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1巻
1-3
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「首にリボンがついておるじゃろ? それを外すと今の百倍くらいのサイズになって、首が三つに増え、お前さんなど丸呑みじゃあ」
またまたあ。精霊王さんったら冗談ばっかり~! もー、お年寄りってすぐそうやって若い者をからかうんだからぁ~やだぁ~! ……絶対リボンは外さないでおこう。
「で、お前さんは何をそんなに急いでおるんじゃ?」
あ、そうだった。こんなことをしている場合ではない。私は衣装の素材と裁ちバサミを……
いやっ、ちょっと待て私! 今すごいこと思いついた。
「せ、精霊王さんって、全ての精霊の頂点なんですよね?」
「そうじゃそうじゃ。もっと褒めたたえてもいいぞい」
「じゃあ、風の精霊を操れたりしちゃいます?」
「とーーーうぜん操れるに決まっとるじゃろう。姿はこんなになってしまったが、今だとて風も火も水も土も、精霊はぜーーーんぶワシの意のままじゃぞ~」
ぱぁぁーっと、希望の光が私に降り注ぐ!! いや実際には薄暗いままだけど、あくまでイメージね。
マギさんは布を切る時、確か風の精霊って言ってたよね。
「じゃあじゃあ、その力で好きな形に布を切るなんて、朝飯前ですよねっ!!」
「とーーーーーうぜん……うん? 布を切るじゃと?」
「はい! 私、訳あって、明後日までに服を作らなきゃならないんです! でも、布を切ることもできなくて、困っていて……。だから、お願いです、精霊王さん! 私に力を貸して下さい!」
必死に頭を下げて頼み込むと、精霊王さんは「ふーむ」と思案するような声を出した。
「さぁて、どうするかのう……いきなりワシをバラバラにしてしまったニンゲンじゃからのう……。今までそのモフモフに見つからんようどうにか逃げておったのに、お嬢さんのせいで匂いも覚えられ、今後も狙われてしまいそうだしのう……?」
「そ、そのあとちゃんと組み立てたじゃないですかー!」
くうっ、絶対足元見てるー!
でも取引しようにもお金なんてないし、この世界では何が価値のあるものなのかもわからない。
「そうじゃのう。お前さんの目玉をくれたら、考えてやろうかのう~~~」
「目玉!?」
精霊王さんの意地悪な声に、私は思わず腕で目を庇って後ずさった。
目がなくなったら困る。かといって、服を作れなければ命がない……ううう、こんなギリギリの選択やだあああ!! と、泣きそうになっていると。
今まで大人しくしていたポメちゃんことケルベロスが、突然立ち上がり、猛ダッシュ!
そのまま精霊王さんに飛びかかった!
「んきゃーーー!?」
精霊王さんはまたもやバラバラに飛び散り、ケルベロスは喜んでその骨にじゃれつく。
「うわっ、やめるんじゃこの犬っころ! ワシをしゃぶるな、ベトベトになるううう! あっ、かじるのはもっと駄目じゃあああ!」
ワフワフと精霊王さんの骨で遊ぶケルベロス。
しばらくして、精霊王さんの口から憐れっぽい声が上がった。
「その……お嬢さん。お嬢さんの頼みを聞くから、どうかこの犬ころを遠ざけてくれんかのう……」
よし! ナイスケルべロス!
そんな私の心の声が聞こえたのか、ケルベロスが私を振り返り、「わふっ!」と得意げに鳴いた。
* * *
ケルベロスのナイスプレイのおかげで、なんとか服を作る足掛かりを得られたわけだけれども。
再び散らばった骨を集めるのは、結構大変だった。今後は迂闊に散らばらないでほしいところ。
ともあれ組み上がった精霊王さんが事情を知りたがったので、私は簡単に自分の身の上を説明した。
自分は、東京で独り暮らし中のしがないオタクであること。どういうわけか、私の部屋のクローゼットと魔王の部屋のクローゼットが繋がったこと。そのせいでクローゼットの中身が入れ替わり、中を覗き込んだ私は魔王城に迷い込んでしまったこと。そして、魔王に服を作る代わりに元の世界に戻してもらうという取引をし、現在マギさんの作業部屋に滞在していること。
「なるほどのう。何故魔王城にニンゲンがいるのかと思っておったが、そういう理由じゃったか」
本当にざっくりとした説明だったけど、精霊王さんは理解してくれたらしい。
「つまり、お前さんはトウキョウという世界でオタクなる仕事をしているため、早く帰りたいと」
うん、微妙に違うけど、まあいいや。大体合ってる。
「して、名前は」
そういえば、名乗るのを忘れていた。
「梨世です。精霊王さんのことは、なんて呼べばいいですか?」
名乗りついでに聞いてみた。せいれいおうさん、というのは結構呼びづらい。
「ワシか。うーん、そうじゃなあ……、好きに呼んでくれて構わんぞい。なんなら新しくつけてくれても良いぞ」
え、えー!? すごい無茶振りしてくるなぁ。
精霊の王か……。魔王ならサタンとかかなーって思うけど、精霊王ってなんだ? 炎の精霊ならサラマンダーなんだろうけど、属性わかんないしなー。見た目ガイコツだから、好きなキャラの名前つけるには抵抗あるしなー。
あー、もう、どうでもいいや。
「じゃあ、ガイ……はどうでしょう」
「うむ、なかなかいい名じゃのう! 長ったらしくないのがいい。それなら覚えられそうじゃ」
まさか気に入ってもらえるとは。ガイコツだからガイ、なんていう安直な由来は黙っとこ。
精霊王、ガイ。とか言っておけば、カッコイイ気がしてくるだろう。
「そうだ、ケルベロスにも何か呼び名が欲しいな。なんか響きが怖いし、もっと可愛いの……ケル……ケベ……そうだ、ケルべえってどうだろう!?」
「わふっ!」
ケルベロス、もといケルべえがシッポを振って返事をする。こっちも気に入ってくれたみたい。私のネーミングセンスについての話は、またの機会でお願いします。
「さて、リセ。それでワシは何をすればいいんじゃ?」
ちらちらとケルべえを気にしながら、ガイが言う。
「うーん、とりあえず生地の裁断をお願いしたいんですけど……。もう少しマシな生地も探したいところなんですよね」
最初の部屋にあった布は、テカテカした質感の、ビビッドな色の物ばかり。あれよりはもっと重厚感のある物が欲しい。あとあと、翼や角とかのオプションの材料も。
「じゃったらこの先に倉庫があるぞい。まあ、ニンゲンからしたらガラクタばっかりじゃろうが」
ガラクタですって! な~んて胸躍る響きなんでしょ!
