【完結】死神探偵 紅の事件 ~シリアルキラーと探偵遊戯~

夢追子

文字の大きさ
上 下
64 / 82

第八幕 七 「依頼の件ですが、続けても宜しいのですね?」

しおりを挟む
     七

 階段を最上階まで上りきり、廊下を突き当りまで進んでいく。
「先生、どこ行くの?」
 傍らでせかせかと足を進めるリンがヒョウの横顔を見つめている。
 ヒョウは目的地を見つめたまま、悠然とした足取りで進んでいる。
「もうすぐ着きますよ。」
 ヒョウの視線の先には、一つの扉しかない。屋敷の最上階は、それでなくても扉の数が少なく、全部で三つしかなかった。完全なプライベートスペースとして独立した最上階、現在この階にあるのは当主の私室だけ。息子である巧の部屋は、この下の階にあるので、敷地内に溢れる警察関係者の姿すら、この階には見当たらない。
 下界とは隔絶された廊下を、ヒョウは堂々と歩いている。足を踏み入れる許可などは、持ち合わせていないというのに、あまりにも威風堂々と飄々としている。
 扉の前で立ち止まり、澱みのない動作で扉をノックする。
 コンコンコン
「失礼します。」
 ノックの返事も聞かずに、ヒョウは扉に手をかける。躊躇や配慮などはなく、高圧的な支配者への恐怖なども感じていない。
 ただ、自然に流れる動作で、扉は開かれる。
 扉が開き始めると、室内に充満していた音楽が流れ始めた。
 ベースの重低音に、サックスの哀切な泣き声、ピアノの激しいメロディーライン。それらに深みを与えるように重なっているのは、女性のハスキーボイスだ。
 室内を圧倒するように流れるジャズミュージック。権威主義の当主・孝造のイメージとはかけ離れた選曲だ。
 センスのよい曲調に感心しつつ、ヒョウは室内を軽やかな足取りで進んでいく。
 ヒョウの入室を咎める者はいない。
 室内の奥に鎮座するマホガニーの机。静かに音楽に聞き入っている孝造は、机の上に組んだ両手越しに、室内の訪問者に視線を向けた。
「何か用か?」
 会話を侵害しない音楽。孝造の声音は、迫力に欠けていた。
 ヒョウは何事もないかのように、机の一歩手前で立ち止まる。
「いえ、大した用ではありません。」
 しれっとした調子で答えて、椅子に座っている孝造を見下ろす。
 孝造は、ヒョウを見上げながら鼻を鳴らした。
「だったら帰ってくれんか。」
 素っ気ない呟き。常に命令口調の支配者の雰囲気は、今の孝造には感じられない。威圧的だった視線も、効力をなくしたように弱々しく、丸められた背は哀愁に満ちている。音楽の充満する室内に一人で座っている孝造は、息子を亡くして悲嘆に暮れる普通の父親のようだ。
 孝造の呟きを聞き流して、ヒョウは微笑を孝造の背後のレコードプレーヤーに向けた。
「よい曲ですね。貴方がジャズをお聞きになるとは思っていませんでしたよ。」
 レコードプレーヤーの乗っている棚には、ぴっしりとレコードのコレクションが詰められている。
 ヒョウから視線を逸らすと、孝造はため息をついた。
「ジャズは死んだ妻の趣味だ。儂は、殆どクラシックしか聞かん。」
「家族の思い出の曲というわけですか。」
 淡々としたヒョウの言葉に、孝造は肯定も否定も返さなかった。
 室内に響く曲が、そろそろクライマックスを迎える。それぞれの楽器が、それぞれの旋律で、それぞれの感情の盛り上がりを表現する。哀願するような旋律は、重みと深みを増して、どんどん大きくなる。
 ヒョウは口を閉じた。
 室内の沈黙すら巻き込んで、レコードは回る。
 孝造もヒョウも視線を合わせない。リンは、ヒョウの傍らに立ったまま人形のように動かない。
 やがて、レコードは役目を終えた。針が上がり、回転が止まる。
 そこで、ようやくヒョウが口を開いた。
「孝造サン。依頼の件ですが、続けても宜しいのですね?」
 あくまでも淡々と、確認事項のように尋ねるヒョウ。
 孝造は、ヒョウを見上げて、迫力に欠けた視線で睨んだ。
「当たり前だ。誰が中止しろと言った。」
「そうですか、分かりました。」
 微笑で納得し、頷くヒョウ。
 孝造は視線を落とした。
「儂にはもう失うものなどない。今更、中止してどうする?」
 精一杯強がってはいるが、語尾が震えた。
 ヒョウは孝造を見下ろしたまま、微笑を消した。
「巧サンは、そう思ってらっしゃらなかったようですが、貴方と巧サンは似ていますね。」
 何気ない口調でヒョウは呟く。
 孝造は、はっとして顔を上げた。
「からかっているのか?」
 自嘲しているような表情を浮かべる孝造。
 ヒョウは首を振った。
「いえ、個人的な感想ですので、お気になさらずに。」
 涼しげな顔で話を結ぶと、ヒョウは踵を返した。
「では、そろそろ失礼します。」
 軽く横顔で一礼して、退室の挨拶を一方的にするヒョウ。
「リン、行きますよ。」
 リンの鈴も音楽の消失した室内に肯定を響かせる。
 孝造は二人の背中に制止の声を掛けることはなく、もう一度音楽に浸るために椅子に深く背を預けた。
 扉の前で、ふとヒョウが立ち止まる。
「そういえば、頭痛の方はよろしいのですか?」
 振り返ったヒョウの顔には微笑が浮かんでいる。
 孝造は、顔だけを扉の前のヒョウに向けた。
「遺体と対面なさった時に、頭痛に苦しんでいらしたようですが。」
「たいしたことはない。」
 鼻を鳴らして吐き捨てる孝造。
 ヒョウは仰々しく一礼した。
「失礼しました。しかし、念のために医者を呼んだ方が宜しいかと思います。」
 微笑を残して、ヒョウは扉へと手を掛ける。
 室内では、ヒョウの忠告を聞き流して、孝造がレコードに針を落とした。
 ジャズミュージックが、再び室内を支配する。
 物悲しい旋律の奔流に、孝造は溺れていた。ただ深く、ただ重く。

