幽霊屋敷の掃除婦

羽鳥紘

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第十九話 ミオとミハイル

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「勝手に入ってすみません」

 咄嗟に謝罪するも、ミハイルさんの私を見下ろす目は厳しい。いつものことと言えばそうだけど、いつにも増して鋭い気がする。そしてその目は、正確には私ではなく、私が持つ本に注がれている。

「何度も忠告しただろう……、もうこれ以上首を突っ込むな。これは忠告ではなく、警告だ」

 でも、と言いかけて辞める。
 その後に続けるべき言葉を思いつかなかった。少なくとも、ミハイルさんに納得してもらえるような言葉は。
 
 ライサとは和解できたし、他の幽霊たちともそれなりにコミュニケーションを取れるようになった。掃除もだいぶ捗るようになって、お屋敷も少しずつ綺麗になってきた。
 だけど、私の目的はもう一つある。

「これ以上、何が知りたい」
「地下の開かずの間について、です」

 率直に答えると、ミハイルさんは意表を突かれたように、開きかけた口を閉じた。ややあって、再び口を開く。

「あれは……ただ古くて開かないだけだと言っただろう」
「でも、何があるかわからないなら」
「異世界に繋がっているとでも? そんな馬鹿げたことがあるはずない」
「なら異世界人の私は、ミハイルさんにとってさぞ馬鹿げた存在なんでしょうね」

 黙って成り行きを見守っていたライサが、口元を押さえるのが視界の端に映る。でもそれで少し冷静になれた。
 ミハイルさんの冷たい返事に、柄にもなく熱くなりそうになっていた。

「……すみません。忠告に逆らっていることは理解していますが、気にせずにはいられませんでした」
「いや、俺の失言だった。すまない」

 思わぬ謝罪に驚いて、言おうとしたことを忘れてしまった。
 その間に、ミハイルさんは私の前を横切ってライサを見上げる。

「ここに入ることは禁じないが、遊び場だと思われても困る」
「何よ。あたしに命令するのは――」

 言いかけて、ライサが口を噤む。気が付いたのだろう。ミハイルさんはなんら命令はしていない。

「アンタのそういうところ、大嫌い」

 そう言い残して、スッとライサが姿を消す。
 すると、ミハイルさんは片手を上げて何事か口走った。この世界の言葉が通じるはずなのに、何と言っているかは聞き取れない。

「……幽霊避けの結界を張った」

 手を下ろすと、ミハイルさんが呟く。

「ミハイルさんのその力って、魔法とは違うんですか?」

 ライサにしたのとおおよそ同じような質問を、ミハイルさんにもぶつけてみる。

「自分にない未知の力を魔法と呼ぶなら、大差はないかもしれんが。原理の話をするなら全く違う」

 と言われても、難しくてよくわからないけど……、
 例えば同じお湯を沸かすにしても、ガスで沸かすか電気で沸かすかでは方法が違うというのと同じようなものかな。つまりライサは電気よりガスが好きだから、一緒にしないでって怒った……みたいな?

「俺の力は幽霊を管理するためだけの力に過ぎない。この屋敷の直系にのみ受け継がれる、死霊使いの力だ」
「 死霊使い……」
「魔法は生者のために使われる。真逆の力だと言っていい」

 軽く手を握りしめ、そう続けるミハイルさんの表情には、心なしか羨望が見えた……気がした。
 魔法を嫌う幽霊たちと違い、ミハイルさんは魔法や外の世界に憧れがある。彼の物言いには節々にそれが現れている。
 表情も薄いし、言葉も素直じゃないけど、些細な場所で彼の本心が現れていると思うのだ。

 そう思うのは……

「あの扉は触れてはいけない禁忌だ。この幽霊屋敷が何故に幽霊屋敷なのか、その理由も同様に」
「それはどうしてなのですか?」
「国や民にとってそれが望ましいからだろう。この古い伯爵家を排除しようとした時代はあっただろうが、それが成されたことはない。いつしか民はこの屋敷を恐れるようになった。その畏怖が、この地に平和と秩序をもたらしているからだ……と、リエーフは言っていた」
「そんなの、おかしくないですか? ミハイルさんも幽霊たちも、知らない外の人達のためにここに縛られ続けるなんて」
「死者より生者が優先されるのは当然のことだし、俺も伯爵家当主としての務めと言われればそれまでのことだ。むしろ政治や社交に忙殺される他の王侯貴族から見れば、気楽なものさ」
「でもミハイルさんは、屋敷を出て自由に生きたいんですよね?」

 感じていたことをそのまま口に出してみる。ミハイルさんは驚くだろうか、それとも不機嫌な顔をするだろうか。しかし実際はそのどちらでもなく。

「ああ。お前が元の世界に戻りたいようにな」
「そんなこと……」

 私、言っただろうか。
 もちろん帰りたいけど、それに固執していたら、家族の顔を思い浮かべたら、泣いてしまいそうで。そしたら挫けて、動けなくなってしまいそうで。そんなところ誰にも見られたくない。
 だから少なくとも、口や態度に出したりしてはいなかったと思うんだけど。

