18 / 85
18.ザ・ブリッツ
しおりを挟む
年始の閣議から1週間後の1942年1月14日、ヨーロッパに大きな動きがあったと、国家安全情報局から報告があった。スイスとイギリスを除くヨーロッパ全土をほぼ占領したナチスドイツが、とうとうイギリス本土に大規模な侵攻作戦を決行したといのだ。
イギリス海軍は日本海軍と戦闘になる可能性がなくなったため、無傷の東洋艦隊を本国に帰還させ万全の状態でドイツ海軍の侵攻に備えており、海軍力では劣勢だったドイツ軍はイギリス本土への上陸作成に踏み切れないでいた。
しかし、1942年1月11日にフランスのブレスト(フランス海軍が東南アジアに拠点を移した際に放棄したあとに、ドイツ海軍の大西洋艦隊司令部を設置していた都市)からドイツ海軍主力艦隊に護衛されたドイツ陸軍上陸部隊が出航したとの報を受けたため、イギリス海軍はギリス海峡に防衛線を展開した。そこで、待ち構えるイギリス艦隊に対して、ドイツ軍は新型兵器を使用した。
アイザック達の現代知識を元に開発したHs 300(Hs293をベースに、誘導性能の向上、小型化をした空対艦ミサイル)を搭載した新型ジェット推進爆撃機の大部隊による高高度からの精密爆撃を実施したのだ。イギリス海軍も空母艦載機と対空砲で応戦したが、ドイツ空軍の爆撃機は艦載機の戦闘可能な高度を超えており、対空砲も届かず、艦隊決戦をする前に一方的な爆撃により壊滅した。イギリスに帰還できたのは、救助活動のためにドイツ空軍の標的からあえて外された数隻の駆逐艦だけだった。
イギリス軍は当初ドイツ軍がドーバー海峡を渡って侵攻すると考えていた。しかし、ドイツ海軍はイギリスの予想よりかなり西にあるシートン湾に向かったため、イギリス陸軍の対応は後手に回ってしまった。シートンの守備兵力だけではドイツ軍の足止めにもならないため、移動速度の速い機動部隊を先行してシートンに向かわせ、ドイツの上陸部隊を待ち構えることにした。しかし、これに対してドイツ軍はV3ロケット(V2ロケットにベースに、誘導性能の向上、小型化した弾道ミサイル)を多数投入して、シートンで待ち構える機動部隊と海岸線に構築した即席陣地をほぼ無力化することに成功した。そのため、抵抗らしい抵抗を受けることなく、自軍にほとんど損害を出すことなくイギリス本土への上陸に成功したのである。
第1陣でドイツ陸軍約30万人が上陸し、1月13日中にシートン周辺の占領に成功した。それから約1週間で延べ100万人がイギリス本土に上陸し、イギリス陸軍の激しい抵抗を受けながらも、元の世界の史実とは違い北アフリカに侵攻しなかったロンメル元帥率いる機甲師団が破竹の勢いでロンドンに向け進軍を続けているとのことだった。
なお、今回の上陸作戦に投入されたドイツ軍側の兵力は、ドイツ陸軍全体の約25%にあたり、この時点で出せる兵力のほぼ全てを一度に投入したことになる。
翌14日、イギリス海軍の壊滅とドイツ軍による大ブリテン島上陸の報を受けたアメリカが、世論の後押しを受けて、ついにナチスドイツに対して宣戦布告を行なった。
史実とは異なり、この世界のドイツはソ連と戦わなかったため、東部戦線で疲弊することなく万全のコンディションである。対してアメリカも太平洋戦線に戦力を分散させる必要がないため万全のコンディションである。技術力世界一のドイツ対生産力世界一のアメリカによる人類史上最大の総力戦へと突入したのだ。
アメリカとイギリスの両政府からは、連名で日本とソ連に対しても連合軍に参加するよう大使館経由で正式な要請があった。
この件について、緊急でソ連の小川先輩と協議をした。話し合いの結果、アイザック達とは連絡が取れなくなったとはいえ、現在も日独ソの3か国間は正常な国交は継続しており、連合国に参加するメリットは少ないと判断した。
そもそも、元の世界から一緒に来た仲間であるアイザック達と戦うわけにはいかないので参戦するという選択肢はない。なので、連合国への支援はイギリスの民間人に対する人道支援に留め、日ソ共に中立の立場を表明した。
しかし、アイザック達とは俺たち日本陣営とも、ソ連の小川先輩とも相変わらずボイスチャットでの連絡は取れず、彼らの身に何かあったのか心配したが、二人とも公式の場に姿を見せているし、通常の外交ルートではドイツとの国交はこれまで通り続いている。
1942年1月15日午前5時頃、ドイツ空軍はロンドン市街に大規模爆撃を決行した。初めてのイギリス空軍とドイツ空軍との本格的な空戦とあって、ここまで兵力を温存していたイギリス空軍も出し惜しみなく大量の戦闘機を迎撃に向かわせたが、ドイツの最新式のジェット戦闘機に性能でも数でも圧倒され、ロンドンの制空権を数時間で取られてしまった。
イギリス空軍の迎撃機がいなくなったロンドンに、ドイツでは旧式となったレシプロ式の大型爆撃機の大編隊による史上最大規模の空襲(ザ・ブリッツ)が始まった。
ドイツ軍の空襲が始まってから、初日だけで約2万人の逃げ遅れたロンドン市民が犠牲となった。
