上 下
10 / 32

9 ミハイル・アイゼンバッハ,1

しおりを挟む
     九

 近衛騎士団長ミハイル・アイゼンバッハは焦っていた。
 本来ならば今頃は、幼い頃から仕える王子ルードヴィッヒの婚約式の警護に着いているはずの時間だった。
 だが、突然のトラブルにより近衛騎士団長である自らが出向かなければならない不測の事態が起きていた。このままではこの国の将来を担っていく王子とその夫人になる方の婚約式に何らかの問題が起きることさえ考えられる。そうなれば輝かしいはずのこの国の未来に影を落とすことになりかねない。婚約式の中止すら進言することも考えたが、既に式は始まっており、だったらむしろ自分が場を収めるために出向くことで何事も無く式を遂行させられたらと、そう決意しての行動である。
 街道を全速力で馬を走らせながら進む。
(くそっ。なぜこのようなことにっ!)
 舌打ちしながらも馬の速度を更に上げるために鞭を入れる。
「はっ!」
 乗り慣れた愛馬は、主人の気持ちを察するかのごとく、更なる気合いで速度を上げていく。
 猛スピードで街道を進む騎士の姿は緊迫した状況の象徴である。
 街道を通り過ぎる者たちも何事かと思い、通り過ぎていく騎馬の姿を目で追っていく。
 通り過ぎたのが近衛騎士団長本人であることを知ったら、通行人たちはどれほどの驚愕と不安を感じるのであろうか?むしろ恐怖すら感じてもおかしくはない。
 民心を悪戯に不安がらせることは得策とは言えないが、そんなことを差し置いても団長自らが疾駆せねばならぬほど事態は緊迫していた。
『悪名高き侯爵令嬢リリィ・マクラクランの失踪。』
 婚約式の警備責任者として指揮をしていたミハイルの元に、その知らせが届けられたのは先ほどの事である。
 今朝、今までの悪逆非道の行いの数々の責を負わされ、かの令嬢が修道院へと永久追放されることになった。だがよりにもよって、その修道院への護送中に何らかの問題が発生したらしい。いつまで経っても軟禁予定の修道院に護送の馬車が到着したという報告が届けられることはなかった。出立時刻から考えても、昼過ぎには到着するはずの馬車がである。
 現在は午後の日が傾き始める時刻。
 午前から始まった婚約式は式典などを終え、夕刻からは婚約披露の宴へと移り変わり佳境へと進んでいく予定だ。
 各地の斥候を使い、すぐさま情報を収集したが、どうやらかの令嬢を乗せた馬車は街道の途中で忽然と姿を消したらしい。予定ルートの半分を過ぎた辺りで、目撃情報がぱたりと消えたのだ。
 酷く嫌な予感がして、いても立ってもいられず、ミハイルは自ら捜索の任に当たることにしていた。
 この国で王子の婚約者としての身分を笠に着て、己の欲望のままにふるまい続けたリリィ・マクラクラン。あまりの暴虐さに王子自らが断罪することになるまで、かの令嬢の愚行は止まることはなかった。
 王子ルードヴィッヒと新しい婚約者となったリリィの妹で聖女として名高いセレナ・マクラクランの二人によって成敗されることになり、ようやく王国に平穏が齎されようという矢先、またもあの令嬢によって王国に悪夢が齎されることは何としても避けねばならない。
(……あの女ならば、護送の最中に逃げ出し、婚約式をぶち壊しに来るくらいのことはやりかねない。)
 どれだけ厳重に護送しても、どんな手を使っても逃げ出しそうなしぶとさを持つからこそ、あの令嬢は今まで好き勝手に振舞っていてもなお中々断罪まで漕ぎ着けられなかったのだ。その上、ずる賢い策略家で、人の弱みを握るのが天才的なのがかの令嬢の強みである。騎士たちも知らぬ間に、自分の手駒をどこかに潜ませていても何らおかしくはない。
 周到に護送計画を立てたつもりでいたが、それでもかの令嬢相手では全く足りなかったと見える。
 ミハイルは自らの愚かさに唇を噛んでいた。
(……あの方の幸せのためにも、何としてもあの女を捕らえる!)
 自らの失態は自らの手でけりをつける。そう決意して、ミハイルは馬を走らせる。
 その脳裏には美しい聖女の面影が浮かんでいた。
 
 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

貴方を捨てるのにこれ以上の理由が必要ですか?

蓮実 アラタ
恋愛
「リズが俺の子を身ごもった」 ある日、夫であるレンヴォルトにそう告げられたリディス。 リズは彼女の一番の親友で、その親友と夫が関係を持っていたことも十分ショックだったが、レンヴォルトはさらに衝撃的な言葉を放つ。 「できれば子どもを産ませて、引き取りたい」 結婚して五年、二人の間に子どもは生まれておらず、伯爵家当主であるレンヴォルトにはいずれ後継者が必要だった。 愛していた相手から裏切り同然の仕打ちを受けたリディスはこの瞬間からレンヴォルトとの離縁を決意。 これからは自分の幸せのために生きると決意した。 そんなリディスの元に隣国からの使者が訪れる。 「迎えに来たよ、リディス」 交わされた幼い日の約束を果たしに来たという幼馴染のユルドは隣国で騎士になっていた。 裏切られ傷ついたリディスが幼馴染の騎士に溺愛されていくまでのお話。 ※完結まで書いた短編集消化のための投稿。 小説家になろう様にも掲載しています。アルファポリス先行。

婚約破棄された私は、処刑台へ送られるそうです

秋月乃衣
恋愛
ある日システィーナは婚約者であるイデオンの王子クロードから、王宮敷地内に存在する聖堂へと呼び出される。 そこで聖女への非道な行いを咎められ、婚約破棄を言い渡された挙句投獄されることとなる。 いわれの無い罪を否定する機会すら与えられず、寒く冷たい牢の中で断頭台に登るその時を待つシスティーナだったが── 他サイト様でも掲載しております。

強い祝福が原因だった

恋愛
大魔法使いと呼ばれる父と前公爵夫人である母の不貞により生まれた令嬢エイレーネー。 父を憎む義父や義父に同調する使用人達から冷遇されながらも、エイレーネーにしか姿が見えないうさぎのイヴのお陰で孤独にはならずに済んでいた。 大魔法使いを王国に留めておきたい王家の思惑により、王弟を父に持つソレイユ公爵家の公子ラウルと婚約関係にある。しかし、彼が愛情に満ち、優しく笑い合うのは義父の娘ガブリエルで。 愛される未来がないのなら、全てを捨てて実父の許へ行くと決意した。 ※「殿下が好きなのは私だった」と同じ世界観となりますが此方の話を読まなくても大丈夫です。 ※なろうさんにも公開しています。

悪妃の愛娘

りーさん
恋愛
 私の名前はリリー。五歳のかわいい盛りの王女である。私は、前世の記憶を持っていて、父子家庭で育ったからか、母親には特別な思いがあった。  その心残りからか、転生を果たした私は、母親の王妃にそれはもう可愛がられている。  そんなある日、そんな母が父である国王に怒鳴られていて、泣いているのを見たときに、私は誓った。私がお母さまを幸せにして見せると!  いろいろ調べてみると、母親が悪妃と呼ばれていたり、腹違いの弟妹がひどい扱いを受けていたりと、お城は問題だらけ!  こうなったら、私が全部解決してみせるといろいろやっていたら、なんでか父親に構われだした。  あんたなんてどうでもいいからほっといてくれ!

妹と寝たんですか?エセ聖女ですよ?~妃の座を奪われかけた令嬢の反撃~

岡暁舟
恋愛
100年に一度の確率で、令嬢に宿るとされる、聖なる魂。これを授かった令嬢は聖女と認定され、無条件で時の皇帝と婚約することになる。そして、その魂を引き当てたのが、この私、エミリー・バレットである。 本来ならば、私が皇帝と婚約することになるのだが、どういうわけだか、偽物の聖女を名乗る不届き者がいるようだ。その名はジューン・バレット。私の妹である。 別にどうしても皇帝と婚約したかったわけではない。でも、妹に裏切られたと思うと、少し癪だった。そして、既に二人は一夜を過ごしてしまったそう!ジューンの笑顔と言ったら……ああ、憎たらしい! そんなこんなで、いよいよ私に名誉挽回のチャンスが回ってきた。ここで私が聖女であることを証明すれば……。

お嬢様はお亡くなりになりました。

豆狸
恋愛
「お嬢様は……十日前にお亡くなりになりました」 「な……なにを言っている?」

【完結】皇太子の愛人が懐妊した事を、お妃様は結婚式の一週間後に知りました。皇太子様はお妃様を愛するつもりは無いようです。

五月ふう
恋愛
 リックストン国皇太子ポール・リックストンの部屋。 「マティア。僕は一生、君を愛するつもりはない。」  今日は結婚式前夜。婚約者のポールの声が部屋に響き渡る。 「そう……。」  マティアは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとソファーに身を預けた。    明日、ポールの花嫁になるはずの彼女の名前はマティア・ドントール。ドントール国第一王女。21歳。  リッカルド国とドントール国の和平のために、マティアはこの国に嫁いできた。ポールとの結婚は政略的なもの。彼らの意志は一切介入していない。 「どんなことがあっても、僕は君を王妃とは認めない。」  ポールはマティアを憎しみを込めた目でマティアを見つめる。美しい黒髪に青い瞳。ドントール国の宝石と評されるマティア。 「私が……ずっと貴方を好きだったと知っても、妻として認めてくれないの……?」 「ちっ……」  ポールは顔をしかめて舌打ちをした。   「……だからどうした。幼いころのくだらない感情に……今更意味はない。」  ポールは険しい顔でマティアを睨みつける。銀色の髪に赤い瞳のポール。マティアにとってポールは大切な初恋の相手。 だが、ポールにはマティアを愛することはできない理由があった。 二人の結婚式が行われた一週間後、マティアは衝撃の事実を知ることになる。 「サラが懐妊したですって‥‥‥!?」

妹に婚約者を奪われ、聖女の座まで譲れと言ってきたので潔く譲る事にしました。〜あなたに聖女が務まるといいですね?〜

雪島 由
恋愛
聖女として国を守ってきたマリア。 だが、突然妹ミアとともに現れた婚約者である第一王子に婚約を破棄され、ミアに聖女の座まで譲れと言われてしまう。 国を頑張って守ってきたことが馬鹿馬鹿しくなったマリアは潔くミアに聖女の座を譲って国を離れることを決意した。 「あ、そういえばミアの魔力量じゃ国を守護するの難しそうだけど……まぁなんとかするよね、きっと」 *この作品はなろうでも連載しています。

処理中です...