86 / 187
第二部
第五章 イケおじ師匠とナイショの特訓!!!①『メイドさんたちとのお茶会』
しおりを挟む
第五章『イケおじ師匠とナイショの特訓!!!』
一
(…あぁー、やっぱりリヒターさんの淹れてくれる紅茶は美味しいなぁ~。)
カップを傾けながら、沢崎直は身体に染みわたるような紅茶の味に、本日も満足していた。
時は、昼下がり。
庭にある四阿で、午後のお茶会を楽しんでいる。
目の前には美味しいお菓子。
話を弾ませる相手は、メイドのシンシアとエミリーだ。
新人いびりに遭っていたエミリーを助けた縁で、その後もアフターケアを兼ねて何かと話をしていた沢崎直。そのため、新人のエミリーだけでなく、教育係の先輩メイドのシンシアも含めた三人で話す機会も増え、今ではかなり打ち解けていた。
「アルバート様、美味しいですね、このクッキー。」
「うん、本当に美味しいよね。何枚でも食べられる。」
「……太ったら困ります。」
「大丈夫だよ。食べた分、動けばいいんだから。うんうん。」
目の前に並んだ甘い誘惑に勝てるはずもなく、意味のない言い訳を用意する。摂取したカロリーを後悔するのは、いつだって食べ終わって我に返ってからなのである。
三人の和やかなお茶会はほわわんとした空気感で進んでいく。
三人は主人とメイドという立場を越えて、仲良し茶飲み仲間になっていた。
一応、名目上は記憶を取り戻すための懇親会の一環ではあるが、そう簡単に取り戻せるものではないため、他愛のないお喋りを気兼ねなくする場になっていた。
平たく言えば『女子会』というヤツだ。
(まあ、記憶なんて端から無いんだから、取り戻すなんて無理なんだけど……。)
異世界初心者の沢崎直にとって、異世界情報収集の場であることは間違いない。それならば、あまり構えないくらいの雑談の方が楽しいし、日常的な情報も集まりやすいため、結局仲良しな二人とお茶会でおしゃべりということになるのだった。
女子会といっても、見てくれはイケメンの沢崎直(アルバート様)なのだが、話をして時間を過ごしているうちに、すっかり二人とは女友達のように馴染んでいた。既に、シンシアとエミリーの二人にとっては、アルバートは近寄りがたいイケメンの主人という枠で括られる人物として映ってはいなかった。
中身がモブ女であるため当然と言えば当然だが、沢崎直の独自のスキルと言えなくもない。少なくとも、中身も外見もアルバートであった時は、これほどメイドたちに親しみやすさを感じさせることはなかったはずだ。その上、沢崎直は特別な女ではなく、モブ女である。モブ女は和を尊び、協調性を身に着け空気を読むのが必須技能であるため、難なくメイドたちの話の輪に入っていくことが出来る。
更に、沢崎直はこのシンシアとエミリーという妙にふわっとした天然の空気感を持つ二人組が大好きだった。仕事はそつなくこなすのに、何故か見ていて飽きないとはこのことだというくらい和やかで愛らしい二人の空気感は、沢崎直に癒しをもたらしていた。
沢崎直はどちらかというとしっかりとして人の世話を焼く側のタイプとして生きてきたのだが、この二人は何となく世話を焼きたくなってしまうタイプだ。親友の亜佐美がもしこの場にいたら、シンシア&エミリーのことを二人で酒の肴にしていたかもしれない。
「美味しいですねー。」
「そうだねー。」
午後のまったりとした時間を過ごす沢崎直。
ただ、沢崎直にとってそれは平和な日常のひと時ということではなく、異世界における山積した難題を放り出し、しばし美味しいお茶とお菓子で現実逃避の最中ということに他ならなかった。
(……だって、剣も婚約も無理なんだもーん……。)
無責任に心の中でぼやく沢崎直。
彼女に課せらせた喫緊の難題は大きく二つあった。
一つは先日やってきた次兄・ロバートによって課された剣術の鍛錬である。
どうやら失踪前のアルバートは、そこそこ剣が使える人だったらしい。従者のヴィルやロバート程ではないにしろ、幼い頃から師匠について剣の鍛錬を続けるくらいにはだ。辺境伯の三男坊であるので、領地や国の有事の際は騎士としてその腕を振るう必要もあるのだと思う。