イギリス海軍は日本海軍と戦闘になる可能性がなくなったため、無傷の東洋艦隊を本国に帰還させ万全の状態でドイツ海軍の侵攻に備えており、海軍力では劣勢だったドイツ軍はイギリス本土への上陸作成に踏み切れないでいた。
しかし、1942年1月11日にフランスのブレスト(フランス海軍が東南アジアに拠点を移した際に放棄したあとに、ドイツ海軍の大西洋艦隊司令部を設置していた都市)からドイツ海軍主力艦隊に護衛されたドイツ陸軍上陸部隊が出航したとの報を受けたため、イギリス海軍はギリス海峡に防衛線を展開した。そこで、待ち構えるイギリス艦隊に対して、ドイツ軍は新型兵器を使用した。
アイザック達の現代知識を元に開発したHs 300(Hs293をベースに、誘導性能の向上、小型化をした空対艦ミサイル)を搭載した新型ジェット推進爆撃機の大部隊による高高度からの精密爆撃を実施したのだ。イギリス海軍も空母艦載機と対空砲で応戦したが、ドイツ空軍の爆撃機は艦載機の戦闘可能な高度を超えており、対空砲も届かず、艦隊決戦をする前に一方的な爆撃により壊滅した。イギリスに帰還できたのは、救助活動のためにドイツ空軍の標的からあえて外された数隻の駆逐艦だけだった。
イギリス軍は当初ドイツ軍がドーバー海峡を渡って侵攻すると考えていた。しかし、ドイツ海軍はイギリスの予想よりかなり西にあるシートン湾に向かったため、イギリス陸軍の対応は後手に回ってしまった。シートンの守備兵力だけではドイツ軍の足止めにもならないため、移動速度の速い機動部隊を先行してシートンに向かわせ、ドイツの上陸部隊を待ち構えることにした。しかし、これに対してドイツ軍はV3ロケット(V2ロケットにベースに、誘導性能の向上、小型化した弾道ミサイル)を多数投入して、シートンで待ち構える機動部隊と海岸線に構築した即席陣地をほぼ無力化することに成功した。そのため、抵抗らしい抵抗を受けることなく、自軍にほとんど損害を出すことなくイギリス本土への上陸に成功したのである。
第1陣でドイツ陸軍約30万人が上陸し、1月13日中にシートン周辺の占領に成功した。それから約1週間で延べ100万人がイギリス本土に上陸し、イギリス陸軍の激しい抵抗を受けながらも、元の世界の史実とは違い北アフリカに侵攻しなかったロンメル元帥率いる機甲師団が破竹の勢いでロンドンに向け進軍を続けているとのことだった。
なお、今回の上陸作戦に投入されたドイツ軍側の兵力は、ドイツ陸軍全体の約25%にあたり、この時点で出せる兵力のほぼ全てを一度に投入したことになる。
翌14日、イギリス海軍の壊滅とドイツ軍による大ブリテン島上陸の報を受けたアメリカが、世論の後押しを受けて、ついにナチスドイツに対して宣戦布告を行なった。
史実とは異なり、この世界のドイツはソ連と戦わなかったため、東部戦線で疲弊することなく万全のコンディションである。対してアメリカも太平洋戦線に戦力を分散させる必要がないため万全のコンディションである。技術力世界一のドイツ対生産力世界一のアメリカによる人類史上最大の総力戦へと突入したのだ。
アメリカとイギリスの両政府からは、連名で日本とソ連に対しても連合軍に参加するよう大使館経由で正式な要請があった。
この件について、緊急でソ連の小川先輩と協議をした。話し合いの結果、アイザック達とは連絡が取れなくなったとはいえ、現在も日独ソの3か国間は正常な国交は継続しており、連合国に参加するメリットは少ないと判断した。
そもそも、元の世界から一緒に来た仲間であるアイザック達と戦うわけにはいかないので参戦するという選択肢はない。なので、連合国への支援はイギリスの民間人に対する人道支援に留め、日ソ共に中立の立場を表明した。
しかし、アイザック達とは俺たち日本陣営とも、ソ連の小川先輩とも相変わらずボイスチャットでの連絡は取れず、彼らの身に何かあったのか心配したが、二人とも公式の場に姿を見せているし、通常の外交ルートではドイツとの国交はこれまで通り続いている。
1942年1月15日午前5時頃、ドイツ空軍はロンドン市街に大規模爆撃を決行した。初めてのイギリス空軍とドイツ空軍との本格的な空戦とあって、ここまで兵力を温存していたイギリス空軍も出し惜しみなく大量の戦闘機を迎撃に向かわせたが、ドイツの最新式のジェット戦闘機に性能でも数でも圧倒され、ロンドンの制空権を数時間で取られてしまった。
イギリス空軍の迎撃機がいなくなったロンドンに、ドイツでは旧式となったレシプロ式の大型爆撃機の大編隊による史上最大規模の空襲(ザ・ブリッツ)が始まった。
ドイツ軍の空襲が始まってから、初日だけで約2万人の逃げ遅れたロンドン市民が犠牲となった。
10
お気に入りに追加
30
あなたにおすすめの小説

世界はあるべき姿へ戻される 第二次世界大戦if戦記
颯野秋乃
歴史・時代
1929年に起きた、世界を巻き込んだ大恐慌。世界の大国たちはそれからの脱却を目指し、躍起になっていた。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツ第三帝国は多額の賠償金に加えて襲いかかる恐慌に国の存続の危機に陥っていた。援助の約束をしたアメリカは恐慌を理由に賠償金の支援を破棄。フランスは、自らを救うために支払いの延期は認めない姿勢を貫く。
ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。
また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。
その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。
この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。
またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。
この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず…
大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。
【重要】
不定期更新。超絶不定期更新です。
旧陸軍の天才?に転生したので大東亜戦争に勝ちます
竹本田重朗
ファンタジー
転生石原閣下による大東亜戦争必勝論
東亜連邦を志した同志達よ、ごきげんようである。どうやら、私は旧陸軍の石原莞爾に転生してしまったらしい。これは神の思し召しなのかもしれない。どうであれ、現代日本のような没落を回避するために粉骨砕身で働こうじゃないか。東亜の同志と手を取り合って真なる独立を掴み取るまで…
※超注意書き※
1.政治的な主張をする目的は一切ありません
2.そのため政治的な要素は「濁す」又は「省略」することがあります
3.あくまでもフィクションのファンタジーの非現実です
4.そこら中に無茶苦茶が含まれています
5.現実的に存在する如何なる国家や地域、団体、人物と関係ありません
6.カクヨムとマルチ投稿
以上をご理解の上でお読みください
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
転生少女は大戦の空を飛ぶ
モラーヌソルニエ
ファンタジー
薄っぺらいニワカ戦闘機オタク(歴史的知識なし)が大戦の狭間に転生すると何が起きるでしょう。これは現代日本から第二次世界大戦前の北欧に転生した少女の空戦史である。カクヨムでも掲載しています。
武蔵要塞1945 ~ 戦艦武蔵あらため第34特別根拠地隊、沖縄の地で斯く戦えり
もろこし
歴史・時代
史実ではレイテ湾に向かう途上で沈んだ戦艦武蔵ですが、本作ではからくも生き残り、最終的に沖縄の海岸に座礁します。
海軍からは見捨てられた武蔵でしたが、戦力不足に悩む現地陸軍と手を握り沖縄防衛の中核となります。
無敵の要塞と化した武蔵は沖縄に来襲する連合軍を次々と撃破。その活躍は連合国の戦争計画を徐々に狂わせていきます。

転生一九三六〜戦いたくない八人の若者たち〜
紫 和春
SF
二〇二〇年の現代から、一九三六年の世界に転生した八人の若者たち。彼らはスマートフォンでつながっている。
第二次世界大戦直前の緊張感が高まった世界で、彼ら彼女らはどのように歴史を改変していくのか。

大日本帝国領ハワイから始まる太平洋戦争〜真珠湾攻撃?そんなの知りません!〜
雨宮 徹
歴史・時代
1898年アメリカはスペインと戦争に敗れる。本来、アメリカが支配下に置くはずだったハワイを、大日本帝国は手中に収めることに成功する。
そして、時は1941年。太平洋戦争が始まると、大日本帝国はハワイを起点に太平洋全域への攻撃を開始する。
これは、史実とは異なる太平洋戦争の物語。
主要登場人物……山本五十六、南雲忠一、井上成美
※歴史考証は皆無です。中には現実性のない作戦もあります。ぶっ飛んだ物語をお楽しみください。
※根本から史実と異なるため、艦隊の動き、編成などは史実と大きく異なります。
※歴史初心者にも分かりやすいように、言葉などを現代風にしています。

大日本帝国、アラスカを購入して無双する
雨宮 徹
歴史・時代
1853年、ロシア帝国はクリミア戦争で敗戦し、財政難に悩んでいた。友好国アメリカにアラスカ購入を打診するも、失敗に終わる。1867年、すでに大日本帝国へと生まれ変わっていた日本がアラスカを購入すると金鉱や油田が発見されて……。
大日本帝国VS全世界、ここに開幕!
※架空の日本史・世界史です。
※分かりやすくするように、領土や登場人物など世界情勢を大きく変えています。
※ツッコミどころ満載ですが、ご勘弁を。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる