7 / 85
07.未曾有の好景気
しおりを挟む
燃料の次に懸念していた資金はどうしたかと言うと、結論から言うとこちらは何とかできた。悠斗が前代未聞の資金調達を行ったおかげで十分な資金が確保できたのだ。具体的には悠斗が元の世界では敗戦を知らせるために利用した玉音放送を使って、建設国債の購入を臣民に呼びかけたのだ。放送の内容を簡単にいうと『我々、大日本帝國は亜細亜の盟主の責務を果たすべく国共内戦で政情不安となった中国の治安維持や欧米列強からの防衛を目的として、人道的見地から中国に駐屯していたが、新たな対等な同盟国となったソ連に治安維持及び防衛を引継ぐことで、亜細亜の盟主としての目的は達成した。我が国は今後いかなる侵略戦争を行わない。そして、侵略戦争に加担しないことを世界に宣言する。朝鮮半島においては朝鮮共和国の独立を目指して、現在は暫定朝鮮政府と協議中である。このように東亜細亜が安定した今、国内の諸問題の解決を最優先とし、大規模な経済政策を行うことになった。そのためには資金が必要だから建設国債を買って欲しい』との内容を呼びかけたところ、天皇から直接臣民に向けた初めての具体的な呼びかけであることと、日本が侵略戦争をしないという安心感から大反響があり、あっという間に目標の資金の7割が集まった。残りの3割はというと、悠斗が直接財閥の当主を皇居に招待し、天皇家の皇居以外に所有する土地などの資産を担保に建設国債を引き受けることお願いした。財閥の各当主は悠斗の英断に感銘を受けあっさりと協力してくれた。これによって日銀が一切国債を引き受けない資金調達ができたため、元の世界で起こったハイパーインフレを回避することができた。
中国からの駐留軍の引き揚げ後には、日本とソ連が毛沢東政権樹立を支援することを条件に、共産党軍と和平協定を結び日中戦争は終戦を迎えた。
そして、終戦と同時に戦時統制経済を解除した。大日本帝国としての今後の方針が日本中に周知され、進む方向が決まってからの日本人は強かった。皆同じ方向を向いて全力で働き、皆が少しでも良い暮らし求めて購買意欲も向上したため、徐々に景気が上向きになっていたった。
1940年10月にはソ連と共同経営の重慶油田、勝利油田からの採掘が始まった。これでようやく念願の燃料を確保することができた。重慶油田から採掘した重油を載せた船が日本に到着したときは、日本中がお祭り騒ぎになった。長く続いた計画停電が終了した日には新聞各紙から号外が配られた。燃料の心配がなくなり、ソ連との貿易が拡大したことでがさらに好景気に拍車をかけた。
また、アイザック達がこっちの世界に来る前に前任総統、恐らく本来のヒトラーが「ユダヤ人が諸悪の根源だ」というような内容でドイツ国民を散々煽っていたこともあり、国民感情を抑えることができずユダヤ人排斥の流れを止めることができなかった。困ったアイザック達はドイツに住んでいるソ連にユダヤ人の移民引受を打診したが、ソ連は今後の混乱を招くからと受け入れを拒否。そこで、俺達日本は日本に帰化を希望するドイツ国籍及びポーランド国籍のユダヤ人のみ大日本帝国の臣民として受け入れることを承諾した。極東の島国にで一生暮らしても良いというユダヤ人は多くないと予想していたが、予想に反してドイツ及びポーランド在住のユダヤ人約50万人のうち90%にあたる45万人がこの提案を受け入れた。なお、このとき日本への帰化を受け入れなかったユダヤ人達の多くはアメリカやカナダに亡命するもことになったが、残ったユダヤ人は、あの世界の史実通り虐殺とまではいかないまでも、ゲシュタポに逮捕され、強制収容所に隔離、強制労働を強いられることになった。
