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第一部

第四章 嵐呼ぶブラコンと推しの危機⑬『ロバート兄さん』

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      十三

(あー、よかった……。ギブアップの意味が通じて……。)
 馬車の中で、沢崎直はほっと一息ついていた。
 二度目の抱擁は沢崎直の必死の訴えですぐに力加減に気づいたロバートにより、意識を奪うような絞め殺すようなものではなかった。
 今ロバートは一緒に別邸に帰るために、沢崎直と同じ馬車の車内の向かい側に腰かけている。
 ちなみに従者のヴィルは御者席に乗っている。
「アル……。」
 馬車が走り出してしばらくしてから、ロバートが口を開く。
 沢崎直は呼ばれ慣れない愛称に緊張した。
「はい、何ですか?」
 車内は兄弟水入らずの状態であるのだが、いかんせん沢崎直はアルバートであってアルバートではない。アルバートとしての記憶のない沢崎直にとっては、さっき会ったばかりの初対面の人と逃げられない空間で会話をしなくてはいけないという、とてもヘヴィな状況であった。
「その……、体調は大丈夫か?」
 顔色を窺うように訪ねてくるロバートに、沢崎直はしっかりと頷く。
「はい。大丈夫です。元気です。」
 先程の抱擁のダメージはもう残っていない。さすがアルバート氏。ロバートよりは華奢だが、それでも丈夫な男性の肉体である。
(……そういえば、マッチョの抱擁って初めてだったかも……。)
 向かいに座る素晴らしく鍛え上げられた肉体をお持ちのロバートの身体付きを観察しながら、沢崎直はそんなことをしみじみと思っていた。沢崎直の数少ない過去の恋人たちは、中肉中背の男たちで、ゴールドなジムに通っているかのような筋骨隆々のタフガイとは間近で触れあったことすらない。
(……筋肉って、固いな。重量あるし……。)
 今更ながら先程のフィジカル的接触の感触を思い出し、沢崎直は目の前の筋肉を見つめていた。
(……ロバート兄さんは、アルバート氏と似てるし、イケメンだよね。)
 命の危機でもあったが、イケメンとの抱擁でもあるという事実はモブ女の心を少しだけ浮かれさせた。
 だが、すぐに気を引き締め直す。
(だ、ダメよ、直。私にはヴィル様という最推しがいるのだから……。浮気になってしまうわ。)
 御者席のヴィルを見やり、心を落ち着ける。
 沢崎直のそんな浮ついた脳内を全く知らないロバートは、何度も逡巡した後、躊躇いがちに尋ねた。
「……アル。今までどこにいたんだ?」
「……分かりません。」
 沢崎直は自分の知る真実を告げたが、ロバートにはどんなふうに響いたのだろう?
 ロバートは口を閉じてしまった。
 車内の空気は重くなっていく。
 難しい顔をして黙り込むロバートに、沢崎直は何と言葉をかけたらいいのかもわからなかった。
(……というか、ロバート兄さんはアルバート氏の記憶喪失を知ってるんだろうか……。)
 帰還したという報を受け取った際に遠方にいて、そのままの勢いでやって来たのだったら記憶喪失であるという説明すら受けてないかもしれない。
(行動力も元気も有り余ってそうだし……。)
 何より来訪を告げる簡潔な手紙と殆どタイムラグのない到着。この速攻の行動力は、取るものもとりあえずという感じで、詳しい状況を把握していない可能性もあった。手紙の文面を思い返しても、記憶喪失の四文字は見当たらない。
 はて、何から説明したらいいのか?それも、誰が説明したらいいのか?
 重さを増した車内の空気の中、沢崎直に正解は分からなかった。
 なので、とりあえず少しでも車内の空気を軽くすることにして話題を選んだ。
「ロバート兄さん。」
 明るい声で呼びかけると、ロバートは顔を上げた。
「今日は街に出かけて、ロバート兄さんのお酒を買ってきました。お口に合うといいのですが……。」
「アルバート……。」
 ロバート兄さんは涙で瞳が滲むほど喜んでくれた。

 
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