だが、沢崎直には無理だ。
剣など生まれてこの方握ったことなどない。実物を見たのだって異世界に来てからだ。
そんな人間にそう易々と扱えるものではないはずだ。敵を剣で倒すなど以ての外だ。
二つ目は、婚約である。
婚約者は侯爵家の令嬢で聖女の異名を持つマリア嬢。このマリア嬢という人が、実におっかない人で沢崎直は日が経つにつれ、より婚約に恐怖を感じるようになってしまっていた。どれだけ良縁だと言われ、両親がアルバートのことを思って用意してくれたものだとしても、嫌なものは嫌だし、無理なものは無理なのである。仲良く手を取り合っていく将来のビジョンが全く見えてこない。それどころか涙なしには語れない悲劇になる予感しかしていない。
ただでさえ、元・モブ女の沢崎直には男として生きることが未だ難しくてしょうがないのに、どうやって結婚生活を始めて、どうやって続けて行ったらいいのかが見当もつかない。簡潔に述べるなら、股の間にぶら下がっている未だ全く見慣れない器官の作法がお手上げであるということだ。
「はははは。」
全ての難題を棚上げにし、見なかったことにして、沢崎直は美味しいお茶とお菓子に舌鼓を打っていた。
今は二人の仲のいいメイドたちと、そんな時間を過ごしていたかった。
後々、そこは向き合うことにならざるを得ないというのは重々承知ではあったが、それでも今は、この和やかなお茶会のおしゃべりに興じていたかった。
そのくらい、沢崎直のキャパはいっぱいいっぱいであった。
一
(…あぁー、やっぱりリヒターさんの淹れてくれる紅茶は美味しいなぁ~。)
カップを傾けながら、沢崎直は身体に染みわたるような紅茶の味に、本日も満足していた。
時は、昼下がり。
庭にある四阿で、午後のお茶会を楽しんでいる。
目の前には美味しいお菓子。
話を弾ませる相手は、メイドのシンシアとエミリーだ。
新人いびりに遭っていたエミリーを助けた縁で、その後もアフターケアを兼ねて何かと話をしていた沢崎直。そのため、新人のエミリーだけでなく、教育係の先輩メイドのシンシアも含めた三人で話す機会も増え、今ではかなり打ち解けていた。
「アルバート様、美味しいですね、このクッキー。」
「うん、本当に美味しいよね。何枚でも食べられる。」
「……太ったら困ります。」
「大丈夫だよ。食べた分、動けばいいんだから。うんうん。」
目の前に並んだ甘い誘惑に勝てるはずもなく、意味のない言い訳を用意する。摂取したカロリーを後悔するのは、いつだって食べ終わって我に返ってからなのである。
三人の和やかなお茶会はほわわんとした空気感で進んでいく。
三人は主人とメイドという立場を越えて、仲良し茶飲み仲間になっていた。
一応、名目上は記憶を取り戻すための懇親会の一環ではあるが、そう簡単に取り戻せるものではないため、他愛のないお喋りを気兼ねなくする場になっていた。
平たく言えば『女子会』というヤツだ。
(まあ、記憶なんて端から無いんだから、取り戻すなんて無理なんだけど……。)
異世界初心者の沢崎直にとって、異世界情報収集の場であることは間違いない。それならば、あまり構えないくらいの雑談の方が楽しいし、日常的な情報も集まりやすいため、結局仲良しな二人とお茶会でおしゃべりということになるのだった。
女子会といっても、見てくれはイケメンの沢崎直(アルバート様)なのだが、話をして時間を過ごしているうちに、すっかり二人とは女友達のように馴染んでいた。既に、シンシアとエミリーの二人にとっては、アルバートは近寄りがたいイケメンの主人という枠で括られる人物として映ってはいなかった。
中身がモブ女であるため当然と言えば当然だが、沢崎直の独自のスキルと言えなくもない。少なくとも、中身も外見もアルバートであった時は、これほどメイドたちに親しみやすさを感じさせることはなかったはずだ。その上、沢崎直は特別な女ではなく、モブ女である。モブ女は和を尊び、協調性を身に着け空気を読むのが必須技能であるため、難なくメイドたちの話の輪に入っていくことが出来る。