「顔に書いてあるぞ。元の世界に戻りたくて仕方ない、寂しい辛いとな」

 嘲るように言われて、少しムッとしてしまう。明らかに馬鹿にされている。
 そんなことを顔に出したことなんて一切ない自信があるから、私も負けじと言い返す。

「ミハイルさんだって、外に出たい、魔法が使ってみたくて仕方ないって顔に書いてあります」
「その通りだ」

 あのプライドの高そうなミハイルさんからの思わぬ返事に、私は思わずポカンとした顔をしてしまった。
 そんな私を見下ろして、ミハイルさんがニヤリと意地の悪い笑みを見せる。

 しまった……やられた。

 きっとミハイルさんの計略のうちだったのだろう。私に、そんな顔をさせるための。だったら、ムッとしたら負けだ。そう思って真顔を取り繕っていたのだけれど。

「――!?」

 不意に、頬にひやりとした感触。
 ミハイルさんの手が頬に触れているのに気が付いて、私は取り繕うのも忘れた。

「――――っ、何を……!?」
「お前のことは、表情のない冷たい女だと思っていた。幽霊にも動じないし、俺に対して恐れるでも敬うでもない。尊大でプライドが高そうな奴だ……と」

 全力で「お前が言うか」と言いたいくらい、私のミハイルさんに対する印象と同じである。
 だけどまぁ、そう思われても無理はないという自覚はある。あるから。

「あの、手を……」
「と思っていたのに、手が触れた程度であんな反応をされてはな。強気なのは外側だけかもしれんと思うだろうが」

 あぁ。あの、庭の果実を取ってもらったときの……。
 ……経験や慣れがあればハッタリも効く。けどそれだけの話で、私は器用な人間じゃないから、そうじゃないことにはてんで弱かったりするのであって……、恥ずかしいやら悔しいやらで余計に顔の熱がおさまらない……。
 きっとからかっているんだろうと思った。だけど、半ば睨むように見上げた彼は、思ったよりも少し違った表情をしていた。

「辛い気持ちに蓋をせねば、動けなくなる時がある。しかしそれだけでは、やはりいつか動けなくなる。泣きたいときくらいは泣いた方がいいぞ。でないと、落としどころを見失う。俺のようにな」

 そう言い終わると、ミハイルさんは手を離した。

 薄々気が付いていたことだけど。
 私とミハイルさんは、少し似ている。
 だからミハイルさんはこんなことを言ってくれるし、私にもなんとなくわかる。

 突然両親を失って、この幽霊屋敷に一人取り残されたとき、きっとミハイルさんは泣かなかったんだって。

「……まだ、泣く必要はありません。だって、帰れないって決まったわけではないから」
「頑固な奴だな。あまり意地を張りすぎると……」
「意地なんて張っていません。住むところがあって仕事がある。それに、心配してくれる人もいます」
「俺は、別に心配などしてない」

 ムスッとしてミハイルさんが腕を組む。
 あまりにも予想通りの反応だったので思わず笑みの零れる口元を抑えていると、コツンと頭を小突かれた。

「何を笑っている。雇い主をあまり小馬鹿にするのは賢くないと思うがな?」
「小馬鹿になんて、そんな。私はただ……」

 ミハイルさんの、明らかに不慣れな気遣いが嬉しくて。
 ああ、でも、私に可愛げがないから、そんな風に取られるんだろうな。いや、ミハイルさんに余計な一言が多くなければ私もこんな態度にならないんだけど。って人のせいにしちゃ駄目だ。

「その、励まして下さってありがとうございます。ちゃんとお礼を言うべきでした」
「なんだ急に手の平を返して。励ましたわけじゃない」
「ミハイルさんにそういうつもりがなくても、私は嬉しかったので。お礼を言わせて下さい」

 さっき言ったことも本当に強がりなんかじゃない。不安もあるけど前向きにやれているのは、一人じゃないからだと思う。
 けれどそう言うと、ミハイルさんは罰が悪そうに私から目を背け、ゴホンと咳払いをした。

「調子が狂う。不慣れなことはやめた方がいいぞ」
「ええ、そうですね。お互いに」

 間髪容れずに答えた私に、途端にミハイルさんがジト目になる。だがそれは長続きせず、小さく息をついて顔を緩めた。
 
「……あの扉は、本当にお前が思っているようなものじゃない。だが、異世界のことを記した文献がないか調べてみよう。ま、期待には沿えないだろうがな」
「ありがとうございます!」
 
 結局扉のことは教えてもらえなかったけれど、その気持ちが嬉しかったので、私は素直にお礼を言った。

 
 ――あまり得意ではない、営業用じゃない笑顔ができていればいいなと思いながら。
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