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第一部

第四章 嵐呼ぶブラコンと推しの危機⑲『推しの挨拶』

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      十九

(つ、疲れたぁ………。)
 結局、平行線のまま終了したロバートとの会話は、沢崎直の心を酷く消耗させただけだった。
 まさに骨折り損のくたびれもうけとはこのことだ。
 ロバートとの会話ですり減らした精神は、夜になっても回復せず、沢崎直はベッドに倒れ込むようにしてダイブする。
(もう無理……。もう寝る……。ロバート兄さんの分からず屋……。せめて、話を聞いてほしい……。空気も出来れば読んでほしい……。)
 ロバートに届かなかった要求を、心の中で並べ立てる。
 ロバートは弟を溺愛しており、優しくて頼りになって朗らかで気持ちのいい人ではあるのだが、如何せん人の話を聞かなさすぎる。じっくりと沢崎直の言葉に耳を傾ける様子を見せながら、結局笑って流される。反対されない分、かなり厄介だった。
 枕を抱きしめながらゴロゴロと広いベッドの上を転がっている沢崎直。
 口に出せない気持ちが心の中でぐるぐると駆け回り、そうでもしないとやっていられなかった。
(結婚したくないって言ってんのにぃ……。)
 子供のわがままのように駄々をこねてでも婚約を取り消したい。どう見ても、その姿は立派な成人男性には見えないだろうが、そんなふうに失望されても嫌なものは嫌だった。
(だって、おっかないもん、マリアさん。幸せになれない。アルバート氏も、私も幸せになれない、そんなの。)
 貴族同士の婚姻は完全に大人の事情で、大事な末息子のためにと用意されたものであるのは理解できる。ただ、理解できるからといって受け入れられるかと言われると、それは断じて無理だった。
(家族がみんなロバート兄さんみたいに話聞いてくれないんだったら、婚約が嫌だって聞いてもらえずに家出したのかも……。アルバート氏。……ちょっと、遅めの反抗期とか……、素直そうだし、アルバート氏……。)
 齢十八にして、初めての反抗。今まで素直で愛らしいことが売りの末息子が……。
 考えてみると、さほど驚くことでもなく、さもありなんという感じだ。
 反抗心からの家出が、何らかの事情で一年に及び、今まで反抗などしたことがなく家族を心配させたこともなかったため、大事になってしまったのかもしれない……。
(案外、真相なんてそんなもんだったり?)
 アルバート失踪事件を、沢崎直はそんなふうに簡単に片づけた。
 別人の魂が入った経緯とか、森の中の洞窟で目覚めた理由とか、一年の間の足跡とか、そんな難しいこと所詮沢崎直に分かるはずがないのだ。
 失踪から既に一年は経過しているし、中身は違っても外身は発見されているので、もう良しとしてほしい。
 そして……、
(自由にゆっくりのんびり生きさせてほしい……。)
 沢崎直は、そんなことを切実に願った。

  コンコン

 そんな室内に控えめなノックの音が響く。
 沢崎直の乙女心が敏感に反応して、気分が浮き立つ。
(ヴィルかな?)
「はい、どうぞ。」
 沢崎直は笑顔で起き上がり、お行儀よくベッドに腰掛けた。
「失礼いたします。」
 予想通り、やって来たのは従者のイケメン・ヴィルだった。
「アルバート様。」
 いつも通り美しい笑顔で、一日の終わりにお休みの挨拶をしてくれるヴィル。
 沢崎直はこの時間が大好きだった。
 一日の最後に見るのが推しの笑顔。一日の最後に聞くのが推しの挨拶。
 そして、次の日、一日の初めには推しの笑顔と朝の挨拶。
 色々と思い悩むことの多い異世界生活でも、この朝と夜の時間は沢崎直にとって宝物で、この時間があるから異世界に来たことを感謝できるのだ。
 他愛もない話題で少しお喋りした後、ヴィルは一礼する。
「では、失礼いたします、アルバート様。」
 そして、規則正しい足取りでそのまま部屋を後にする。
 沢崎直にとっては推しには本当は振り返って欲しいのだが、仕事の邪魔をするのも悪いし呼び止めることはできない。ただ、心で少しだけ願うだけだ。もう一度、こちらを見て微笑んでほしいと。欲張りな願いである事は承知しているため、叶わなくても仕方ないと諦めてはいる。
 だが、今夜に限って、ヴィルは扉の前で立ち止まるとそのまま退室するのではなく、踵を返して沢崎直を振り返った。
(うそっ!?ハッピーアクシデント?)
 笑顔を浮かべたヴィルは、もう一度こちらに深々と頭を下げた後、口を開いた。
「本日は素晴らしい一日を過ごさせていただき、ありがとうございました。アルバート様にお仕え出来たこと、全てに感謝せずにはいられません。」
「そ、そんな……。」
 感謝を口にするヴィルに、沢崎直は感極まっていた。
(デートイベント、ヴィルさんも楽しんでくれたんだ……。)
 胸がいっぱいで、沢崎直はヴィルに十分な言葉を返すことも出来なかった。
 ヴィルは今度こそ退室していく。
 沢崎直は胸を尊さで満たして、ベッドに後ろ向きに倒れ込んだ。
 沢崎直の脳内では、先程のヴィルの言葉が駆け巡っていた。

 
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