更に、沢崎直はこのシンシアとエミリーという妙にふわっとした天然の空気感を持つ二人組が大好きだった。仕事はそつなくこなすのに、何故か見ていて飽きないとはこのことだというくらい和やかで愛らしい二人の空気感は、沢崎直に癒しをもたらしていた。
沢崎直はどちらかというとしっかりとして人の世話を焼く側のタイプとして生きてきたのだが、この二人は何となく世話を焼きたくなってしまうタイプだ。親友の亜佐美がもしこの場にいたら、シンシア&エミリーのことを二人で酒の肴にしていたかもしれない。
「美味しいですねー。」
「そうだねー。」
午後のまったりとした時間を過ごす沢崎直。
ただ、沢崎直にとってそれは平和な日常のひと時ということではなく、異世界における山積した難題を放り出し、しばし美味しいお茶とお菓子で現実逃避の最中ということに他ならなかった。
(……だって、剣も婚約も無理なんだもーん……。)
無責任に心の中でぼやく沢崎直。
彼女に課せらせた喫緊の難題は大きく二つあった。
一つは先日やってきた次兄・ロバートによって課された剣術の鍛錬である。
どうやら失踪前のアルバートは、そこそこ剣が使える人だったらしい。従者のヴィルやロバート程ではないにしろ、幼い頃から師匠について剣の鍛錬を続けるくらいにはだ。辺境伯の三男坊であるので、領地や国の有事の際は騎士としてその腕を振るう必要もあるのだと思う。
だが、沢崎直には無理だ。
剣など生まれてこの方握ったことなどない。実物を見たのだって異世界に来てからだ。
そんな人間にそう易々と扱えるものではないはずだ。敵を剣で倒すなど以ての外だ。
二つ目は、婚約である。
婚約者は侯爵家の令嬢で聖女の異名を持つマリア嬢。このマリア嬢という人が、実におっかない人で沢崎直は日が経つにつれ、より婚約に恐怖を感じるようになってしまっていた。どれだけ良縁だと言われ、両親がアルバートのことを思って用意してくれたものだとしても、嫌なものは嫌だし、無理なものは無理なのである。仲良く手を取り合っていく将来のビジョンが全く見えてこない。それどころか涙なしには語れない悲劇になる予感しかしていない。
ただでさえ、元・モブ女の沢崎直には男として生きることが未だ難しくてしょうがないのに、どうやって結婚生活を始めて、どうやって続けて行ったらいいのかが見当もつかない。簡潔に述べるなら、股の間にぶら下がっている未だ全く見慣れない器官の作法がお手上げであるということだ。
「はははは。」
全ての難題を棚上げにし、見なかったことにして、沢崎直は美味しいお茶とお菓子に舌鼓を打っていた。
今は二人の仲のいいメイドたちと、そんな時間を過ごしていたかった。
後々、そこは向き合うことにならざるを得ないというのは重々承知ではあったが、それでも今は、この和やかなお茶会のおしゃべりに興じていたかった。
そのくらい、沢崎直のキャパはいっぱいいっぱいであった。
21
お気に入りに追加
118
あなたにおすすめの小説
王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!
gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ?
王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。
国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから!
12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。
【完結】父が再婚。義母には連れ子がいて一つ下の妹になるそうですが……ちょうだい癖のある義妹に寮生活は無理なのでは?
つくも茄子
ファンタジー
父が再婚をしました。お相手は男爵夫人。
平民の我が家でいいのですか?
