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第四幕 八 「全ては、これからです」
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八
「こちらです。」
水島が一つの扉の前に立ち止まる。
ノブを握り、水島は二人のために扉を開いた。
「こちらの客室は、事件解決までご自由に使ってくださって結構です。何か必要なものがありましたら、何なりとお申し付け下さい。」
客室は、屋敷内同様に広く、豪勢な造りになっていた。掃除も行き届いているようで、シーツは白く、空気も淀んでいない。設えた調度品も、どんな客が来ても失礼に当たらないような高級品で揃えられていた。
「それでは失礼致します。」
二人を案内したことで役目を追え、すぐさま踵を返す水島。
だが、そんな水島の背中にヒョウは声を掛けた。
「すみません、水島サン。よろしいですか?」
眉一つ動かさずに振り返る水島。
「何でしょうか?」
「いえ、事件の調査についてお願いしたいことがあるんですが。」
ヒョウの申し出にも水島の顔色に変化はない。
ヒョウは微笑のまま続けた。
「被害者の野村サンはこちらで生活していらしたんですよね?」
「はい。部屋はそのままにしてあります。」
察しのいい水島が頷く。
「では、明日、野村サンの部屋の調査をしてもよろしいですか?」
「分かりました。朝食の後に案内致します。」
少しの逡巡も見せずに、主人へのお伺いを立てることもなく水島は許可を出した。
「では、失礼致します。」
話が終わると、水島は踵を返す。一瞬の遅延もなく、決断に迷うこともない。
水島の去っていった扉は自然に閉まり、客室には二人が残された。
扉が閉まった途端、リンは大きなベッド目掛けて走り出した。
見るからにやわらかそうなベッドに飛び込み、リンは満足そうに飛び跳ねる。
「ふわふわフカフカ。」
二つのベッドの内の手前側を占拠したリンは、しばらくゴロゴロと寝転がりながらふわふわフカフカを堪能していた。
リンの様子を微笑で見つめながら、ヒョウは椅子に腰掛ける。
だが、長い足を組み、軽く頬杖を付くと、微笑はすぐに消えた。リンに向けられていた視線も、いつの間にか虚空に向けられている。姿勢を一度決めたまま、身動き一つしないヒョウは彫刻のように見えた。
「先生?」
寝転がるのを止めてベッドの上にちょこんと座ったリンが声を掛けたが、ヒョウには届いていないようだった。
「考え中かぁ。」
ごろんと寝そべり、つまらなそうな声を上げたリン。
集中状態に入ったヒョウは、外界の刺激に全く反応を見せない。硬直したように、彫刻のように座るヒョウは、あまりに整い過ぎた美貌のせいで命の入っていない置物のようにも見えた。
この考え中の時間に入ってしまうと、いくらリンでもヒョウを動かすことは出来ないらしく、リンはヒョウの考えがまとまるのを邪魔をしないように待ちながら、退屈そうにしていた。
しばらくして、やっとヒョウが姿勢を解いた。足を組み替え、顔には微笑を浮かべる。
「先生!」
ベッドの上にぴょこんと座りなおし、リンが勢い込んで尋ねる。
「何考えてたの?」
興味津々の様子のリンに微笑みかけるヒョウ。
「今日一日の出来事を整理していたんですよ。こちらに到着してから、今現在まで、色々なものを見て、色々な方と話をしましたから。」
「ふーん。」
相槌を打ちながらも口を尖らせるリン。ヒョウの回答はリンの期待したものではなかったらしい。
ヒョウは椅子から立ち上がると、リンの隣のベッドに腰掛けた。
機嫌を損ねてしまったリンの頭に、黒い手袋の手をポンポンと置き、あやすように語り掛ける。
「リン、結論を焦り過ぎてはいけませんよ。期が熟さねば、蒔いた種から芽が出ることもありません。全ては、これからです。」
リンの鈴は少し曇り気味の肯定の音を響かせた。
ヒョウはリンの瞳を覗き込む。
「リン。明日になれば、また新しいことも分かるでしょう。もう少し、私に時間をくれませんか?」
ヒョウのサファイアの瞳を見つめ返しながら、リンの鈴は渋々といった肯定の音色を響かせた。
「興味深い方たちが揃っていますからね。今回の事件は、どうなっていくのか展開が楽しみですよ。」
ヒョウの笑みは深くなり、瞳には狂気の光が走る。
客室の窓からは月光が差し込み、やっと蝉の声は止んでいた。真昼の暑さの名残も、空調設備に管理された空気には影響を与えない。情報収集に駆けずり回ることなく、招待客のような格別の扱いを受けた二人は、夜が更けゆく中で、時間を惜しんでいる様子もなかった。
それぞれに思惑を抱えながら、一日は終わっていく。
依頼一日目は、ただ静かに淡々と時を刻んだだけだった。
登場人物が揃い始め、舞台上は賑やかになっていく。
それぞれにスポットライトの当てられた人物は、
光の加減で様々な表情を見せ始める。
長い一日が終わり、
探偵達がそれぞれの手に掴んだものは一体何なのか?
眠りに就いた太陽が目覚める時、
舞台上はどんな様相を見せるのか?
まだ誰も知らない。誰も知ることは出来ない。
暗転となった舞台上で、舞台装置は変わる。
劇は新たな展開を見せ始めていた。
「こちらです。」
水島が一つの扉の前に立ち止まる。
ノブを握り、水島は二人のために扉を開いた。
「こちらの客室は、事件解決までご自由に使ってくださって結構です。何か必要なものがありましたら、何なりとお申し付け下さい。」
客室は、屋敷内同様に広く、豪勢な造りになっていた。掃除も行き届いているようで、シーツは白く、空気も淀んでいない。設えた調度品も、どんな客が来ても失礼に当たらないような高級品で揃えられていた。
「それでは失礼致します。」
二人を案内したことで役目を追え、すぐさま踵を返す水島。
だが、そんな水島の背中にヒョウは声を掛けた。
「すみません、水島サン。よろしいですか?」
眉一つ動かさずに振り返る水島。
「何でしょうか?」
「いえ、事件の調査についてお願いしたいことがあるんですが。」
ヒョウの申し出にも水島の顔色に変化はない。
ヒョウは微笑のまま続けた。
「被害者の野村サンはこちらで生活していらしたんですよね?」
「はい。部屋はそのままにしてあります。」
察しのいい水島が頷く。
「では、明日、野村サンの部屋の調査をしてもよろしいですか?」
「分かりました。朝食の後に案内致します。」
少しの逡巡も見せずに、主人へのお伺いを立てることもなく水島は許可を出した。
「では、失礼致します。」
話が終わると、水島は踵を返す。一瞬の遅延もなく、決断に迷うこともない。
水島の去っていった扉は自然に閉まり、客室には二人が残された。
扉が閉まった途端、リンは大きなベッド目掛けて走り出した。
見るからにやわらかそうなベッドに飛び込み、リンは満足そうに飛び跳ねる。
「ふわふわフカフカ。」
二つのベッドの内の手前側を占拠したリンは、しばらくゴロゴロと寝転がりながらふわふわフカフカを堪能していた。
リンの様子を微笑で見つめながら、ヒョウは椅子に腰掛ける。
だが、長い足を組み、軽く頬杖を付くと、微笑はすぐに消えた。リンに向けられていた視線も、いつの間にか虚空に向けられている。姿勢を一度決めたまま、身動き一つしないヒョウは彫刻のように見えた。
「先生?」
寝転がるのを止めてベッドの上にちょこんと座ったリンが声を掛けたが、ヒョウには届いていないようだった。
「考え中かぁ。」
ごろんと寝そべり、つまらなそうな声を上げたリン。
集中状態に入ったヒョウは、外界の刺激に全く反応を見せない。硬直したように、彫刻のように座るヒョウは、あまりに整い過ぎた美貌のせいで命の入っていない置物のようにも見えた。
この考え中の時間に入ってしまうと、いくらリンでもヒョウを動かすことは出来ないらしく、リンはヒョウの考えがまとまるのを邪魔をしないように待ちながら、退屈そうにしていた。
しばらくして、やっとヒョウが姿勢を解いた。足を組み替え、顔には微笑を浮かべる。
「先生!」
ベッドの上にぴょこんと座りなおし、リンが勢い込んで尋ねる。
「何考えてたの?」
興味津々の様子のリンに微笑みかけるヒョウ。
「今日一日の出来事を整理していたんですよ。こちらに到着してから、今現在まで、色々なものを見て、色々な方と話をしましたから。」
「ふーん。」
相槌を打ちながらも口を尖らせるリン。ヒョウの回答はリンの期待したものではなかったらしい。
ヒョウは椅子から立ち上がると、リンの隣のベッドに腰掛けた。
機嫌を損ねてしまったリンの頭に、黒い手袋の手をポンポンと置き、あやすように語り掛ける。
「リン、結論を焦り過ぎてはいけませんよ。期が熟さねば、蒔いた種から芽が出ることもありません。全ては、これからです。」
リンの鈴は少し曇り気味の肯定の音を響かせた。
ヒョウはリンの瞳を覗き込む。
「リン。明日になれば、また新しいことも分かるでしょう。もう少し、私に時間をくれませんか?」
ヒョウのサファイアの瞳を見つめ返しながら、リンの鈴は渋々といった肯定の音色を響かせた。
「興味深い方たちが揃っていますからね。今回の事件は、どうなっていくのか展開が楽しみですよ。」
ヒョウの笑みは深くなり、瞳には狂気の光が走る。
客室の窓からは月光が差し込み、やっと蝉の声は止んでいた。真昼の暑さの名残も、空調設備に管理された空気には影響を与えない。情報収集に駆けずり回ることなく、招待客のような格別の扱いを受けた二人は、夜が更けゆく中で、時間を惜しんでいる様子もなかった。
それぞれに思惑を抱えながら、一日は終わっていく。
依頼一日目は、ただ静かに淡々と時を刻んだだけだった。
登場人物が揃い始め、舞台上は賑やかになっていく。
それぞれにスポットライトの当てられた人物は、
光の加減で様々な表情を見せ始める。
長い一日が終わり、
探偵達がそれぞれの手に掴んだものは一体何なのか?
眠りに就いた太陽が目覚める時、
舞台上はどんな様相を見せるのか?
まだ誰も知らない。誰も知ることは出来ない。
暗転となった舞台上で、舞台装置は変わる。
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