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29 高橋由里,19

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      二十九

 子猫を預けたまま、団長さんは制止する間もなく行ってしまった。
 高橋由里は、子猫の水気を拭いながらも困っていた。
《そんな猫、早く投げ捨てなさい!いや、それでは足りないわ。いっそ、縊り殺してしまいなさい!いいですね?由里!》
 脳内ではリリィが物騒なことを叫んでいる。
《ルイ殿下は私には何もくださらなかったのに!きぃぃぃぃいぃっ!!!》
 どうやらリリィは自分ではなくセレナに贈られたことが悔しくて堪らないらしい。
 しばらくリリィの怒りは収まりそうもなかった。
(アナタは何も悪くないもんね?)
 リリィがどれだけご立腹であろうと、どんな経緯でやって来たとしても子猫に罪はない。
 由里は雨に濡れたせいで風邪をひかぬように、子猫の世話を焼いていた。
 由里は猫好きであった。
 幼い頃に家で飼うことを許してもらえず、大人になってから猫カフェに通うくらいには猫好きだった。
 それでも、この子猫をずっと可愛がることが出来ない。
 団長さんが帰り次第、迅速に飼い主に届けてもらう方が何かと問題が起きないだろうことは容易に理解できた。できれば、リリィの名を出さずにである。
「……団長さん、早く帰ってこないかしら?」
 怒り心頭のリリィではなく、腕の中の子猫に話しかける。
 子猫は由里の腕の中で、みゃうと返事してくれた。
 子猫はエプロンで何とか水気が拭えたが、人間である由里はそういうわけにはいかない。
 団長さんが帰ってきたらすぐに拭けるように、ひっつめにしていた金髪を解いて頭を振った。
 雨に濡れた金色の髪が、豊かに広がる。
(本当にリリィの髪ってキレイ。)
 元の世界の由里は手のかかる割に野暮ったい黒髪をしていた。それに比べて、リリィの髪は元々手入れをされていたものではあろうが、大した手入れをしなくても美しく輝いているのだった。
「……まさかっ!?」
 そんな由里の背中から、誰かの驚いた声がする。
 抱えていた子猫と一緒に声の方角に振り返ると、そこには運の悪いことにリリィの仇敵・セレナの姿があった。
 一瞬にして由里はタイミングが最悪であることを悟る。
 何を言い訳しようがリリィの言葉など誰も信じないことは、既に学習済みであるのに、由里の腕の中にはあろうことか婚約の際に王子から贈られたという子猫がいるのだ。
(ど、どうしよう!)
「その子をどうするおつもりですの?」
 警戒心剥き出しで、セレナが尋ねてくる。
《今よ!猫を潰しておしまいなさい!いえ、猫を盾に要求するのです!》
 意気揚々とリリィが脳内で役に立たない指示を出してくる。
(ど、どうするも何も……。)
 何と答えたらいいか分からず、由里は口をパクパクと動かすことしかできない。
「セレナ。猫はいたか?」
 由里がうまく返答できない間に、事態をさらに悪化させるような人物が、その場に合流した。
 王子とセレナとリリィと子猫。
 まさに最悪のタイミングでの鉢合わせである。
「リリィお姉さまが、あの子を!」
 案の定、セレナはリリィを指さして王子に危機を訴えた。
 由里は子猫を抱えたまま、絶望に震えた。
(……終わった。絶対、修道院行きだよ、これ。)
「リリィ・マクラクラン!」
 地を這うような王子の怒声が響く。
 由里は言い訳など、この場で何の意味も為さないことを察し、口を閉じる。由里に残されているのは、この場で抵抗せずにおとなしく断罪されることだけだ。たとえ、冤罪であろうと関係ない。何故なら、リリィ・マクラクランであるからだ。
 一触即発。
 婚約者のセレナを自分の背に庇い、王子が一歩前に進み出る。
「その猫をどうするつもりだ?」
 脳内のリリィはセレナを庇う王子の行動一つ一つに金切り声を上げていたが、由里にそんなリリィの発言を聞いてやる余裕はなかった。
 絶体絶命とはこのことか……。
 由里は子猫を抱いたまま、俯くしかできなかった。
「お待ちください!」
 そんな重苦しい空気を切り裂くように、その場に声が割って入る。
 由里が声の方を振り返ると、やって来たのは団長さんだった。
「お、お返しします!」
 そんな団長さんの登場に勇気を得て、由里は子猫を差し出す。
 子猫は宙にぶらんとなり、にゃーと鳴いた。
 団長さんなら経緯を知っている以上、少しくらい由里のことを庇ってくれると期待したかった。その上、猫が無事なら、御咎めも軽く済むかもしれないとも思った。というか、由里に出来るのはそのくらいであった。
 由里から子猫を受け取り、団長さんはセレナに渡してくれる。
 由里はその機を逃さず、勢いよく頭を下げると踵を返す。
「し、失礼します!」
 声が裏返っていたが関係ない。どうせこの場にいたところで何もできないし、いいこともない。
 由里は隙を突いて、脱兎のごとく駆け出したのだった。


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