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第四幕 二 「あちらにあるのは温室でしょうか?」
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二
「亡くなられた野村サンというのは、どんな方でした?あまり人から恨まれるようなことはなかったと聞いているのですが。」
「ああ、そうだ。野村君は、この爺にも優しく接してくれたよ。優しくてなぁ、挨拶も忘れない、礼儀正しい明るい子だったよ。なのに、死んじまった。探偵さん、どうか犯人を捕まえて、野村君を成仏させてやってくれんか?」
被害者の水島の話題になった途端、彼の死を悼む気持ちで老人は涙ぐんだ。だが、口調は変わらない。押し付けがましく言い寄るのではなく、あくまでも淡々とした抑制のきいた口調には、大袈裟でもウソ臭くもない老人の静かな悲しみが溢れていた。
ヒョウは老人の悲しみに取り合うことはなかったが、皮肉を言うでもなく質問を続けた。
「他に何か気付かれたことはありませんか?」
老人はヒョウの対応を非難するでもなく、感情的になるでもなく、涙を拭くと首を横に振った。
「いいや。野村君とは、事件の前の日にも笑顔で挨拶をしたんだが、いつも通りの笑顔だったよ。事件の日、私は朝起きて掃除を始めるまで、何もおかしいとは思わんかったよ。」
「そうですか。」
資料に載っていた情報以上の収穫はない。だが、ヒョウの涼しげな顔に落胆したような表情は浮かんでいなかった。
質問の終了の意思を表すように、ヒョウはリンへと向けて歩き始める。
リンも、ヒョウに気づいて走り始めた。
リンを出迎えた後、ヒョウは自分の仕事に戻ろうとしていた庭師の老人に振り返った。
「すみません。もう少しよろしいですか?」
老人は立ち止まると、ヒョウに頷いて見せた。
「貴方は事件のことをどのくらい聞いていますか?」
ヒョウの質問に答えを出すのに、老人は少しの時間を要した。ヒョウの質問は、警察などでは聞かれることのない内容だったので、答えは事前に用意されていなかったのだろう。
「聞かれるばかりで何も聞いておらんよ。旦那様も水島さんも、事件のことを警察の人や探偵さん以外に喋るなとは言っておったよ。」
この老人は、シリアルキラーの存在など知り得る立場にいないのだろう。聞かれるばかりで教えてもらうことすらかなわない不条理も、使用人としての心構えなどで厳しくしつけられているせいか感じていないようだった。
「最後に一つだけ。」
ヒョウが、老人の進行方向とは逆の方向を指差して尋ねる。
「あちらにあるのは温室でしょうか?」
指し示された方向には、木々の間から透明な屋根が覗いていた。
老人は、急に物悲しそうな表情を浮かべて頷いた。今までリンやヒョウに向けていた視線を透明な屋根の方角に向けている。
「あれは、奥様の温室だよ。奥様が亡くなった今は、坊ちゃんが世話しておる。」
野村の話のときに浮かべていたのとは違う現在進行形の悲しみが、老人の瞳を曇らせていた。
ヒョウは温室を見つめる老人に、大仰に頭を下げる。
「ご協力感謝いたします。有難うございました。」
そして、腕に甘えているリンに、微笑みかける。
「それでは行きましょうか?リン。」
リンの首の鈴は肯定を鳴らす。
二人は老人を置き去りにしたまま、温室の方角へと歩き始めた。
温室を見つめ続ける老人の視界に、小さくなっていく二人の背中が映っていたが、老人の意識には捉えられていなかった。
日は少しずつ傾いていく。
赤みを帯び始めた光の中で、ようやく二人は捜査らしいことを始めていた。
「亡くなられた野村サンというのは、どんな方でした?あまり人から恨まれるようなことはなかったと聞いているのですが。」
「ああ、そうだ。野村君は、この爺にも優しく接してくれたよ。優しくてなぁ、挨拶も忘れない、礼儀正しい明るい子だったよ。なのに、死んじまった。探偵さん、どうか犯人を捕まえて、野村君を成仏させてやってくれんか?」
被害者の水島の話題になった途端、彼の死を悼む気持ちで老人は涙ぐんだ。だが、口調は変わらない。押し付けがましく言い寄るのではなく、あくまでも淡々とした抑制のきいた口調には、大袈裟でもウソ臭くもない老人の静かな悲しみが溢れていた。
ヒョウは老人の悲しみに取り合うことはなかったが、皮肉を言うでもなく質問を続けた。
「他に何か気付かれたことはありませんか?」
老人はヒョウの対応を非難するでもなく、感情的になるでもなく、涙を拭くと首を横に振った。
「いいや。野村君とは、事件の前の日にも笑顔で挨拶をしたんだが、いつも通りの笑顔だったよ。事件の日、私は朝起きて掃除を始めるまで、何もおかしいとは思わんかったよ。」
「そうですか。」
資料に載っていた情報以上の収穫はない。だが、ヒョウの涼しげな顔に落胆したような表情は浮かんでいなかった。
質問の終了の意思を表すように、ヒョウはリンへと向けて歩き始める。
リンも、ヒョウに気づいて走り始めた。
リンを出迎えた後、ヒョウは自分の仕事に戻ろうとしていた庭師の老人に振り返った。
「すみません。もう少しよろしいですか?」
老人は立ち止まると、ヒョウに頷いて見せた。
「貴方は事件のことをどのくらい聞いていますか?」
ヒョウの質問に答えを出すのに、老人は少しの時間を要した。ヒョウの質問は、警察などでは聞かれることのない内容だったので、答えは事前に用意されていなかったのだろう。
「聞かれるばかりで何も聞いておらんよ。旦那様も水島さんも、事件のことを警察の人や探偵さん以外に喋るなとは言っておったよ。」
この老人は、シリアルキラーの存在など知り得る立場にいないのだろう。聞かれるばかりで教えてもらうことすらかなわない不条理も、使用人としての心構えなどで厳しくしつけられているせいか感じていないようだった。
「最後に一つだけ。」
ヒョウが、老人の進行方向とは逆の方向を指差して尋ねる。
「あちらにあるのは温室でしょうか?」
指し示された方向には、木々の間から透明な屋根が覗いていた。
老人は、急に物悲しそうな表情を浮かべて頷いた。今までリンやヒョウに向けていた視線を透明な屋根の方角に向けている。
「あれは、奥様の温室だよ。奥様が亡くなった今は、坊ちゃんが世話しておる。」
野村の話のときに浮かべていたのとは違う現在進行形の悲しみが、老人の瞳を曇らせていた。
ヒョウは温室を見つめる老人に、大仰に頭を下げる。
「ご協力感謝いたします。有難うございました。」
そして、腕に甘えているリンに、微笑みかける。
「それでは行きましょうか?リン。」
リンの首の鈴は肯定を鳴らす。
二人は老人を置き去りにしたまま、温室の方角へと歩き始めた。
温室を見つめ続ける老人の視界に、小さくなっていく二人の背中が映っていたが、老人の意識には捉えられていなかった。
日は少しずつ傾いていく。
赤みを帯び始めた光の中で、ようやく二人は捜査らしいことを始めていた。
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