俺を食べればいいんじゃない?

夢追子

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side隼人

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   『俺を食べればいいんじゃない?』(Side.隼人)
 
 「あー、腹減った……。」
 どこかの少年漫画の主人公のようなセリフを吐きながら、俺は帰路に着いていた。
 先程から空腹を訴える腹の虫は鳴きっ放しだ。
 大学から歩いて十分。学生街に建てられた古い二階建てのアパートが、俺が住んでいる学生寮だ。住人は男子ばかりが十人前後。個人用の部屋と共用スペースがあり、住み心地はさほど悪くない。まあ、文句を言えばきりがないが、家賃相場から考えれば学生寮としては上々だろう。
 物流倉庫でのバイトを終え、空腹を抱えて歩き続ける。
 腹の虫は今すぐにでも近くの飲食店に入ってしまえと急かしてくるが、如何せん給料日前で懐具合が寂しい。
 できれば夕食は、家の近くにあるリーズナブルで良心的な定食屋「ひまわり」くらいで済ませたい。
(あそこはオバちゃんが量もサービスしてくれるからな……。)
 田舎の故郷を思い出させるような定食屋のオバちゃんの笑顔を思い出したら、余計に腹が減ってきた。
 少しでも早く夕食にありつくためにも、俺は家路を急ぐ。
 バイト帰りで疲れてはいるが、競歩くらいのスピードは余裕で出ていた。
 しばらく空腹と格闘しながら道を歩いていると、ようやくアパートの外観が見えてくる。
 そのまま更にアパートを越えて五分ほどで定食屋「ひまわり」に到着するが、俺は一度学生寮のアパートに帰宅することにした。
 入り口を抜けてすぐの共用スペース。
「あーっ、バイトきっつー、疲れたー。」
 帰宅の挨拶のつもりで口を開いたのだが、返る言葉はない。
 いつもは住人で騒がしいその場所が、今日はえらく静かだった。
 きょろきょろと室内を見回す。
「お疲れー。」
 共用スペースにあるソファから、マイペースに返される言葉。
 誰もいないと思われた室内で、静かに存在していたのは怜だった。
「あれ?みんなは?」
「んー?なんか、腹減ったからメシ食いに行った。」
 出会った時からマイペースを崩さない独特の空気感を持つ怜は、スマホを持ったままこちらに視線を向けて答えた。
(…家に帰らずに、直接行けばよかった……。)
 一度、家に帰るという選択をした自分が恨めしい。道連れでもいればいいかと思ったのだが、既に道連れ候補たちは先んじて定食屋へと向かってしまったらしい。
「えーっ、俺も腹減ってんのにー。」
 既に空腹は限界だ。
 定食屋へと向かう五分の時間も我慢できないかもしれない。
 俺は何とか腹の虫を宥めながら、共用スペースに置いてある冷蔵庫へと向かった。
(……せめて、何か少し腹に入れたい……。)
「何か食うもんねぇかなー。」
 冷蔵庫を開き、中を物色する。
 冷蔵庫の前にしゃがみ込んで陣取り、格闘してはいるが大したものは入っていない。誰も殊勝な心掛けで補充しないのだから、当たり前と言えば当たり前なのだが。
「アイツら、いつ頃行った?」
 タイミングが悪い自分を呪いながら、背中を向けたまま怜へと尋ねる。
 怜はいつもののんびりした口調で、俺の質問に答えてくれた。
「少し前。」
「お前は行かねぇの?」
「そんなに腹減ってないし…。」
 怜は俺と違い、燃費がいいらしい。皆で定食屋に行っても、大盛りを頼んでいるのを見たことがない。というか、食事をしている場面に出くわすこともレアケースなのだ。
 反対にこちらは運動量も高く、燃費がすこぶる悪い。こういうところは、少し怜が羨ましい。アイツはいつもソファに寝そべって、スマホを触っている。だからといって、コミュ障と言うほどではなく、どちらかというと個人主義なのだろう。
 運動部で育ってきた俺とは違い、怜は文化部で学生時代を過ごしてきたのではないかと勝手に俺は思っている。
 冷蔵庫に入っているのは飲み物、酒、調味料などで、腹の足しになりそうな物などいくら探しても出て来ない。
 そろそろ空腹も限界を超えてきた。
 冷蔵庫の物色を諦め、空腹を抱えたままでも定食屋へ向かった方がよさそうだと、気持ちを切り替えた矢先、それは起きた。
「?」
 突然の出来事に固まる俺。
 思考は停止し、状況が把握できない。
 鈍った頭で理解できたのは、背中越しに人肌の温もりが伝わってくるということだけだ。
 機械のようにくるりと首だけを異変の方向へと向ける。
 俺の背中には、何故か怜の顎が乗せられていた。
 先程まで専用席のようにソファの上に陣取っていた怜が、何故ここにいるのか?
 何故、俺の背中にくっついているのか?
 さまざまな疑問を乗せて、視線だけでこの異常事態の元凶の怜へと尋ねてみる。
 怜は俺の視線を受けとめて、にいっと妖しく微笑んだ。
「腹減ってんなら、俺を食べればいいんじゃない?」
「は?」
 余計に意味が分からなくなった。
 足音を忍ばせて俺に近づいたこの男は、何を言っているのだろうか?
 疑問符で脳内が占められる。
 俺は冷蔵庫を物色していた姿勢のまま硬直し、目の前の理解不能の生き物のことを呆けたように見つめていた。
 そんな俺の困惑を気に掛けることもなく、怜はマイペースに進んでいく。
 何故かは分からないが、楽しそうな表情で俺のシャツのボタンを上から外し始めた。
 何が起きている?
 俺の脳内の疑問符は更に増え続ける。
 この異常事態についていけるほど、俺には経験値が絶対的に足りていないことだけは分かった。
 多分、俺はパニックに陥っている。
 パニックが故に、硬直したまま動けないでいる。
 だが、そんな俺にも理解できることが一つある。
 それは、二人の間に流れている空気が濃密になってきているということだ。
(……これは、どういうことだ?)
 今まで感じたことのない空気に、パニックは加速していく。
 だが、俺がこれほどパニックでいるというのに、背中に陣取った怜は余裕綽々のようだ。
 俺のシャツのボタンを勿体ぶって外しながら、多分笑っている。
 これでは、まるで生殺与奪の権利でも怜に握られているかのようだ。
(……俺をからかっているのか?それとも……)
 そんな俺の気も知らず、俺を煽り立てるように、背中から怜が囁く。
「アイツら、いつもの『ひまわり』行ったから、まだしばらくは帰ってこないし……。」
 いつもより空気を多く含ませた声音を響かせ、勿体つけるように言葉を切る怜。
 背中に怜の吐息を感じ、肌が一気に熱くなる。
「声、出しても大丈夫だと思うんだけど?」
 言葉の意味を理解した途端、頭の中で何かがスパークした。
 いつの間にかボタンは全て外れていた。
 無意識の衝動に突き動かされるように熱が下腹部へと集中していく。
 シャツがゆっくりと脱がされ、俺は下唇を噛み締めた。
 既に、空腹など脳内から吹き飛んでいる。
 俺の肌の上を妖しく蠢く怜の手。
 怜は俺の背中にくっついたまま、俺のズボンのベルトに手を掛けた。
 そして、とびっきり妖艶な声音で悪魔のように囁く。
「どうする?」
 俺は滾る情動に、ごくりと生唾を飲み込んだ。
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