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第六幕 迷子の飼いネコ 一
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第六幕 迷子の飼いネコ
一
ぶらぶらと両手で持った小さなトランクを揺らし、黒ネコのキーホルダーの付いた車のキーをワンピースのポケットにしまう。大切に抱えているのは、白い箱。箱の側面には、ケーキの絵とアルファベットが並んでいる。
「ケーキ♪ケーキ♪ケーキ♪」
鼻唄を歌いながら、玄関に駆け込むリン。雨を凌いでいるかのような動作だが、リンの場合避けようとしたのは太陽光だろう。
誰もいない廊下を進み、階段を上がり、一直線に目的地目指して進んでいく。
彼女が足音を弾ませると、鈴の音までが弾み、トランクも揺れたが、大切に抱えられたケーキの箱だけは最小限の動きにとどめられていた。
敷き詰められた毛足の短い絨毯は、足音を全て吸収するわけではなかったが、甲高いヒールの立てる音をくぐもって聞かせるくらいの効果はあった。
昼過ぎだというのにひと気のない屋敷内は外界とは大違いだ。
長い道のりを進んで、やっと客室に到着したリン。
扉の前で深呼吸をすると、元気よく扉を開けた。
「先生、ただいま!」
だが、室内からは誰の挨拶も返ってこなかった。
「あれ?」
首を傾げながら、部屋に入るリン。
「先生?」
部屋中を見回しながら呼びかけてみるが、姿は見えないし返事も返らない。
「どこ行っちゃったんだろう?」
テーブルの上にケーキの白い箱を置き、椅子に腰掛けるリン。膝の上には小さなトランクを乗せて、床に届かない足をぶらぶらとさせる。
しばらく、そのまま待っていたが、誰一人来る気配はない。
待ちぼうけという状況に飽き始め、リンは目の前のケーキの箱に手を伸ばした。
「ケーキ♪ケーキ♪ケーキ♪」
鼻唄交じりに、箱を開ける。
リンが覗き込んだ箱の中には、イチゴの沢山乗ったタルトとチョコレートケーキ。レアチーズケーキにイチゴババロアにプリン。それに、夏限定メニューの夏みかんのゼリーとメロンのゼリーが店に陳列されていた時と同じ顔で並んでいた。
「美味しそう♪」
箱いっぱいに詰められたデザートたちに呟き、リンはしばらく箱の上で葛藤していた。
「ダメ。」
葛藤の結果、自分に言い聞かせるように呟くと、箱を閉めて椅子から降りる。
そして、リンは小さなトランクだけを持ち、ケーキの箱に後ろ髪を引かれながら部屋を後にした。
「先生?」
少し小走りになりながら、リンは来た道とは反対方向に進む。
箱の中にはドライアイスが入っているので、ケーキは無事だろう。
「先生?」
鈴の音と足音に加え、リンの澄んだ声音が屋敷内に響く。
だが、何の手がかりもなく闇雲に走ったところで、探し人が見つかる確率は少ない。その上、屋敷は広く全ての道を知っているわけでもない。
いくつかの廊下を進み、階段を上り下りしたところで、リンは不意に立ち止まった。
「先生?」
声に不安が混じる。
いつの間にか、一度も見たことのない景色がリンの前には広がっていた。
「先生?」
声に混じった不安の色が強くなる。
止まってしまった足は、動き出そうとしない。廊下の真ん中で立ち尽くしたまま、リンはきょろきょろと辺りを見回す。
「どうしよう?迷子。」
声に出したことで事実は決定的となる。力が抜けたようで、リンはその場にへたり込んだ。
「先生。ヒョウ先生。」
ヒョウの名前を何度も呟くリン。瞳は、潤み始める。
「ヒョウ先生、どこ?」
呼んでも呼んでも誰も来ない。耳に届くのは、自分の声ばかりで、他人の足音すら聞こえない。
ついに限界に達して、リンの瞳からは涙が溢れた。
「先生。」
泣き喚くのではなく、静かに涙を流しているリン。しゃくりあげるようにしながら、ヒョウの名前を呼び続ける。