他の人間にはガラクタでも、私にとっては宝の山、なんてことは元の世界でもよくあること。例えば使い古してボロボロになった鞄や壊れたランプなどの雑貨でも、金具や装飾を取り外してアクセサリーに加工できるし、小さな布の切れ端なんかも捨てずに集めておいて、ボリュームを出したい場所なんかに詰めたりしている。他人から見たらゴミでも、私にはコスプレの材料なんだ。
ましてや魔王城のガラクタなんて、素敵な予感しかしない。
「お願いします、私をそこに案内して下さい!」
目を輝かせてお願いすると、ガイはちらちらと赤い眼光を瞬かせた。
「変わったニンゲンじゃのう。……こっちじゃよ」
ガイコツだから表情は読めないんだけど、口調からするとどうやら呆れているらしい。
ともあれ、廊下を飛んでいくガイを見失わないよう後を追う。すると後ろから、ぽてぽてとケルべえもついてきた。
骨の翼を動かし、ガイはカタカタと飛んでいく。
カタカタ、トコトコ、ぽてぽて。そんな音だけが、暗い廊下に響く。一人で歩いているよりもずっと心強いけれど、やっぱり少し怖いなぁ。
「……本当にケルべえ以外にも魔物がいるんですか?」
「じゃから、いると言うておるじゃろ。無差別にニンゲンを襲うような下等魔物は、ケルベロスを恐れて近付いてこないだけじゃ」
「ふ、ふーん。そうだ、ケルべえ、抱っこしてあげよっか?」
「わふっわふっ!」
屈んで手を伸ばすと、ケルべえが嬉しそうに飛びついてくる。ふふっ、もう離すもんですか!
万に一つもはぐれてしまわないよう、私はぎゅっとケルべえを抱き締めた。
うう~ふわもこであったかい! どこからどう見ても子犬にしか見えないし、とてもじゃないけど魔物なんて信じられないなぁ。他の魔物もこんな見た目ならいいんだけどなあ~。
「ほら、着いたぞ。ここじゃ」
やがて、ガイがある扉の前で立ち止まる。でも鉄拵えの扉には、南京錠ががっちり掛かっていた。
「……鍵が掛かってるように見えるけど……」
「……そうじゃのう……」
為す術なく、扉の前に立ちつくす私達。
「うーん、ワシが入ることはないからのう。失念しておった」
そりゃそうだ、ガイコツが倉庫に用事などないだろう。
「鍵は誰が持ってるのかしら」
「四天王なら持っとるんじゃないかのう。全員が持っとるかはわからんが」
「し、四天王? 四天王なんているんですか?」
うわあー、魔王っぽい!
「おるよ。剣の達人《蒼の覇剣》、怪力自慢《黄の剛腕》、四大元素の精霊を従える《紅の麗魔》、ケルベロスをはじめ、多くの魔獣を操る《翠の飢獣》。この四人が、この国で魔王に次ぐ力を持つ、魔王直属の四天王じゃ。会っても怒らせんようにな」
ガイの説明に、私は首を何度も縦に振った。
魔王に次ぐ実力者達かー、怒らせる以前に会いたくないなー。
……ん、待て待て。今、聞き覚えのある名前があったような。マギって、もしかしてマギさん?
えっ、マギさんて四天王だったの!? そんなにすごい肩書きの人には見えなかったけど……
「もしかして、そのマギさんって人……分厚い眼鏡に三つ編みの女の人ですか?」
「おお、そんな感じじゃ」
うわああああ! 多分人違いだろうと思ってたけど、やっぱりあのマギさんなの!?
いや、でもまだ信じられない。四天王って言ったら、もっと強そうな迫力とか、それなりの威厳とかが……いやでも、肝心の魔王があれだもん。四天王も推して知るべしか……
「しかし、何故知っておるのじゃ。知り合いなのか?」
不思議そうにするガイに、私は、マギさんが魔王から私の世話を言いつけられたことを簡単に説明した。それを聞いて、ふむ、とガイが頷く。
「それなら、鍵についてはマギに聞けばいいじゃろ」
「でも、マギさん、急にどこかに消えちゃって……」
「部屋に行ってみたらどうじゃ? マギは大抵部屋におるようじゃし。四天王の部屋はこっちじゃ」
カタカタと音を立てて、ガイが廊下を引き返し始める。
「ガイって何でも知ってるんですね~」
「ふん、伊達に長く魔王城に閉じ込められとらんわい」
不本意、といった様子でガイが言う。
「え、ガイって魔王城に閉じ込められてるんですか?」
思わず私が聞き返すと、しまった、という顔をした。どうやらあまり知られたくないことのようだ。
「ぬ……ま、まあ、本気を出せばこんな城、抜け出せんこともないんじゃよ? たかが魔王の呪いじゃし」
私でもハッタリだと丸わかりな言い訳である。しかし、どうも触れられたくないみたいだし、この場は突っ込まないでおこう。
と、そんな話をしているうちに、ホールのような開けた場所に出た。左右の壁には大きな扉が二つずつ、合計四つ見える。扉はそれぞれ、青、赤、黄、緑に塗られていた。
「ここが四天王の間じゃ。《紅の麗魔》というからには、マギの部屋は恐らく赤の扉じゃろう」
ガイがそう言うので、私はケルベえを下ろし、赤の扉の前に立った。
紅だから赤、と見せかけて実は青の扉でしたー! ……なんてないよね? 自分の住んでる城でそんなトラップ仕掛けても無意味だよね? と、どきどきしながらトントン、とノックをする。
「あのー、マギさん? いらっしゃいます? 梨世です」
すると、中でガタッと音がした。ううっ、違う人が出てきたらどうしよう。
冷や汗を流して待っていると、急に、
ドン!! ガタン!! ガタタタタ!!
という何かが崩れる大きな音と、それに交じってマギさんの悲鳴も聞こえてきた。
「え、マギさん!? どうしたんですか!? 入りますよ!」
ただ事ではないと感じて、扉を押す。扉には取っ手がなかったから咄嗟にそうしたものの、そのまま体はすり抜けて部屋の中に入ってしまった。
「わっ」
「きゃあああああ!!」
予想外の展開に思わず小さな悲鳴を上げた途端、それをかき消す派手な悲鳴が部屋にこだまする。
「だ、大丈夫ですかマギさん!」
マギさんの部屋は、魔王の部屋ほどではないにしろ、十分広かった。とはいえ、魔王の部屋がゴテゴテしていたのに対し、こちらはひどく殺風景。ベッドにタンス、サイドボードとどれもこれといって特徴のない普通の家具だ。
マギさん、服も地味だけどインテリアも地味だわ。ただ最低限の家具を置いたって感じ。でも散らかってはいないし、机の上に物を出しっぱなしにもしていないし、几帳面な性格なのかもしれないな。
そんなすっきりしすぎた部屋の中で一つ、大きな大きな戸棚だけがなんだか浮いていた。その戸棚から、洪水のように物が溢れてマギさんにのしかかっている。
戸棚から出た色んな物――紙とか本とか人形とか、魔術に使うのかな? ――に交じって、戸棚の中板が床に落ちている。なるほど、物を詰めすぎて壊れちゃったのか。
「マギさん、大丈夫――」
「きゃああああだめえええええ、ここ、来な……だだ大丈夫……じゃないけど、みっ見ない……!」
よほど混乱してるのか、言ってることが支離滅裂なマギさん。
とりあえず戸棚から溢れた物を片付けようと、落ちていた紙を拾う。何気なくぺらっと裏返すと、それは肖像画だった。大きさ的にブロマイドっぽい。
描かれているのは、金髪碧眼をした、文句なしの爽やかイケメン。凛々しくも優しげな風貌、鮮やかな青いマント。機能性と美しさが両立した鎧に、宝石があしらわれた神々しい剣を携えている。頭部には高貴な印象さえ受ける額飾り。
……私、この世界には着飾るという文化がないのかと思っていたけど、この絵の男の人が着用している物は、どれも抜群にセンスがいいじゃない! アクセサリーも凝っているし、思わずコスプレしたくなるくらいカッコイイ。
しかも、彼だけじゃない。他の肖像画には、他の人が一緒に描かれている物もあったけど、その人達も皆、人気アニメやゲームから抜け出してきたようなお洒落な美男美女ばかり。
「ああああああ!! 見ないで!! 見ないで下さい!!」
私がイケメン達に見惚れていると、マギさんが物の山を撥ねのけてガバリ! と起き上がり、私の手から肖像画を引ったくった。
「わわっ、ワタシが勇者様の肖像画を集めているのにはっっ、理由があって……! 決してファンなどというわけではっ」
勇者。
そっか、魔王がいる世界には、やっぱり勇者がいるわけね……。そういえば、ガイに最初に会った時にも、魔王と勇者の戦いがどうとか言ってたような気がするな。長いウンチク話だったからほとんど聞き流してたけど……とにかくさっきの肖像画の人がこの世界の勇者なわけね。
――って、ちょっと待って。
「えっ? マギさんって四天王なんですよね? 四天王が勇者のファンって色々マズイんじゃ……」
思ったことをそのまま口にすると、マギさんの顔色が傍目からもわかるくらいに青くなった。
「ななっ、なんで私が勇者様のファンだって……ちちち、ちがっ……」
ダメだ、完全に動転している。
「と、とりあえずここ片付けましょう、ね?」
肖像画らしき物はあちこちに散らばっていたが、とりあえずそれには触らずに本を拾う。
四天王が読んでる本って、どんな魔術書なのかなーなんて思って表紙を見て。
ブッ――
と、私が思いっきり噴き出したのと、マギさんが私にタックルして本を奪い取ったのはほぼ同時だった。
でも、私は見てしまった。男の人同士が熱い視線で見つめ合うイラスト表紙。あれは、多分――
慌てて言い繕う。
「みっ見てないです! 見てないですよ!? ボーイズラブっぽい表紙の本なんて全然見てないです!」
よく見れば転がっている人形も、これフィギュアじゃないのかっていうほどの精巧さ。金髪碧眼で、鎧にマントだから、恐らく勇者フィギュア。この世界にもそんな文化があるんだ……
つまり、マギさんはオタク――それも所謂、腐女子。
「大丈夫です。私なんにも見てないです。時にですね、私倉庫に入りたくて。その鍵を探しているんですね。ご存知ないですか?」
極めて冷静に、丁寧に、かつ優しく言ったつもりだったけれども。
「うわあああああああああああああああん!!」
マギさんが本を抱えたまま大声で泣き出してしまい、私は「ごめんなさいいいい!!」と叫びながら部屋を飛び出したのだった。
「一体何があったのじゃ? 悲鳴やら泣き声やらが聞こえたが……」
「さ、さあ~」
再びケルベえを抱き、魔王城の洞穴のような廊下を進みながら、ひたすらにガイの追及をかわす。
うう、なんだか私、マギさんを泣かせてばかりである。これでは苛めてるみたいだ……そんなつもりなんてないのに。それどころか、できれば仲良くなりたいって思ってるんだけどな、オタク同士。
マギさんに鍵について聞けなくなってしまったので、私は仕方なく一度部屋に戻ることにした。
「なんで隠すんじゃ。四天王が悲鳴を上げたり泣き叫んだり、ただ事じゃないじゃろ」
ガイはなおも追及してくる。
四天王のことはよく知らないけど、マギさんに限ってはそうとも言い切れないような。っていうか。
「そんなに気になるなら、入ってくれば良かったじゃないですか? そもそも、どこにいたんですか? ガイ、いつの間にかいなくなってるんだもの」
立ち止まってそう返すと、ガイは苦々しい声を上げた。
「そりゃあ、ワシをこんな姿にしたのは魔王じゃし。魔王の配下になぞ関わりたくないわい」
そうだったんだ。いや、他人事じゃないぞ。私も服ができなきゃ魔物の餌なんだ。
こんなところでガイと立ち話してる場合じゃない気がする。
「あ~、早く服を作りたいのになぁ……。倉庫の鍵……」
「く~ん……」
落ち込む私に同調するように、腕の中のケルべえが鳴く。
考えてみれば、倉庫の中に確実に素材があるとも言い切れないんだから、いっそ他の場所を探した方がいいのかも。
「……思ったんじゃが、魔王に聞いてみればいいんじゃないかのう」
「え……ええっ!?」
ガイの提案に、素っ頓狂な声を出してしまった。
「自分は関わりたくないくせに!?」
私だって、自分のこと魔物の餌にしようと思ってる人にあんまり関わりたくないんですけど!
「まあそうなんじゃが。厳密に言うとワシをこの姿にして城に閉じ込めたのは先々代の魔王で、今の魔王についてはよく知らんのじゃ。じゃがリセを生かしているあたり、今の魔王はだいぶ穏やかな性格と見える」
お、穏やかぁ~?
とてもそうは見えなかったけどな。私が怯えるのを楽しそうに眺めてたあの意地悪な笑顔は。
「私、服が気に入らなければ魔物に食い殺させるって言われてるんですけど」
「先々代なら、リセを見つけた時点でそうしていたじゃろうよ。街や村をいくつも焼いてニンゲンを虐殺したり、城に連れ帰っていたぶったりしとったわ。今の勇者の先祖に討たれるまでの」
ひ、ひええええ。さーっと顔から血の気が引いた。
確かにそれを聞いたら、服を作れば無事に帰すって選択肢をくれるだけでも優しい方……なのか? まぁ、少なくともその先々代よりはマシだよね。
……よし、それなら……
「魔王に……聞いてみる」
ゴクリ、と唾を呑み込み、決心を口にする。
「そうか。まあ、頑張っての。魔王の部屋は、そのふわもこが知ってるじゃろ」
「わん!」
「え、えー! 何それ! ガイは来てくれないんですか!?」
「だって、今の魔王がどんな人物であれ、ワシ魔王に関わりたくないもん」
子供か!
「お前さんなら大丈夫じゃ、リセ。魔王と駆け引きしたり、四天王を泣かせたり、冥府の番犬を手なずけたり、お前さん、タダのニンゲンとは思えん!」
いえいえ正真正銘タダの人間ですから!
「わふわふう!」
「うう……わかったよ、ケルべえ、今行くよ!」
「じゃあワシは作業部屋で待っとるからの~」
気楽な声を上げるガイに恨みがましい視線を送りつつ、私は「ついてこい!」と言わんばかりのケルべえを追って歩き始めた……
ぽてぽてと歩くケルべえから離れないように、細心の注意を払って追いかける。
ガイと話してるといくらか気が紛れたけど、シンとして薄暗い魔王城の中を進むのは、やっぱり怖い……。耳を澄ますと、グルルルル……っていう唸り声さえ聞こえてくる気もする。
「ねえ、ケルべえ……。魔王の部屋ってまだ遠いの?」
「わふ!」
……その「わふ!」は、〝遠いよ!〟なの、〝近いよ!〟なの? どっちなの?
わからなくて頭を抱えていると、不意にケルべえが何もない通路で立ち止まる。
「ケルべえ?」
「わふっわふっ!」
鳴きながら、ケルべえは急に壁をかしかしと足で引っ掻き始めた。
……オシッコかな? なんて思いながらぼんやり見ていると、急にヴン! と気圧が変わった時みたいな、耳の奥で何かが響く感覚がして。
気が付けば、ケルべえの前の壁がなくなっていた。
「え、何? 壁が……」
「わおん!」
一声鳴いて、ケルべえが消えた壁の奥に入っていく。
「あ、待って!」
慌ててケルべえの後を追いかける。ふと、さっきの感覚がして振り返ると、来た道はまた壁で塞がれていた。……これ、ちゃんと元の道に戻れるのかな……?
「わふ~」
何か言いたげなケルべえの声がしてそちらに向き直れば、そこには紫色に光る直径一メートルくらいの魔法陣。その前にケルべえが座っていた。
魔法陣に近付くと、ケルべえが「抱っこ」と言うように私の足をカリカリする。
「わかった、ケルべえ。この魔法陣の中に入ればいいのね」
ケルべえを持ち上げぎゅっと抱きしめながら、私は魔法陣に足を踏み入れた。
途端に怪しい紫色の霧が私とケルべえを包み込み、周囲の景色が溶けていく。
あ……この感じ、クローゼットに吸い込まれた時と少し似てるかも。
と、その瞬間、ぞわりと嫌な感覚が背中を這った。抱きしめていたケルべえの感覚も、足元にあった床の感覚も消えて、体が宙に投げ出される。
「お、落ちる……ッ!!」
ヒュウウウ、と耳元で風が唸る。咄嗟に下を見て、その直後に後悔した。
――ぬらぬらと光る無数の赤い手が、こちらに向かって手招きしていた。まるで私を捕まえようとするみたいに。
「きゃああああああああ!」
足元を何かが掠めた気がして悲鳴が飛び出る。
言いようのない恐怖に竦み上がりながら、それでも私は必死にもがいた。
そのうちに右手が〝ふさっ〟とした何かに当たる。もう、無我夢中でそれにしがみついた。
……それから、どれだけの時間が過ぎただろうか。
気が付いたら、落下が止まっていた。腕の中には、ふさふさした感覚。
恐る恐る見てみると、私の腕の中には小さなケルべえの体があった。そして、私の下には仄かに光る魔法陣がある。
「今の……一体何だったの?」
思い返すと、また背中が冷える。どう考えてもただ事じゃなかったけど、問いかけてもケルべえは「わふう」と首を傾げるばかりで、答えてくれる人は誰もいない――と思いきや。
「何故お前がここにいる」
突如目の前に現れた顔に、私はすんでのところで悲鳴を呑み込んだ。
魔王だった。魔王がそこにいた。
改めて辺りを見回すと、見覚えのある部屋。私がこの世界のクローゼットから出て、最初に見た部屋だ。つまり――魔王の部屋。
ちょっと待って、魔王の部屋直通魔法陣ならあらかじめ言っといてくれないと困るよケルべえ!
「わふう」
いや「わふう」じゃわからないよ!
心臓をバクバクさせながら、何の「わふう」かわからない鳴き声に心の中だけで突っ込み。
えーとえーと、何て言おう、そうだ鍵!
またまたあ。精霊王さんったら冗談ばっかり~! もー、お年寄りってすぐそうやって若い者をからかうんだからぁ~やだぁ~! ……絶対リボンは外さないでおこう。
「で、お前さんは何をそんなに急いでおるんじゃ?」
あ、そうだった。こんなことをしている場合ではない。私は衣装の素材と裁ちバサミを……
いやっ、ちょっと待て私! 今すごいこと思いついた。
「せ、精霊王さんって、全ての精霊の頂点なんですよね?」
「そうじゃそうじゃ。もっと褒めたたえてもいいぞい」
「じゃあ、風の精霊を操れたりしちゃいます?」
「とーーーうぜん操れるに決まっとるじゃろう。姿はこんなになってしまったが、今だとて風も火も水も土も、精霊はぜーーーんぶワシの意のままじゃぞ~」
ぱぁぁーっと、希望の光が私に降り注ぐ!! いや実際には薄暗いままだけど、あくまでイメージね。
マギさんは布を切る時、確か風の精霊って言ってたよね。
「じゃあじゃあ、その力で好きな形に布を切るなんて、朝飯前ですよねっ!!」
「とーーーーーうぜん……うん? 布を切るじゃと?」
「はい! 私、訳あって、明後日までに服を作らなきゃならないんです! でも、布を切ることもできなくて、困っていて……。だから、お願いです、精霊王さん! 私に力を貸して下さい!」
必死に頭を下げて頼み込むと、精霊王さんは「ふーむ」と思案するような声を出した。
「さぁて、どうするかのう……いきなりワシをバラバラにしてしまったニンゲンじゃからのう……。今までそのモフモフに見つからんようどうにか逃げておったのに、お嬢さんのせいで匂いも覚えられ、今後も狙われてしまいそうだしのう……?」
「そ、そのあとちゃんと組み立てたじゃないですかー!」
くうっ、絶対足元見てるー!
でも取引しようにもお金なんてないし、この世界では何が価値のあるものなのかもわからない。
「そうじゃのう。お前さんの目玉をくれたら、考えてやろうかのう~~~」
「目玉!?」
精霊王さんの意地悪な声に、私は思わず腕で目を庇って後ずさった。
目がなくなったら困る。かといって、服を作れなければ命がない……ううう、こんなギリギリの選択やだあああ!! と、泣きそうになっていると。
今まで大人しくしていたポメちゃんことケルベロスが、突然立ち上がり、猛ダッシュ!
そのまま精霊王さんに飛びかかった!
「んきゃーーー!?」
精霊王さんはまたもやバラバラに飛び散り、ケルベロスは喜んでその骨にじゃれつく。
「うわっ、やめるんじゃこの犬っころ! ワシをしゃぶるな、ベトベトになるううう! あっ、かじるのはもっと駄目じゃあああ!」
ワフワフと精霊王さんの骨で遊ぶケルベロス。
しばらくして、精霊王さんの口から憐れっぽい声が上がった。
「その……お嬢さん。お嬢さんの頼みを聞くから、どうかこの犬ころを遠ざけてくれんかのう……」
よし! ナイスケルべロス!
そんな私の心の声が聞こえたのか、ケルベロスが私を振り返り、「わふっ!」と得意げに鳴いた。
* * *
ケルベロスのナイスプレイのおかげで、なんとか服を作る足掛かりを得られたわけだけれども。
再び散らばった骨を集めるのは、結構大変だった。今後は迂闊に散らばらないでほしいところ。
ともあれ組み上がった精霊王さんが事情を知りたがったので、私は簡単に自分の身の上を説明した。
自分は、東京で独り暮らし中のしがないオタクであること。どういうわけか、私の部屋のクローゼットと魔王の部屋のクローゼットが繋がったこと。そのせいでクローゼットの中身が入れ替わり、中を覗き込んだ私は魔王城に迷い込んでしまったこと。そして、魔王に服を作る代わりに元の世界に戻してもらうという取引をし、現在マギさんの作業部屋に滞在していること。
「なるほどのう。何故魔王城にニンゲンがいるのかと思っておったが、そういう理由じゃったか」
本当にざっくりとした説明だったけど、精霊王さんは理解してくれたらしい。
「つまり、お前さんはトウキョウという世界でオタクなる仕事をしているため、早く帰りたいと」
うん、微妙に違うけど、まあいいや。大体合ってる。
「して、名前は」
そういえば、名乗るのを忘れていた。
「梨世です。精霊王さんのことは、なんて呼べばいいですか?」
名乗りついでに聞いてみた。せいれいおうさん、というのは結構呼びづらい。
「ワシか。うーん、そうじゃなあ……、好きに呼んでくれて構わんぞい。なんなら新しくつけてくれても良いぞ」
え、えー!? すごい無茶振りしてくるなぁ。
精霊の王か……。魔王ならサタンとかかなーって思うけど、精霊王ってなんだ? 炎の精霊ならサラマンダーなんだろうけど、属性わかんないしなー。見た目ガイコツだから、好きなキャラの名前つけるには抵抗あるしなー。
あー、もう、どうでもいいや。
「じゃあ、ガイ……はどうでしょう」
「うむ、なかなかいい名じゃのう! 長ったらしくないのがいい。それなら覚えられそうじゃ」
まさか気に入ってもらえるとは。ガイコツだからガイ、なんていう安直な由来は黙っとこ。
精霊王、ガイ。とか言っておけば、カッコイイ気がしてくるだろう。
「そうだ、ケルベロスにも何か呼び名が欲しいな。なんか響きが怖いし、もっと可愛いの……ケル……ケベ……そうだ、ケルべえってどうだろう!?」
「わふっ!」
ケルベロス、もといケルべえがシッポを振って返事をする。こっちも気に入ってくれたみたい。私のネーミングセンスについての話は、またの機会でお願いします。
「さて、リセ。それでワシは何をすればいいんじゃ?」
ちらちらとケルべえを気にしながら、ガイが言う。
「うーん、とりあえず生地の裁断をお願いしたいんですけど……。もう少しマシな生地も探したいところなんですよね」
最初の部屋にあった布は、テカテカした質感の、ビビッドな色の物ばかり。あれよりはもっと重厚感のある物が欲しい。あとあと、翼や角とかのオプションの材料も。
「じゃったらこの先に倉庫があるぞい。まあ、ニンゲンからしたらガラクタばっかりじゃろうが」
ガラクタですって! な~んて胸躍る響きなんでしょ!
