上 下
26 / 42

25 ミハイル・アイゼンバッハ,8

しおりを挟む
      二十五

 近衛騎士団長ミハイルは、王子ルードヴィッヒの執務室を後にして城内を急いでいた。
 本日も騎士団本部と使用人棟のどちらにも顔を出さねばならない。リリィの監視役を始めてから、ただでさえ忙しい業務が更に増えることとなっていた。
 先程も芳しくない状況に、主の叱責を受けたばかりだ。
「ミハイル!何故、あの女は問題を起こさない!どうなっている?」
 主にそう詰問されたが、ミハイルは答えることが出来なかった。
「監視の目が緩くなっているのか?それとも、あやつは既に内通者でも見つけ、取り込んでいるのか?城内で見かけたことがないという者までおるのだぞ?」
 主の疑問はリリィ・マクラクランという女の存在を知っている者なら尤もだと思うが、それでもミハイルには否と首を振るしかなかった。
「真面目にメイドの仕事に取り組んでいるようです。」
 自分で言っていても信じられない言葉の内容に、主が納得するわけもない。
 主はミハイルの返答を不甲斐ないものとして切り捨て、叱責したのだった。
(殿下のお気持ちも分かるのだが……。)
 ここ数日の憂慮すべき事態のせいで、ミハイルの眉間の皺は深くなっていく。
 だが、業務に忙殺されているミハイルには、立ち止まるような時間はありはしない。ため息一つで気持ちを切り替え、ミハイルは城内を急ぐのだった。
 出来得る限りのスピードで中庭を使用人棟に向けて突っ切ろうとするミハイル。しかし、視界に一人のメイドの姿が入り、ミハイルは足を止めた。
 そのメイドは荷物運びの途中だというのに、荷物の中心で立ち止まっていた。
 何かあったのかと、使用人棟へと向けていた足をそちらに向ける。
 メイドにかなり近づいたところでようやく気付いたが、それはただのメイドではなく渦中のリリィ・マクラクランその人であった。
(……まさか、こんなところでサボっているのか?)
 ようやくリリィ・マクラクランが本性を現し始めたのかと、少しだけミハイルは期待する。これで、主にも良い報告が出来るかもしれない。その期待で、少しだけ眉間の皺は軽くなっていた。
「何をしている?」
 ミハイルが声を掛けると、リリィははっとこちらを振り返った。
「あっ、あの。」
「仕事はどうした?」
 端的にミハイルが尋ねると、リリィは困ったように俯く。
 メイド服を着た今のリリィは以前とは別人のようで、ミハイルは叱責すればいいのか、それとも質問した方がいいのか、次の言葉に迷っていた。
 質素なメイド服に身を包み、化粧っ気はなく、髪もひっつめているリリィは、よほど注意して見ないと、今は知り合いですら気づかずにただのメイドとして通り過ぎてしまう存在となっていた。
 ただのか弱い女性に高圧的に接しているような気がしてしまい、どうしてもミハイルの言葉に以前のリリィを前にしていた時のような威勢はなくなる。
「何かあったのか?」
 結局、少し目線を合わせるように首を傾げながら、尋ねるような声音をリリィへと掛けていた。
 リリィは、何度か躊躇した後、思い切って小さな声で答える。
「あ、あの。…荷物を運んでいたら、その、少し、傷が痛くなってしまって…。…ちょっとだけ、休憩していました……。し、仕事に、戻ります。」
 まるで、ミハイルに見咎められたことに怯え、小動物のように震えて憐憫を誘うような表情をするリリィ。
 よく見てみれば、傷を押さえて痛みを堪えるように前かがみになっている。
 リリィの前にある荷物も、怪我人が持つには少し量や重さが過剰であった。
「これはどこに持っていくものだ?」
「そ、倉庫ですけど……。」
 ミハイルの質問に、リリィは戸惑いながら答える。
 倉庫というのは、きっと家具などが保管されている備品倉庫だろう。今、この場所からはまだ距離がある。
 ミハイルはため息を吐くと、即座に脳内で今日の予定を書き替えた。
 そして、傷を押さえていた手を離しミハイルの視線に怯えるように荷物を持ち上げようとしたリリィを制し、リリィの身体を持ち上げた。
「へっ?」
 驚いた声を上げるリリィに構わず、歩き始める。
「お前は今から怪我の手当てだ。仕事はその後でいい。荷物は私が運んでおく。」
 簡潔に告げて医務室へと急ぐミハイル。
 ミハイルの腕の中でリリィが小さな声で何か言っていたが、取り合う気はなかった。
 何せ業務は立て込んでいて、迷っているような時間はない。
 あのままリリィを放置して、何か別の問題が起きることを考えれば、今、この場で自分が動いた方が良い気がした。
 あとは、メイド長に傷に障るような極端な仕事はリリィに任せないように言っておけばいい。怪我が長引けば、またそれが新たな火種になるかもしれない。
 合理性で判断し、即座に行動に移すミハイル。
 有能な王子の腹心である近衛騎士団長ミハイルには、常に即断即決の判断力と確実な実行力が求められていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

願いの代償

らがまふぃん
恋愛
誰も彼もが軽視する。婚約者に家族までも。 公爵家に生まれ、王太子の婚約者となっても、誰からも認められることのないメルナーゼ・カーマイン。 唐突に思う。 どうして頑張っているのか。 どうして生きていたいのか。 もう、いいのではないだろうか。 メルナーゼが生を諦めたとき、世界の運命が決まった。 *ご都合主義です。わかりづらいなどありましたらすみません。笑って読んでくださいませ。本編15話で完結です。番外編を数話、気まぐれに投稿します。よろしくお願いいたします。 ※ありがたいことにHOTランキング入りいたしました。たくさんの方の目に触れる機会に感謝です。本編は終了しましたが、番外編も投稿予定ですので、気長にお付き合いくださると嬉しいです。たくさんのお気に入り登録、しおり、エール、いいねをありがとうございます。R7.1/31

愛妾と暮らす夫に飽き飽きしたので、私も自分の幸せを選ばせてもらいますね

ネコ
恋愛
呉服で財を成し華族入りした葉室家だが、経営破綻の危機に陥っていた。 娘の綾乃は陸軍士官・堀口との縁組を押し付けられるものの、夫は愛妾と邸で暮らす始末。 “斜陽館”と呼ばれる離れで肩身を狭くする綾乃。 だが、亡き父の遺品に隠された一大機密を知ったことで状況は一変。 綾乃は幸せな生活を見出すようになり、そして堀口と愛妾は地獄に突き落とされるのだった。

ボロボロになるまで働いたのに見た目が不快だと追放された聖女は隣国の皇子に溺愛される。……ちょっと待って、皇子が三つ子だなんて聞いてません!

沙寺絃
恋愛
ルイン王国の神殿で働く聖女アリーシャは、早朝から深夜まで一人で激務をこなしていた。 それなのに聖女の力を理解しない王太子コリンから理不尽に追放を言い渡されてしまう。 失意のアリーシャを迎えに来たのは、隣国アストラ帝国からの使者だった。 アリーシャはポーション作りの才能を買われ、アストラ帝国に招かれて病に臥せった皇帝を助ける。 帝国の皇子は感謝して、アリーシャに深い愛情と敬意を示すようになる。 そして帝国の皇子は十年前にアリーシャと出会った事のある初恋の男の子だった。 再会に胸を弾ませるアリーシャ。しかし、衝撃の事実が発覚する。 なんと、皇子は三つ子だった! アリーシャの幼馴染の男の子も、三人の皇子が入れ替わって接していたと判明。 しかも病から復活した皇帝は、アリーシャを皇子の妃に迎えると言い出す。アリーシャと結婚した皇子に、次の皇帝の座を譲ると宣言した。 アリーシャは個性的な三つ子の皇子に愛されながら、誰と結婚するか決める事になってしまう。 一方、アリーシャを追放したルイン王国では暗雲が立ち込め始めていた……。

召喚聖女に嫌われた召喚娘

ざっく
恋愛
闇に引きずり込まれてやってきた異世界。しかし、一緒に来た見覚えのない女の子が聖女だと言われ、亜優は放置される。それに文句を言えば、聖女に悲しげにされて、その場の全員に嫌われてしまう。 どうにか、仕事を探し出したものの、聖女に嫌われた娘として、亜優は魔物が闊歩するという森に捨てられてしまった。そこで出会った人に助けられて、亜優は安全な場所に帰る。

神のいとし子は追放された私でした〜異母妹を選んだ王太子様、今のお気持ちは如何ですか?〜

星里有乃
恋愛
「アメリアお姉様は、私達の幸せを考えて、自ら身を引いてくださいました」 「オレは……王太子としてではなく、一人の男としてアメリアの妹、聖女レティアへの真実の愛に目覚めたのだ!」 (レティアったら、何を血迷っているの……だって貴女本当は、霊感なんてこれっぽっちも無いじゃない!)  美貌の聖女レティアとは対照的に、とにかく目立たない姉のアメリア。しかし、地味に装っているアメリアこそが、この国の神のいとし子なのだが、悪魔と契約した妹レティアはついに姉を追放してしまう。  やがて、神のいとし子の祈りが届かなくなった国は災いが増え、聖女の力を隠さなくなったアメリアに救いの手を求めるが……。 * 2023年01月15日、連載完結しました。 * ヒロインアメリアの相手役が第1章は精霊ラルド、第2章からは隣国の王子アッシュに切り替わります。最終章に該当する黄昏の章で、それぞれの関係性を決着させています。お読みくださった読者様、ありがとうございました! * 初期投稿ではショートショート作品の予定で始まった本作ですが、途中から長編版に路線を変更して完結させました。 * この作品は小説家になろうさんとアルファポリスさんに投稿しております。 * ブクマ、感想、ありがとうございます。

戦いに行ったはずの騎士様は、女騎士を連れて帰ってきました。

新野乃花(大舟)
恋愛
健気にカサルの帰りを待ち続けていた、彼の婚約者のルミア。しかし帰還の日にカサルの隣にいたのは、同じ騎士であるミーナだった。親し気な様子をアピールしてくるミーナに加え、カサルもまた満更でもないような様子を見せ、ついにカサルはルミアに婚約破棄を告げてしまう。これで騎士としての真実の愛を手にすることができたと豪語するカサルであったものの、彼はその後すぐにあるきっかけから今夜破棄を大きく後悔することとなり…。

許婚と親友は両片思いだったので2人の仲を取り持つことにしました

結城芙由奈@12/27電子書籍配信中
恋愛
<2人の仲を応援するので、どうか私を嫌わないでください> 私には子供のころから決められた許嫁がいた。ある日、久しぶりに再会した親友を紹介した私は次第に2人がお互いを好きになっていく様子に気が付いた。どちらも私にとっては大切な存在。2人から邪魔者と思われ、嫌われたくはないので、私は全力で許嫁と親友の仲を取り持つ事を心に決めた。すると彼の評判が悪くなっていき、それまで冷たかった彼の態度が軟化してきて話は意外な展開に・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

帰還した聖女と王子の婚約破棄騒動

しがついつか
恋愛
聖女は激怒した。 国中の瘴気を中和する偉業を成し遂げた聖女を労うパーティで、王子が婚約破棄をしたからだ。 「あなた、婚約者がいたの?」 「あ、あぁ。だが、婚約は破棄するし…」 「最っ低!」

処理中です...