  事件を契機付けるように、息子が自殺を図る。
   全ては繋がっていく。一点に向かい収斂していく。
    殺人鬼は影を潜め、代わりに台頭するのは誰か?
     水面に投げ入れられた小石のような息子の自殺。
      事件は波紋のように広がりを見せる。
       秘密が闇から引き摺り出されようとしている。
        ライトの中で、影が形作られる。
         収束へ、終結へ、
          誰も知らない、
           知りえないラストへ向かい、 
            舞台は盛り上がりを見せる。
             悲劇。
              それだけが、
               全てを物語る鍵となる。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

とある令嬢の断罪劇

古堂 素央
ファンタジー
本当に裁かれるべきだったのは誰? 時を超え、役どころを変え、それぞれの因果は巡りゆく。 とある令嬢の断罪にまつわる、嘘と真実の物語。

オレは視えてるだけですが⁉~訳ありバーテンダーは霊感パティシエを飼い慣らしたい

凍星
キャラ文芸
幽霊が視えてしまうパティシエ、葉室尊。できるだけ周りに迷惑をかけずに静かに生きていきたい……そんな風に思っていたのに⁉ バーテンダーの霊能者、久我蒼真に出逢ったことで、どういう訳か、霊能力のある人達に色々絡まれる日常に突入⁉「オレは視えてるだけだって言ってるのに、なんでこうなるの??」霊感のある主人公と、彼の秘密を暴きたい男の駆け引きと絆を描きます。BL要素あり。

夜勤の白井さんは妖狐です 〜夜のネットカフェにはあやかしが集結〜

瀬崎由美
キャラ文芸
鮎川千咲は短大卒業後も就職が決まらず、学生時代から勤務していたインターネットカフェ『INARI』でアルバイト中。ずっと日勤だった千咲へ、ある日店長から社員登用を条件に夜勤への移動を言い渡される。夜勤には正社員でイケメンの白井がいるが、彼は顔を合わす度に千咲のことを睨みつけてくるから苦手だった。初めての夜勤、自分のことを怖がって涙ぐんでしまった千咲に、白井は誤解を解くために自分の正体を明かし、人外に憑かれやすい千咲へ稲荷神の護符を手渡す。その護符の力で人ならざるモノが視えるようになってしまった千咲。そして、夜な夜な人外と、ちょっと訳ありな人間が訪れてくるネットカフェのお話です。   ★第7回キャラ文芸大賞で奨励賞をいただきました。