他の人間にはガラクタでも、私にとっては宝の山、なんてことは元の世界でもよくあること。例えば使い古してボロボロになった鞄や壊れたランプなどの雑貨でも、金具や装飾を取り外してアクセサリーに加工できるし、小さな布の切れ端なんかも捨てずに集めておいて、ボリュームを出したい場所なんかに詰めたりしている。他人から見たらゴミでも、私にはコスプレの材料なんだ。
ましてや魔王城のガラクタなんて、素敵な予感しかしない。
「お願いします、私をそこに案内して下さい!」
目を輝かせてお願いすると、ガイはちらちらと赤い眼光を瞬かせた。
「変わったニンゲンじゃのう。……こっちじゃよ」
ガイコツだから表情は読めないんだけど、口調からするとどうやら呆れているらしい。
ともあれ、廊下を飛んでいくガイを見失わないよう後を追う。すると後ろから、ぽてぽてとケルべえもついてきた。
骨の翼を動かし、ガイはカタカタと飛んでいく。
カタカタ、トコトコ、ぽてぽて。そんな音だけが、暗い廊下に響く。一人で歩いているよりもずっと心強いけれど、やっぱり少し怖いなぁ。
「……本当にケルべえ以外にも魔物がいるんですか?」
「じゃから、いると言うておるじゃろ。無差別にニンゲンを襲うような下等魔物は、ケルベロスを恐れて近付いてこないだけじゃ」
「ふ、ふーん。そうだ、ケルべえ、抱っこしてあげよっか?」
「わふっわふっ!」
屈んで手を伸ばすと、ケルべえが嬉しそうに飛びついてくる。ふふっ、もう離すもんですか!
万に一つもはぐれてしまわないよう、私はぎゅっとケルべえを抱き締めた。
うう~ふわもこであったかい! どこからどう見ても子犬にしか見えないし、とてもじゃないけど魔物なんて信じられないなぁ。他の魔物もこんな見た目ならいいんだけどなあ~。
「ほら、着いたぞ。ここじゃ」
やがて、ガイがある扉の前で立ち止まる。でも鉄拵えの扉には、南京錠ががっちり掛かっていた。
「……鍵が掛かってるように見えるけど……」
「……そうじゃのう……」
為す術なく、扉の前に立ちつくす私達。
「うーん、ワシが入ることはないからのう。失念しておった」
そりゃそうだ、ガイコツが倉庫に用事などないだろう。
「鍵は誰が持ってるのかしら」
「四天王なら持っとるんじゃないかのう。全員が持っとるかはわからんが」
「し、四天王? 四天王なんているんですか?」
うわあー、魔王っぽい!
「おるよ。剣の達人《蒼の覇剣》、怪力自慢《黄の剛腕》、四大元素の精霊を従える《紅の麗魔》、ケルベロスをはじめ、多くの魔獣を操る《翠の飢獣》。この四人が、この国で魔王に次ぐ力を持つ、魔王直属の四天王じゃ。会っても怒らせんようにな」
ガイの説明に、私は首を何度も縦に振った。
魔王に次ぐ実力者達かー、怒らせる以前に会いたくないなー。
……ん、待て待て。今、聞き覚えのある名前があったような。マギって、もしかしてマギさん?
えっ、マギさんて四天王だったの!? そんなにすごい肩書きの人には見えなかったけど……
「もしかして、そのマギさんって人……分厚い眼鏡に三つ編みの女の人ですか?」
「おお、そんな感じじゃ」
うわああああ! 多分人違いだろうと思ってたけど、やっぱりあのマギさんなの!?
いや、でもまだ信じられない。四天王って言ったら、もっと強そうな迫力とか、それなりの威厳とかが……いやでも、肝心の魔王があれだもん。四天王も推して知るべしか……
「しかし、何故知っておるのじゃ。知り合いなのか?」
不思議そうにするガイに、私は、マギさんが魔王から私の世話を言いつけられたことを簡単に説明した。それを聞いて、ふむ、とガイが頷く。
「それなら、鍵についてはマギに聞けばいいじゃろ」
「でも、マギさん、急にどこかに消えちゃって……」
「部屋に行ってみたらどうじゃ? マギは大抵部屋におるようじゃし。四天王の部屋はこっちじゃ」
カタカタと音を立てて、ガイが廊下を引き返し始める。
「ガイって何でも知ってるんですね~」
「ふん、伊達に長く魔王城に閉じ込められとらんわい」
不本意、といった様子でガイが言う。
「え、ガイって魔王城に閉じ込められてるんですか?」
思わず私が聞き返すと、しまった、という顔をした。どうやらあまり知られたくないことのようだ。
「ぬ……ま、まあ、本気を出せばこんな城、抜け出せんこともないんじゃよ? たかが魔王の呪いじゃし」
私でもハッタリだと丸わかりな言い訳である。しかし、どうも触れられたくないみたいだし、この場は突っ込まないでおこう。
と、そんな話をしているうちに、ホールのような開けた場所に出た。左右の壁には大きな扉が二つずつ、合計四つ見える。扉はそれぞれ、青、赤、黄、緑に塗られていた。
「ここが四天王の間じゃ。《紅の麗魔》というからには、マギの部屋は恐らく赤の扉じゃろう」
ガイがそう言うので、私はケルベえを下ろし、赤の扉の前に立った。
紅だから赤、と見せかけて実は青の扉でしたー! ……なんてないよね? 自分の住んでる城でそんなトラップ仕掛けても無意味だよね? と、どきどきしながらトントン、とノックをする。
「あのー、マギさん? いらっしゃいます? 梨世です」
すると、中でガタッと音がした。ううっ、違う人が出てきたらどうしよう。
冷や汗を流して待っていると、急に、
ドン!! ガタン!! ガタタタタ!!
