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25 ミハイル・アイゼンバッハ,8
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二十五
近衛騎士団長ミハイルは、王子ルードヴィッヒの執務室を後にして城内を急いでいた。
本日も騎士団本部と使用人棟のどちらにも顔を出さねばならない。リリィの監視役を始めてから、ただでさえ忙しい業務が更に増えることとなっていた。
先程も芳しくない状況に、主の叱責を受けたばかりだ。
「ミハイル!何故、あの女は問題を起こさない!どうなっている?」
主にそう詰問されたが、ミハイルは答えることが出来なかった。
「監視の目が緩くなっているのか?それとも、あやつは既に内通者でも見つけ、取り込んでいるのか?城内で見かけたことがないという者までおるのだぞ?」
主の疑問はリリィ・マクラクランという女の存在を知っている者なら尤もだと思うが、それでもミハイルには否と首を振るしかなかった。
「真面目にメイドの仕事に取り組んでいるようです。」
自分で言っていても信じられない言葉の内容に、主が納得するわけもない。
主はミハイルの返答を不甲斐ないものとして切り捨て、叱責したのだった。
(殿下のお気持ちも分かるのだが……。)
ここ数日の憂慮すべき事態のせいで、ミハイルの眉間の皺は深くなっていく。
だが、業務に忙殺されているミハイルには、立ち止まるような時間はありはしない。ため息一つで気持ちを切り替え、ミハイルは城内を急ぐのだった。
出来得る限りのスピードで中庭を使用人棟に向けて突っ切ろうとするミハイル。しかし、視界に一人のメイドの姿が入り、ミハイルは足を止めた。
そのメイドは荷物運びの途中だというのに、荷物の中心で立ち止まっていた。
何かあったのかと、使用人棟へと向けていた足をそちらに向ける。
メイドにかなり近づいたところでようやく気付いたが、それはただのメイドではなく渦中のリリィ・マクラクランその人であった。
(……まさか、こんなところでサボっているのか?)
ようやくリリィ・マクラクランが本性を現し始めたのかと、少しだけミハイルは期待する。これで、主にも良い報告が出来るかもしれない。その期待で、少しだけ眉間の皺は軽くなっていた。
「何をしている?」
ミハイルが声を掛けると、リリィははっとこちらを振り返った。
「あっ、あの。」
「仕事はどうした?」
端的にミハイルが尋ねると、リリィは困ったように俯く。
メイド服を着た今のリリィは以前とは別人のようで、ミハイルは叱責すればいいのか、それとも質問した方がいいのか、次の言葉に迷っていた。
質素なメイド服に身を包み、化粧っ気はなく、髪もひっつめているリリィは、よほど注意して見ないと、今は知り合いですら気づかずにただのメイドとして通り過ぎてしまう存在となっていた。
ただのか弱い女性に高圧的に接しているような気がしてしまい、どうしてもミハイルの言葉に以前のリリィを前にしていた時のような威勢はなくなる。
「何かあったのか?」
結局、少し目線を合わせるように首を傾げながら、尋ねるような声音をリリィへと掛けていた。
リリィは、何度か躊躇した後、思い切って小さな声で答える。
「あ、あの。…荷物を運んでいたら、その、少し、傷が痛くなってしまって…。…ちょっとだけ、休憩していました……。し、仕事に、戻ります。」
まるで、ミハイルに見咎められたことに怯え、小動物のように震えて憐憫を誘うような表情をするリリィ。
よく見てみれば、傷を押さえて痛みを堪えるように前かがみになっている。
リリィの前にある荷物も、怪我人が持つには少し量や重さが過剰であった。
「これはどこに持っていくものだ?」
「そ、倉庫ですけど……。」
ミハイルの質問に、リリィは戸惑いながら答える。
倉庫というのは、きっと家具などが保管されている備品倉庫だろう。今、この場所からはまだ距離がある。
ミハイルはため息を吐くと、即座に脳内で今日の予定を書き替えた。
そして、傷を押さえていた手を離しミハイルの視線に怯えるように荷物を持ち上げようとしたリリィを制し、リリィの身体を持ち上げた。
「へっ?」
驚いた声を上げるリリィに構わず、歩き始める。
「お前は今から怪我の手当てだ。仕事はその後でいい。荷物は私が運んでおく。」
簡潔に告げて医務室へと急ぐミハイル。
ミハイルの腕の中でリリィが小さな声で何か言っていたが、取り合う気はなかった。
何せ業務は立て込んでいて、迷っているような時間はない。
あのままリリィを放置して、何か別の問題が起きることを考えれば、今、この場で自分が動いた方が良い気がした。
あとは、メイド長に傷に障るような極端な仕事はリリィに任せないように言っておけばいい。怪我が長引けば、またそれが新たな火種になるかもしれない。
合理性で判断し、即座に行動に移すミハイル。
有能な王子の腹心である近衛騎士団長ミハイルには、常に即断即決の判断力と確実な実行力が求められていた。
近衛騎士団長ミハイルは、王子ルードヴィッヒの執務室を後にして城内を急いでいた。
本日も騎士団本部と使用人棟のどちらにも顔を出さねばならない。リリィの監視役を始めてから、ただでさえ忙しい業務が更に増えることとなっていた。
先程も芳しくない状況に、主の叱責を受けたばかりだ。
「ミハイル!何故、あの女は問題を起こさない!どうなっている?」
主にそう詰問されたが、ミハイルは答えることが出来なかった。
「監視の目が緩くなっているのか?それとも、あやつは既に内通者でも見つけ、取り込んでいるのか?城内で見かけたことがないという者までおるのだぞ?」
主の疑問はリリィ・マクラクランという女の存在を知っている者なら尤もだと思うが、それでもミハイルには否と首を振るしかなかった。
「真面目にメイドの仕事に取り組んでいるようです。」
自分で言っていても信じられない言葉の内容に、主が納得するわけもない。
主はミハイルの返答を不甲斐ないものとして切り捨て、叱責したのだった。
(殿下のお気持ちも分かるのだが……。)
ここ数日の憂慮すべき事態のせいで、ミハイルの眉間の皺は深くなっていく。
だが、業務に忙殺されているミハイルには、立ち止まるような時間はありはしない。ため息一つで気持ちを切り替え、ミハイルは城内を急ぐのだった。
出来得る限りのスピードで中庭を使用人棟に向けて突っ切ろうとするミハイル。しかし、視界に一人のメイドの姿が入り、ミハイルは足を止めた。
そのメイドは荷物運びの途中だというのに、荷物の中心で立ち止まっていた。
何かあったのかと、使用人棟へと向けていた足をそちらに向ける。
メイドにかなり近づいたところでようやく気付いたが、それはただのメイドではなく渦中のリリィ・マクラクランその人であった。
(……まさか、こんなところでサボっているのか?)
ようやくリリィ・マクラクランが本性を現し始めたのかと、少しだけミハイルは期待する。これで、主にも良い報告が出来るかもしれない。その期待で、少しだけ眉間の皺は軽くなっていた。
「何をしている?」
ミハイルが声を掛けると、リリィははっとこちらを振り返った。
「あっ、あの。」
「仕事はどうした?」
端的にミハイルが尋ねると、リリィは困ったように俯く。
メイド服を着た今のリリィは以前とは別人のようで、ミハイルは叱責すればいいのか、それとも質問した方がいいのか、次の言葉に迷っていた。
質素なメイド服に身を包み、化粧っ気はなく、髪もひっつめているリリィは、よほど注意して見ないと、今は知り合いですら気づかずにただのメイドとして通り過ぎてしまう存在となっていた。
ただのか弱い女性に高圧的に接しているような気がしてしまい、どうしてもミハイルの言葉に以前のリリィを前にしていた時のような威勢はなくなる。
「何かあったのか?」
結局、少し目線を合わせるように首を傾げながら、尋ねるような声音をリリィへと掛けていた。
リリィは、何度か躊躇した後、思い切って小さな声で答える。
「あ、あの。…荷物を運んでいたら、その、少し、傷が痛くなってしまって…。…ちょっとだけ、休憩していました……。し、仕事に、戻ります。」
まるで、ミハイルに見咎められたことに怯え、小動物のように震えて憐憫を誘うような表情をするリリィ。
よく見てみれば、傷を押さえて痛みを堪えるように前かがみになっている。
リリィの前にある荷物も、怪我人が持つには少し量や重さが過剰であった。
「これはどこに持っていくものだ?」
「そ、倉庫ですけど……。」
ミハイルの質問に、リリィは戸惑いながら答える。
倉庫というのは、きっと家具などが保管されている備品倉庫だろう。今、この場所からはまだ距離がある。
ミハイルはため息を吐くと、即座に脳内で今日の予定を書き替えた。
そして、傷を押さえていた手を離しミハイルの視線に怯えるように荷物を持ち上げようとしたリリィを制し、リリィの身体を持ち上げた。
「へっ?」
驚いた声を上げるリリィに構わず、歩き始める。
「お前は今から怪我の手当てだ。仕事はその後でいい。荷物は私が運んでおく。」
簡潔に告げて医務室へと急ぐミハイル。
ミハイルの腕の中でリリィが小さな声で何か言っていたが、取り合う気はなかった。
何せ業務は立て込んでいて、迷っているような時間はない。
あのままリリィを放置して、何か別の問題が起きることを考えれば、今、この場で自分が動いた方が良い気がした。
あとは、メイド長に傷に障るような極端な仕事はリリィに任せないように言っておけばいい。怪我が長引けば、またそれが新たな火種になるかもしれない。
合理性で判断し、即座に行動に移すミハイル。
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