一方、日本に帰化したユダヤ人達は鹿児島県、福島県、高知県に急遽陸軍が建設したユダヤ人仮設居住地に移送された。ユダヤ人たちはドイツを出国する際にナチスからすべての資産を没収されたうえ、満足な食事も与えられず不安を抱いて極寒のシベリア鉄道経由で、遠く離れた日本に輸送された。日本に到着した頃には、心身ともに衰弱しているものがほとんどだった。そんな満身創痍なユダヤ人に対して、日本政府は悠斗の命令で温かい食事に仮設住宅を提供し、ドイツ語堪能なスタッフによるユダヤ人専門の職業安定所と、無料で学ぶことができる日本語学校を設置した。特に医者や会計士等の専門職や、エンジニアや大工、理容師などの技術を持っているものはすぐに仕事が決まり、大学教授や研究者等は帝国大学や理研、財閥系企業で教授や研究員等として即戦力で採用された。専門の知識や技術がないものも何の特技も持っていない自分たちを手厚く保護してくれたことで、徐々に日本を自分たちの祖国であると思うようになってくれた。
元々その土地に住んでいた地元住民たちとも大きなトラブルを起こすこともなく、日本語も積極的に覚えて日本人として馴染んでいった。
また、日本語で日本人と同じ試験さえ合格すれば、帰化したユダヤ人も公務員になることもできた。もちろん彼らには選挙権もあるので、次回の衆議院選挙ではユダヤ人の政治家が誕生するかもしれない。
そのような帰化したユダヤ人に対する日本の対応を見ていたドイツ占領化のフランスでも動きがあり、ルノーの創業者を筆頭にナチスに協力を強いられていたフランスの企業家達が、従業員やその家族と共にソ連経由で日本への亡命が相次ぎ、国際ユダヤ資本の出資等もあり日本で新たに日本ルノー等の元欧州系企業の設立が相次いだ。日本としては世界最先端のルノー等の技術を手に入れることができたメリットは大きかったが、今後台頭してくるはずだったトヨタ自動車を筆頭とした日本の自動車メーカー等は発展途上であったため、ルノーの最先端の技術力には叶わず、日本ルノーに吸収合併されることになった。
世界中が戦争をしているという状況で日本は軍縮、内需拡大、移民の受け入れによる大勢の高度人材を含む人的資源の確保に成功することができた。ヨーロッパ企業の日本への資本移転が相次ぎ、日本は投資家から見たらキラキラ光る黄金の国ジパングと言った状況で、アメリカの投資家もいくら仮想敵国だからといって、このチャンスを見過ごすことはできず、アメリカからも莫大な資金が日本に流れるこになった。
ユダヤ人の受け入れで味をしめた俺たちは、さらにドイツ占領下のヨーロッパからの帰化希望者を、犯罪者以外は無制限にすべて受け入れた。ジャパンドリームとうい言葉が流行り、目論見通りヨーロッパからの移民は順調に増えた。これまで単一民族だった日本が、多民族国家への変貌を遂げようとしていた。俺達がこの世界に来たときから僅か2年間、歴史的な好景気や急激な国際化の影響で東京の町並みはがらっと変わり、都内の道路はほとんどがアスファルトで舗装され、舗装された道路にはルノーのジュヴァキャトルが行き交い、フランス風のオープンテラスのカフェや深夜までオープンしているスペイン風のバル、ドイツ風のビアホールでは元々の日本人と元欧州人がビールを飲みながら談笑し、日本語、フランス語、ドイツ語、英語、ロシア語、スペイン語のネオン看板が街を彩っていた。日本の財閥資本や、アメリカ、イギリス、香港の銀行資本による高層ビルの建設も次々と開始され、東京は僅か2年でアジア最大の国際都市と変貌を遂げた。