という何かが崩れる大きな音と、それに交じってマギさんの悲鳴も聞こえてきた。
「え、マギさん!? どうしたんですか!? 入りますよ!」
ただ事ではないと感じて、扉を押す。扉には取っ手がなかったから咄嗟にそうしたものの、そのまま体はすり抜けて部屋の中に入ってしまった。
「わっ」
「きゃあああああ!!」
予想外の展開に思わず小さな悲鳴を上げた途端、それをかき消す派手な悲鳴が部屋にこだまする。
「だ、大丈夫ですかマギさん!」
マギさんの部屋は、魔王の部屋ほどではないにしろ、十分広かった。とはいえ、魔王の部屋がゴテゴテしていたのに対し、こちらはひどく殺風景。ベッドにタンス、サイドボードとどれもこれといって特徴のない普通の家具だ。
マギさん、服も地味だけどインテリアも地味だわ。ただ最低限の家具を置いたって感じ。でも散らかってはいないし、机の上に物を出しっぱなしにもしていないし、几帳面な性格なのかもしれないな。
そんなすっきりしすぎた部屋の中で一つ、大きな大きな戸棚だけがなんだか浮いていた。その戸棚から、洪水のように物が溢れてマギさんにのしかかっている。
戸棚から出た色んな物――紙とか本とか人形とか、魔術に使うのかな? ――に交じって、戸棚の中板が床に落ちている。なるほど、物を詰めすぎて壊れちゃったのか。
「マギさん、大丈夫――」
「きゃああああだめえええええ、ここ、来な……だだ大丈夫……じゃないけど、みっ見ない……!」
よほど混乱してるのか、言ってることが支離滅裂なマギさん。
とりあえず戸棚から溢れた物を片付けようと、落ちていた紙を拾う。何気なくぺらっと裏返すと、それは肖像画だった。大きさ的にブロマイドっぽい。
描かれているのは、金髪碧眼をした、文句なしの爽やかイケメン。凛々しくも優しげな風貌、鮮やかな青いマント。機能性と美しさが両立した鎧に、宝石があしらわれた神々しい剣を携えている。頭部には高貴な印象さえ受ける額飾り。
……私、この世界には着飾るという文化がないのかと思っていたけど、この絵の男の人が着用している物は、どれも抜群にセンスがいいじゃない! アクセサリーも凝っているし、思わずコスプレしたくなるくらいカッコイイ。
しかも、彼だけじゃない。他の肖像画には、他の人が一緒に描かれている物もあったけど、その人達も皆、人気アニメやゲームから抜け出してきたようなお洒落な美男美女ばかり。
「ああああああ!! 見ないで!! 見ないで下さい!!」
私がイケメン達に見惚れていると、マギさんが物の山を撥ねのけてガバリ! と起き上がり、私の手から肖像画を引ったくった。
「わわっ、ワタシが勇者様の肖像画を集めているのにはっっ、理由があって……! 決してファンなどというわけではっ」
勇者。
そっか、魔王がいる世界には、やっぱり勇者がいるわけね……。そういえば、ガイに最初に会った時にも、魔王と勇者の戦いがどうとか言ってたような気がするな。長いウンチク話だったからほとんど聞き流してたけど……とにかくさっきの肖像画の人がこの世界の勇者なわけね。
――って、ちょっと待って。
「えっ? マギさんって四天王なんですよね? 四天王が勇者のファンって色々マズイんじゃ……」
思ったことをそのまま口にすると、マギさんの顔色が傍目からもわかるくらいに青くなった。
「ななっ、なんで私が勇者様のファンだって……ちちち、ちがっ……」
ダメだ、完全に動転している。
「と、とりあえずここ片付けましょう、ね?」
肖像画らしき物はあちこちに散らばっていたが、とりあえずそれには触らずに本を拾う。
四天王が読んでる本って、どんな魔術書なのかなーなんて思って表紙を見て。
ブッ――
と、私が思いっきり噴き出したのと、マギさんが私にタックルして本を奪い取ったのはほぼ同時だった。
でも、私は見てしまった。男の人同士が熱い視線で見つめ合うイラスト表紙。あれは、多分――
慌てて言い繕う。
「みっ見てないです! 見てないですよ!? ボーイズラブっぽい表紙の本なんて全然見てないです!」
よく見れば転がっている人形も、これフィギュアじゃないのかっていうほどの精巧さ。金髪碧眼で、鎧にマントだから、恐らく勇者フィギュア。この世界にもそんな文化があるんだ……
つまり、マギさんはオタク――それも所謂、腐女子。
「大丈夫です。私なんにも見てないです。時にですね、私倉庫に入りたくて。その鍵を探しているんですね。ご存知ないですか?」
極めて冷静に、丁寧に、かつ優しく言ったつもりだったけれども。
「うわあああああああああああああああん!!」
マギさんが本を抱えたまま大声で泣き出してしまい、私は「ごめんなさいいいい!!」と叫びながら部屋を飛び出したのだった。
「一体何があったのじゃ? 悲鳴やら泣き声やらが聞こえたが……」
「さ、さあ~」
再びケルベえを抱き、魔王城の洞穴のような廊下を進みながら、ひたすらにガイの追及をかわす。
うう、なんだか私、マギさんを泣かせてばかりである。これでは苛めてるみたいだ……そんなつもりなんてないのに。それどころか、できれば仲良くなりたいって思ってるんだけどな、オタク同士。
マギさんに鍵について聞けなくなってしまったので、私は仕方なく一度部屋に戻ることにした。
「なんで隠すんじゃ。四天王が悲鳴を上げたり泣き叫んだり、ただ事じゃないじゃろ」
ガイはなおも追及してくる。
四天王のことはよく知らないけど、マギさんに限ってはそうとも言い切れないような。っていうか。
「そんなに気になるなら、入ってくれば良かったじゃないですか? そもそも、どこにいたんですか? ガイ、いつの間にかいなくなってるんだもの」
立ち止まってそう返すと、ガイは苦々しい声を上げた。
「そりゃあ、ワシをこんな姿にしたのは魔王じゃし。魔王の配下になぞ関わりたくないわい」
そうだったんだ。いや、他人事じゃないぞ。私も服ができなきゃ魔物の餌なんだ。
こんなところでガイと立ち話してる場合じゃない気がする。
「あ~、早く服を作りたいのになぁ……。倉庫の鍵……」
「く~ん……」
落ち込む私に同調するように、腕の中のケルべえが鳴く。
考えてみれば、倉庫の中に確実に素材があるとも言い切れないんだから、いっそ他の場所を探した方がいいのかも。
「……思ったんじゃが、魔王に聞いてみればいいんじゃないかのう」
「え……ええっ!?」
ガイの提案に、素っ頓狂な声を出してしまった。
「自分は関わりたくないくせに!?」
私だって、自分のこと魔物の餌にしようと思ってる人にあんまり関わりたくないんですけど!
