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第四幕 楽園の主 一
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第四幕 楽園の主
一
いつまでも我が物顔で居座っていた太陽が、やっと重い腰を上げる。澄み切った夏空を名残惜しそうに青く染めながらも、角度は西へと傾き始めている。
ぎらぎらと照りつける日差しが、夕刻になり、やっと弱くなり始めた。
屋敷内の探検を切り上げたヒョウとリンの二人は、夕暮れ迫る時間になって、ようやく外界へと繰り出した。昼下がりに廊下から見つめていた庭は、見渡す限りにどこまでも広がり、二人の行く手を阻むものなどなかった。
丁寧に刈り込まれた芝生の上で、リンは嬉しそうにぴょんぴょんとはしゃいでいる。広大な庭を自由に駆け回るリンは、探検のスリルとは別の開放感という楽しみを見つけたようだ。
「ケンケンパしよう!先生。」
リンがヒョウに手招きをする。
ヒョウはリンの様子を見守るように見つめながら、首を振った。
「私は貴方のケンケンパを見ていることにします。」
ヒョウの返事に気落ちした様子はなく、リンは首の鈴で肯定を知らせる。
「じゃあ、見ててね!先生。」
ヒョウに向けて手を振ると、リンは器用に飛び跳ね始める。
リズミカルに飛び跳ねるリンの動きにつられて、リンの首の鈴もリズミカルな音を響かせる。
ケンケンパっと、何度も連続して飛び跳ねながら、リンはヒョウ目掛けて近づいてくる。
「ケン・ケン・パ!」
最後に大きくジャンプして、リンは甘えるようにヒョウの胸に飛び込んだ。
「リン、素敵なケンケンパでしたね。」
リンを受け止めながら、微笑を浮かべているヒョウ。
ヒョウの胸の中で、顔を上げたリンは褒められたことを喜んでいた。
「散歩は楽しいですか?」
リンの瞳を除きこんで尋ねるヒョウに、リンの鈴は元気のよい肯定の音色で返事をする。
鈴の音を合図にするように、リンはヒョウの腕をすり抜けて、また走り出した。
元気が有り余っているようなリンに、ヒョウは微笑のまま呼びかける。
「転ばないようにしてくださいね、リン。」
リンの鈴は肯定の返事をヒョウに届ける。
ヒョウはリンの様子を満足そうに見つめていた。
日が傾き暑さが和らぎ始めたおかげで、少しは過ごしやすくなる。蝉は時間を惜しむように啼き続けているが、日中の酷暑の中で聞くよりは風流な音になっていた。
誰に遠慮するでもなく、仕事をするでもなく、ヒョウとリンは依頼を受けてからの一日を敷地内で過ごしていた。今頃、事件解決に躍起になっているであろう他のメンバーには、ヒョウとリンの行動というのは予想もつかないだろう。
何かを待っているわけでも、焦って自棄になっているわけでもなく、ヒョウは屋敷に招待された只の客人のように振舞っていた。秘書の水島の説明では、事件解決までの探偵達の扱いについては客人のようにもてなすといっていたが、水島自身もこんな二人の状況などは予想していなかっただろう。
「おや、アンタ達はどちら様かな?」
好々爺といった風体の老人が、庭先の二人に声を掛けた。
この屋敷に来て初めて偶然にすれ違った使用人に、ヒョウは微笑を浮かべて礼儀正しい挨拶を始めた。
「こちらの屋敷の方ですね?初めまして。私は、凍神ヒョウと申します。」
「凍神さんかい。私は、ここで庭師をやっている田上というもんだ。」
庭師だという老人は、白髪と白髭に作業着姿で、日に焼けた顔には深い皺が刻まれていた。日が傾いたせいで必要のなくなった麦藁帽子が、背中にぶら下がっている。穏やかな声音に、穏やかな表情で、客人のヒョウに対して頭を下げた。
「田上サンですか。以後、お見知り置きを。」
ヒョウも軽く会釈をする。
頭を上げた老人は、孫でも見るような目を、庭先のリンに向けた。
「あちらの可愛らしいお嬢さんは、凍神さんのお連れさんかい?」
「ええ。リンと申します。私の助手です。」
ヒョウの言葉に、老人の視線がヒョウへと動いた。
「助手?」
不思議そうな顔でヒョウを見上げる老人。
ヒョウは微笑を返すと頷いた。
「ええ。私は探偵をしておりまして。リンは私の助手です。」
そこで、老人は納得して、微笑ましいリンの姿に視線を戻した。
「そうかい。旦那様から話は聞いておるよ。偉い探偵さんがたくさん来るってなぁ。アンタがその探偵さんかい。そうかい。」
ヒョウもリンへと視線を戻し、二人は前方を見つめたままで会話を続けた。
「貴方が第一発見者でしたね?その時の状況などを聞かせていただいてもよろしいですか?」
「ああ、いいよ。旦那様には、探偵さんに協力しろと言われておるから。だが、状況などと言われても、私は朝、いつものように掃除を始めただけなんだよ。そうしたら、門の向こう側に野村君が倒れておったんだ。私は驚いて、水島さんに報告した。それだけだ。慌てておって、あまり覚えとらんのだ。」
淡々と話す老人の口調は纏まりがあり落ち着いていて、何度も何度も警察に聞かれて繰り返したことは確実だ。一ヶ月という時間は、事件を現実として受け止め整理するのに十分過ぎたのだろう。遠い目をしている老人の中では、もう過去の出来事として処理されてしまっているようだった。
