【完結】死神探偵 紅の事件 ~シリアルキラーと探偵遊戯~

夢追子

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第八幕 四 「これでは、依頼は中止になるのでしょうか?」

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     四

 やがて誰もがため息を混じらせ始めたところで、プロファイラー・竹川が顔を上げた。
「あのー、もしかして、今回の事件と何か関係でもあるんじゃないですか?あまりにタイミングが良すぎる気がするんですが。」
 全員の顔色を窺うように、おずおずとした声音で竹川が質問を発する。
「確かに、そう考えるのが妥当だろうな。」
 深いため息をつきながら同意する霧崎。気が進まなそうな表情で、重々しい声で続ける。
「事件と何かしらの関わりがあり、俺達が調べ始めたことで、彼が自殺するようなきっかけを作ってしまったのかもしれないな。」
 明言を避けるように言葉を濁す。名探偵・霧崎の肩には重いモノでも乗っているようで、いつもの快活さと漲る自信は消え失せてしまっていた。頭を抱える迷いに満ちた男。ソファに腰を下ろしている男を形容するのは、そんな言葉だ。
 死者を悼みながらも、死者に対する疑惑は深まっていく。明確な理由の分からない自殺は、事件に新しい解釈を与えるタイミングとしては抜群だった。
 室内に集まっている者たちにも、共通の理解として疑惑は広まっていく。殆ど、確信とでもいわんばかりに、仮説は真実味を帯びていく。誰一人明言しないが、沈黙が説得力を持ち始めていた。
「違うわ!」
 響いたのは絶叫。
 室内に漂う空気を払拭しようと、共通意識に反対しようと、涙の混じった絶叫は響いた。
「巧様は、彼は、そんなことしない!出来ないのよ!」
 絶叫の勢いで立ち上がり、倒れてしまいそうな足を地面に懸命に貼り付ける。杏子は、虚空に向かって、立ち向かうように顔を上げた。
「彼が自殺したのは、そんなことじゃない!彼は、そんな人じゃない!彼は、人なんて殺せないのよ!」
 おとなしい杏子。ショックを受けて今にも倒れそうだった杏子。顔が蒼白になり、ふらふらとしていた杏子。
 だが、今、杏子は室内の人間全てを圧倒するような剣幕で、死者の名誉を守ろうとしていた。死者、そのものを守るように、昨夜温室の入り口に立ちはだかった時よりも、さらに凛々しく雄々しく、杏子は声を上げる。
「そんな、何か根拠でもあるのか?」
 気圧されながら霧崎が尋ねる。
 杏子は、キッと名探偵を睨み付けた。華奢で清楚なお仕着せの少女は、名探偵を黙らせるほどの視線を持っていた。必死になった人間の底力というものは、こんなにも恐ろしく侮りがたい。
「あるわよ。巧様は、血が苦手だったの。見るだけで気分を悪くされたの。温室のバラの棘だって、全部取り去ってたんだから!」
 剥き出しにした敵意は、向けるところのなかった悲しみや怒りをも取り込んで、増幅していく。涙をとめどなく流しながら、杏子は喚き散らす。客に接する態度などと言った配慮は理性ごと、杏子の頭から取り去られていた。
「そんな人が、どうやって野村さんの首に傷をつけられるのよ!いい加減にして!」
 ヒステリックな叫び声。押し殺してきた感情の発露は、杏子自身にももうコントロール出来そうにない。
 室内の空気は張り詰め、感情を向けられた霧崎には言葉を返すことさえ許されていなかった。
「巧様は事件に関係ないの!巧様のお心を痛めていたのは、」
「いい加減にしなさい!」
 だが、杏子の叫びは、唐突に遮られた。
 杏子の叫びに割り込むように、温度のない声は室内に響く。機械の電子音による命令のように、杏子の声に阻まれることなく響く。共感や同情などの人間的な温かみがなく、怒りや悲しみといった感情のカケラすらない。
「もういいでしょう?客人の方々に対して失礼です。下がりなさい。」
 反論すら許さない冷たい響き。
 涙は止まり、うな垂れた杏子は、そのまま何も言わずに広間を出て行った。
「失礼致しました。」
 角度すら正確に、秘書の水島が一同に頭を下げる。どんな時でも冷徹なほど職務に忠実なこの男は、ふらふらと去っていく杏子の背中にも同情どころか興味すら示さなかった。
 杏子がいなくなっても、室内には重苦しい空気が流れたままだ。
 自然に、それぞれの口は重くなり、開くことはなくなる。
 居心地の悪い沈黙。
 率先して沈黙を破れるような話題を持ったものはなかなか現れず、拷問のように沈黙は続いていた。
「そういえば、水島サン。」
 だが、沈黙は容易く破られる。飄々として温度のない透明な声音は、重苦しい空気とは不釣合いな場所から発せられているように響いた。
「何でしょうか?凍神様。」
「いえ、今回の依頼の件はどうなるのかということを聞き忘れていたのですが。これでは、依頼は中止になるのでしょうか?」
 どこまでも泰然と、どこまでも冷然と、酷薄な微笑は浮かべられる。
 ヒョウの質問に、考える時間を要することもなく、機械的に水島は答えた。
「そのような指示は受けておりません。」
「そうですか。」
 感慨もなく頷くと、ヒョウは踵を返す。
「では、そろそろ失礼します。行きますよ、リン。」
 鈴の音は肯定を響かせ、二人は歩き始める。
 いつもと変わらぬ二人の歩調は、室内の重苦しい空気などに影響されない。奇妙な自殺現場も、死者への思いも、二人の軽い足取りの前に立ちはだかることは出来なかった。
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