「まあそうなんじゃが。厳密に言うとワシをこの姿にして城に閉じ込めたのは先々代の魔王で、今の魔王についてはよく知らんのじゃ。じゃがリセを生かしているあたり、今の魔王はだいぶ穏やかな性格と見える」
お、穏やかぁ~?
とてもそうは見えなかったけどな。私が怯えるのを楽しそうに眺めてたあの意地悪な笑顔は。
「私、服が気に入らなければ魔物に食い殺させるって言われてるんですけど」
「先々代なら、リセを見つけた時点でそうしていたじゃろうよ。街や村をいくつも焼いてニンゲンを虐殺したり、城に連れ帰っていたぶったりしとったわ。今の勇者の先祖に討たれるまでの」
ひ、ひええええ。さーっと顔から血の気が引いた。
確かにそれを聞いたら、服を作れば無事に帰すって選択肢をくれるだけでも優しい方……なのか? まぁ、少なくともその先々代よりはマシだよね。
……よし、それなら……
「魔王に……聞いてみる」
ゴクリ、と唾を呑み込み、決心を口にする。
「そうか。まあ、頑張っての。魔王の部屋は、そのふわもこが知ってるじゃろ」
「わん!」
「え、えー! 何それ! ガイは来てくれないんですか!?」
「だって、今の魔王がどんな人物であれ、ワシ魔王に関わりたくないもん」
子供か!
「お前さんなら大丈夫じゃ、リセ。魔王と駆け引きしたり、四天王を泣かせたり、冥府の番犬を手なずけたり、お前さん、タダのニンゲンとは思えん!」
いえいえ正真正銘タダの人間ですから!
「わふわふう!」
「うう……わかったよ、ケルべえ、今行くよ!」
「じゃあワシは作業部屋で待っとるからの~」
気楽な声を上げるガイに恨みがましい視線を送りつつ、私は「ついてこい!」と言わんばかりのケルべえを追って歩き始めた……
ぽてぽてと歩くケルべえから離れないように、細心の注意を払って追いかける。
ガイと話してるといくらか気が紛れたけど、シンとして薄暗い魔王城の中を進むのは、やっぱり怖い……。耳を澄ますと、グルルルル……っていう唸り声さえ聞こえてくる気もする。
「ねえ、ケルべえ……。魔王の部屋ってまだ遠いの?」
「わふ!」
……その「わふ!」は、〝遠いよ!〟なの、〝近いよ!〟なの? どっちなの?
わからなくて頭を抱えていると、不意にケルべえが何もない通路で立ち止まる。
「ケルべえ?」
「わふっわふっ!」
鳴きながら、ケルべえは急に壁をかしかしと足で引っ掻き始めた。
……オシッコかな? なんて思いながらぼんやり見ていると、急にヴン! と気圧が変わった時みたいな、耳の奥で何かが響く感覚がして。
気が付けば、ケルべえの前の壁がなくなっていた。
「え、何? 壁が……」
「わおん!」
一声鳴いて、ケルべえが消えた壁の奥に入っていく。
「あ、待って!」
慌ててケルべえの後を追いかける。ふと、さっきの感覚がして振り返ると、来た道はまた壁で塞がれていた。……これ、ちゃんと元の道に戻れるのかな……?
「わふ~」
何か言いたげなケルべえの声がしてそちらに向き直れば、そこには紫色に光る直径一メートルくらいの魔法陣。その前にケルべえが座っていた。
魔法陣に近付くと、ケルべえが「抱っこ」と言うように私の足をカリカリする。
「わかった、ケルべえ。この魔法陣の中に入ればいいのね」
ケルべえを持ち上げぎゅっと抱きしめながら、私は魔法陣に足を踏み入れた。
途端に怪しい紫色の霧が私とケルべえを包み込み、周囲の景色が溶けていく。
あ……この感じ、クローゼットに吸い込まれた時と少し似てるかも。
と、その瞬間、ぞわりと嫌な感覚が背中を這った。抱きしめていたケルべえの感覚も、足元にあった床の感覚も消えて、体が宙に投げ出される。
「お、落ちる……ッ!!」
ヒュウウウ、と耳元で風が唸る。咄嗟に下を見て、その直後に後悔した。
――ぬらぬらと光る無数の赤い手が、こちらに向かって手招きしていた。まるで私を捕まえようとするみたいに。
「きゃああああああああ!」
足元を何かが掠めた気がして悲鳴が飛び出る。
言いようのない恐怖に竦み上がりながら、それでも私は必死にもがいた。
そのうちに右手が〝ふさっ〟とした何かに当たる。もう、無我夢中でそれにしがみついた。
……それから、どれだけの時間が過ぎただろうか。
気が付いたら、落下が止まっていた。腕の中には、ふさふさした感覚。
恐る恐る見てみると、私の腕の中には小さなケルべえの体があった。そして、私の下には仄かに光る魔法陣がある。
「今の……一体何だったの?」
思い返すと、また背中が冷える。どう考えてもただ事じゃなかったけど、問いかけてもケルべえは「わふう」と首を傾げるばかりで、答えてくれる人は誰もいない――と思いきや。
「何故お前がここにいる」
突如目の前に現れた顔に、私はすんでのところで悲鳴を呑み込んだ。
魔王だった。魔王がそこにいた。
改めて辺りを見回すと、見覚えのある部屋。私がこの世界のクローゼットから出て、最初に見た部屋だ。つまり――魔王の部屋。
ちょっと待って、魔王の部屋直通魔法陣ならあらかじめ言っといてくれないと困るよケルべえ!
「わふう」
いや「わふう」じゃわからないよ!
心臓をバクバクさせながら、何の「わふう」かわからない鳴き声に心の中だけで突っ込み。
えーとえーと、何て言おう、そうだ鍵!
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