69 / 187
第一部
第四章 嵐呼ぶブラコンと推しの危機⑬『ロバート兄さん』
しおりを挟む
十三
(あー、よかった……。ギブアップの意味が通じて……。)
馬車の中で、沢崎直はほっと一息ついていた。
二度目の抱擁は沢崎直の必死の訴えですぐに力加減に気づいたロバートにより、意識を奪うような絞め殺すようなものではなかった。
今ロバートは一緒に別邸に帰るために、沢崎直と同じ馬車の車内の向かい側に腰かけている。
ちなみに従者のヴィルは御者席に乗っている。
「アル……。」
馬車が走り出してしばらくしてから、ロバートが口を開く。
沢崎直は呼ばれ慣れない愛称に緊張した。
「はい、何ですか?」
車内は兄弟水入らずの状態であるのだが、いかんせん沢崎直はアルバートであってアルバートではない。アルバートとしての記憶のない沢崎直にとっては、さっき会ったばかりの初対面の人と逃げられない空間で会話をしなくてはいけないという、とてもヘヴィな状況であった。
「その……、体調は大丈夫か?」
顔色を窺うように訪ねてくるロバートに、沢崎直はしっかりと頷く。
「はい。大丈夫です。元気です。」
先程の抱擁のダメージはもう残っていない。さすがアルバート氏。ロバートよりは華奢だが、それでも丈夫な男性の肉体である。
(……そういえば、マッチョの抱擁って初めてだったかも……。)
向かいに座る素晴らしく鍛え上げられた肉体をお持ちのロバートの身体付きを観察しながら、沢崎直はそんなことをしみじみと思っていた。沢崎直の数少ない過去の恋人たちは、中肉中背の男たちで、ゴールドなジムに通っているかのような筋骨隆々のタフガイとは間近で触れあったことすらない。
(……筋肉って、固いな。重量あるし……。)
今更ながら先程のフィジカル的接触の感触を思い出し、沢崎直は目の前の筋肉を見つめていた。
(……ロバート兄さんは、アルバート氏と似てるし、イケメンだよね。)
命の危機でもあったが、イケメンとの抱擁でもあるという事実はモブ女の心を少しだけ浮かれさせた。
だが、すぐに気を引き締め直す。
(だ、ダメよ、直。私にはヴィル様という最推しがいるのだから……。浮気になってしまうわ。)
御者席のヴィルを見やり、心を落ち着ける。
沢崎直のそんな浮ついた脳内を全く知らないロバートは、何度も逡巡した後、躊躇いがちに尋ねた。
「……アル。今までどこにいたんだ?」
「……分かりません。」
沢崎直は自分の知る真実を告げたが、ロバートにはどんなふうに響いたのだろう?
ロバートは口を閉じてしまった。
車内の空気は重くなっていく。
難しい顔をして黙り込むロバートに、沢崎直は何と言葉をかけたらいいのかもわからなかった。
(……というか、ロバート兄さんはアルバート氏の記憶喪失を知ってるんだろうか……。)
帰還したという報を受け取った際に遠方にいて、そのままの勢いでやって来たのだったら記憶喪失であるという説明すら受けてないかもしれない。
(行動力も元気も有り余ってそうだし……。)
何より来訪を告げる簡潔な手紙と殆どタイムラグのない到着。この速攻の行動力は、取るものもとりあえずという感じで、詳しい状況を把握していない可能性もあった。手紙の文面を思い返しても、記憶喪失の四文字は見当たらない。
はて、何から説明したらいいのか?それも、誰が説明したらいいのか?
重さを増した車内の空気の中、沢崎直に正解は分からなかった。
なので、とりあえず少しでも車内の空気を軽くすることにして話題を選んだ。
「ロバート兄さん。」
明るい声で呼びかけると、ロバートは顔を上げた。
「今日は街に出かけて、ロバート兄さんのお酒を買ってきました。お口に合うといいのですが……。」
「アルバート……。」
ロバート兄さんは涙で瞳が滲むほど喜んでくれた。
(あー、よかった……。ギブアップの意味が通じて……。)
馬車の中で、沢崎直はほっと一息ついていた。
二度目の抱擁は沢崎直の必死の訴えですぐに力加減に気づいたロバートにより、意識を奪うような絞め殺すようなものではなかった。
今ロバートは一緒に別邸に帰るために、沢崎直と同じ馬車の車内の向かい側に腰かけている。
ちなみに従者のヴィルは御者席に乗っている。
「アル……。」
馬車が走り出してしばらくしてから、ロバートが口を開く。
沢崎直は呼ばれ慣れない愛称に緊張した。
「はい、何ですか?」
車内は兄弟水入らずの状態であるのだが、いかんせん沢崎直はアルバートであってアルバートではない。アルバートとしての記憶のない沢崎直にとっては、さっき会ったばかりの初対面の人と逃げられない空間で会話をしなくてはいけないという、とてもヘヴィな状況であった。
「その……、体調は大丈夫か?」
顔色を窺うように訪ねてくるロバートに、沢崎直はしっかりと頷く。
「はい。大丈夫です。元気です。」
先程の抱擁のダメージはもう残っていない。さすがアルバート氏。ロバートよりは華奢だが、それでも丈夫な男性の肉体である。
(……そういえば、マッチョの抱擁って初めてだったかも……。)
向かいに座る素晴らしく鍛え上げられた肉体をお持ちのロバートの身体付きを観察しながら、沢崎直はそんなことをしみじみと思っていた。沢崎直の数少ない過去の恋人たちは、中肉中背の男たちで、ゴールドなジムに通っているかのような筋骨隆々のタフガイとは間近で触れあったことすらない。
(……筋肉って、固いな。重量あるし……。)
今更ながら先程のフィジカル的接触の感触を思い出し、沢崎直は目の前の筋肉を見つめていた。
(……ロバート兄さんは、アルバート氏と似てるし、イケメンだよね。)
命の危機でもあったが、イケメンとの抱擁でもあるという事実はモブ女の心を少しだけ浮かれさせた。
だが、すぐに気を引き締め直す。
(だ、ダメよ、直。私にはヴィル様という最推しがいるのだから……。浮気になってしまうわ。)
御者席のヴィルを見やり、心を落ち着ける。
沢崎直のそんな浮ついた脳内を全く知らないロバートは、何度も逡巡した後、躊躇いがちに尋ねた。
「……アル。今までどこにいたんだ?」
「……分かりません。」
沢崎直は自分の知る真実を告げたが、ロバートにはどんなふうに響いたのだろう?
