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28 ミハイル・アイゼンバッハ,9
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二十八
雨が降っていた。
この時期特有の短時間の激しい雨である。
数時間もすれば雨雲は過ぎ去り、洗い流された大地が光を受けてキラキラと輝く。
近衛騎士団長ミハイルは、突然の降雨によって予定変更を余儀なくされていた。本来なら、今頃は騎士団本部に戻って鍛練に付き合う時間だったのだが、ここまで雨が降ってしまえば部下たちも外での鍛練を諦めざるをえない。鍛練が中止となった以上、ミハイルは別の仕事をするために目的地を変更していた。
渡り廊下を足早に進んでいくミハイル。
そのまま通り過ぎようとして、何故かこの雨の中に庭にいる人影が気になって立ち止まる。
その人影は雨だというのに、木に向かって手を広げているメイドのようであった。
(……あれは、何だ?)
雨の中のメイドの不可解な行動が気になり、ミハイルはその人物を注視する。
(……リリィ・マクラクラン?)
その人物は、ミハイルの監視対象であるリリィ・マクラクランその人であった。
とりあえず、別の仕事は諦め、ミハイルは雨の中、リリィの様子を確認するために庭へ降りていく。
(まったく、雨の中、何をしているのだ?あの女は……。)
問題が大きくなる前に対処するのが、ミハイルの最重要任務であるため、雨が降っていようと迅速に庭へと確認しに行かねばならない。
庭に降りると、リリィの声が聞こえてくる。
「降りておいで。」
リリィは両手を広げて木に向かって話しかけているようだった。
「風邪ひいちゃうよ、こっちに来て。」
小走りでリリィへと近づくミハイル。
「何をしている?」
端的に質問しながら呼びかけると、リリィはこちらを振り返って必死な様子で答えてきた。
「あの子が、降りれなくなってるみたいなんです!」
「?」
リリィが指さす木の上には、一匹の小さな子猫が雨に濡れて震えていた。
(……あれは。)
見覚えのある白い子猫に、ミハイルは驚く。
(何故、あの猫がここに?この女の仕業か?)
相手がリリィである以上、何か悪企みの一環かと疑ったが、すぐにその考えをミハイルは打ち消す。もしも、あの猫を害そうというつもりがあるのならば、こんなところで必死に呼びかけたりせずにあの木の上に放置したまま姿を消すだけでいいのだ。雨に濡れてまで誰も通りかからないかもしれない場所で罠を仕掛けるのはあまりにも非効率的だ。今だって、見かけたのがミハイルでなければ先を急いで通り過ぎていただろう。
(それに、リリィはあの猫のことなど知らぬだろうし……。)
あの猫が婚約の証として聖女セレナに贈られたのは、つい先日だ。メイドとして働き、親しい者のいないリリィにそれを知る由もない。
それに、子猫というのは好奇心で高所に上ってしまい、降りられなくなることがある。
ミハイルは雨で滑らぬようにしっかりと枝を掴むと、猫のいる場所まで一気に自分を腕の力で引き上げた。
そして、逃げられぬようにそっと猫に近づき、静かに捕獲する。
猫は大した抵抗もせずに、ミハイルの腕の中に納まった。
ネコを抱え、すぐに木から飛び降りる。
リリィはそんなミハイルに頭を下げてきた。
「あ、ありがとうございます!」
自分の猫でもないだろうに、頭を勢い良く下げて礼を言うリリィが信じられず、ミハイルは事実を告げてやる。
「この猫は、セレナ様にルードヴィッヒ殿下が婚約の証にと贈られたものだ。」
反応を見るためであったが、リリィは大した反応も見せずに頷いた。
「そうですか。」
猫が一瞬の隙を突いて、ミハイルの腕の中から逃げ出す。
逃げ出した先は、あろうことかリリィの腕の中であった。
「と、とりあえず、中に戻りましょう。」
子猫を大切そうに両手で抱きかかえ、雨を避けるようにリリィが走り出す。
(……まるで子猫を慈しんでいるようではないか?)
リリィの後を走りながら、ミハイルはリリィの態度を注意深く観察していた。
屋根の下に入った後も、リリィは自分のエプロンで何とか猫の水分を拭おうとしている。自分は雨の中でびしょ濡れになったというのに、自分の事に構っている様子はない。
子猫もリリィの腕の中で抵抗する様子は見せず大人しくしている。
小動物は敵意や害意を敏感に感じ取るという。どう見ても、眼の前のリリィにはそういう意図がないように思われた。
(……こうして見ると、セレナ様と姉妹なのだな……。)
我が身よりも猫を慈しむ姿に、ミハイルは無意識にそんなことを考えてしまっていた。
だが、すぐにその事実に気付き、驚愕する。
(今、俺は何を考えていた?)