疑問に思うものの、よくよく聞けば、相手も再婚で、娘が一人いるとのこと。
義妹はそれは美しい少女でした。義母に似たのでしょう。父も実娘をそっちのけで義妹にメロメロです。ですが、この新しい義妹には悪癖があるようで、人の物を欲しがるのです。「お義姉様、ちょうだい!」が口癖。あまりに煩いので快く渡しています。何故かって?もうすぐ、学園での寮生活に入るからです。少しの間だけ我慢すれば済むこと。
学園では煩い家族がいない分、のびのびと過ごせていたのですが、義妹が入学してきました。
必ずしも入学しなければならない、というわけではありません。
勉強嫌いの義妹。
この学園は成績順だということを知らないのでは?思った通り、最下位クラスにいってしまった義妹。
両親に駄々をこねているようです。
私のところにも手紙を送ってくるのですから、相当です。
しかも、寮やクラスで揉め事を起こしては顰蹙を買っています。入学早々に学園中の女子を敵にまわしたのです!やりたい放題の義妹に、とうとう、ある処置を施され・・・。
なろう、カクヨム、にも公開中。
【完結】結婚式前~婚約者の王太子に「最愛の女が別にいるので、お前を愛することはない」と言われました~
黒塔真実
恋愛
挙式が迫るなか婚約者の王太子に「結婚しても俺の最愛の女は別にいる。お前を愛することはない」とはっきり言い切られた公爵令嬢アデル。しかしどんなに婚約者としてないがしろにされても女性としての誇りを傷つけられても彼女は平気だった。なぜなら大切な「心の拠り所」があるから……。しかし、王立学園の卒業ダンスパーティーの夜、アデルはかつてない、世にも酷い仕打ちを受けるのだった―― ※神視点。■なろうにも別タイトルで重複投稿←【ジャンル日間4位】。
「婚約を破棄したい」と私に何度も言うのなら、皆にも知ってもらいましょう
天宮有
恋愛
「お前との婚約を破棄したい」それが伯爵令嬢ルナの婚約者モグルド王子の口癖だ。
侯爵令嬢ヒリスが好きなモグルドは、ルナを蔑み暴言を吐いていた。
その暴言によって、モグルドはルナとの婚約を破棄することとなる。
ヒリスを新しい婚約者にした後にモグルドはルナの力を知るも、全てが遅かった。
もう彼女でいいじゃないですか
キムラましゅろう
恋愛
ある日わたしは婚約者に婚約解消を申し出た。
常にわたし以外の女を腕に絡ませている事に耐えられなくなったからだ。
幼い頃からわたしを溺愛する婚約者は婚約解消を絶対に認めないが、わたしの心は限界だった。
だからわたしは行動する。
わたしから婚約者を自由にするために。
わたしが自由を手にするために。
残酷な表現はありませんが、
性的なワードが幾つが出てきます。
苦手な方は回れ右をお願いします。
小説家になろうさんの方では
ifストーリーを投稿しております。
【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?
みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。
ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる
色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く
強制力がなくなった世界に残されたものは
りりん
ファンタジー
一人の令嬢が処刑によってこの世を去った
令嬢を虐げていた者達、処刑に狂喜乱舞した者達、そして最愛の娘であったはずの令嬢を冷たく切り捨てた家族達
世界の強制力が解けたその瞬間、その世界はどうなるのか
その世界を狂わせたものは
今さら言われても・・・私は趣味に生きてますので
sherry
ファンタジー
ある日森に置き去りにされた少女はひょんな事から自分が前世の記憶を持ち、この世界に生まれ変わったことを思い出す。
早々に今世の家族に見切りをつけた少女は色んな出会いもあり、周りに呆れられながらも成長していく。
なのに・・・今更そんなこと言われても・・・出来ればそのまま放置しといてくれません?私は私で気楽にやってますので。
※魔法と剣の世界です。
※所々ご都合設定かもしれません。初ジャンルなので、暖かく見守っていただけたら幸いです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる