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第五幕 Under the Rose 一
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第五幕 Under the Rose
一
笑顔とVサイン。赤茶けた土のグラウンドの上、白いユニフォームには土が付き、剥き出した白い歯は日に焼けた肌に眩しく光る。
写真立ての中で眩しく光る笑顔は、被害者として資料に添付してあった写真の顔とは別人のようだった。
「人柄もよく、明るく礼儀正しい青年ですか・・・・。」
朝食の後、水島に案内されて、ヒョウとリンの二人は野村の部屋へとやってきていた。敷地内にある本邸とは別の建物の、三階に位置している一室。別の建物は使用人専用の住居らしく、客室ほど広くなく設備の整っていない部屋が幾つも並んでいた。三階には、三部屋があり、真ん中の部屋が被害者野村には宛がわれていた。
「何か霧崎に似てるね。」
部屋の中を見回しながら呟くリン。
野村の部屋の中は、備え付けの家具を野村自身の私物で飾り付けられていた。いくつか並ぶ写真立てには、甲子園や仲間との会合などの思い出の写真が入っており、写真の中の野村はいつも屈託なく笑っていた。散らかっているわけではないものの、整然と並べ立てられているわけではなく、思い出のグローブや小物など、被害者の人柄を感じさせる部屋だった。
資料や使用人の話を裏付けるような野村の部屋は、主がいなくなった今でも変わらずに存在し続けていた。
「スポーツマンで、直情的。どこか独善的で、強引。明るく人当たりも良く、自信家。そんなところでしょう。確かに、霧崎さんに似ていますね。」
扉を閉めて室内を物色しているので、ヒョウとリン以外の人間は室内にいない。引き出しの中を覗きながら、ヒョウは冷め冷めとした口調で呟いた。
部屋の壁に貼ってあるポスターは女性アイドルではなく、大リーグ選手。スイングしている最中のポスターを見上げながら、リンはつまらなそうにしていた。
ヒョウは色々な引き出しを開けたり閉めたりしているものの、あまり積極的に調査をしているわけではない。期待もせずに、微笑も消して、ヒョウは室内の物色で時間つぶしをしているようだった。
「先生、何か見つかりそう?」
退屈そうなリンは、近くにあった椅子に座り足をぶらぶらさせている。
ヒョウは肩を竦めて見せた。
「一ヶ月も前の事件ですから、何とも言えません。警察も当然捜査したでしょうし、職務上の極秘資料などがあっても、あの水島サンが処分してしまったと思いますよ。手を触れていないなどと言っていましたが、抜け目ない彼のことですから。そんなミスは犯さないでしょう。探偵に知られてもいい事と、探偵が知る必要のない事とありますからね。」
「ふーん。」
机に頬杖を付いて、リンはヒョウの作業を見つめていた。邪魔になるといけないので、手伝うわけにもいかず、リンは待機状態だ。
粗方、部屋の物色を終え、ヒョウは最後の確認をするようにぐるっと部屋を見回す。
「めぼしい物はありませんね。やはりというところでしょうか。」
素っ気なく呟くヒョウに落胆した様子はない。やはりという言葉通り、予想していたことなのだろう。
「さて、リン。そろそろ行きましょう。」
リンは肯定の音色を鳴らすと、椅子から飛び降りた。
「先生。」
飛び降りた勢いも利用して、リンはヒョウの背中に突進する。頬をつけるようにしてぴたっと背中にくっつき、スーツを掴む。
「つまんない。」
控えめに小さく呟く。文句や不平などといったものではなく、甘えているような拗ねているようなそんな口調だ。面と向かって呟くのではなく、背中越しに言うのは、自分の我が儘だと分かっているからだろう。
「リン。」
響くのはヒョウの涼しい声音。窘めているのではなく、怒っているのでもない。ただ、名を呼んだだけといった響き。
しかし、その響きに、リンは逆らわずに背中から離れた。
「ごめんなさい。」
俯いたまま、顔を上げようとしないリン。落ち込んでいるようで、背中から離れた姿勢のまま動くこともしない。だらりと下がった両手は小さく震えているようだった。
「リン。」
もう一度響く、涼しげな呼びかけ。
リンは俯いていた顔を上げた。
「謝ることはありませんよ。」
顔を上げたリンを待っていたのは、笑みだった。温度のない仮面の微笑ではなく、華やかな笑み。包み込むような雰囲気を持った笑み。
リンは、何も言わずにヒョウの胸に飛び込む。
「リン。確かに、今回の依頼はあまりに単調です。何も起きずに、ただ終わってしまった事件の調査を進めるだけ。」
そっとリンを抱きとめ、優しくあやすようにリンの頭を撫でるヒョウ。
「貴方の気持ちは分かっていますよ。」
「我が儘、言ったから。怒ったんじゃないの?」
顔を上げてヒョウの瞳を恐る恐る覗くリン。リンの瞳は心配そうだ。
「私が貴方に怒ったことがありますか?」
笑みのまま優しく尋ねるヒョウ。
リンの鈴の音は否定だった。
「ない。先生は怒らない。いつも優しい。」
ぽんぽんとヒョウの手が優しく置かれ、リンは筋肉の動かない顔を、それでも嬉しそうにしていた。
「もう少しだけ、私の我が儘に付き合ってください。」
リンの鈴の音は肯定。ヒョウの言葉一つで、機嫌は直ってしまったようだ。
「では、もう少し別の場所に行きましょう。」
ヒョウの声に同調するように鈴は肯定を鳴らす。