治安維持法の撤廃と、これまでに検挙したすべての思想、政治犯の天皇の特赦によって解放された。同時に国内法に抵触しない範囲であれば思想と宗教、集会の自由を政府が全国民に対して保障することを宣言した。当初は共産主義者の活動が活発になるかと予想したが、ソ連との軍事同盟や関税撤廃条約、日ソ相互移民条約(相手国の日常会話、読み書きができれば犯罪者以外の移民をほとんど無制限に受け入れるという条約)を結んでおり、ソ連への日本からの移民も認められているため、国内で活動していた共産主義者は社会主義が良いならソ連に移住すれば良いという社会的な風潮になったことや、欧米型資本主義の成功を今まさに謳歌している臣民にとってはあまり共産主義は魅力的に感じないようだ。特高警察が厳しく取り締まっていた頃よりも国内の活動家の数は激減したため、共産主義者の組織的な活動はほとんど見られなくなった。
また、天皇の名のもとにすべての臣民に対して公共の利益に反しない限り制限を受けない基本的人権を保証したため、民主化運動というような動きも一切なくなった。
中国では日本が撤退したことで、すぐに毛沢東率いる共産党軍と蒋介石率いる国民党軍が内戦を再開させた。俺達は後々勝利することが分かっている共産党軍に関東軍の航空機以外の装備の大部分を渡したため、日本から支援を受けた共産党は国民党に圧勝し、およそ1年で蒋介石を追い詰め処刑したのち、既にソ連の一部となっていた満州以南を統一して中華人民共和国を建国した。満州を占領して自国の領土として編入したソ連とは緊張関係にあったが、一時は敵対したとはいえ中華人民共和国の建国を支援した日本は中国にとって一番の友好国となった。
ヨーロッパ戦線ではアイザック達が率いるナチス・ドイツがポーランド併合、フランス占領と順調にヨーロッパ全土を占領し、歴史を知っている藤井先輩は、歴史通りだとドイツのミスで40万人のイギリス軍の撤退を成功させたゲンタルクの戦いで、イギリスの撤退を許さず壊滅に追い込むことに成功した。また、ソ連という最大の危険因子を気にしなくて良いため、ポーランド、デンマーク、ノルウェー、ベルギー、オランダ、ルクセンブルグ、フランス、ユーゴスラビア、ギリシャ、スペイン、ポルトガルを次々と占領。あの世界の歴史よりも早く、大きな被害をほとんど出すことなく約2年で、徹底抗戦を続けるイギリスと中立国のスイスとドイツの同盟国であるイタリアを除くほぼ西ヨーロッパ全土を併合することに成功している。彼らはほとんどゲーム感覚で戦闘国家の道を進んでおり、月1会の定例全体チャットでは毎回戦果の自慢話を聞かされている。
なお、ドイツに本国の領土を完全に併合されてさまったフランスとオランダの政府は、植民地に臨時政府を樹立した。アフリカの植民地だと、ドイツの同盟国であるイタリアの侵攻を受ける可能性があるため、東南アジアにある各国の植民地に陸海軍と臨時政府を移して、東南アジアから本国奪還を狙っているようだ。なお、スペインには東南アジアに植民地がないため、赤道ギニアに、ポルトガルは東南アジアの植民地は東ティモールしかないためアンゴラに臨時政府を設置した。元の世界の歴史では、日本が東南アジアに進出したため東南アジアの植民地をほとんど利用できなかったが、この世界では日本が第二次世界大戦に一切関与していないため、アジア情勢は驚くほど安定していた。
中国からの駐留軍の引き揚げ後には、日本とソ連が毛沢東政権樹立を支援することを条件に、共産党軍と和平協定を結び日中戦争は終戦を迎えた。
そして、終戦と同時に戦時統制経済を解除した。大日本帝国としての今後の方針が日本中に周知され、進む方向が決まってからの日本人は強かった。皆同じ方向を向いて全力で働き、皆が少しでも良い暮らし求めて購買意欲も向上したため、徐々に景気が上向きになっていたった。
1940年10月にはソ連と共同経営の重慶油田、勝利油田からの採掘が始まった。これでようやく念願の燃料を確保することができた。重慶油田から採掘した重油を載せた船が日本に到着したときは、日本中がお祭り騒ぎになった。長く続いた計画停電が終了した日には新聞各紙から号外が配られた。燃料の心配がなくなり、ソ連との貿易が拡大したことでがさらに好景気に拍車をかけた。
また、アイザック達がこっちの世界に来る前に前任総統、恐らく本来のヒトラーが「ユダヤ人が諸悪の根源だ」というような内容でドイツ国民を散々煽っていたこともあり、国民感情を抑えることができずユダヤ人排斥の流れを止めることができなかった。困ったアイザック達はドイツに住んでいるソ連にユダヤ人の移民引受を打診したが、ソ連は今後の混乱を招くからと受け入れを拒否。そこで、俺達日本は日本に帰化を希望するドイツ国籍及びポーランド国籍のユダヤ人のみ大日本帝国の臣民として受け入れることを承諾した。極東の島国にで一生暮らしても良いというユダヤ人は多くないと予想していたが、予想に反してドイツ及びポーランド在住のユダヤ人約50万人のうち90%にあたる45万人がこの提案を受け入れた。なお、このとき日本への帰化を受け入れなかったユダヤ人達の多くはアメリカやカナダに亡命するもことになったが、残ったユダヤ人は、あの世界の史実通り虐殺とまではいかないまでも、ゲシュタポに逮捕され、強制収容所に隔離、強制労働を強いられることになった。
一方、日本に帰化したユダヤ人達は鹿児島県、福島県、高知県に急遽陸軍が建設したユダヤ人仮設居住地に移送された。ユダヤ人たちはドイツを出国する際にナチスからすべての資産を没収されたうえ、満足な食事も与えられず不安を抱いて極寒のシベリア鉄道経由で、遠く離れた日本に輸送された。日本に到着した頃には、心身ともに衰弱しているものがほとんどだった。そんな満身創痍なユダヤ人に対して、日本政府は悠斗の命令で温かい食事に仮設住宅を提供し、ドイツ語堪能なスタッフによるユダヤ人専門の職業安定所と、無料で学ぶことができる日本語学校を設置した。特に医者や会計士等の専門職や、エンジニアや大工、理容師などの技術を持っているものはすぐに仕事が決まり、大学教授や研究者等は帝国大学や理研、財閥系企業で教授や研究員等として即戦力で採用された。専門の知識や技術がないものも何の特技も持っていない自分たちを手厚く保護してくれたことで、徐々に日本を自分たちの祖国であると思うようになってくれた。
元々その土地に住んでいた地元住民たちとも大きなトラブルを起こすこともなく、日本語も積極的に覚えて日本人として馴染んでいった。
また、日本語で日本人と同じ試験さえ合格すれば、帰化したユダヤ人も公務員になることもできた。もちろん彼らには選挙権もあるので、次回の衆議院選挙ではユダヤ人の政治家が誕生するかもしれない。
そのような帰化したユダヤ人に対する日本の対応を見ていたドイツ占領化のフランスでも動きがあり、ルノーの創業者を筆頭にナチスに協力を強いられていたフランスの企業家達が、従業員やその家族と共にソ連経由で日本への亡命が相次ぎ、国際ユダヤ資本の出資等もあり日本で新たに日本ルノー等の元欧州系企業の設立が相次いだ。日本としては世界最先端のルノー等の技術を手に入れることができたメリットは大きかったが、今後台頭してくるはずだったトヨタ自動車を筆頭とした日本の自動車メーカー等は発展途上であったため、ルノーの最先端の技術力には叶わず、日本ルノーに吸収合併されることになった。
世界中が戦争をしているという状況で日本は軍縮、内需拡大、移民の受け入れによる大勢の高度人材を含む人的資源の確保に成功することができた。ヨーロッパ企業の日本への資本移転が相次ぎ、日本は投資家から見たらキラキラ光る黄金の国ジパングと言った状況で、アメリカの投資家もいくら仮想敵国だからといって、このチャンスを見過ごすことはできず、アメリカからも莫大な資金が日本に流れるこになった。
