【完結】死神探偵 紅の事件 ~シリアルキラーと探偵遊戯~

夢追子

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最終幕 茶番劇 一

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   第十幕 茶番劇

     一

 夜が明けていた。
 漆黒の闇が、光に浸食され始め、空が白み始める。赤みを帯びた朝日が、赤みを取り払っていく。気の早いセミ達が鳴き始め、小鳥の囀りも聞こえる。
 夏の夜明けは早い。
 だが、そんな夏の夜明けと共に起きる男がいた。
 屋敷内において、朝一番早いのは、無論、機械のような正確さを誇る第一秘書の水島だ。主人は勿論のこと、使用人の誰よりも早く起き、誰よりも勤勉に一日を始める。夏は夜明けとともに目覚め、冬は夜明け前に目覚める。
 目を開けた瞬間から、意識は完全に覚醒しており、伸びや欠伸などを必要とせずに、ベッドから機敏で無駄のない動作で立ち上がる。立ち上がった瞬間に、既に顔にはフレームのない薄いレンズの眼鏡が装着されている。
 いつものように皺一つない制服のスーツを着込み、鏡を見ながらネクタイを結ぶ。
 一筋のほつれもなく髪型をセットし終えて、一日の準備が整った時、不意に扉が叩かれた。

 コンコンコン

 規則正しいノックの音。
 使用人の使う別棟の、最上階の一番奥。水島に宛がわれている部屋は、滅多なことでは他人が寄り付かない場所に配置されている。その上、こんな早朝に、誰かが尋ねてくるなどということはありえない。
 数々の疑念が宿り、一瞬躊躇を見せたが、機械のように冷然とした男は、すぐに無駄のない動作で扉を開いた。
「どなたですか?」
「おはようございます。」
 扉の前では、早朝だというのに乱れた様子のない、隙のない探偵が仰々しく頭を下げていた。
 まるで鏡に映った虚像のように、二人の姿はダブる。冷然とした態度、隙のない物腰、感情のない声音。唯一つ違うのは、探偵の顔に浮かんでいる仮面のような微笑だけだろう。
 突然の訪問に驚いた様子はなく、水島は尋ねる。
「おはようございます、凍神様。どうしました?」
「いえ、貴方はこの家で誰よりもお忙しくしておられるようですから、こんな早朝でないと捉まらないと思いまして。すみません。こんな朝早くから。ですが、少しだけお時間をいただけないでしょうか?」
 あくまでも慇懃な口調、どこまでも低姿勢な物腰。しかし、サファイアの瞳に浮かぶのは威圧だ。有無を言わせぬ迫力だ。
 迫力に圧倒されたわけでもなく、水島は提案を受け入れた。
「どうぞ。」
 訪問者を室内へと招き入れる。
 扉を開けた時には、ヒョウ一人だけの訪問のようにも見えたが、ヒョウの背後には眠そうに目をこすっているリンの姿があった。
「失礼します。」
 水島の部屋は、第一秘書というだけあって、第二秘書の野村の部屋よりも広い造りになっていた。野村の部屋がワンルームマンションのようだったことに比べると、水島の部屋はその二倍以上はあった。その扱いからしても、水島がどれだけこの屋敷で重宝されているかが分かる。しかし、備え付けられた調度品以外の私物が殆ど見当たらず、写真や装飾品などもないところは、客室のようにも見えた。部屋は住んでいる人間の個性を表すが、第二秘書の野村の部屋とは違い、水島の部屋は殺風景でよそよそしかった。
 応接セットといった風情のソファを、ヒョウたちに勧める水島。
 ヒョウとリンがソファに腰を下ろした後で、水島も向かいのソファに腰掛けた。テーブルを挟んで、両者は向かい合う。
「出来れば手短にお願いします。」
 機械のような声音が響き、薄いレンズ越しに鋭い視線がヒョウに投げかけられる。
 ヒョウは堂々と迎え撃つように微笑を浮かべた。
「はい、そのつもりです。」
 しっかりと頷き、ヒョウは懐から一枚の紙を取り出す。
「まず、こちらの方を渡しておきましょう。」
 黒地に白の文字。それは、温室にいた巧にも渡したヒョウ自身の名刺である。水島に差し出すように、テーブルに名刺を置く。
 ヒョウの名刺を受け取り、丹念に表と裏を確認する水島。
「名刺ですか?」
「ええ。」
 軽く頷き、ヒョウは長い足を組む。
「実は、今日にでも事務所の方に戻ろうと思いまして。」
「情報収集にでも行かれるんですか?」
 ヒョウの言葉の真意をつかめずに、水島は瞳の奥の真意を読み取ろうとしていた。
 ヒョウは変わらぬ微笑のまま首を振る。
「いえ。そうではありません。依頼を終えて帰るという意味です。」
 不気味なほど微笑に変化を見せずに、軽い口調のヒョウ。
 煙に巻かれているような、からかわれているような気分で、水島は眉を顰めた。
「依頼を完遂される気がないということですか?」
「いいえ。」
 自信を漲らせてヒョウは首を振る。もったいぶった口調は、目の前の機械のような男を焦らせるつもりのものではなく、ヒョウ特有のものだ。
 視線を鋭くしながらも、水島は落ち着いた声音で尋ねる。
「では、事件解決の目処がついたということですか?」
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