか。でもそれはどうでもいいか。
そんなことより彼女は、僕よりも10年も先輩だった。友達が出来ないことを苦にして自殺してしまったのだという彼女の「遺体」は、カラスにつつかれたり、虫に食われたりして悲惨な有様だったという。
(一瞬しか見なくて幸いだった)
あの日、警察の人の取調べに応じながら、悪いけど僕はそう思っていた。かなりお腹も減っていたはずなのに、食欲も一気に吹き飛んで、おまけに
(わ、もうこんな時間か)
警察はさすがに未成年の僕をいつまでも留め置けないということで早々に解放してくれたのに、教師たちはそうじゃなかった。もう夜の八時も回ったっていうのに。
クタクタに疲れ果てて、とにかく一旦、荷物を取る為に美術室へ戻らせてもらう許可をもらって戻ってきたら、
(…なんで)
彼女が「その場所」へ持っていったかと思ったのに、あの絵はいつのまにか美術室に戻っている。
僕が描いていたその場所で、イーゼルにかけられて。
それ以上その絵をかけっぱなしにしておくのに忍びず、僕は他の絵と同じように布をかけて、絶対見られないように厳重に紐をかけて…美術控室に保管された他の絵の一番下へしまった。
この絵は、絶対に他の人に見せちゃいけない。
ほとんど本能みたいな感じでそう思った。
(燃やしてしまおうか)
紐でぐるぐる巻きにしている間、何度そう考えたろう。だけど、そのたびに、彼女の声が
『お願い…燃やさないで』
直接頭の中に響いて、そのたびにズキズキ痛むから諦めたんだ。やっと学校の生徒に気付いてもらえた彼女は、このままずっと、彼女の存在を知っておいて欲しいんだって、そう思って。
ようやく僕が、親に迎えに来てもらって家に帰れたのは、夜の十時過ぎだった。
そして翌日、学校は警察やマスコミが押しかけて大変な騒ぎになってた。校門の近くにはテレビカメラが何台も並んでて、雑木林に向かう道にもパトカーが止まってる。
それを横目に見ながら、まるきり眠ることが出来なかったからか痛む頭を振り振り校門をくぐると、やっぱり気になるのはあの絵のこと。
昼休みに美術室へ入って、僕は思わず立ちすくんだ。
「何をやってるんだ!」
「あら、だって」
女子部員の一人が、せっかく僕が「封印」していたその絵を、わざわざ紐を解いて美術室のロッカーの上へ飾っている。
「すぐに戻せ! これはダメだって!」
「だ、だって、こんなに素敵な絵なんだもの。この絵の人だって、こんなに素敵に微笑ってるんだし、そんなに怒らなくたって」
昨夜の遅くから速報が流れ始めたニュースでは、第一発見者が僕だということは、当然、マスコミとしては伏せていた。でも学校内では僕がそうだというのはすっかり広まっていて、そんな僕の絵だっていうのは一目見れば分かるはずなのに勝手なことをしたその女子部員は僕の剣幕に口を尖らせて、
「分ったわよぉ」
と不満そうにしながらも、僕がやっていたように、その絵へ布をかけ、紐を巻き始める。
デリカシーの欠片もない女子部員から、「封印しなおした」その絵をひったくるようにして、元の場所へ戻しながら、その時僕は、とんでもなく不吉な予感に囚われていた。
そしてその予感は、不幸にも的中してしまったんだ。
絵の「封印」を解いた女子部員は、学校からの帰り道、何を思ったのか踏み切りの遮断機をくぐって、線路の中へ入ったらしい。
周りの人が止める間もない、一瞬の出来事だったそうだ。
だからその後、僕は先輩、後輩を問わず部員の人に言い含めている。
「一番下に置いてある、あの絵を見ちゃダメだよ。どんな不幸が襲い掛かっても知らないよ」
…それにも関わらず、毎年、その絵は一度は封印を解かれて美術室に飾られた。
そしてその日は必ず、学校の生徒の誰かが不幸な事故に遭う。
もちろん僕だって何度もその絵を他の場所に移そうとした。嫌だけど家に持ち帰ろうともした。なのにその度に美術控室の鍵が壊れて開けられなくなったり、教師に急用を言いつけられたりして、何故か移動させることもできなかった。
そんな時、僕は必ず、
『ダメよ…せっかく友達を作るチャンスなのに』
と、頭の隅で密かに笑う声を聞く。
僕が「生きていられる」のは、きっと彼女なりの「お礼」なのだろう。いや、むしろ「呪い」なのかもしれないが。
その笑い声を聞くたび、ため息と一緒につくづく思うのだ。
(もう肖像画は二度と描かない)
…美術室に、二度と夜遅くまで残るまい、と。「天才」も、あの世の人からの依頼の前には形無しだから。
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「第6回ホラー・ミステリー小説大賞」奨励賞をいただきました!
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