「ヒョウ先生。」
リンの澄んだ声は、廊下に虚しく響くだけだった。
一
ぶらぶらと両手で持った小さなトランクを揺らし、黒ネコのキーホルダーの付いた車のキーをワンピースのポケットにしまう。大切に抱えているのは、白い箱。箱の側面には、ケーキの絵とアルファベットが並んでいる。
「ケーキ♪ケーキ♪ケーキ♪」
鼻唄を歌いながら、玄関に駆け込むリン。雨を凌いでいるかのような動作だが、リンの場合避けようとしたのは太陽光だろう。
誰もいない廊下を進み、階段を上がり、一直線に目的地目指して進んでいく。
彼女が足音を弾ませると、鈴の音までが弾み、トランクも揺れたが、大切に抱えられたケーキの箱だけは最小限の動きにとどめられていた。
敷き詰められた毛足の短い絨毯は、足音を全て吸収するわけではなかったが、甲高いヒールの立てる音をくぐもって聞かせるくらいの効果はあった。
昼過ぎだというのにひと気のない屋敷内は外界とは大違いだ。
長い道のりを進んで、やっと客室に到着したリン。
扉の前で深呼吸をすると、元気よく扉を開けた。
「先生、ただいま!」
だが、室内からは誰の挨拶も返ってこなかった。
「あれ?」
首を傾げながら、部屋に入るリン。
「先生?」
部屋中を見回しながら呼びかけてみるが、姿は見えないし返事も返らない。
「どこ行っちゃったんだろう?」
テーブルの上にケーキの白い箱を置き、椅子に腰掛けるリン。膝の上には小さなトランクを乗せて、床に届かない足をぶらぶらとさせる。
しばらく、そのまま待っていたが、誰一人来る気配はない。
待ちぼうけという状況に飽き始め、リンは目の前のケーキの箱に手を伸ばした。
「ケーキ♪ケーキ♪ケーキ♪」
鼻唄交じりに、箱を開ける。
リンが覗き込んだ箱の中には、イチゴの沢山乗ったタルトとチョコレートケーキ。レアチーズケーキにイチゴババロアにプリン。それに、夏限定メニューの夏みかんのゼリーとメロンのゼリーが店に陳列されていた時と同じ顔で並んでいた。
「美味しそう♪」
箱いっぱいに詰められたデザートたちに呟き、リンはしばらく箱の上で葛藤していた。
「ダメ。」
葛藤の結果、自分に言い聞かせるように呟くと、箱を閉めて椅子から降りる。
そして、リンは小さなトランクだけを持ち、ケーキの箱に後ろ髪を引かれながら部屋を後にした。
「先生?」
少し小走りになりながら、リンは来た道とは反対方向に進む。
箱の中にはドライアイスが入っているので、ケーキは無事だろう。
「先生?」
鈴の音と足音に加え、リンの澄んだ声音が屋敷内に響く。
だが、何の手がかりもなく闇雲に走ったところで、探し人が見つかる確率は少ない。その上、屋敷は広く全ての道を知っているわけでもない。
いくつかの廊下を進み、階段を上り下りしたところで、リンは不意に立ち止まった。
「先生?」
声に不安が混じる。
いつの間にか、一度も見たことのない景色がリンの前には広がっていた。
「先生?」
声に混じった不安の色が強くなる。
止まってしまった足は、動き出そうとしない。廊下の真ん中で立ち尽くしたまま、リンはきょろきょろと辺りを見回す。
「どうしよう?迷子。」
声に出したことで事実は決定的となる。力が抜けたようで、リンはその場にへたり込んだ。
「先生。ヒョウ先生。」
ヒョウの名前を何度も呟くリン。瞳は、潤み始める。
「ヒョウ先生、どこ?」
呼んでも呼んでも誰も来ない。耳に届くのは、自分の声ばかりで、他人の足音すら聞こえない。
ついに限界に達して、リンの瞳からは涙が溢れた。
「先生。」
泣き喚くのではなく、静かに涙を流しているリン。しゃくりあげるようにしながら、ヒョウの名前を呼び続ける。
「ヒョウ先生。」
リンの澄んだ声は、廊下に虚しく響くだけだった。
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