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第六幕 二 「本日は、個人的にお伺いしたいことがありまして」
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二
コンコンコン
礼儀正しいノックが、温室に響く。
それは、昨日と同じ音色だった。
バラの花々の中から、温室の主・巧が顔を出す。
「どうも。」
大仰に頭を下げる訪問者の顔を確認した途端、巧の顔は明るく輝いた。
「あっ、凍神さん。来てくださったんですね。どうぞ、お入り下さい。」
主の出迎えの待遇は、ヒョウを正式な招待者としてみなした手厚いものだった。
「有難うございます。」
主に向けて微笑を返し、ヒョウは温室に足を踏み入れる。
温室は昨日と変わらぬ大輪の花を咲かせ続けており、閑散として屋敷内に比べると楽園のようだった。
「まさか、また来て下さるとは思ってなかったから、すごく嬉しいです。」
はしゃいだ様子で、口数の多い巧。ヒョウの訪問を心から喜んでいるようだ。
巧に連れられて温室の奥へと進むヒョウ。温室の中には巧しか居らず、巧の話し相手は花を除けばヒョウだけだった。
「何故ですか?」
ヒョウの質問に、巧はどこか他人の機嫌を伺うかのような視線でヒョウの顔を見た。
「あっ、いえ、あの、昨夜、凍神さん、怒ってらしたようだから。僕が、何かお気に触るようなことを言ったのかな、とか思ったので。僕、あまり自分に自信がなくて、人のことを怒らせることがあるみたいなんです。あの、父さんも、いつも。」
言葉に詰まりながら、巧はヒョウの顔色の変化を感じ取ろうとしていた。
しかし、ヒョウの微笑には何の変化もない。
「それは誤解ですよ。昨夜のことで何か気に掛かることでもあったのならば、私の方こそ謝罪せねばなりますまい。私の連れが、眠そうにしておりましたので、急いでいたんですよ。すみませんでした。」
ヒョウが巧に頭を下げる。
巧は頭を下げたヒョウに慌てて首を振って見せた。
「あっ、そんな頭なんて下げないで下さい。誤解だったら、全然いいんです!あっ、あの、本当に。」
すぐに話題を変えようと、巧は慌てて話題を探す。
「あっ、あの、今日はどうしてこちらに?事件のこととかですか?」
「いえ、そうではありませんよ。」
微笑に捉えられ、巧は姿勢を正す。
慌てていたことすら忘れ、巧は質問の代わりにヒョウの微笑に視線を返した。
「本日は、個人的にお伺いしたいことがありまして。」
「個人的?」
聞きなれない響きに、巧が首を傾げる。
「ええ。温室の設備のことです。」
そこで巧の顔に嬉しそうな笑顔が浮かんだ。
「喜んで。」
勢いよく頷く巧。
温室の作業スペースにヒョウを通し、巧は椅子を勧めた。
「どうぞ、凍神さん。」
「有難うございます。」
勧められたままに椅子に座り、二人の雑談が始まる。
「私もバラを育てていることは先日お話しましたが、こちらの温室を拝見させていただいて色々と勉強になりましたので、他にも色々とお話を聞きたかったんですよ。」
「確か、お庭で育ててるんですよね?」
「ええ、こちらの広大な庭と比べれば、あまりに小さなもので申し訳ないのですが。」
「いえ。そんな。」
謙遜と敬語。だが、話に華は開いている。
「こちらのスプリンクラーのことなんですが、どういったものなのですか?」
「ああ、あれは、先日もお話したとおり、タイマーで水が出るようになっているんです。ホースに繋ぐものとか、蛇口にそのまま繋ぐものとか、簡単なものが幾つもありますよ。」
雨のように温室に降り注いだ水。先日の光景を思い出して、ヒョウは巧の話を聞いている。
「私の場合、バラの栽培は独学なものですから、お恥ずかしいほどの稚拙な知識しかないので。水遣りはいつも如雨露でしたが、あのスプリンクラーを見て興味を覚えました。簡単に設置できるとは。」
「よかったら、パンフレットがありますよ。後で持って行きましょうか?」
「それは、助かります。」
「この温室は、夕食時と朝の二回水遣りをすることにしています。空調設備も照明設備も整っていて、いつ来ても快適なんですよ。ここは四季咲きの花を集めているので、外とは違い季節がないんです。」
嬉しそうに語る巧。温室談義は尽きなそうだ。肥料の話、土の話、品種の話。きっと、この家の者でもこんなに濃密な温室の話題は出来ないのだろう。巧は、一頻り温室と園芸について話し続けた。