ユダヤ人の受け入れで味をしめた俺たちは、さらにドイツ占領下のヨーロッパからの帰化希望者を、犯罪者以外は無制限にすべて受け入れた。ジャパンドリームとうい言葉が流行り、目論見通りヨーロッパからの移民は順調に増えた。これまで単一民族だった日本が、多民族国家への変貌を遂げようとしていた。俺達がこの世界に来たときから僅か2年間、歴史的な好景気や急激な国際化の影響で東京の町並みはがらっと変わり、都内の道路はほとんどがアスファルトで舗装され、舗装された道路にはルノーのジュヴァキャトルが行き交い、フランス風のオープンテラスのカフェや深夜までオープンしているスペイン風のバル、ドイツ風のビアホールでは元々の日本人と元欧州人がビールを飲みながら談笑し、日本語、フランス語、ドイツ語、英語、ロシア語、スペイン語のネオン看板が街を彩っていた。日本の財閥資本や、アメリカ、イギリス、香港の銀行資本による高層ビルの建設も次々と開始され、東京は僅か2年でアジア最大の国際都市と変貌を遂げた。
治安維持法の撤廃と、これまでに検挙したすべての思想、政治犯の天皇の特赦によって解放された。同時に国内法に抵触しない範囲であれば思想と宗教、集会の自由を政府が全国民に対して保障することを宣言した。当初は共産主義者の活動が活発になるかと予想したが、ソ連との軍事同盟や関税撤廃条約、日ソ相互移民条約(相手国の日常会話、読み書きができれば犯罪者以外の移民をほとんど無制限に受け入れるという条約)を結んでおり、ソ連への日本からの移民も認められているため、国内で活動していた共産主義者は社会主義が良いならソ連に移住すれば良いという社会的な風潮になったことや、欧米型資本主義の成功を今まさに謳歌している臣民にとってはあまり共産主義は魅力的に感じないようだ。特高警察が厳しく取り締まっていた頃よりも国内の活動家の数は激減したため、共産主義者の組織的な活動はほとんど見られなくなった。
また、天皇の名のもとにすべての臣民に対して公共の利益に反しない限り制限を受けない基本的人権を保証したため、民主化運動というような動きも一切なくなった。
中国では日本が撤退したことで、すぐに毛沢東率いる共産党軍と蒋介石率いる国民党軍が内戦を再開させた。俺達は後々勝利することが分かっている共産党軍に関東軍の航空機以外の装備の大部分を渡したため、日本から支援を受けた共産党は国民党に圧勝し、およそ1年で蒋介石を追い詰め処刑したのち、既にソ連の一部となっていた満州以南を統一して中華人民共和国を建国した。満州を占領して自国の領土として編入したソ連とは緊張関係にあったが、一時は敵対したとはいえ中華人民共和国の建国を支援した日本は中国にとって一番の友好国となった。
ヨーロッパ戦線ではアイザック達が率いるナチス・ドイツがポーランド併合、フランス占領と順調にヨーロッパ全土を占領し、歴史を知っている藤井先輩は、歴史通りだとドイツのミスで40万人のイギリス軍の撤退を成功させたゲンタルクの戦いで、イギリスの撤退を許さず壊滅に追い込むことに成功した。また、ソ連という最大の危険因子を気にしなくて良いため、ポーランド、デンマーク、ノルウェー、ベルギー、オランダ、ルクセンブルグ、フランス、ユーゴスラビア、ギリシャ、スペイン、ポルトガルを次々と占領。あの世界の歴史よりも早く、大きな被害をほとんど出すことなく約2年で、徹底抗戦を続けるイギリスと中立国のスイスとドイツの同盟国であるイタリアを除くほぼ西ヨーロッパ全土を併合することに成功している。彼らはほとんどゲーム感覚で戦闘国家の道を進んでおり、月1会の定例全体チャットでは毎回戦果の自慢話を聞かされている。