皇太后(おかあ)様におまかせ!〜皇帝陛下の純愛探し〜

菰野るり
キャラ文芸
皇帝陛下はお年頃。 まわりは縁談を持ってくるが、どんな美人にもなびかない。 なんでも、3年前に一度だけ出逢った忘れられない女性がいるのだとか。手がかりはなし。そんな中、皇太后は自ら街に出て息子の嫁探しをすることに! この物語の皇太后の名は雲泪(ユンレイ)、皇帝の名は堯舜(ヤオシュン)です。つまり【後宮物語〜身代わり宮女は皇帝陛下に溺愛されます⁉︎〜】の続編です。しかし、こちらから読んでも楽しめます‼︎どちらから読んでも違う感覚で楽しめる⁉︎こちらはポジティブなラブコメです。

狼神様と生贄の唄巫女 虐げられた盲目の少女は、獣の神に愛される

茶柱まちこ
キャラ文芸
 雪深い農村で育った少女・すずは、赤子のころにかけられた呪いによって盲目となり、姉や村人たちに虐いたげられる日々を送っていた。  ある日、すずは村人たちに騙されて生贄にされ、雪山の神社に閉じ込められてしまう。失意の中、絶命寸前の彼女を救ったのは、狼と人間を掛け合わせたような姿の男──村人たちが崇める守護神・大神だった。  呪いを解く代わりに大神のもとで働くことになったすずは、大神やあやかしたちの優しさに触れ、幸せを知っていく──。  神様と盲目少女が紡ぐ、和風恋愛幻想譚。 (旧題:『大神様のお気に入り』)

里帰りした猫又は錬金術師の弟子になる。

音喜多子平
キャラ文芸
【第六回キャラ文芸大賞 奨励賞】 人の世とは異なる妖怪の世界で生まれた猫又・鍋島環は、幼い頃に家庭の事情で人間の世界へと送られてきていた。 それから十余年。心優しい主人に拾われ、平穏無事な飼い猫ライフを送っていた環であったが突然、本家がある異世界「天獄屋(てんごくや)」に呼び戻されることになる。 主人との別れを惜しみつつ、環はしぶしぶ実家へと里帰りをする...しかし、待ち受けていたのは今までの暮らしが極楽に思えるほどの怒涛の日々であった。 本家の勝手な指図に翻弄されるまま、まともな記憶さえたどたどしい異世界で丁稚奉公をさせられる羽目に…その上ひょんなことから錬金術師に拾われ、錬金術の手習いまですることになってしまう。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

月夜のさや

蓮恭
ミステリー
 いじめられっ子で喘息持ちの妹の療養の為、父の実家がある田舎へと引っ越した主人公「天野桐人(あまのきりと)」。  夏休み前に引っ越してきた桐人は、ある夜父親と喧嘩をして家出をする。向かう先は近くにある祖母の家。  近道をしようと林の中を通った際に転んでしまった桐人を助けてくれたのは、髪の長い綺麗な顔をした女の子だった。  夏休み中、何度もその女の子に会う為に夜になると林を見張る桐人は、一度だけ女の子と話す機会が持てたのだった。話してみればお互いが孤独な子どもなのだと分かり、親近感を持った桐人は女の子に名前を尋ねた。  彼女の名前は「さや」。  夏休み明けに早速転校生として村の学校で紹介された桐人。さやをクラスで見つけて話しかけるが、桐人に対してまるで初対面のように接する。     さやには『さや』と『紗陽』二つの人格があるのだと気づく桐人。日によって性格も、桐人に対する態度も全く変わるのだった。  その後に起こる事件と、村のおかしな神事……。  さやと紗陽、二人の秘密とは……? ※ こちらは【イヤミス】ジャンルの要素があります。どんでん返し好きな方へ。 「小説家になろう」にも掲載中。  

処理中です...