ロバートは口を閉じてしまった。
車内の空気は重くなっていく。
難しい顔をして黙り込むロバートに、沢崎直は何と言葉をかけたらいいのかもわからなかった。
(……というか、ロバート兄さんはアルバート氏の記憶喪失を知ってるんだろうか……。)
帰還したという報を受け取った際に遠方にいて、そのままの勢いでやって来たのだったら記憶喪失であるという説明すら受けてないかもしれない。
(行動力も元気も有り余ってそうだし……。)
何より来訪を告げる簡潔な手紙と殆どタイムラグのない到着。この速攻の行動力は、取るものもとりあえずという感じで、詳しい状況を把握していない可能性もあった。手紙の文面を思い返しても、記憶喪失の四文字は見当たらない。
はて、何から説明したらいいのか?それも、誰が説明したらいいのか?
重さを増した車内の空気の中、沢崎直に正解は分からなかった。
なので、とりあえず少しでも車内の空気を軽くすることにして話題を選んだ。
「ロバート兄さん。」
明るい声で呼びかけると、ロバートは顔を上げた。
「今日は街に出かけて、ロバート兄さんのお酒を買ってきました。お口に合うといいのですが……。」
「アルバート……。」
ロバート兄さんは涙で瞳が滲むほど喜んでくれた。
16
お気に入りに追加
121
あなたにおすすめの小説
豪華地下室チートで異世界救済!〜僕の地下室がみんなの憩いの場になるまで〜
自来也
ファンタジー
カクヨム、なろうで150万PV達成!
理想の家の完成を目前に異世界に転移してしまったごく普通のサラリーマンの翔(しょう)。転移先で手にしたスキルは、なんと「地下室作成」!? 戦闘スキルでも、魔法の才能でもないただの「地下室作り」
これが翔の望んだ力だった。
スキルが成長するにつれて移動可能、豪華な浴室、ナイトプール、釣り堀、ゴーカート、ゲーセンなどなどあらゆる物の配置が可能に!?
ある時は瀕死の冒険者を助け、ある時は獣人を招待し、翔の理想の地下室はいつのまにか隠れた憩いの場になっていく。
※この作品は小説家になろう、カクヨムにも投稿しております。
底辺おっさん異世界通販生活始めます!〜ついでに傾国を建て直す〜
ぽっちゃりおっさん
ファンタジー
学歴も、才能もない底辺人生を送ってきたアラフォーおっさん。
運悪く暴走車との事故に遭い、命を落とす。
憐れに思った神様から不思議な能力【通販】を授かり、異世界転生を果たす。
異世界で【通販】を用いて衰退した村を建て直す事に成功した僕は、国家の建て直しにも協力していく事になる。
異世界道中ゆめうつつ! 転生したら虚弱令嬢でした。チート能力なしでたのしい健康スローライフ!
マーニー
ファンタジー
※ほのぼの日常系です
病弱で閉鎖的な生活を送る、伯爵令嬢の美少女ニコル(10歳)。対して、亡くなった両親が残した借金地獄から抜け出すため、忙殺状態の限界社会人サラ(22歳)。
ある日、同日同時刻に、体力の限界で息を引き取った2人だったが、なんとサラはニコルの体に転生していたのだった。
「こういうときって、神様のチート能力とかあるんじゃないのぉ?涙」
異世界転生お約束の神様登場も特別スキルもなく、ただただ、不健康でひ弱な美少女に転生してしまったサラ。
「せっかく忙殺の日々から解放されたんだから…楽しむしかない。ぜっっったいにスローライフを満喫する!」
―――異世界と健康への不安が募りつつ
憧れのスローライフ実現のためまずは健康体になることを決意したが、果たしてどうなるのか?