なお、ドイツに本国の領土を完全に併合されてさまったフランスとオランダの政府は、植民地に臨時政府を樹立した。アフリカの植民地だと、ドイツの同盟国であるイタリアの侵攻を受ける可能性があるため、東南アジアにある各国の植民地に陸海軍と臨時政府を移して、東南アジアから本国奪還を狙っているようだ。なお、スペインには東南アジアに植民地がないため、赤道ギニアに、ポルトガルは東南アジアの植民地は東ティモールしかないためアンゴラに臨時政府を設置した。元の世界の歴史では、日本が東南アジアに進出したため東南アジアの植民地をほとんど利用できなかったが、この世界では日本が第二次世界大戦に一切関与していないため、アジア情勢は驚くほど安定していた。
10
お気に入りに追加
29
あなたにおすすめの小説
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
大日本帝国、アラスカを購入して無双する
雨宮 徹
歴史・時代
1853年、ロシア帝国はクリミア戦争で敗戦し、財政難に悩んでいた。友好国アメリカにアラスカ購入を打診するも、失敗に終わる。1867年、すでに大日本帝国へと生まれ変わっていた日本がアラスカを購入すると金鉱や油田が発見されて……。
大日本帝国VS全世界、ここに開幕!
※架空の日本史・世界史です。
※分かりやすくするように、領土や登場人物など世界情勢を大きく変えています。
※ツッコミどころ満載ですが、ご勘弁を。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
鋼月の軌跡
チョコレ
SF
月が目覚め、地球が揺れる─廃機で挑む熱狂のロボットバトル!
未知の鉱物ルナリウムがもたらした月面開発とムーンギアバトル。廃棄された機体を修復した少年が、謎の少女ルナと出会い、世界を揺るがす戦いへと挑む近未来SFロボットアクション!
戦神の星・武神の翼 ~ もしも日本に2000馬力エンジンが最初からあったなら
もろこし
歴史・時代
架空戦記ファンが一生に一度は思うこと。
『もし日本に最初から2000馬力エンジンがあったなら……』
よろしい。ならば作りましょう!
史実では中途半端な馬力だった『火星エンジン』を太平洋戦争前に2000馬力エンジンとして登場させます。そのために達成すべき課題を一つ一つ潰していく開発ストーリーをお送りします。
そして火星エンジンと言えば、皆さんもうお分かりですね。はい『一式陸攻』の運命も大きく変わります。
しかも史実より遙かに強力になって、さらに1年早く登場します。それは戦争そのものにも大きな影響を与えていきます。
え?火星エンジンなら『雷電』だろうって?そんなヒコーキ知りませんw
お楽しみください。
暁のミッドウェー
三笠 陣
歴史・時代
一九四二年七月五日、日本海軍はその空母戦力の総力を挙げて中部太平洋ミッドウェー島へと進撃していた。
真珠湾以来の歴戦の六空母、赤城、加賀、蒼龍、飛龍、翔鶴、瑞鶴が目指すのは、アメリカ海軍空母部隊の撃滅。
一方のアメリカ海軍は、暗号解読によって日本海軍の作戦を察知していた。
そしてアメリカ海軍もまた、太平洋にある空母部隊の総力を結集して日本艦隊の迎撃に向かう。
ミッドウェー沖で、レキシントン、サラトガ、ヨークタウン、エンタープライズ、ホーネットが、日本艦隊を待ち構えていた。
日米数百機の航空機が入り乱れる激戦となった、日米初の空母決戦たるミッドウェー海戦。
その幕が、今まさに切って落とされようとしていた。
(※本作は、「小説家になろう」様にて連載中の同名の作品を転載したものです。)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる