上 下
63 / 187
第一部

第四章 嵐呼ぶブラコンと推しの危機⑦『デートイベント、開始☆』

しおりを挟む
     七

「うわぁー。」
 馬車から街に降り立った沢崎直は、感嘆の声を上げた。
 街に来るのは二度目ではあるが、やはりその光景には目を奪わずにはいられない。ビル群が立ち並ぶ都会に生きていた現代人にとって、中世のヨーロッパを思わせる石畳の街並みは大人気の観光地のようだった。
 前回、街に来た時は異世界転生一日目で自分の素性も全く分からず、一寸先の未来さえ定まらない状態だったため、あまり街並みに心を向ける余裕がなかった。だが、今は観光気分でいられるほどには少しだけ心持ちに余裕が生まれていた。
「アルバート様。」
 沢崎直の傍らに控える従者のヴィルが柔らかな声を掛ける。
 沢崎直は笑顔でヴィルを振り返ると、弾んだ声を上げた。
「早く行きましょう。」
 我ながら浮かれていることは自覚できていたが、それでも沢崎直には浮き立つ心を止めることはできなかった。傍らには素敵な推しがいて、街並みは感嘆するほどの光景である。修行の末に悟りを開いた者なら、どんな時でも心を動かさず平常心を保ち続けられたかもしれないが、沢崎直は所詮俗世に生きたモブ女である。心を動かされないなんてことは、無理に決まっていた。
 小さな子供のように、思わずヴィルの袖を引いてしまい、自分の大胆さに驚いて手を引っ込める。
(……さ、さすがに浮かれすぎたぁぁぁぁぁ。)
 尊き推しの隣を歩くだけでも畏れ多いというのに、推しについ触れてしまうなど許されぬことなのではないか?
 モブ女としての本能が、出しゃばり過ぎた自分を戒める。
「……ご、ごめんなさい。」
 素直に沢崎直が謝ると、ヴィルは首を振った。
「どうか頭をお上げください。そのようにアルバート様が謝罪される必要などありません。」
 ヴィルの優しい響きの言葉に、恐る恐る沢崎直が顔を上げるとヴィルのとっておきの優しい眼差しが沢崎直に向けられていた。
「久しぶりの街歩きですから、存分にお楽しみください。」
(……や、優しすぎぃぃぃ。神ぃぃぃ。)
「足元には十分にお気を付け下さいね。」
 ファン感謝祭のイベントでも、ここまで優しい心配りは掛けてもらえないかもしれない。
 沢崎直は最高級のサービスに心酔し、目をとろんとさせてしまっていた。
「では、参りましょうか、アルバート様。」
 ヴィルの合図で歩き始める二人。
 ふわふわと地面から少し浮いてしまっているのではないかと、沢崎直が感じるほど夢心地の街歩きが始まった。
 異世界初日に立ち寄った騎士団の詰め所がある区画とは別の商業地区を歩いていく一行。
 まずは活気溢れる市場や屋台が立ち並ぶ通りをヴィルは案内してくれた。
 店先からは呼び込みの賑やかな声が響き、通りを行くたくさんの人たちが日々の買い物をするためにすれ違っていく。屋台の数々からは、何とも香ばしく芳しい香りが漂い、見ているだけで楽しくなってしまう。人口の多い街であるため、ちょっとしたお祭り気分だ。
 色とりどりの野菜や果物、肉や魚、それに主食のパンと交易が盛んなことを感じさせる品揃えで、見ているだけでも全く飽きない光景である。
「あれは何ですか?あっちのは?」
 笑顔ではしゃぎながら、初めて見る物を次々指さしてはヴィルへと尋ねる沢崎直。
 ヴィルは嫌な顔一つせず、沢崎直の質問の一つ一つに丁寧に答えてくれた。
「そちらは南方より取り寄せた果物でございます。この街の北には港がありまして、そこから運河でこの街に運ばれてくるのです。」
(……運河で輸送か……。道路をトラックで運んだりはしないもんね……。)
 沢崎直が住んでいた世界の一番一般的な物流網は道路である。もちろん、国や地域によっては運河が主流の場所もあるし、巨大コンテナ船なんかは海を渡り、運河を下ったりする。
(異世界で魔法があると、空間転移とか空を飛んで空輸とかってないのかな?)
 いつか見たファンタジー映画の便利な技術を思い出したが、あまり頓珍漢な質問を続けるのも良くないことかもしれない。いくら記憶喪失とはいえ、限度というものがあるのではないか?
 何でもかんでも質問をするのはまずい気がするが、かといって知らないのもまずい。
 その辺りの塩梅が、まだ沢崎直には分からなかった。
 従者のヴィルは丁寧に主人の質問に答えてくれるが、本当に何でもかんでも質問していたら、何も知らないことで深刻な記憶喪失だと疑われ、余計な心配をかけやしないか……?
 あまりに親切で優秀な従者の振る舞いに甘え続けてはいけないと、沢崎直は心に深く刻み込むことにした。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

貴族に生まれたのに誘拐され1歳で死にかけた

佐藤醤油
ファンタジー
 貴族に生まれ、のんびりと赤ちゃん生活を満喫していたのに、気がついたら世界が変わっていた。  僕は、盗賊に誘拐され魔力を吸われながら生きる日々を過ごす。  魔力枯渇に陥ると死ぬ確率が高いにも関わらず年に1回は魔力枯渇になり死にかけている。  言葉が通じる様になって気がついたが、僕は他の人が持っていないステータスを見る力を持ち、さらに異世界と思われる世界の知識を覗ける力を持っている。  この力を使って、いつか脱出し母親の元へと戻ることを夢見て過ごす。  小さい体でチートな力は使えない中、どうにか生きる知恵を出し生活する。 ------------------------------------------------------------------  お知らせ   「転生者はめぐりあう」 始めました。 ------------------------------------------------------------------ 注意  作者の暇つぶし、気分転換中の自己満足で公開する作品です。  感想は受け付けていません。  誤字脱字、文面等気になる方はお気に入りを削除で対応してください。

魔境に捨てられたけどめげずに生きていきます

ツバキ
ファンタジー
貴族の子供として産まれた主人公、五歳の時の魔力属性検査で魔力属性が無属性だと判明したそれを知った父親は主人公を魔境へ捨ててしまう どんどん更新していきます。 ちょっと、恨み描写などがあるので、R15にしました。

もう彼女でいいじゃないですか

キムラましゅろう
恋愛
ある日わたしは婚約者に婚約解消を申し出た。 常にわたし以外の女を腕に絡ませている事に耐えられなくなったからだ。 幼い頃からわたしを溺愛する婚約者は婚約解消を絶対に認めないが、わたしの心は限界だった。 だからわたしは行動する。 わたしから婚約者を自由にするために。 わたしが自由を手にするために。 残酷な表現はありませんが、 性的なワードが幾つが出てきます。 苦手な方は回れ右をお願いします。 小説家になろうさんの方では ifストーリーを投稿しております。

実家が没落したので、こうなったら落ちるところまで落ちてやります。

黒蜜きな粉
ファンタジー
ある日を境にタニヤの生活は変わってしまった。 実家は爵位を剥奪され、領地を没収された。 父は刑死、それにショックを受けた母は自ら命を絶った。 まだ学生だったタニヤは学費が払えなくなり学校を退学。 そんなタニヤが生活費を稼ぐために始めたのは冒険者だった。 しかし、どこへ行っても元貴族とバレると嫌がらせを受けてしまう。 いい加減にこんな生活はうんざりだと思っていたときに出会ったのは、商人だと名乗る怪しい者たちだった。 騙されていたって構わない。 もう金に困ることなくお腹いっぱい食べられるなら、裏家業だろうがなんでもやってやる。 タニヤは商人の元へ転職することを決意する。

屋台飯! いらない子認定されたので、旅に出たいと思います。

彩世幻夜
ファンタジー
母が死にました。 父が連れてきた継母と異母弟に家を追い出されました。 わー、凄いテンプレ展開ですね! ふふふ、私はこの時を待っていた! いざ行かん、正義の旅へ! え? 魔王? 知りませんよ、私は勇者でも聖女でも賢者でもありませんから。 でも……美味しいは正義、ですよね? 2021/02/19 第一部完結 2021/02/21 第二部連載開始 2021/05/05 第二部完結

異世界の貴族に転生できたのに、2歳で父親が殺されました。

克全
ファンタジー
アルファポリスオンリー:ファンタジー世界の仮想戦記です、試し読みとお気に入り登録お願いします。

転生幼女は幸せを得る。

泡沫 ウィルベル
ファンタジー
私は死んだはずだった。だけど何故か赤ちゃんに!? 今度こそ、幸せになろうと誓ったはずなのに、求められてたのは魔法の素質がある跡取りの男の子だった。私は4歳で家を出され、森に捨てられた!?幸せなんてきっと無いんだ。そんな私に幸せをくれたのは王太子だった−−

王女の中身は元自衛官だったので、継母に追放されたけど思い通りになりません

きぬがやあきら
恋愛
「妻はお妃様一人とお約束されたそうですが、今でもまだ同じことが言えますか?」 「正直なところ、不安を感じている」 久方ぶりに招かれた故郷、セレンティア城の月光満ちる庭園で、アシュレイは信じ難い光景を目撃するーー 激闘の末、王座に就いたアルダシールと結ばれた、元セレンティア王国の王女アシュレイ。 アラウァリア国では、新政権を勝ち取ったアシュレイを国母と崇めてくれる国民も多い。だが、結婚から2年、未だ後継ぎに恵まれないアルダシールに側室を推す声も上がり始める。そんな頃、弟シュナイゼルから結婚式の招待が舞い込んだ。 第2幕、連載開始しました! お気に入り登録してくださった皆様、ありがとうございます! 心より御礼申し上げます。 以下、1章のあらすじです。 アシュレイは前世の記憶を持つ、セレンティア王国の皇女だった。後ろ盾もなく、継母である王妃に体よく追い出されてしまう。 表向きは外交の駒として、アラウァリア王国へ嫁ぐ形だが、国王は御年50歳で既に18人もの妃を持っている。 常に不遇の扱いを受けて、我慢の限界だったアシュレイは、大胆な計画を企てた。 それは輿入れの道中を、自ら雇った盗賊に襲撃させるもの。 サバイバルの知識もあるし、宝飾品を処分して生き抜けば、残りの人生を自由に謳歌できると踏んでいた。 しかし、輿入れ当日アシュレイを攫い出したのは、アラウァリアの第一王子・アルダシール。 盗賊団と共謀し、晴れて自由の身を望んでいたのに、アルダシールはアシュレイを手放してはくれず……。 アシュレイは自由と幸福を手に入れられるのか?

処理中です...