新事実などの発見に期待などはしていなかった様子のヒョウは、老人同様の淡々とし口調で質問を続ける。それはただ情報を確認しているだけ、そんな事務的な作業だった。
一
いつまでも我が物顔で居座っていた太陽が、やっと重い腰を上げる。澄み切った夏空を名残惜しそうに青く染めながらも、角度は西へと傾き始めている。
ぎらぎらと照りつける日差しが、夕刻になり、やっと弱くなり始めた。
屋敷内の探検を切り上げたヒョウとリンの二人は、夕暮れ迫る時間になって、ようやく外界へと繰り出した。昼下がりに廊下から見つめていた庭は、見渡す限りにどこまでも広がり、二人の行く手を阻むものなどなかった。
丁寧に刈り込まれた芝生の上で、リンは嬉しそうにぴょんぴょんとはしゃいでいる。広大な庭を自由に駆け回るリンは、探検のスリルとは別の開放感という楽しみを見つけたようだ。
「ケンケンパしよう!先生。」
リンがヒョウに手招きをする。
ヒョウはリンの様子を見守るように見つめながら、首を振った。
「私は貴方のケンケンパを見ていることにします。」
ヒョウの返事に気落ちした様子はなく、リンは首の鈴で肯定を知らせる。
「じゃあ、見ててね!先生。」
ヒョウに向けて手を振ると、リンは器用に飛び跳ね始める。
リズミカルに飛び跳ねるリンの動きにつられて、リンの首の鈴もリズミカルな音を響かせる。
ケンケンパっと、何度も連続して飛び跳ねながら、リンはヒョウ目掛けて近づいてくる。
「ケン・ケン・パ!」
最後に大きくジャンプして、リンは甘えるようにヒョウの胸に飛び込んだ。
「リン、素敵なケンケンパでしたね。」
リンを受け止めながら、微笑を浮かべているヒョウ。
ヒョウの胸の中で、顔を上げたリンは褒められたことを喜んでいた。
「散歩は楽しいですか?」
リンの瞳を除きこんで尋ねるヒョウに、リンの鈴は元気のよい肯定の音色で返事をする。
鈴の音を合図にするように、リンはヒョウの腕をすり抜けて、また走り出した。
元気が有り余っているようなリンに、ヒョウは微笑のまま呼びかける。
「転ばないようにしてくださいね、リン。」
リンの鈴は肯定の返事をヒョウに届ける。
ヒョウはリンの様子を満足そうに見つめていた。
日が傾き暑さが和らぎ始めたおかげで、少しは過ごしやすくなる。蝉は時間を惜しむように啼き続けているが、日中の酷暑の中で聞くよりは風流な音になっていた。
誰に遠慮するでもなく、仕事をするでもなく、ヒョウとリンは依頼を受けてからの一日を敷地内で過ごしていた。今頃、事件解決に躍起になっているであろう他のメンバーには、ヒョウとリンの行動というのは予想もつかないだろう。
何かを待っているわけでも、焦って自棄になっているわけでもなく、ヒョウは屋敷に招待された只の客人のように振舞っていた。秘書の水島の説明では、事件解決までの探偵達の扱いについては客人のようにもてなすといっていたが、水島自身もこんな二人の状況などは予想していなかっただろう。
「おや、アンタ達はどちら様かな?」
好々爺といった風体の老人が、庭先の二人に声を掛けた。
この屋敷に来て初めて偶然にすれ違った使用人に、ヒョウは微笑を浮かべて礼儀正しい挨拶を始めた。
「こちらの屋敷の方ですね?初めまして。私は、凍神ヒョウと申します。」
「凍神さんかい。私は、ここで庭師をやっている田上というもんだ。」
庭師だという老人は、白髪と白髭に作業着姿で、日に焼けた顔には深い皺が刻まれていた。日が傾いたせいで必要のなくなった麦藁帽子が、背中にぶら下がっている。穏やかな声音に、穏やかな表情で、客人のヒョウに対して頭を下げた。
「田上サンですか。以後、お見知り置きを。」
ヒョウも軽く会釈をする。
頭を上げた老人は、孫でも見るような目を、庭先のリンに向けた。
「あちらの可愛らしいお嬢さんは、凍神さんのお連れさんかい?」
「ええ。リンと申します。私の助手です。」
ヒョウの言葉に、老人の視線がヒョウへと動いた。
「助手?」
不思議そうな顔でヒョウを見上げる老人。
ヒョウは微笑を返すと頷いた。
「ええ。私は探偵をしておりまして。リンは私の助手です。」
そこで、老人は納得して、微笑ましいリンの姿に視線を戻した。
「そうかい。旦那様から話は聞いておるよ。偉い探偵さんがたくさん来るってなぁ。アンタがその探偵さんかい。そうかい。」
ヒョウもリンへと視線を戻し、二人は前方を見つめたままで会話を続けた。
「貴方が第一発見者でしたね?その時の状況などを聞かせていただいてもよろしいですか?」
「ああ、いいよ。旦那様には、探偵さんに協力しろと言われておるから。だが、状況などと言われても、私は朝、いつものように掃除を始めただけなんだよ。そうしたら、門の向こう側に野村君が倒れておったんだ。私は驚いて、水島さんに報告した。それだけだ。慌てておって、あまり覚えとらんのだ。」
淡々と話す老人の口調は纏まりがあり落ち着いていて、何度も何度も警察に聞かれて繰り返したことは確実だ。一ヶ月という時間は、事件を現実として受け止め整理するのに十分過ぎたのだろう。遠い目をしている老人の中では、もう過去の出来事として処理されてしまっているようだった。
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