死ぬ事に比べれば些細な問題です。

きみどり

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プロローグ

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「エリー!大丈夫だって!」

「で、ですがっ…!」

ここは、お城の庭園。
目の前には、嫌がる女児に無理矢理木登りをさせようとしている男児の姿。

ホワイトブロンドにアイスブルーの瞳をした儚げで美しい女児は、我が国の第一王女、エリザベス・ルナフィオーレ殿下(十歳)。
オレンジブラウンの髪と瞳をした活発で爽やかな男児は三大公爵家の一つ、ローレンス公爵家の令息、シリル・ローレンス(九歳)。


二人の様子を見て、私は頭を抱えた。
ああ…間違いなく、前世で読んだ小説『月下の涙』のヒロインとヒーローだ。

「…ローレンス公爵令息様、本当に危ないですのでお止め下さい。王女殿下も嫌がっております」

「べ、ベアトリーチェ様…!」

「っ…なんだよ!」

嫌味にならない様に微笑みながらやんわり冷静に苦言を申すと、エリザベス王女はホッとした顔をし、シリルは頬を膨らませて不満そうに反抗してきた。

私が彼の一つ下だから余計に気に入らないのかもしれない。

「ボクはエリーと遊ぶんだ!キミは関係ないだろ!なあ、エリー!?」

「え、ええと…」

王女殿下に同意を求めてどうするの…。
ああ、可哀想に…困ってオロオロしている。

それにタメ口なうえ、愛称で呼び捨てとか…『まだ』婚約者でもないのに…。

まだ九歳だから多少は仕方ないにしろ、愛されて育ったシリルは、無自覚なわがまま野郎だった。
シリルは小説でも、苦労せずに幸せの人生を歩んできた、所謂『人生イージーモード』のヒーローだ。
それ故、ピュアで、無神経で、鈍感で、綺麗事ばかり吐く男に成長する。
当たり前に恵まれたヒーローは主観でしか物事を考える事が出来ず、客観視というのが欠如していた。


ーーーこのヒーロー、本当に嫌だなぁ。


私は、このヒーローを心底嫌い、心底軽蔑している。
だって、シリルのせいでエリザベス王女は、将来尋常ではない被害を被る事になるのだから。


一年前に前世の記憶を思い出した私は、ここがクソ小説と有名な『月下の涙』の世界だと気づいた。

三大公爵の一つ、グレンヴィル公爵家の令嬢、ベアトリーチェ・グレンヴィルに転生していた。
ストレートのプラチナブロンド、サファイアの様な碧眼をした綺麗系美少女に生まれかわれた事は嬉しいが…前世の記憶が戻った私は顔が青くなった。

ベアトリーチェは『月下の涙』の脇役で、物語の中盤で殺されてしまうキャラクターだからだ。

…なんちゅう世界に転生してしまったものだ。

先ほども言ったが、この『月下の涙』はクソ小説として有名だった。

何故かと言うと、ヒロインのエリザベスが、シリルという無垢な巻き込み系害悪ヒーローと婚約してしまったがために、とばっちりで何度もレイプを受け、傷心の果てに自殺をしてしまうからだ。

そう…ただヒロインが虐げられてバッドエンドを迎える、盛り上がりも光も救いもない、ただただ鬱な話。

エリザベスは、シリルに恨みを持つ、三大公爵の最後の一つ…スペンサー公爵家の令息・ガイアの復讐に使われて陵辱される。

更に『ハーレム系ラノベ鈍感主人公』みたいなシリルは、一部の女性に凄くモテて、本人は気づいていないがハーレムが出来ていた。彼は、ごく一部にささる天然タラシだ。
そのハーレムの女性たちは、みんな独占欲と嫉妬心が強く…強火、同担拒否と言えばいいのか…過激過ぎて病んでると言ってもいいだろう…。

シリルに近づく女性に牽制や嫌がせは当たり前で、暴力をふるったり、殺人まで起こす。
婚約者になったエリザベスは嫉妬攻撃の矛先になり、謂れのない不名誉な噂を流されたり、暗殺されかけたり、レイプされたりと、色んな方法で害されていた。

もちろんシリルは、それに全く気づかず、大好きなエリザベスとの幸せな未来を想像し、花が咲いた頭で一人平和に過ごしていた。
トラブルだけを撒き散らし、解決能力のない受け身ヒーローって…それはヒーローと呼んでいいのか。

そして何も気づかず何もしなかったシリルは、エリザベスが自殺した最後の最後で全てを知る。
その時、全てを後悔したシリルが、月夜に涙を流すから『月下の涙』というタイトルらしい。
作者には悪いけど…くだらない。

しかも、恐らく今日は、ガイア・スペンサーがシリルに強い恨みを持つ事件が起こる日だ。

今日はエリザベスの社交の練習として、グレンヴィル、スペンサー、ローレンスと、三大公爵家の子供たちが、それぞれの母親に連れられてお城に集まっていた。

端的に言うと、シリルの軽率な行動のせいで、彼の母、スペンサー公爵夫人が死亡する。

無理矢理付き合わせたエリザベスと木登りをし、やっぱり降りようとしたエリザベスを阻止して怪我をさせ、終いには…異変に気づいたスペンサー公爵夫人が駆けつけた瞬間、体制崩したシリルは彼女の上に落下したのだ。

そして、頭を強く打って、打ち所が悪かったスペンサー公爵夫人は即死してしまった…。

だがシリルは、同時に気絶して、何が起こったか覚えていなかった。

だから彼に罪の意識なんてないし、悲劇的な事故として扱われて、シリルは罪に問われなかった。
他人の母親を奪ったのに、むしろシリルは被害者の様に扱われ、今までと変わりなく幸せな時を過ごしている。いけしゃあしゃあと。