元気よくヒョウから離れると、リンはヒョウの隣に並んだ。
だが、二人の行き先だった扉は、外から開かれていた。
「あら?」
一
笑顔とVサイン。赤茶けた土のグラウンドの上、白いユニフォームには土が付き、剥き出した白い歯は日に焼けた肌に眩しく光る。
写真立ての中で眩しく光る笑顔は、被害者として資料に添付してあった写真の顔とは別人のようだった。
「人柄もよく、明るく礼儀正しい青年ですか・・・・。」
朝食の後、水島に案内されて、ヒョウとリンの二人は野村の部屋へとやってきていた。敷地内にある本邸とは別の建物の、三階に位置している一室。別の建物は使用人専用の住居らしく、客室ほど広くなく設備の整っていない部屋が幾つも並んでいた。三階には、三部屋があり、真ん中の部屋が被害者野村には宛がわれていた。
「何か霧崎に似てるね。」
部屋の中を見回しながら呟くリン。
野村の部屋の中は、備え付けの家具を野村自身の私物で飾り付けられていた。いくつか並ぶ写真立てには、甲子園や仲間との会合などの思い出の写真が入っており、写真の中の野村はいつも屈託なく笑っていた。散らかっているわけではないものの、整然と並べ立てられているわけではなく、思い出のグローブや小物など、被害者の人柄を感じさせる部屋だった。
資料や使用人の話を裏付けるような野村の部屋は、主がいなくなった今でも変わらずに存在し続けていた。
「スポーツマンで、直情的。どこか独善的で、強引。明るく人当たりも良く、自信家。そんなところでしょう。確かに、霧崎さんに似ていますね。」
扉を閉めて室内を物色しているので、ヒョウとリン以外の人間は室内にいない。引き出しの中を覗きながら、ヒョウは冷め冷めとした口調で呟いた。
部屋の壁に貼ってあるポスターは女性アイドルではなく、大リーグ選手。スイングしている最中のポスターを見上げながら、リンはつまらなそうにしていた。
ヒョウは色々な引き出しを開けたり閉めたりしているものの、あまり積極的に調査をしているわけではない。期待もせずに、微笑も消して、ヒョウは室内の物色で時間つぶしをしているようだった。
「先生、何か見つかりそう?」
退屈そうなリンは、近くにあった椅子に座り足をぶらぶらさせている。
ヒョウは肩を竦めて見せた。
「一ヶ月も前の事件ですから、何とも言えません。警察も当然捜査したでしょうし、職務上の極秘資料などがあっても、あの水島サンが処分してしまったと思いますよ。手を触れていないなどと言っていましたが、抜け目ない彼のことですから。そんなミスは犯さないでしょう。探偵に知られてもいい事と、探偵が知る必要のない事とありますからね。」
「ふーん。」
机に頬杖を付いて、リンはヒョウの作業を見つめていた。邪魔になるといけないので、手伝うわけにもいかず、リンは待機状態だ。
粗方、部屋の物色を終え、ヒョウは最後の確認をするようにぐるっと部屋を見回す。
「めぼしい物はありませんね。やはりというところでしょうか。」
素っ気なく呟くヒョウに落胆した様子はない。やはりという言葉通り、予想していたことなのだろう。
「さて、リン。そろそろ行きましょう。」
リンは肯定の音色を鳴らすと、椅子から飛び降りた。
「先生。」
飛び降りた勢いも利用して、リンはヒョウの背中に突進する。頬をつけるようにしてぴたっと背中にくっつき、スーツを掴む。
「つまんない。」
控えめに小さく呟く。文句や不平などといったものではなく、甘えているような拗ねているようなそんな口調だ。面と向かって呟くのではなく、背中越しに言うのは、自分の我が儘だと分かっているからだろう。
「リン。」
響くのはヒョウの涼しい声音。窘めているのではなく、怒っているのでもない。ただ、名を呼んだだけといった響き。
しかし、その響きに、リンは逆らわずに背中から離れた。
「ごめんなさい。」
俯いたまま、顔を上げようとしないリン。落ち込んでいるようで、背中から離れた姿勢のまま動くこともしない。だらりと下がった両手は小さく震えているようだった。
「リン。」
もう一度響く、涼しげな呼びかけ。
リンは俯いていた顔を上げた。
「謝ることはありませんよ。」
顔を上げたリンを待っていたのは、笑みだった。温度のない仮面の微笑ではなく、華やかな笑み。包み込むような雰囲気を持った笑み。
リンは、何も言わずにヒョウの胸に飛び込む。
「リン。確かに、今回の依頼はあまりに単調です。何も起きずに、ただ終わってしまった事件の調査を進めるだけ。」
そっとリンを抱きとめ、優しくあやすようにリンの頭を撫でるヒョウ。
「貴方の気持ちは分かっていますよ。」
「我が儘、言ったから。怒ったんじゃないの?」
顔を上げてヒョウの瞳を恐る恐る覗くリン。リンの瞳は心配そうだ。
「私が貴方に怒ったことがありますか?」
笑みのまま優しく尋ねるヒョウ。
リンの鈴の音は否定だった。
「ない。先生は怒らない。いつも優しい。」
ぽんぽんとヒョウの手が優しく置かれ、リンは筋肉の動かない顔を、それでも嬉しそうにしていた。
「もう少しだけ、私の我が儘に付き合ってください。」
リンの鈴の音は肯定。ヒョウの言葉一つで、機嫌は直ってしまったようだ。
「では、もう少し別の場所に行きましょう。」
ヒョウの声に同調するように鈴は肯定を鳴らす。
元気よくヒョウから離れると、リンはヒョウの隣に並んだ。
だが、二人の行き先だった扉は、外から開かれていた。
「あら?」
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