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20 高橋由里,13

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      二十

 騎士団の本部にあるという休憩室に数日滞在した後、怪我の具合も良くなってきたので高橋由里はそこを出ることになった。
 出ると言われて、騎士団長のミハイルに付いていくことになったのだが、今後の由里の処遇についてはまだ何も聞かされていない。由里の心は自分の将来への不安でいっぱいだった。
(もしかして、もう修道院に連れてかれちゃうのかな……。)
 監視されて隔離されていたような数日間であったので、由里には自由どころか話し相手すらリリィ以外なく、だからといって人の目がある以上リリィと大声で話すことも出来ず、こそこそとたまにリリィの言葉に小声で返事をするくらいしかできなかった。(リリィは周りの目を気にしてあまり返事をしない由里に、自分のことを無視するなとご立腹だったりして、結構面倒だった。)なので、元の世界に帰る方法など全く見つかっていない。それどころか、自分が今置かれている状況すら理解できていなかった。その上、リリィの話しか聞いていないので、リリィの置かれている状況すら正確に把握しているとは言い難かった。
《ようやく私を解放する気になったのね?ふんっ!遅すぎるくらいだわ。》
 リリィが都合のいいように解釈している。由里はリリィのおめでたい見解には賛同できなかった。
 そもそも、リリィはこの騎士団長のことを悪しざまに罵るが、この方のご厚意がなければ、リリィの身体はまともな手当てもされず、修道院にぶち込まれていてもおかしくはなかったのだ。由里は、そう確信していた。
 この数日間、暇を持て余した由里に出来たのは、リリィの無駄話を聞くことと現状について思いを馳せることくらいであった。なので、悪役令嬢(由里にとっては決定事項)の身体に入って、その悪役令嬢が成敗されて追放されつつある現在の状況が、由里にとっても芳しくないものであることは容易に想像できていた。
 他にこの数日間でしたことといえば、あとは読書くらいである。
 由里が元の世界から一緒に連れてきたらしいあの『愛され女子になる方法』というタイトルのピンク色の本を、由里は他にすることもないため、しっかりと読み込むことになった。
 そして、分かったことは、自分は『愛され女子』になるのは無理そうだということだ。
 『愛され女子』になることが、かくも険しき道であるとは由里は想像だにしていなかった。確かに、由里は『愛され女子』として生きてきた経験はないし、『愛され女子』になりたかったわけではなく愛する人に愛されたかっただけであったが、多分、そういうところも全て由里が甘かったということだというのが、本を読んで身に染みた。もしも、『愛され女子』がみんな、あんなことを日常的に考え実行しているのだとしたら、由里に太刀打ちできるわけなどない。愛されなくて当然である。
 『愛され女子』というのは、計略を張り巡らし、相手の反応を細部までつぶさに観察し、効果的な手を打ち続けながら、他人から見た自分の印象を自分の都合のいいように操作し続けなければならないらしい。その上、相手を飽きさせないように、時には翻弄するというサービスなんかも必要らしい。もちろん、生まれた時から備わった愛嬌や魅力などの天然成分でそれが出来る選ばれし者がいないわけではないが、『愛され女子になる方法』というのは、『愛され女子』としての天賦の才を持たぬ者が努力する術を記したものである。それは、艱難辛苦に満ちた荊の道そのものであった。
(……こんなこと毎日できないよ。)
 読破した由里には徒労感しか残らなかった。
 それでも、自分の置かれた現状を少しでも変えるためには、何かしなくてはと由里は切迫した気持ちから、少しでも自分に出来そうなことをピックアップしてみた。
 ……してみたのだが、殆どなかった。
 そもそも男性経験もなく、コミュ力も高いわけでもなく、計算高さも持ち合わせない由里に手も足も出ないのは火を見るより明らかであった。
 由里に出来たのは、『愛され女子、天晴れ』という称賛を贈ることくらいだった。
《この男は、私をどこに連れていくつもりですの?》
 黙って大人しく団長に従う由里の脳内で、リリィが鼻を鳴らして文句を言い始める。先程まで、解放される気でいたリリィにも、何かがおかしいということは分かったらしい。
 きびきびと歩く騎士団長は長身で足も長い、そのため由里は小走りで付いていかなくてはならなかった。いくらリリィの足が元の由里のものよりも長いとはいっても、絶対的な身長差がリリィの身体と騎士団長には存在した。
 言葉を発することのないまま騎士として敷地を堂々と闊歩する団長ミハイルと、その後ろをちょこちょこと付いていく由里。
 庭や渡り廊下などをそのまま進み、ようやく団長のミハイルが立ち止まったのは、日陰に位置する一つの建物の前だった。
《ここは?》
 建物を見上げる由里の脳内で、リリィが疑問を持っている。どうやら、貴族令嬢であるリリィも良く知らない場所だということが由里には分かった。
「ここは使用人棟だ。」
 リリィの声は聞こえていないだろうが、ミハイルは端的に答えてくれる。
 そして、まだ状況の分かっていない由里に、説明を始めた。
「先日、お前は何でもすると言ったな?そこで、ルードヴィッヒ殿下がお前の処遇をお決めになった。怪我が完治するまで当面の処置として、メイドとして仕えるように。」
「……メイド。」
《メイドですって!?》
 由里の脳内にリリィの怒声が響き渡る。
 だが、由里にはそこまで怒るようなことではないように思えた。
(……まあ、分かりやすい処置だよね。)
 身分制度が確立された社会において、身分を下げるというのは分かりやすい懲罰である。自らの地位に対して誇りを持つ貴族令嬢なら、怒るのは当然と言えたので、リリィが怒声を響かせても由里は納得した。
「返事はどうした?」
 不服か?と言わんばかりの表情で、団長のミハイルは尋ねてくる。
 リリィは脳内で大暴れしていたが、由里は無視して素直に返事をした。
「はい、かしこまりました。」
「……。ならば、あとはメイド長の指示をよく聞くように。」
 由里が素直に返事をしたことに、団長は少し驚いていた。きっとこれまでのリリィなら怒り狂って大暴れしていただろうし、今回もそうするに違いないと思われていたようだ。
 だが、今、この身体の支配権は由里にある。由里は貴族でも何でもないので、メイドと言われても、『はい、そうですか』くらいの感想しか持たなかった。
(……まだ、もう少し修道院に行かなくてもよさそう。)
 それどころか修道院に即追放という、想定していた中で最悪の事態は避けられたので、ちょっと希望が湧き始めていた。
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