ガイア・スペンサーはそれが許せなかった。

気持ちは凄くわかる。ガイア・スペンサーの母親を、事故とはいえ殺してしまったのに、罪を犯した自覚さえないシリルは本当に酷いと思う。
間違いなく、原因はシリルなのに。

スペンサー公爵夫人は高位貴族とは思えないくらい、とても謙虚で思いやりに溢れた優しい人だ。

ガイア・スペンサーやスペンサー公爵、そしてひいてはエリザベスのためにも、彼女の死を絶対回避しなくては。

「い、いやっ…」

「きっと楽しいからっ!」

「痛っ…」

私が無言でいると、シリルはエリザベス王女の細くて白い腕を加減なしに掴んで引っ張っている。 
エリザベス王女殿下は痛そうに顔を歪ませた。
だが…鈍感で気が利かないシリルは、エリザベス王女の様子に全く気づいていない。

ーーー早く止めないと、エリザベス王女殿下があまりにも可哀想だ。

どうしよう…いくら正論で捲し立てても、九歳のわがままな少年に話が通じるとは思えない。
かといって叱りつけて、泣かせてしまったり、変に目をつけられたりしたら面倒だ。


………………………よし…『あれ』しかない。


「う…うえ~ん!!おにいしゃまぁ~!!」

「っ!?えっ…あっ…」

「あっ…」

「わあああんっ!!!」

私は八歳の女児という立場を利用して、全力で泣いて兄を呼んだ。
目には目を、歯には歯を…だ。

予想通り、突然泣き出して助けを呼び始めた私に、二人とも驚いてフリーズしている。
目をまんまるにして、思考が停止している様子だ。

子供って、誰かが泣いたり喧嘩始めたりすると、大人しくなるよね。

「…どうしたの?ビーチェ?」

私の泣き声を聞き付けて、兄はすぐに来てくれた。
庭園の薔薇の塀から現れた兄は、十一歳とは思えない落ち着いた様子で私に駆け寄ってきた。

グレンヴィル公爵家の嫡男、ジェイク・グレンヴィル。
少し外ハネしたプラチナブロンドを綺麗に切り揃え、いつも眠そうな碧眼をしたクールなイケメン…うーん…!!

うちのお兄ちゃんが、一番、カッコいい……!!!

無表情で言葉に抑揚がない人だけど、私は、早熟で穏やかな兄が大好きだった。

「おにいしゃまぁあ!!」

「わっ、よしよし」

私は『泣いた子供らしく』兄にギュウッと抱き着く。
兄は少し驚いたが、優しく抱き締めかえして頭を撫でてくれた。
そう…しっかり者なうえ、思いやりもある人なのだ。
小説では、ほぼ空気な脇役なのが信じられない。

「ひっく…うっ…ろーれんすこうしゃくししょくしゃまが、おうじょでんかが、いやがってるのに、むりやり、きに、きにのぼろうとっ……びーちぇが『あぶない』ってとめたら、おこったのぉ…!」

ギャン泣きして呂律が回らない…という風にわざと喋り、大袈裟に起きた事を伝えた。

「そっか…ビーチェは正しい事を言ったのに悲しいね」

「うっ…ぐすっ…うん…」

兄は横目でシリルの方を見ると、冷たく目を細めた。
その視線に、シリルは『うっ…』とあからさまに怯んだ。

「ローレンス公爵令息様…木に登るのは本当に危険ですし、レディに対して随分乱暴ですね。しかも王女殿下に…不敬ですよ」

さすが兄っ…!
わかっている…!

「ボ、ボクは、そんなつもりはっ…」

「そうですか…では、その手は何でしょう?強く掴みすぎて、物凄く痛そうですよ。放してあげてください」

「え…?っ!あっ…」

「っ…」

兄が冷静に指摘すると、シリルはエリザベス王女が痛がっているのにようやく気づき、バッと乱暴に手を放した。
かなり気まずそうにしているが…自分が悪いとは思っていないだろう。

エリザベス王女はシリルから距離を取ると、うつむき、もう片方の手で痛そうに掴まれた場所をさすっている。
兄は私から一旦離れ、エリザベス王女を優しくそばに寄せた。

「王女殿下、こちらに……お可哀想に、腕が赤くなってしまっている。すぐに手当てしましょう。ビーチェ、歩ける?」

「うんっ…」

「良い子だね。ほら、おいで」

右側ではエリザベス王女の肩を抱き、左側では私と手を繋ぎ、兄はスマートにエスコートしてくれた。

「ちょ、ちょっと…あの、」

「王女殿下の手当てを早急にしないといけないので失礼します」

兄はシリルの言葉を潰す様に言うと、小さく礼をしてスタスタと足を進めた。
そのままシリルを置き去りにして、三人でその場を去った。

戻る途中でスペンサー公爵夫人と会い、エリザベス王女がシリルに怪我をさせられたと言えば、彼女も一緒に引き返してくれた。

王妃と夫人たちの元に戻ると、スペンサー公爵夫人が事情を説明してくれて、すぐにエリザベス王女の手当てがされた。

当然だが…王妃は微笑みながら青筋を立て、シリルの母、ローレンス公爵夫人は顔を真っ青にしていた。

うちの母と、スペンサー公爵夫人は気まずそうに、それでもシリルに引いた様子だった。

兄に抱き着きながらホッとする。
良かった…スペンサー公爵夫人の死は回避出来たし、シリルをちゃんと加害者にする事が出来た。

この調子なら、シリルとエリザベス王女の婚約も回避できるかもしれない。

とにかく彼女は、シリルから離れる事が重要だ。

それは、ベアトリーチェの死にも関わってくる事だから。




ーーー後から、シリルが木から落ちて腕を折り、足を捻挫したと聞いた。
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