コンコンコン
礼儀正しいノックが、温室に響く。
それは、昨日と同じ音色だった。
バラの花々の中から、温室の主・巧が顔を出す。
「どうも。」
大仰に頭を下げる訪問者の顔を確認した途端、巧の顔は明るく輝いた。
「あっ、凍神さん。来てくださったんですね。どうぞ、お入り下さい。」
主の出迎えの待遇は、ヒョウを正式な招待者としてみなした手厚いものだった。
「有難うございます。」
主に向けて微笑を返し、ヒョウは温室に足を踏み入れる。
温室は昨日と変わらぬ大輪の花を咲かせ続けており、閑散として屋敷内に比べると楽園のようだった。
「まさか、また来て下さるとは思ってなかったから、すごく嬉しいです。」
はしゃいだ様子で、口数の多い巧。ヒョウの訪問を心から喜んでいるようだ。
巧に連れられて温室の奥へと進むヒョウ。温室の中には巧しか居らず、巧の話し相手は花を除けばヒョウだけだった。
「何故ですか?」
ヒョウの質問に、巧はどこか他人の機嫌を伺うかのような視線でヒョウの顔を見た。
「あっ、いえ、あの、昨夜、凍神さん、怒ってらしたようだから。僕が、何かお気に触るようなことを言ったのかな、とか思ったので。僕、あまり自分に自信がなくて、人のことを怒らせることがあるみたいなんです。あの、父さんも、いつも。」
言葉に詰まりながら、巧はヒョウの顔色の変化を感じ取ろうとしていた。
しかし、ヒョウの微笑には何の変化もない。
「それは誤解ですよ。昨夜のことで何か気に掛かることでもあったのならば、私の方こそ謝罪せねばなりますまい。私の連れが、眠そうにしておりましたので、急いでいたんですよ。すみませんでした。」
ヒョウが巧に頭を下げる。
巧は頭を下げたヒョウに慌てて首を振って見せた。
「あっ、そんな頭なんて下げないで下さい。誤解だったら、全然いいんです!あっ、あの、本当に。」
すぐに話題を変えようと、巧は慌てて話題を探す。
「あっ、あの、今日はどうしてこちらに?事件のこととかですか?」
「いえ、そうではありませんよ。」
微笑に捉えられ、巧は姿勢を正す。
慌てていたことすら忘れ、巧は質問の代わりにヒョウの微笑に視線を返した。
「本日は、個人的にお伺いしたいことがありまして。」
「個人的?」
聞きなれない響きに、巧が首を傾げる。
「ええ。温室の設備のことです。」
そこで巧の顔に嬉しそうな笑顔が浮かんだ。
「喜んで。」
勢いよく頷く巧。
温室の作業スペースにヒョウを通し、巧は椅子を勧めた。
「どうぞ、凍神さん。」
「有難うございます。」
勧められたままに椅子に座り、二人の雑談が始まる。
「私もバラを育てていることは先日お話しましたが、こちらの温室を拝見させていただいて色々と勉強になりましたので、他にも色々とお話を聞きたかったんですよ。」
「確か、お庭で育ててるんですよね?」
「ええ、こちらの広大な庭と比べれば、あまりに小さなもので申し訳ないのですが。」
「いえ。そんな。」
謙遜と敬語。だが、話に華は開いている。
「こちらのスプリンクラーのことなんですが、どういったものなのですか?」
「ああ、あれは、先日もお話したとおり、タイマーで水が出るようになっているんです。ホースに繋ぐものとか、蛇口にそのまま繋ぐものとか、簡単なものが幾つもありますよ。」
雨のように温室に降り注いだ水。先日の光景を思い出して、ヒョウは巧の話を聞いている。
「私の場合、バラの栽培は独学なものですから、お恥ずかしいほどの稚拙な知識しかないので。水遣りはいつも如雨露でしたが、あのスプリンクラーを見て興味を覚えました。簡単に設置できるとは。」
「よかったら、パンフレットがありますよ。後で持って行きましょうか?」
「それは、助かります。」
「この温室は、夕食時と朝の二回水遣りをすることにしています。空調設備も照明設備も整っていて、いつ来ても快適なんですよ。ここは四季咲きの花を集めているので、外とは違い季節がないんです。」
嬉しそうに語る巧。温室談義は尽きなそうだ。肥料の話、土の話、品種の話。きっと、この家の者でもこんなに濃密な温室の話題は出来ないのだろう。巧は、一頻り温室と園芸について話し続けた。
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