リリィ・マクラクラン相手にまるで警戒心を解くような己の考えを猛省し、ミハイルは表情を引き締める。
「何か拭く物を取ってくる。」
そう告げると、ミハイルは即座に行動を開始するのだった。
雨が降っていた。
この時期特有の短時間の激しい雨である。
数時間もすれば雨雲は過ぎ去り、洗い流された大地が光を受けてキラキラと輝く。
近衛騎士団長ミハイルは、突然の降雨によって予定変更を余儀なくされていた。本来なら、今頃は騎士団本部に戻って鍛練に付き合う時間だったのだが、ここまで雨が降ってしまえば部下たちも外での鍛練を諦めざるをえない。鍛練が中止となった以上、ミハイルは別の仕事をするために目的地を変更していた。
渡り廊下を足早に進んでいくミハイル。
そのまま通り過ぎようとして、何故かこの雨の中に庭にいる人影が気になって立ち止まる。
その人影は雨だというのに、木に向かって手を広げているメイドのようであった。
(……あれは、何だ?)
雨の中のメイドの不可解な行動が気になり、ミハイルはその人物を注視する。
(……リリィ・マクラクラン?)
その人物は、ミハイルの監視対象であるリリィ・マクラクランその人であった。
とりあえず、別の仕事は諦め、ミハイルは雨の中、リリィの様子を確認するために庭へ降りていく。
(まったく、雨の中、何をしているのだ?あの女は……。)
問題が大きくなる前に対処するのが、ミハイルの最重要任務であるため、雨が降っていようと迅速に庭へと確認しに行かねばならない。
庭に降りると、リリィの声が聞こえてくる。
「降りておいで。」
リリィは両手を広げて木に向かって話しかけているようだった。
「風邪ひいちゃうよ、こっちに来て。」
小走りでリリィへと近づくミハイル。
「何をしている?」
端的に質問しながら呼びかけると、リリィはこちらを振り返って必死な様子で答えてきた。
「あの子が、降りれなくなってるみたいなんです!」
「?」
リリィが指さす木の上には、一匹の小さな子猫が雨に濡れて震えていた。
(……あれは。)
見覚えのある白い子猫に、ミハイルは驚く。
(何故、あの猫がここに?この女の仕業か?)
相手がリリィである以上、何か悪企みの一環かと疑ったが、すぐにその考えをミハイルは打ち消す。もしも、あの猫を害そうというつもりがあるのならば、こんなところで必死に呼びかけたりせずにあの木の上に放置したまま姿を消すだけでいいのだ。雨に濡れてまで誰も通りかからないかもしれない場所で罠を仕掛けるのはあまりにも非効率的だ。今だって、見かけたのがミハイルでなければ先を急いで通り過ぎていただろう。
(それに、リリィはあの猫のことなど知らぬだろうし……。)
あの猫が婚約の証として聖女セレナに贈られたのは、つい先日だ。メイドとして働き、親しい者のいないリリィにそれを知る由もない。
それに、子猫というのは好奇心で高所に上ってしまい、降りられなくなることがある。
ミハイルは雨で滑らぬようにしっかりと枝を掴むと、猫のいる場所まで一気に自分を腕の力で引き上げた。
そして、逃げられぬようにそっと猫に近づき、静かに捕獲する。
猫は大した抵抗もせずに、ミハイルの腕の中に納まった。
ネコを抱え、すぐに木から飛び降りる。
リリィはそんなミハイルに頭を下げてきた。
「あ、ありがとうございます!」
自分の猫でもないだろうに、頭を勢い良く下げて礼を言うリリィが信じられず、ミハイルは事実を告げてやる。
「この猫は、セレナ様にルードヴィッヒ殿下が婚約の証にと贈られたものだ。」
反応を見るためであったが、リリィは大した反応も見せずに頷いた。
「そうですか。」
猫が一瞬の隙を突いて、ミハイルの腕の中から逃げ出す。
逃げ出した先は、あろうことかリリィの腕の中であった。
「と、とりあえず、中に戻りましょう。」
子猫を大切そうに両手で抱きかかえ、雨を避けるようにリリィが走り出す。
(……まるで子猫を慈しんでいるようではないか?)
リリィの後を走りながら、ミハイルはリリィの態度を注意深く観察していた。
屋根の下に入った後も、リリィは自分のエプロンで何とか猫の水分を拭おうとしている。自分は雨の中でびしょ濡れになったというのに、自分の事に構っている様子はない。
子猫もリリィの腕の中で抵抗する様子は見せず大人しくしている。
小動物は敵意や害意を敏感に感じ取るという。どう見ても、眼の前のリリィにはそういう意図がないように思われた。
(……こうして見ると、セレナ様と姉妹なのだな……。)
我が身よりも猫を慈しむ姿に、ミハイルは無意識にそんなことを考えてしまっていた。
だが、すぐにその事実に気付き、驚愕する。
(今、俺は何を考えていた?)
リリィ・マクラクラン相手にまるで警戒心を解くような己の考えを猛省し、ミハイルは表情を引き締める。
「何か拭く物を取ってくる。」
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