魔法に魔物、お貴族様。
夢と現実の狭間のような日々の中で、
転生者サラが自身の夢を叶えるために
新ニコルとして我が道をつきすすむ!
『目指せ健康体!美味しいご飯と楽しい仲間たちと夢のスローライフを叶えていくお話』
※はじめは健康生活。そのうちお料理したり、旅に出たりもします。日常ほのぼの系です。
※非現実色強めな内容です。
※溺愛親バカと、あたおか要素があるのでご注意です。
前世で八十年。今世で二十年。合わせて百年分の人生経験を基に二週目の人生を頑張ります
京衛武百十
ファンタジー
俺の名前は阿久津安斗仁王(あくつあんとにお)。いわゆるキラキラした名前のおかげで散々苦労もしたが、それでも人並みに幸せな家庭を築こうと仕事に精を出して精を出して精を出して頑張ってまあそんなに経済的に困るようなことはなかったはずだった。なのに、女房も娘も俺のことなんかちっとも敬ってくれなくて、俺が出張中に娘は結婚式を上げるわ、定年を迎えたら離婚を切り出されれるわで、一人寂しく老後を過ごし、2086年4月、俺は施設で職員だけに看取られながら人生を終えた。本当に空しい人生だった。
なのに俺は、気付いたら五歳の子供になっていた。いや、正確に言うと、五歳の時に危うく死に掛けて、その弾みで思い出したんだ。<前世の記憶>ってやつを。
今世の名前も<アントニオ>だったものの、幸い、そこは中世ヨーロッパ風の世界だったこともあって、アントニオという名もそんなに突拍子もないものじゃなかったことで、俺は今度こそ<普通の幸せ>を掴もうと心に決めたんだ。
しかし、二週目の人生も取り敢えず平穏無事に二十歳になるまで過ごせたものの、何の因果か俺の暮らしていた村が戦争に巻き込まれて家族とは離れ離れ。俺は難民として流浪の身に。しかも、俺と同じ難民として戦火を逃れてきた八歳の女の子<リーネ>と行動を共にすることに。
今世では結婚はまだだったものの、一応、前世では結婚もして子供もいたから何とかなるかと思ったら、俺は育児を女房に任せっきりでほとんど何も知らなかったことに愕然とする。
とは言え、前世で八十年。今世で二十年。合わせて百年分の人生経験を基に、何とかしようと思ったのだった。
神に異世界へ転生させられたので……自由に生きていく
霜月 祈叶 (霜月藍)
ファンタジー
小説漫画アニメではお馴染みの神の失敗で死んだ。
だから異世界で自由に生きていこうと決めた鈴村茉莉。
どう足掻いても異世界のせいかテンプレ発生。ゴブリン、オーク……盗賊。
でも目立ちたくない。目指せフリーダムライフ!
異世界転生したらたくさんスキルもらったけど今まで選ばれなかったものだった~魔王討伐は無理な気がする~
宝者来価
ファンタジー
俺は異世界転生者カドマツ。
転生理由は幼い少女を交通事故からかばったこと。
良いとこなしの日々を送っていたが女神様から異世界に転生すると説明された時にはアニメやゲームのような展開を期待したりもした。
例えばモンスターを倒して国を救いヒロインと結ばれるなど。
けれど与えられた【今まで選ばれなかったスキルが使える】 戦闘はおろか日常の役にも立つ気がしない余りものばかり。
同じ転生者でイケメン王子のレイニーに出迎えられ歓迎される。
彼は【スキル:水】を使う最強で理想的な異世界転生者に思えたのだが―――!?
※小説家になろう様にも掲載しています。
せっかく異世界に転生できたんだから、急いで生きる必要なんてないよね?ー明日も俺はスローなライフを謳歌したいー
ジミー凌我
ファンタジー
日夜仕事に追われ続ける日常を毎日毎日繰り返していた。
仕事仕事の毎日、明日も明後日も仕事を積みたくないと生き急いでいた。
そんな俺はいつしか過労で倒れてしまった。
そのまま死んだ俺は、異世界に転生していた。
忙しすぎてうわさでしか聞いたことがないが、これが異世界転生というものなのだろう。
生き急いで死んでしまったんだ。俺はこの世界ではゆっくりと生きていきたいと思った。
ただ、この世界にはモンスターも魔王もいるみたい。
この世界で最初に出会ったクレハという女の子は、細かいことは気にしない自由奔放な可愛らしい子で、俺を助けてくれた。
冒険者としてゆったり生計を立てていこうと思ったら、以外と儲かる仕事だったからこれは楽な人生が始まると思った矢先。
なぜか2日目にして魔王軍の侵略に遭遇し…。
異世界に転生をしてバリアとアイテム生成スキルで幸せに生活をしたい。
みみっく
ファンタジー
女神様の手違いで通勤途中に気を失い、気が付くと見知らぬ場所だった。目の前には知らない少女が居て、彼女が言うには・・・手違いで俺は死んでしまったらしい。手違いなので新たな世界に転生をさせてくれると言うがモンスターが居る世界だと言うので、バリアとアイテム生成スキルと無限収納を付けてもらえる事になった。幸せに暮らすために行動をしてみる・・・
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる