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前編

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「全部いらないのに耐える意味なんてないわ」

高位の貴族令嬢、シャロン・リベルタは自分を殺して耐える事が大嫌いだ。

すぐに結論が欲しいし、すぐに面倒事から解放されたい。
自分の利益にならない事も嫌い、そんなものに時間を使うのが一番人生の無駄だと考えている。

嫉妬など、下らない漠然とした理由で陥れられるのも嫌い。
他者を傷付け、優位にたったと錯覚して快感と満足感に浸る人間も嫌い。

己の利が明確にあれば利用されるのもやぶさかではないが、理解できないものには一秒も使いたくない。

何かに縛られるのもごめんだ。
彼女は自由が好きだ。

故に…自由を得られる一番明確なものが大好きだ。
それは、人類のほとんどが大好きなもの。

ーーーそう、お金だ。

世の中、お金があれば大抵の事は解決する。

愛は裏切るが、お金は裏切らない。
確かに心は豊かにならないが、自由はある。

だから彼女はもしもの保険のために、幼い頃からお金を出来る限り増やしていた。

そして、そのもしもの保険を使う理由が出来た。

その理由は、今日決まった、王族との婚約。
何度も嫌だと言い、努力したが回避は出来なかった。
シャロンが婚約しない方がいい、その方が我が家に利益があると証明したにも関わらず。
両親は、素直になれない娘に気を利かせたような恩着せがましい態度で取り合わなかった。

相手とは幼い頃から関わりがある。

高位の貴族令嬢となればあり得ない話ではないが、シャロンは両親を睨み付け暴言を吐くくらい嫌だった。
婚約者の王太子だかなんだか知らないが、傲慢で横暴の自意識過剰野郎なんて真っ平ごめんだった。

いちいちこちらを無実の罪で侮辱して、狭心の悪役に仕立てないと気が済まないのだろうか…という、お手本のようなクズだった。

だが…両親や両陛下、その他周りは…それは「照れているからだ」「シャロンに至らない点があるからだ」と都合の良い解釈をして聞く耳を持たない。

加え、嫌悪しかないシャロンに対し「本当は嬉しくて仕方ないが、意地を張って素直になれないのだろう」と戯れ言ですらない呆れた事を言う。

これがシャロンにとっての最大の幸せと思っているのだろう。
シャロンは、両親や周りがあまりにも愚か過ぎて絶句するしかなかった。

両親は良い親でシャロンを愛してくれたが、当事者の話を聞かず、自分の価値観を押し付けてシャロンの人生を壊そうとしている。

何故、親が望むという“だけ”で人生の貴重な時間を使わないといけないのだろうか。

シャロンは思った。
善人でも愛があっても関係ない。
無神経で、頭に花が咲いた自己正当の権化。
彼らを何かと表現するなら、それは遅効性の毒。
いらない。

シャロンは怒りを通り越して、疲れていた。
何故、自分の周りには自己中心的で人の気持ちがわからない責任転嫁の達人ばかりいるのだろう。

(浅はかで、なんて薄っぺらい…)

十六歳の、王立魔法総合学園の入学。
これが本当の地獄。
しかも序章の序章だ。
このまま行けば、彼女は無駄で苦痛しかない時間を歩む事になる。

(はっ…耐えて機会を待つなんて馬鹿馬鹿しい。今夜捨ててやるわ、全て)

魔法薬学の才能があるシャロン。
その長所を生かし、回復ポーションを量産する術を編み出し、ブローカーを確保して他国の商会に売りまくった。
匿名で、身分を隠す事も徹底した。

売上金は偽名の口座に振り込んでもらい、変装をしてすぐに引き出した。
そして、空間魔法で生み出した異空間に全て収納した。
所謂、異空間アイテムボックスというやつだ。

売上はずっと右肩上がり。
研究の末、万能薬エリクサーも量産できるようになり、一生遊んでも使いきらない財産を手に入れたのだ。

彼女は、これから何も考えなくても、気にしなくても生活できる。

(お金の余裕は心の余裕よね。やっぱり人生お金。お金がないと愛も成立しないし…つまり、愛なんて無いのよ)

どうして、ここまで彼女が人間の愛を信じず、何にも期待しないのは理由があった。

ーーーそれは、彼女の人生が二回目だからだ。

前の人生では、クズ王太子とその自称運命の乙女だという空気の読めない少女に悪役に仕立てられて理不尽に殺された。
つまり…死に戻り…タイムリープして、同じ人生を二回繰り返しているのだ。

虚無に染まりながら永眠したはずの彼女が目覚め、赤子まで時間が戻っていた。

彼女は決意した。
動けるようになったらすぐに行動に出よう。
一回目の人生では、勉強するくらいしかやる事がなかったから知識と能力はある。
やるべき事はわかっている。

回避ではなく、これは放棄だ。

(向き合ってすらあげない)

嫌悪している婚約者から「俺の事が好きすぎて嫉妬に狂い」など怒り狂いそうな事を言われ、真実を言っても「強がり」と判断され、距離を置いても「構ってちゃん、当て付け」と…勉強や作法、知識を深めたら「可愛げない、自分より優秀なんて生意気だ」と、言われる状況すら作らない。

何をやっても認められる事は無く、結果を出しても貶められる。
出来ない者への当て付け…と意味不明な事も言われた。
別に、シャロンは天才でない…全て努力の賜物だ。

だけどもう、どうでもいいのだ。
彼女が選んだのは復讐ではなく、放棄。

恨み辛みがないと言えば嘘になるが、シャロンは彼らに割く時間が勿体無くて仕方ない。
周りに自分の認識を変え、理解して貰う必要もない。
わかって貰えるかも分からず、リスクばかりある。
苦労ばかり多く、利益が少ないのに、自分の時間を無駄に出来ない。
一度諦めてしまえば、自分の事がまるで他人事のように感じる。
事が好転する希望を持つより、絶望を受け入れて開き直ってしまう方が楽なのだ。

前の人生で、希望を持つ事がいかに酷で辛い事かを学んだ。
不確定で、保証もなくーーーこれぞ時間の、人生の無駄。

(ああ、最後の仕上げをしないと)

シャロンは小瓶に入った液体を飲むと、美しい銀髪を金髪に、ルビーのような瞳をサファイアのような瞳に変えた。

それだけではない。
シャロンの豊かな胸からハリが無くなり、儚さと気高さのある綺麗な顔に少しシワが出て来たのだ。

(色を変えて初老の夫人に変身したし…私とわかるわけないわ)

シャロンは魔法薬を飲んで、十五歳から初老の姿へ変身したのだった。
それも、体力や丈夫さは十五歳のまま変わらずという、何とも都合の良い老化だ。
さすが人生二回目の秀才が作る薬である。

(後は…植物人形に毒薬を飲ませれば、誰も私を探さないわ。だって、私は今日死ぬのだから)

普通に家出しても追手がくるはずだ。

シャロンはそれを阻止するため、マンドラゴラを改造・改良し、構造が人間そっくりな植物人形を作り出した。
魔力を注ぎ込んだ本人に、細胞レベルまで変身するようになっている。
また、注いだ魔力を更に変化させる事で、容姿も自由に変化出来る。
感情や意思は無いが、人間同等の知識を持ち、命令通りに役割を演じてくれる便利な人形だ。

これに毒薬を飲ませて死を偽造するのだ。

身体能力や耐久値も人間そっくりで、毒を盛られたり、大量出血などをすれば生命活動が停止する。
生命活動が停止すると、魔力を流しても植物人形の姿を変える事は出来ない。
そのままの姿で人間が亡くなったように朽ちていく。

ーーーそう、つまり…懸念や不審な証拠を残さずに、完璧に死を偽る事が出来るのだ。

(これで万が一、遺体を調べられても怪しまれる事はないわ)

シャロンはネグリジェを着た自分そっくりの植物人形をベッドに寝かせ、毒薬を飲ませた。
すぐそばには毒薬の小瓶を置き、底には少しだけ中身を残す。
朝、シャロンを起こしにくる発見者に素早く状況を把握してもらうためである。

この毒薬は必ず死に至る、即効性。

(…確実に死んだわ。さようなら…愚か者たち)

植物人形が生命活動を停止した事を確認し、シャロンは痕跡が消える転移魔法陣を使うと、夜の闇へと姿を消した。


***


シャロンが死を偽造して全てを捨ててから一ヶ月が経った。

彼女はとりあえず、自国から離れた国に行き、そこそこ安全な地区のそこそこの賃貸物件で生活していた。
小さな家を買う事も考えたが、この国にずっと根を張る予定も無く、変な勘繰りをされたら面倒なので止めたのだった。

あらかじめ色んな国の知識を頭に入れていたシャロンは、違和感や不自由なく上手く溶け込んでいた。

シャロンは初老の姿のまま生活している。
若い女性が一人…というのは面倒事を呼び寄せると理解しているからだ。
格好や仕草、口調にも気をつけていたので、夫に先立たれた平民の婦人だと周りは勝手に解釈する。
おかけで周りから関心を持たれる事なく、空気のように過ごしていた。

シャロンは『いてもいなくても同じ』と扱われる事が、なんて快適な事だと感動した。
初めて喜びに心が震え、幸せを噛み締める事が出来た。

これまでの人生…目立ちたくないのに目立ち、嫌な思いばかりしてきたせいである。

そこにはシャロンの美しい容姿も関係していた。
初老の小綺麗な女性という印象の今、色目を使う男に絡まれる事も、女性の嫉妬の視線に晒される事もない。

否定ばかりされてきたシャロンに、自分が美しいという自覚はないが「男は対象が若くて胸が大きければ愛がなくてもセックスできる。いや…若い女で穴さえあればできるだろう」という偏見を持っていたため、危機管理の意識は持っている。

シャロンは初めて周りを気にせず、自由きままに動いた。

朝は好きな時間に起きる。
最初は昼前まで寝ている事もあった。

午前中は甘いミルクのお茶を淹れ、読書をしながらゆっくり飲むのが、シャロンのルーティーンになっていた。

仕事はしない。
しなくてもいいように一生使い切れないお金を貯めたのだから。

だからもう、回復ポーションやエリクサーは売らない。
ブローカーとも縁を切った。
彼と接触する時は、魔法薬で変身して顔を隠し、場所は必ず酒場に指定していた。
商品を異空間魔法アイテム『収納袋』に入れて持ち運びやすくして、目立たないように渡していた。
三十センチ程度の軽い袋に、一軒家が埋まるくらいのポーションやエリクサーが詰まっていたのだ。

もちろん…ブローカーが裏切らないように魔法誓約書を書かせ、しっかり脅した。
彼が裏切らなくても、悪人に襲われる可能性もある。
商品輸送中は良くある事だ…シャロンはブローカーの安全のため、保護魔法を何重にもかけていた。

彼には商売の“良い看板”になってもらっていた。

ハードスケジュールを見事にやり遂げてくれた便利な駒だったが、もう必要ない。

シャロンは過去のあれこれを思い出す。

代金未払いを防ぐため、猫ババされても良い量を彼に持たせて、何度も同じ場所を行き来させたな…と。
そこそこの値段で、高品質の回復薬が手に入るルートなどなかなかない。
良さを知ったリピート客は取引を続けるため、しっかり代金を振り込むしか無い…という仕組みでシャロンは商売をやってきたのだ。

シャロンは代金が振り込まれないと梃子でも動かなかった。
ブローカーにも『回復薬はいつ如何なる時でも需要がある』とこちらが客を選べる立場である事をアピールして貰った。

そうすれば『ちゃんと支払うから、少し高めに買い取るから、優先的に量を回してくれ!!』という心理に向こうがなる訳だから。

シャロンとブローカーは、なかなか良いコンビだった。

(優秀な駒だったけど、もう関わりを持つ必要はないし…報酬をしっかり支払った今、彼も私に用はないはずよ)

彼の事を評価して約束の三倍の報酬支払った。
贅沢しなければ一生働かなくて良いくらいのお金と、エリクサー百個。
働きに見合った、なかなかの厚待遇をしたつもりだ。
仕事内容はブラックだが、ルールを守れば安全は確実に保証され、給料も一回事に支払い、退職金はホワイト企業どころではない。

誓約書も目の前で燃やして無効にしてあげたので、ブローカーも『やっと解放された』と満足して縁を切っているだろう。

ーーーそう、シャロンは勝手に思い込んでいた。

実際市場は、奇跡のような取引先が前触れも無く消えて、大パニックになっていた。
回復ポーションやエリクサーを大量に生産出来ていたのはシャロンしかいなかったため、供給がストップして各国では様々な問題が起きていた。

回復ポーションは珍しくはないが量産出来るものではないので価値がとても高かった。
エリクサーは幻の秘薬と言われ、調合の成功率がとてつもなく低く、そもそも市場には出回らない貴重なものだ。
一部の王族がやっと手に出来るくらいに珍しく、値段も貴族が汗を垂らして震える程高額であった。

良識的…とは言えなかったが、そんな貴重な商品を破格の値段で取引してくれていたシャロンが消えたのだ。
国を揺るがす程の混乱が起きて当然だろう。

元顧客たちは必死に名前も姿も知らぬ取引主…シャロンを探そうと手がかりを集めていた。

だが…当たり前だが、手がかりは何も見つからない。

当然、まず最初にブローカーは質問攻めにされたが…もちろん、彼もシャロンの事は全く知らないので八方塞がりだ。
むしろ、一方的に姿を消したシャロンを彼も探しているのだから。

(ここまで長かったけど、落ち着いて良かったわ)

二杯目の飲み物、アイスカフェオレを作りながらシャロンは回想にふける。


***


シャロンの回想は、死を偽造して屋敷を出た夜に遡る。

あれは自室から移動魔法陣から中央駅に飛び、夜行列車に乗って国外に出た時だ。

しばらく列車の旅も悪くないだろうと、無理に魔法を使わず、二番目に良い部屋…二等車の部屋を借りた。
一等車は金持ちだと駅員側に顔を覚えられ、貴族と廊下で会う可能性もあるで止めたのだった。

シャロンは異空間アイテムボックスからティーセットとタルトタタンを出し、窓ガラスから夜空を見上げて一息ついていた。


ーーーそんな時、事件が起こった。


殺人事件が起きたのだと、一等車の乗客が騒いでいるらしい。
犯人は不明でまだ捕まっておらず、駅員二人組になり他の乗客に注意喚起をして回っていた。

駅員たちの話を聞くに、何でも一等車では何やら謎の少年二人による“探偵ごっこ”が始まっているみたいだ。

(あら…誰かと思ったら“あの少女”の親友たちじゃない)

運が悪い事に、一度目の人生でシャロンに嫌味や罵詈雑言を理不尽にぶつけてきた、某乙女の親友たちだった。

(彼らがいるという事は……まあ、いいわ。とりあえず状況を把握しないと)

被害者は一等車で借りていた部屋で亡くなっていたらしく、死後一時間も経っていない…と。

その間も列車は走っていて、犯人は不明。
一等車前と中には二十四時間体制で計四人の警備がいるので、不審な人物がいれば気付くはず。
四人とも、出入りした人物は誰もいなかったと主張している。

探偵ごっこコンビはいくつかの情報を整理し結論を出したらしく『犯人は、この中にいる…!一等車に居合わせた人の誰かだ!』と宣言したという。

(馬鹿なの…?まだ不明な点がいくつもあるわ)

駅員から話を聞いたシャロンは、愚かな判断と軽率過ぎる発言に嫌悪感を示した。
そんなのは可能性の一つに過ぎない。

計画的なのか衝動的なのか、犯人は高度な魔法が使えるのか使えないのか…これだけだいぶ分岐してくる。

犯人が転移魔法を使って外に逃げている可能性や、そもそも警備の人間がグルだったという考えは頭に無いのか。

シャロンは部屋から魔法水晶玉を使い、列車内の様子を映して確認した。
一等車は当然大パニックで、二等車の通路まで来て騒ぎを大きくしているように見えた。

その中で、シャロンがいっそう嫌悪を示す人物がいた。

正義感溢れる探偵ごっこコンビが、ただでさえ周りの不安を余計に煽っているのに…更に場を引っ掻き回すモンスターが存在したのだ。

「はわわっ…あたしが、みんなを助けないとっ!」

(…あら、やっぱりいるのね)

ふわふわのストロベリーブロンドと無邪気な丸い瞳をした華奢…だが、寸胴体型の少女がクソデカい独り言を呟く。
こちらにも紛い物の正義に溢れた人物がいるが…まるで事の重大さがわかっていないように緊張感がない。

(これは…お得意の“怯えながらも凛として周りのために立ち向かう『あたし健気!』アピール”ね。この最上級に空気の読めてない感じ…間違えようがないわ)

その少女は、一回目の人生で無実のシャロンを悪者に仕立てた某王太子の運命の乙女だった。

(いつも思っていたのだけど…どの立場からものを言っているのかしら)

無能なのはわかりきっているが…知らなくても、あの発言をあの態度で言った時点で、経験や知識がない事はすぐにわかる。

捜査ごっこをして、場を引っ掻き回して被害者を増やし、最終的に周りの男にどうにかして貰って『みんなの力があったから!』とか戯れ言をほざき、自分が主軸で解決したように彼女が思い込む…そんな未来しか見えない。

どうして彼女は根拠も経験も権利もないない尽くしで、自分が状況を打破出来ると思っているのだろうか…と、シャロンの嫌悪は呆れに変わり、その呆れも飛び越え、純粋な疑問にまでに進化していた。

ただの恥知らずの傲慢なのだろうか…無意識無自覚で自分が大層な人間だという前提の行動は、もやは才能か。

(視野が狭く“すらない”…そんなレベルなのよね。馬鹿な男を動かすのと悪知恵は働くのに、思考能力は残念というか…お粗末すぎるのよね)

何でも自分の都合良く動くと思い、動かない場合は論点をズラして周りに責任転嫁をする…そんな浅ましさもあるのだ。

その原因の一つとしては…何故か彼女は、自分に対話力があり、誰かの心を動かす事が出来ると自負している。

(本当は自信満々なのに『あ、あたしには…これしかできないから…』と辛そうに健気アピールするのよね)

空気が読めない、彼女お得意の『大丈夫!あたし!誰とでもすぐ会話して仲良くなれるの!』という見当違いな長所。
それは相手の反応を全く気にせず、一方的に喋るという厚顔無恥の迷惑行為だというのに。

(…何だか飛び火が来そうで面倒だわ)

今までの経験上、彼女はシャロンが何もしていなくても巻き込んでくる。
アンダードッグ効果というのだろうか……善の弱者が悪の強者に立ち向かうようなパフォーマンスでこちらを貶め、彼女を引き立てるスパイスにしてくるのだ。

二回目の人生では、もう何も接点が無いわけだが……被害妄想、自意識過剰だろうと…ここは過剰なくらい警戒した方が良い。

シャロンにとって事件の解決や犯人など関係ない…そもそもそれは問題ではない。
問題なのは、この下らない茶番に自分が巻き込まれる可能性がある事。

(さて…どうしようかしら。私を認識できないように阻害魔法をかけ……いや、私だけだと後々勘の良い者に怪しまれる可能性があるわね。かけるなら二等車、三等車の乗客全員にかける必要がある。そうすれば…怪しまれたとしても誰もが自動的に殺人犯の仕業だと思うはずよ。だけど…莫大な魔力を要するわ…はぁ…これはなかなか面倒ね)

ーーードタッ。

何が最善の行動か思考を巡らせていると…シャロンの部屋の前から、扉越しに大きな音がした。

シャロンはすぐさま魔法水晶玉を起動させ、自室前の映像を映した。
そこには…身なりの良い青年が血を流して倒れていた。

(思ったそばからさっそく…)

悲鳴は無く、他に誰かの姿も気配もない。

(争ったような声すら聞こえなかったわ…きっと一瞬でやられたのね。…まあ…しかも美形じゃない。身なりの良い美形の周りって、高確率で“彼女”がわくのよね…最悪だわ)

魔法を発動すれば、その威力の分だけ魔力を感じる。
こんな近くでシャロンが気付かないという事はあり得ない…という事は物理で青年を襲ったのだろう。
青年は致命傷を食らった様子で、もう虫の息だ。

(あれは上級回復ポーションでも治らないわね。はぁ…例の殺人犯なのか…一等車の事件を利用した便乗犯なのか…本当に面倒臭い)

これは面倒な事になった。
このままではシャロンは事情聴取され、強制的に容疑者の一人にされてしまう。
一等車の者たちは絶対保身のため、シャロンに罪を擦り付けてくるのに違いない…。

(そんなのごめんよ。外に気配はない…けど、結界を張りましょう。これで結界内の様子はわからないわ)

シャロンは小さく阻害結界を張り、異空間アイテムボックスからエリクサーを取り出した。
そして…扉を開けると、青年へエリクサーを振りかけ、血痕を消して服を直し、サッと素早く扉を閉め、阻害結界を解いた。
襲われた痕跡を全て無かった事にしたのだ。

(彼が意識を失っていて良かったわ。それにしても、ターゲットの死を最後まで確認しないなんて…犯人は素人…?いや…そんな事はないはずよ。悲鳴を上げさせずに致命傷を食らわすくらいスキルは高いわ…不思議ね。彼が犯人の顔を見ていれば、この下らない茶番も終わるのだけど…どうかしら)

エリクサーのおかげで青年は健康体に回復した。
これで、目の前の部屋のシャロンは事情聴取を受けずに済むはずだ。

だけど…まだ青年は意識を取り戻していない。
シャロンは自分は無関係という体ていを貫くため、部屋の明かりを消し、就寝している風を装った。

(…予想通りね)

布団の中で魔法水晶玉を覗き、周囲を警戒していると…一等車から、彼女…ストロベリーブロンドの少女が歩いて来るではないか。

(…苺女と呼ぶ事にしましょう)

某王太子の運命の乙女改め…苺女は、倒れている青年を見つけると、考え無しに近づいて体を強く揺らした。

「は、はわわっ…だ、大丈夫ですかぁ~?」

危機感はおろか、緊張感すらないトーンで、高い間延びした甘ったるい声が響く。

(『はわわっ』って言いづらくないのかしら。何でこんなに口癖が不自由なの?それはそうと…本当に愚かね。殺人犯が捕まっていない危険な状況で、確認もせず駆け寄るなんて…近くに犯人がいたらどうするつもりなの?普通は恐怖で人を呼ぶわ。しかも被害者の体をあんなに激しく揺らすなんて…トドメを刺したいのかしら?)

シャロンが治したので青年は無傷だが…致命傷を負ったままでいたら、間違いなく苺女にトドメを刺されていただろう。
彼女は青年が目を覚ます様子を見せずいると、彼から雑に手を放して両手を翳した。

(私が治したから怪我は無いけど…怪我人って認識がないのかしら…命の扱いに向いてないわね)

「とりあえずっ、ヒールッ」

苺女はなけなしの魔力を大量に消費し、かろうじで擦り傷が薄くなる程度のほとんど効果のない回復魔法を使った。

(あんなに魔力を消費して、あの弱さ…まだ薬草をそのままかじった方が効く…燃費が悪いどころではないわ。あの様子から、おそらく本人は中回復くらい出来てるつもりみたいだけど)

「んっ、んんん~っ」

「ん…き、君は…?」

魔力を必死に振り絞る彼女の声がうるさかったのか、青年が意識を取り戻した。

「はわっ!気が付いたんですねぇ!大丈夫ですかぁ?廊下で倒れていたんですよぉ~?」

「…っ!そうだ…ボクはっ……あれ…?」

「??どうかしたんですかぁ~?」

「…おかしい……結構な怪我をしたような…」

「えへへっ、大丈夫ですよぉ!さっき回復魔法をかけましたからぁ~!」

「え…君が治してくれたのかい…!?」

「はいぃ!」

(貴女…何もしてないどころか、余計な事しかしてないじゃない。幸せな頭ね)

苺女は、自分が回復魔法をかけて青年の何処かが治り、意識を取り戻したのだと思い込んでいる。

(しかも…あの謙虚と見せかけた恩着せがましい態度…どういう思考しているのかしら。いや…どうせ理解できる訳ないからこの疑問さえ無意味ね)

「っ…なんと…ありがとうっ。こんな愛らしい女性に助けて貰えるなんて、ボクはついている」

「あ、愛らしいなんて…照れちゃいますよぉ」

「ふふ…謙虚なんだね」

まさに、類は友を呼ぶという言葉がふさわしい。
彼女の周りには、彼女にとって都合の良い男性ばかり集まる。
事実、倫理、根拠、矛盾にとらわれず…彼女の意見だけで全てを信じる、頭が花畑の男性が。

(……ただ、今回の出会いは彼女にとって吉か凶かって感じね。まあ…彼女なら運を味方に上手くやりそうね…)

これ以上頭の悪い恋愛イベントを見る必要はない…と、シャロンは魔法水晶玉を異空間アイテムボックスにしまい、布団を被って眠る事にした。

(それでも…物事を深く考えない人たちで良かったわ。目の前の部屋に尋ねるなんて片隅にもないはず……保護魔法をかけて寝ても問題ないわね。けど…明日、次の停車駅で降りた方が良さそう)

彼女が青年を助けた…という事になったので、致命傷を与えた犯人が疑問を抱いても、シャロンが疑われる要素はなくなった。

ただ…今後も妙な事に巻き込まれかねない。
予定は狂うが、明日別の列車に乗り換えるとしよう。

(実際、良い身代わりになってくれたし…結果オーライという事にしましょう)


そして…探偵ごっこコンビの推理は掠りもせず、当然犯人は見つからなかった。
最終的には、ただただ場を引っ掻き回した探偵ごっこコンビが疑われる結果となった。


翌朝次の駅に着き、シャロンがすぐ列車を降りると…探偵ごっこコンビが警察に連行される姿を見かけた。

(…あら残念だったわね。“主人公”になれなくて)

シャロンが何もしなければ、そのままの流れで犯人に仕立てて事件解決…彼らは周りから称賛を受け、一躍ヒーローになっていたかもしれない。

つまり、シャロンという登場人物がシナリオを降りた“だけ”で彼らの歯車が狂ったのだ。

…いともたやすく。

これは、彼らが自分軸でしか物事を認識出来ず、いかに考えが足らないかを示唆しているようだった。

そう…彼らのような愚かな行動は、理不尽に損する者がいなければ成立しないのだ。

(今までは運良く都合の良い“踏み台”がいて立ち回れていたみたいだけど…その運も、もう終わりみたいね)

踏み台がいなければ、ヒーローから異物へ簡単に転落するだろうハイリスクな行動…言ってしまえばギャンブルだ。

だけど、自分軸だけで生きている彼らは、絶対的に自分を疑わない。
それ故、何故か自己評価が異常な程高く、根拠も無しに自信満々だ。

だから…物事に確証が無く情報不足でも、揺るぎない意志で断言出来るのだ。

そのせいで、謎の信憑性が生まれ、同類の愚か者はそんな主張を信じてしまう。
一時的とはいえ、何という負の連鎖。

(下らない理由で犯人にされたくないわ…それにしても面白いわね。踏み台がいないだけで、こんな簡単に堕ちるだなんて……だけど)

シャロンは冷えた瞳でもう一度、探偵ごっこコンビの顔を見ると…次には嘘みたいに興味を無くし、露店の匂い誘われて行った。

(私には、何にも関係ないわ)

先を計算して、無関係という立場を手にしたシャロン。


回想から戻ったシャロンは改めて思った。
自分の立ち位置は、いつも都合の良い悪役だと。

何もしていないし、感情的に意見しているわけでもないのに、巻き込まれて理不尽に決めつけられるのだ。

だから感情を消し、媚びず、期待もしない歪んだ性格になったのだが……それが余計に拍車をかけた事もシャロンは自覚している。

負の連鎖が、いっそ清々しい。

それらの経験から『徹底して関わらない』が一番の解決方法と学び、全てを捨てる事を選択したのだ。

更に学んだ事もある…未熟な正義は悪役がいないと、間抜けな正義に成り下がる。

(ふふっ、なんて…私にそれほどの影響力があるわけないし、傲慢よね。きっとすぐに忘れ去られるわ)

自分は都合の良い生け贄、つまりは執拗になぶられただけの使い捨ての悪役…いてもいなくても“彼らのシナリオ”に何ら影響はないだろう…と、シャロンはそう考えていた。

だけどシャロンは悔しがりはしなかった。
むしろ、無かったものにされるならスッキリする…と思っており、表情はとても柔らかい。


***


「…おれが、おれが悪いんだっ…」

「ベル…お前は悪くないっ。悪いのは、この狭量で、嫉妬深い男のせいだ!」

「それで?」

夕方、酒場の角で料理を食べていると、若者三人…いや三人中二人が騒ぎ始めた。

大柄で男勝りの赤毛女と、亜麻色の髪の童顔男が熱く抱擁を交わしながら大声で騒ぎ…それを椅子に腰かけた黒髪の美形が視線も向けずにあしらっている。

最近見つけた、路地裏にある隠れ家のような酒場。
静かで小綺麗なところが気に入り、たまに足を運んでいるのだが…こんなトラブルが起こるとは…ここにはもう来ない方がいいのか迷ってしまう。

(………………何かしら、この既視感)

見たところ男女の三角形恋愛トラブルみたいだが…激しい程の温度差があった。

「お前とはただの組織同士が決めた婚約だ…!謂わばこれは契約!ベルとの関係をどうこう言われる筋合いはない!」

周りの目も気にせず、まるで正義のヒーローの見せ場のようにがなり立てる赤毛女。

(いや、筋合い し か ない)

「いい、いいんだっ……おれが、アマンダを好きになっちゃって…怒らせちゃったから……ただ、謝ってもらえれば…」

「ベル…お前は優しいな…こんな奴にまで心を砕くなんて…」

涙を浮かべながら弱々しく健気アピールをする童顔男と、それをでれでれした甘ったるい声で援護する赤毛女。

(いや、今のは…上から目線で喧嘩売りながらマウントとって嫌がらせしただけでは…?)

「やれやれ」

そして…二人より、ランプの周りを飛ぶ、虫の羽ばたき音の方に視線を向けた黒髪の美形。

(あなたは本当にどうでもいいのね…)

「っ!お前どこまでクズなんだっ!?お前が嫉妬に狂ってベルに酷い仕打ちをした事はわかってる!そこまでアタシの関心を引きたいのかっ!?」

唾が飛び散るくらい、感情を爆発させる赤毛女。
攻撃的になっているせいか、魔力が漏れだしている。

(…どう見ても無関心では?)

「いい、アマンダ…!いいって…!ここまで、心を狂わせたのは…おれの、せい…だから…」

ぼろぼろと、本格的に泣き始める童顔男。

(…彼、狂うどころか、一ミリも心を動かしてないわよ)

会話は続き、どんどん耳に情報が入ってきた。

どうやら…黒髪の美形を勝手に当て馬と決め付け、それをスパイスに二人が盛り上がっているらしい。

つまり…自意識過剰の勘違い女と、自分に酔った脳内花畑野郎が、浮気をしたにも関わらず棚に上げていると。

黒髪の美形を理不尽に責め、優位に立ったと錯覚して快感を得ているのだ…おそらく無意識に。

自身を善良だと思い込み、自己合理化をし、無意識下の快感のため本能で嫌がらせをする、話が通じない典型的なタイプだ。

「で、でも…愛があればーーー」

童顔男は主観を語り、自己概念を押し付け始めた。
彼はよほど不自由や悪意がない場所で育ったらしい…言っている事が理想論過ぎて安っぽく聞こえる。

そもそも、わざわざ人目で誰かを辱しめている時点で一種のマスターベーションに過ぎない。

(しかし、身に覚えしかない展開ね…)

一回目の人生での、自身の経験と重なる。

だが…黒髪の美形はどこまでも自分のペースだ。
何一つ、乱されていない。

シャロンはじっと目を向ける。

全体的にスマートな印象で、着崩した黒のスーツがとても良く似合っている。
綺麗な黒髪、濁っているのに色気のある瞳、左の泣きぼくろ…何とも危険で妖しげな雰囲気だ。
長身の、引き締まった体格の、美形……シャロンの中で危険信号がはしる。

(美形に関わるとろくな事がない…けど…)

赤の他人のトラブルなど自分には関係ないが、状況が状況なだけにどうにも腹が立つ。

彼らの様子を見るに…これは今日初めて起こったわけではなく、定期的に発生しているトラブルだろう。

騒ぐ二人に対する嫌悪感はもちろん、こんな生産性のない茶番を何度も繰り返しているなんて信じられなかった。

(一回目の自分を見ているようで不快だわ)

さっさと捨てればいいのに。
腫瘍は、放置するだけ被害者の栄養を吸収して大きくなる。

今もパフォーマンスのような立ち眩みをかまし、アンダードッグ効果を狙ってか弱いアピールをしている。

シャロンには関係ない…たが、気に入らない。

「あっ…」

「ベルッ!?大丈夫か…!?」

「う、うん…ちょっと、色々…どうやったら、わかってもらえるのかな…って考えてたら…」

「お前…こんな奴にまで心を砕いて…っ…か弱く、心優しいお前は心労が絶えなかっただろうに…くっ…なんて健気でいながら芯が強いんだ!」

「アマンダ…そんなっ…うっ…っ…」

気が付いた時には、もう立ち上がっていた。
服のポケットの中で異空間アイテムボックスを開き、あたかもそこから取り出したように市販の胃腸薬を取り出した。

僅かな時間で状況を把握し、一番穏便で一番相手が恥をかく方法がわかっていた。

「突然申し訳ありません…大丈夫ですか?」

「え…?…っ!!あ、は、はい…オレ、周りにまでご迷惑を…すみま、」

「無理して完食したのですね。大盛りミックスミートプレートは非常にボリューミーで油っこいですから…さ、こちらの胃腸薬をどうぞ。話し合いに水を差して申し訳ありませんが、興奮すると交感神経が刺激されて、更に吐き気が増してしまいますわ」

童顔男の自分に酔った発言を潰して、優しく言う。
若者を純粋に心配する、上品で物腰柔らかな婦人を演じ、この国ではポピュラーな胃腸薬を差し出した。

シャロンは童顔男の席に置かれた、大盛りミックスミートプレートの空の皿に目敏く気づいていた。

大盛りミックスミートプレートとは…ハンバーグ、ステーキ、チキンソテー、ソーセージ、付け合わせには大量のマッシュポテトが乗った物凄くボリューミーなメニューだ。

ストレスで心身弱った人間が食べるメニューじゃないだろう…と。
対する黒髪の美形は、アルコールドリンクを飲んでいるだけだ。
グラスはまだ汗をかいてなく、中身はほとんど減っていない。

(…きっと、何かを理由にこの二人に呼び出されたのね)

「ーーー、え…」

童顔男は、何を言われたのかわからないという顔をしている。

当然といえば当然だ。
ここは『苦難に立ち向かう儚く健気な青年が無理をして…』というシーンなのに、急に『激重ボリューミー料理を調子に乗って食し、喧嘩して気持ち悪くなっている青年』扱いされたのだから。

「ふふ…ですが、さすが若い方はエネルギッシュですね。完食なんて凄いです」

「あ、あの…オレは、」

「ご、ご婦人…気持ちは有難いが…そういうわけでは…」

二人は予想外な展開についていけていないうえ…状況的にもシャロンを邪険に出来なかった。

実際に食した事実もあり、強く否定出来ない気遣い。 
しかも…あくまで、童顔男の体調を心配しただけで、喧嘩にはノータッチを決め込むシャロンに『あなたは関係ない』は通じない。
喧嘩を止めたわけではないのだから。

「まあ、ご謙遜を。わたくしも挑戦した事があるのですが…半分も食べられなくて…残りを持ち帰りにさせて頂いた事がありましたの」

微笑ましく若者を立てる態度を装いながら、エネルギッシュな若者と初老の女性…どちらがか弱いか、差をさりげなくアピールしていく。

しかも、周りから見たら…今のシャロンは上品で礼儀正しく、非常に好感が持てる弱者だ。

この流れでシャロンを強く拒否すると、アンダードッグ効果はシャロンに発揮されてしまう。

「何だ…痴情のもつれかと思ったら、ただの喧嘩か」

「というか、あの黒髪が一方的に絡まれていただけじゃないか?」

「でも…か弱いとか心労って聞こえたぞ?」

「いやちいせぇ男の席見ろよ…ミックスミートプレート完食する男がそんな繊細なわけねーだろ」

「ホントだ。あの皿、大盛り用だな」

「喧嘩でテンション上がり過ぎて気持ち悪くなったとか…ぷっ」

「くっ…ははは」

周りからざわざわと声が上がる。
困惑、嘲り…と反応は様々だが、二人を援護するような言葉はない。

「…っ!!アマンダぁ…」

「っ…ベル、帰るぞ!」

二人は都合の出来事にどう対処していいかわからず、頭が真っ白…すぐに逃げ出そうとした。

「あ、お客さん!お勘定!」

予想外な展開に相当焦っているのか、二人は食事の支払いを忘れていた。
伝票を確認する店員に、赤毛女は真っ赤な顔で札束を投げ捨てると、自分より小さい童顔男を庇うように出ていった。

その様子に耐えるような笑い声がちらほら聞こえた。

ゴミ掃除をしたようにスッキリし、シャロンの不快な気持ちも落ち着いた。

「まあ…急にどうしたのかしら…」

シャロンは首をかしげ、二人の行動を疑問に思うようなリアクションをしてから席に戻った。

(後悔はないけど、目立つ行動をしてしまったわ)

周りの意識はあの二人に向いていたので、シャロンへの認識は親切な天然おばさん程度だろうが… 少なくとも、店側には顔を覚えられていそうだ。

初老姿のシャロンは周りから浮かないため、普段から上品で愛想の良いキャラクターを演じている。
その程度なら問題ない。

ただ…これを期に交流が生まれたら面倒だ。

引っ越す必要はないが、しばらくこの辺への外出は控えた方がいいかもしれない。

一瞬、黒髪の美形から視線を感じた…話し掛けてくる様子はないが、食事を済ませてさっさと出てしまおう。

不自然に見えないように、急ぐ気持ちを押さえて残りの料理に手をつける。

(ホロホロに煮込んだチキン…美味しい…)

この店の料理は本当に美味しい。

先ほどの、大盛りミックスミートプレートに挑戦したのも嘘ではない。
シャロンは『女性のおかわりはマナー違反』など、厳しく食を管理されてきたからか『大盛り』と『肉』に強い憧れを持っていた。

半分も食べきる事が出来なかったが、目の前の肉を全部食べても良いという事実に感動していたな…と表情を緩めながら思う。
注文する時も、内心かなりわくわくしていたシャロンであった。

(しばらくこれが味わえないなんて…持ち帰りメニューを買って帰りましょう)

少なくとも、一ヶ月は店に来ない。
せめて多めに料理を持ち帰ろう…と、店員を呼ぼうとした瞬間…シャロンの耳に衝撃的な話が入ってきた。

「そっちに進展はあったか?」

「オレのところもダメだ。一ヶ月探しても手がかりゼロ」

「だよな。はぁ…何で消えちゃったんだよ…エリクサーの生産者は…」

「頼みの綱のブローカーも必死に探してるらしいからな…もう八方塞がりだよ」

シャロンの、食事する手が止まった。
会話に出てきた言葉が、全てシャロンに当てはまる。

(…エリクサーの生産者……市場にエリクサーを流通させたのは私しかいない)

特に気にしてはいなかったが…空席だった後の席に、いつの間にか客が着席している。
先ほどの騒ぎのうちに入店したのか…声と話し方からして若い男性二人だろう。

(私が…捜索されている?)

思わず振り向きそうになったが、ここで不審な行動を取るわけにはいかない。
ぐっ…と、動揺を押さえ込み、後ろの席に耳をそば立てた。

「その生産者がいた国も不穏な空気だしな…何でも貴族の間で派閥が分かれて、王家を支持する家門が極端に減ったとか」

「ちょっと待て…何で平民にまでそんな噂が流れてきてるんだ?」

「生産者と取引した事ある奴らは、身分関係無くみんなを見つけだそうと必死だろ?その過程で表に出てきた情報らしい」

「おお…それは…生産者に対する熱量が凄まじいな…」

「上の人たちはすげぇぞ…こんな状況でも全然諦めてないから」

なんと、現在進行形でシャロンを探しているらしい。
ぞわっ…と鳥肌が立ち、全身が止めてくれと叫んでいる。
徹底して正体を隠し、完璧に姿を消したから所在がバレる心配はないが、これでは安心できない。

(もっと遠くに行くべきかしら…)

内心、遠い目をしながら真剣に考え始めた。
そんなシャロンの耳に、また新たな情報が飛び込んできた。

「他にも色々あるぞ…高位貴族の令嬢が王太子と婚約をした夜に自殺したとか」

「え…暗殺じゃなくて、自殺?」

(ま た わ た し か)

シャロンの心臓が小さく跳ねた。
何故、そんな小さい事まで噂が広まっているのだろうか。

「ああ…間違いない。遺書は無いが…毒薬を飲んだにも関わらず、安らかな顔で亡くなっていたみたいだ」

「安らかって……よっぽど王太子が嫌いだったんだな…可哀想に」

(……安っぽい同情はいらない)

だが…正しく認識されるのは悪くない。
令嬢の自分へのまともな反応に、シャロンは少しだけ柔らかな気持ちになった。

「令嬢と関係ある人たちはショック過ぎて、全員顔面蒼白だったらしいぞ」

「うわぁ…加害者の被害者面ってやつ…?」

シャロンの表情がスッ…と冷めた。

それはどうでもいいな。
奴らが何を思ったのかは知らないが自分にはもう関係ない。
今後の自分に被害がなければ何でもいい。

(…帰ろう。残念だけど料理の持ち帰りはやめましょう)

ちょうど食事も終わり、会計をしようと席を立とうした、その瞬間ーーー。

(ーーー!)

ーーードオオオオンッ。

激しい音とともに、酒場の出入口が破壊された。
鉄の扉はグニャリと大きく歪み、カウンターの方まで吹き飛んでいた。
付近の窓は割れ、壁は焦げてボロボロに崩れている。

「きゃああっ!」

「な、なんだっ!?」

店内に悲鳴が響き渡り、店員も客もパニックを起こしていた。
怪我人も出ているようだ。

(これは爆発系の火魔法…しかも、この魔力…先ほどの赤毛)

魔力の痕跡は、騒ぎを起こしていた際に漏れだした魔力と一致する。
シャロンはテーブルの下に避難するフリをして、異空間アイテムボックスから水晶玉を取り出した。

テーブルクロスに隠れながら水晶玉に外の様子を映す。

(やっぱりいたわ…)

向かいの建物の隙間に、先ほど帰ったはずの赤毛女と童顔男がいた。
この赤毛女のスッキリしたような得意気な表情と、童顔男の熱に浮かされた笑顔からして…お門違いの報復行為か。

おそらく二人は…意味もわからず周りに笑われ、辱しめにあったと思い込んでいるのだろう。

ここまで分別がなく、頭が悪いとは思わなかった。

(だけど…私にも責任はあるわ)

シャロンがきっかけを作らなければ、酒場が破壊される事はなく、怪我人も出なかったかもしれない。

慈善行為をするつもりはないが…原因が自分にもあるなら責任を取らなければならない。

赤毛女は更なる攻撃をしようと、魔法書を開き、長い詠唱を唱えている…あれは広範囲を燃やし尽くす中級魔法だ。

彼女は…自分が、今、何をやっているのかわかっているのだろうか。

だが、まだ時間はある。
彼女は魔力が少なく、操作が得意ではないらしい。
魔法書の詠唱は、それらを補う方法の一つだ。

あの様子だと、二分はかかるだろう。

(……今日中にこの国とはお別れね…この姿も気に入っていたけど、また変えないと…)

シャロンは覚悟を決めてテーブルから飛び出すと、酒場とその周囲に結界を張り、怪我人に上級回復ポーションを配った。

皆、シャロンに驚いていたが…非常事態だったため、すんなりと受け入れられた。

ふと…黒髪の美形が視界に入った。
彼は壁に背を預けながら、取り乱した様子も無くアルコールドリンクを飲んでいた。
何やら意外そうな、そして面白いものを見るような視線をこちらに向けている。

(…それよりも)

一方シャロンは…彼の反応は一切気にせず、水晶玉を確認しながらあるタイミングを待っていた。

そろそろ、赤毛女の詠唱が終わる。

(ーーー今だ)

赤毛女が魔法を放った瞬間…すぐに防御魔法を発動して攻撃を跳ね返した。

この魔法は特殊で…攻撃を放った対象に必ず跳ね返すというものである。

『何で、なん、ぎゃあああああ"あ"ーっ!!』

『ああ"あ"っ痛い痛いいたいいだいいだぃっ!!』

激しい悲鳴とともに、結界を張った窓から強い光が入ってきた。
水晶玉に映し出された二人も真っ赤に燃えている…お熱い二人にはぴったりだ。
苦しそうだが、まあ…恋は苦しい試練で燃え上がるものだし、良いスパイスになるだろう。

(物凄く痛いだけで、ダメージはそこそこになるように細工もしたし、大丈夫てしょう)

「あ、あの…お客様…!」

冷めた視線を窓に向けていると、酒場のオーナーがシャロンに声をかけてきた。
気付けば、店にいる全員がシャロンを見ていた。

そこからのシャロンの行動は早かった。

「こちら、念のため置いていきますね。後、こちらでお店を直して下さい。これだけあれば営業停止分も賄えますか?」

「え、は、はいっ……え、え…?」

「それと、こちらは食事代です」

「あ、はいーーーって、ええ!?お、お客様!?」

ニコリ…と上品な笑みを浮かべると、カウンターに上級回復ポーションを何本か置き、オーナーに修理費用と営業停止分の賠償金を渡した。

「ふふ、では…皆様ごきげんよう」

微笑みながら優雅にカーテシーをとると、周りが唖然としているうちに全力で逃げて行った。
もちろん、魔法で気配を消して。



ーーーシャロンが消えた酒場では新たな騒ぎが起こった。

オーナーと店員たちは『店に女神様が舞い降りた』と…シャロンを崇拝する勢いで美化していたり…。

客たちは『救いの聖母様が現れた』と、こちらもかなり美化をして感動していたり…。

シャロンの後ろの席にいた二人に関しては…。
高価で調合が難しい上級回復ポーションを湯水のように使う様子を見て『エリクサーの生産者と関係あるかもしれない!』と瞳を輝かせながらシャロンの後を追った。

そして…この中で一番シャロンに興味持つ者がいた。

「…………………」

黒髪の美形こと…彼の名前はセイ。
彼は、秘密機関に所属するスパイだった。


***


(そういえば…部屋の解約、どうしましょう…)

夜道をこそこそ歩きながら、シャロンはそんな事を考えていた。
出来れば、すぐに準備をして他の国に行きたいのだが…不動産屋はもう閉まっている。

(あ…でも、姿を変えるからどちらにしろ………うん、部屋に契約期間分の家賃を置いて、鍵は手紙と一緒に送りましょう)

とりあえず…全てを金で解決する事にしたシャロンだった。
そう決めてしまえば、後は荷物を異空間アイテムボックスに収納して夜行列車に乗ってオッケーだ。

「お姉さん、何処行くの?」

「ーーー!?」

狭い路地に差し掛かり、シャロンは動きを止めた。
後ろから男性に声をかけられたのだ。
おかしい…気配はずっと魔法で消していたはずなのに。

(誰の気配もしなかったはず…)

ーーーその声には聞き覚えがあった。

シャロンは警戒心を最大に高め、結界を張ると、素早く距離をとった。

(っ!しまった…)

しかし…すぐに自分の失敗に気付いた。
咄嗟の行動だったため、行き止まりに下がってしまったのだ。

「はは、そんなに警戒しないで?」

「……………」

振り向くとやはり…あの、黒髪の美形がいた。
軽薄な笑みを浮かべた、考えが読めない飄々とした態度に変な汗が流れる。

(恐るべし、美形………やっぱりろくなことがない)

転移魔法を使おうにも隙が全くない。
あれは時間がかかるうえ、技術と集中力も求められ、一回に使う魔力消費も激しい。
人生二回目のシャロンでも、結界を維持しながら使うのは難しい。

物理的、状況的にも袋小路に入ってしまった。

初老の姿のシャロンに対して『お姉さん』という言い方も引っかかる。
あえて調子の良い呼び方をしているだけなのか…それとも暗に『それ、偽りの姿だろ?』と言われているのか。

(…いや、これは…おそらくバレているわ…『お嬢さん』って呼ばれてないだけマシかしら…)

シャロンの振る舞いを観察して、ある程度の人物像を推測したのだろう。

黒髪の美形は、明らかにシャロンより年上。
少なくとも…自分と同じくらいの年齢だと思っているらしい。

「俺…実はある夜行列車でお姉さんを見かけた事があるんだ。一ヶ月くらい前、殺人事件が起こった列車の…二等車の個室を借りていたらしいね?」

(!………何故、今その事を…)

シャロンはあくまで無反応を貫く、ここで少しでも動揺を見せれば、それこそ思うつぼだ。
彼は底知れない笑みを浮かべながら、愉快そうに続けた。

「仕事でね…暴政に拍車をかけそうな貴族を始末したんだけど」

「…っ…………」

「その中の一人が…何故か無傷だったんだよ。致命傷を与え…猛毒も使ったのに、ね」

なんと、彼があの時の真犯人だったらしい。
しかも…それをわざわざシャロンに暴露とは、なかなか面倒な事になった。

「全員あの頭のゆるい女が助けたと思い込んでいるみたいだけど…俺の目は欺けないよ」

「……………………………え」

衝撃的な言葉に、思わず反応してしまった。

シャロンだと、ほぼ確信を持って話したのだろう。
話した、という事は…始末するという事。

ーーーが、シャロンが声を漏らした理由は他にある。

しかし彼は『どうしてわかった』と声を上げたのだと思い、言葉を続ける。

「本当…誰だかわかんなかったなぁ。で…ダメ元で君を追ってここまで来たら大正解って、感じかな」

「…………あなた」

「はは、あの短い間…って考えると、目の前の個室に泊まっていた君しか選択肢がなくてね」

「まともな人なんですね…!」

「は……………は?」

は…って二回言われた。
だけど、初めてまともな思考回路を持つ相手に出会えて、シャロンは止まらなかった。

「あの少女の言動に惑わされないで、冷静に判明できる人を初めて見たわ」

「…えーと、ありがとう…?」

「うん…!凄いです…!」

普段の様子からして、考えられない反応だった。
人間に対して、こんなにも、無邪気に、瞳をキラキラさせただなんて。

「………おお」

演技を忘れたシャロンは、初老の姿でも年相応の可愛らしさが滲み出ていた。
もちろん、シャロンに自覚はない。

「…お姉さん…何歳?何か偽りの姿でも異様に可愛いんだけど…」

あんなにペースを崩さなかった彼が、微かな戸惑いを見せている。
最後の方は何て言っていたのだろうか…小さ過ぎて聞こえなかった。

(殺されるかもしれないのに…ふふ、私…おかしいわ)

彼を善人とも、信用できるとも思わないが…言っても良いと思えた。

ーーー理由はただ一つ。

思考が、まとも…まともなのだ。
物事に対して、冷静で、論理的で、しっかり確認したうえで判断を下している…!

シャロンはただ単純に、苺女に惑わされない人間に会えて嬉しかったのだ。
この感動を与えてくれたまともな人間に誠意を示したかった。

「十五歳!」

「え、それ言っちゃうの?というか、十五歳…?嘘でしょ?」

素直に言うと、彼は脱力したようによろけた。

疑われてしまった。
そうか…確かに、普通の十五歳は自分のように出来ないだろう。

「本当ですよ?…んぐ………ほら」

「え、ーーーっ」

シャロンは、異空間アイテムボックスから姿を戻す『戻り薬』の瓶を取り出すと一気に飲んだ。

すると、そこには…絹のような銀髪、ルビーのような瞳をした美少女が、可憐に微笑んでいた。

「ね、幼いでしょ?」

「あ…うん………………っ…可愛い」

「え…か、かわ…?」

社交辞令ではない可愛いなんて、初めて言われたかもしれない。
シャロンはくすぐったい気分になり、眉をハの字にして頬を染めて困惑した。

「はは…やば…超好み…」

「……へ?」

「求婚しようとしてた相手が、見た目も好みとか…運が良すぎる…」

いつの間にか、呆気に取られていたはずの彼に、距離を詰められていた。

(というか…今、とんでもない言葉が聞こえたような)

「ねえ、お嬢さん…俺と結婚してくれない?」

「………………………………え?こ、殺しにきたのではないのですか?」

驚き過ぎて、結界が解けた。

*後書き*

読んで頂き、ありがとうございました。

もう世にありふれたジャンル、流れですが、一度悪役令嬢もののお話を書いてみたくて…(。>д<)

色々な作品を読んでいると、立ち向かったり、その状況のまま自分らしく生活していたり、バッドEND回避、追放後幸せに、なお嬢様が多いので…。

徹底的に逃げる子が幸せになるお話が『もっとあったらいいのにな』と思って書きました。

前編→中編→後編(ざまぁ)→終編(〆)の四部構成です。
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