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30 ミハイル・アイゼンバッハ,10

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      三十

「何だ!?あれは!」
 すぐさま小さくなっていくリリィの背中に、主は憤慨していた。
 ミハイルは逃げ去ったリリィの逃げ足の速さに、そんな場合ではないのに感心していた。
「アナタは怪我はない?」
 セレナ様は子猫に話しかけて無事を確認している。
 どうやらお二人は勘違いしているようだ。何となく嫌な予感がして割って入ったのは正解だったようだ。少なくとも、ミハイルの知る限り、一度でもリリィが子猫を害そうとした事実はない。それどころか、まだどこかで信じられないが、あのリリィは子猫を助けたのだ。
「あの者は、雨の中、木に登って降りられなくなっていたその子猫を助けたのです。害そうとしたのではありません。」
 ミハイルの報告に、主は鼻を鳴らして反論する。
「そんなわけがないだろう?あれはリリィ・マクラクランだぞ?」
 もちろん、ミハイルだって主の意見に賛同したい。だが、ミハイルはこの目で見ていたのだ。その子猫を助けようとし、慈しむリリィ・マクラクランの姿を。
「殿下の仰りたいことは尤もです。ですが、私はこの目で見たのです。雨の中、必死に木の上の子猫に呼びかけている姿を。それに、私が木に登ってその子猫を捕獲した後も、子猫はあの者に一度も怯えた様子は見せませんでした。害そうとすれば、子猫自身が分かるはずです。」
 ミハイルの報告の間も、主は信じられないと首を振っていた。
 セレナ様はようやく子猫に怪我がないことが分かったらしく、主の袖を引いた。
「大丈夫です。この子は無事です。」
 子猫はにゃぁと暢気に鳴いている。元気そうだ。
「子猫は思わぬ行動をとることがありますから、目を離さぬようにお気をつけください。」
 此度は無事だったが、次はどうなるか分からない。ただでさえ王宮内は広く、子猫が迷子になれば自分で帰ることは難しい。人間と違い子猫にとってみれば、王宮内にどんな危険が潜むか分からない。
 ミハイルはそう忠告すると、敬礼をして立ち去ろうとする。
 そんなミハイルに、主は声を掛けた。
「ミハイル!お前はあのリリィ・マクラクランが子猫を助けたと、そう信じているのか?」
 そう主に問われ、ミハイルは少しの黙考の後、しっかりと頷いた。
「はい。少なくとも、急な雨でありましたし、あの者が気付いていなければその子猫は雨に濡れて弱っていた可能性もあります。もしも、子猫を助ける気がなければ、あの者は知らぬふりをして通り過ぎるだけでよかったのです。誰も気づいていなければ、誰にも見咎められません。」
 ミハイルのしっかりとした推論に、主は苛立たしげに頭を掻いた。
「どうなっているのだ?あの女は!」
「……それは、私にも分かりません。ですが、先日よりの報告通り、真面目にメイドとして働いていると言えると思います。」
 あのリリィ・マクラクランの事であるというのに、ミハイルは嘘を吐くわけにはいかず、自らの目で見た真実を主へと報告する。出来れば主の意に沿うような内容の報告をしたかったが、自分の騎士道精神と良心に照らし合わせてもそれは出来なかった。
「では、失礼いたします。」
 今度こそミハイルは二人に挨拶をして、その場を立ち去っていく。
 ミハイルは濡れた身体を拭くための布をリリィに渡しそびれたことが気になっていた。


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