上 下
52 / 82

第七幕 五 「お前ら、詰まらんことをぬかすな!」

しおりを挟む
     五

「奇妙な点?」
 琉衣が興味を引かれたように、竹川の方に身を乗り出す。
 霧崎もその瞳を知性の光で輝かせた。
「まず、一つは凶器が使われている点です。皆さんもご存知のように、死の押し売り師の犯行は今まで素手による絞殺という共通点がありました。しかし、今回はひも状のものを使っての絞殺です。死の押し売り師に何らかの心境の変化が起きたのか?それとも。」
「別人、例えばコピーキャットの存在か?」
 言葉を曖昧に止めた竹川の代わりに、霧崎が先を続ける。
 竹川が頷く。
 琉衣は驚きの表情で、二人を交互に見つめた。
「それに、もう一つ気になることがあります。それは、ここ最近、死の押し売り師の犯行がぷっつりと途絶えていたことなんです。十三件目の犯行以降、死の押し売り師の凶行が突然途切れます。それ以降、死の押し売り師の事件は今回の秘書殺人事件以外にはありません。もしも、死の押し売り師自身に何かが起きて、自分の凶行の手順を変化させたのでもない限り、これは。少し気になりませんか?」
「そうだな。もしかしたらということも十分にありうるな。」
 竹川の言葉に同意して、深く頷く霧崎。名探偵と女探偵、それにプロファイラーまでもが警察の判断に異を唱え始める。
 そうなっては警部としては反論をしなくてはならないだろう。警察代表として、まず場に流れるムードを一変させようとして、息を吸い込んだ。
「何を言っている!」
 若い刑事などに効果抜群の警部の一喝。鬼警部として、叩き上げの刑事として、犯人にも新米にも平等に落とす雷。それは、名探偵相手でも変わらない。何せ、名探偵といえど霧崎は十以上も年の離れた若造なのだから、先達としては導くという役目がある。
「お前ら、詰まらんことをぬかすな!」
 室内に響き渡る怒声は、場の支配権を警部に明け渡す。
 警部は、驚きで固まった室内で、わざと冷静な声を響かせた。
「我々が死の押し売り師の犯行として今回の事件を判断したのには、いくつもの理由がある。それは君達も分かっているのだろう?」
 全員の顔に、威圧と温情を乗せた視線をふりまく警部。もちろん、全員の中にヒョウは入っていない。雷と冷静さによる説得、それは警部の持つ対犯人用のテクニックのひとつだった。
 その上、警部は対若人用の物分りの良さまで発揮する。
「君達が事件のほんの小さな可能性までをも考慮したいのは分かる。分かるが、これ以上事件を引っ掻き回すことに何の意味がある?我々が今、一番やらなくてはならないのは、死の押し売り師の逮捕ではないのかね?霧崎君、そっちの情報はどうなってる?」
「あっ、いえ。そっちの情報は、一日ではとても無理です。」
 勢いを削がれ、その上、先達の意見に気圧され説得された霧崎は、神妙な口調で警部に答えた。
「琉衣君は?」
 警部の問いかけに、琉衣は口を閉じて首を振った。
 いつの間にか、名探偵ではなく、鬼警部が作戦会議を仕切っている。人生経験というスキルの違いだろう。年輪を重ねた圧力は、若造では太刀打ちできないものもある。
 室内の雰囲気が神妙になり、自分の意見が素直に聞き入れられたことで、警部は満足していた。人生の先達として、若者が道を誤りそうになったら、やはり導いてやらねばならないし、それが出来たという自分にも満足していた。
 だが、警部の満足も長くは続かない。
「少し宜しいですか?」
 警部の説得の外から、涼しい声音が響き渡ったからだ。
 誰かに許可を得ようとしたというよりは、有無を言わせぬ声音。飄々として実体のないような男には、年輪を重ねた圧力も対犯人用の技術も意味をなさなかったようだ。
「シリアルキラーの話もいいですが、警察がそう断定した根拠を聞かせていただきたいのですが。資料には載っておりませんから。」
 ソファに座っているリンの傍に立ち、警部に微笑を向けるヒョウ。
 警部は、嫌悪感を丸出しにして黙り込んだ。
しおりを挟む

処理中です...