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第八幕 六 「そろそろ闇から引き摺り出してしまう者が現れる頃でしょう」

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      六

「ええ、そうでしょうね。彼に自覚はないでしょうが。私は、常々思っています。事件というのは、起きてしまえば悲劇なんですよ。全てが、誰かにとって悲劇です。そこに救いなどあるわけがない。無理矢理言い包めて、キレイ事でオブラートのように包んで、無駄な解釈を加えなければ。私と名探偵殿との決定的な違いは、そこにあります。」
 薄ら寒い風が背筋を撫でていく。凍りつくようなヒョウの双眸の輝き。視線を合わせると底なしの闇の淵を覗いているようだった。
 竹川の人懐っこい笑顔も、温度を奪われて凍り付いていく。
「名探偵というのは、事件を解決する能力を有した上で、数々の事件に巻き込まれるという才能を持っていなくてはいけません。チャンスを生かすだけでなく、チャンスを呼び寄せる能力を持っていないといけないということです。しかし、チャンスを呼び寄せるというのは、すなわち事件を起こさせるということです。それは、ヒーローではなく、最早人災です。災厄です。人当たりのいい性格と口当たりのいい真実や救いを用意できないのならば、それはあまりにも顕著に結果として表れます。私と霧崎サンの違いは、私と霧崎サンを隔てるのは、この決定的で致命的な違いです。警部は、それを分かっています。ですが、霧崎サン本人は、ご自分と私を探偵という一括りで見てしまおうとなさっている。」
 そこでヒョウの顔に、とっておきの華やかな笑みが浮かぶ。瞳には狂気の彩を添えて。
「勘違いも甚だしい。」
 それは圧倒的な拒絶。何人をも寄せ付けない氷の壁。関係性の否定。
 側に立っている無関係の竹川にも、肌をじりじりと焼くような冷気が漂ってくるようだった。
 そんなヒョウの傍らに、平然と立つリン。冷気も拒絶も、一切受け付けずに、澄んで透き通った表情で、ただ立っている。唯一、許されているように。唯一つの例外のように。
「失礼しました。貴方の話でしたね。話が逸れてしまったようです。」
 唐突に冷気が消失する。顔に浮かぶのは、何の変哲もない微笑。
 温度のない仮面のような無機質な微笑が、竹川に安堵を齎していた。
「あっ、はい。事件のこと、聞きたいと思ってたんです。」
 すぐに話題を変更して、先程までの話題を封印する。思い通りにならない会話に焦っているようでもある。
 ヒョウは微笑のまま、腕を組んだ。視線を竹川から、窓の外の風景に移す。慌ただしく動いている警察関係者の様子が、窓からは俯瞰できた。
「あの事件は、シリアルキラーの一連の犯行だとは思っていません。そう確信するには、いくつかの理由がありますが、貴方に答えるわけにはいきません。職務上の秘密ですので、あしからず。」
「死の押し売り師の犯行ではないと確信してるんですね?」
 ヒョウの横顔に勢い込んで尋ねる竹川。自分の意見に賛同するヒョウに対して好意を感じているようだ。
 ヒョウはそのままで頷く。
「はい。そして、今回の秘書殺人事件には、今朝の巧サンの自殺も浅からぬ関係があると思います。あまりにタイミングが合い過ぎています。一ヶ月を経て、藪を突付いたことにより蛇が出てきたようにも見えますね。」
 他人事のように、あまりに素っ気なく淡々とした口調のヒョウ。
 竹川は結論を迫るように、ヒョウの整いすぎた横顔をじっと見つめた。
「巧さんが犯人だと?そう思っているんですか?」
「貴方はどうですか?」
 そこでヒョウが微笑を竹川に向けた。
 竹川は視線を逸らすことが出来ずに固まっていた。
「巧サンの自殺の原因が分かれば、全てははっきりするでしょう。今は、まだ闇に葬られているようですが、そろそろ闇から引き摺り出してしまう者が現れる頃でしょう。」
 微笑で話を結ぶヒョウ。
「さあ、そろそろ行きましょうか?リン。」
 竹川のペースに構わずに、唐突に会話の終了を告げると、ヒョウは廊下を歩き出した。
 リンの首の鈴は肯定を響かせて、リンの足音も廊下に響く。
 竹川は足を止めたまま、二人の背中を追うことはしなかった。
 遠ざかっていく足音と鈴の音。
 廊下には、一人、竹川だけが取り残されていた。
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