277 / 351
275.命乞い
しおりを挟む
「…………っ、こんな筈では…………っ!」
暫しの間を置いて、腹の底から絞り出したかのような耳障りなティルゲルの声が聞こえた。
乱れに乱れた髪の隙間から見える両目は強い怨念を宿していた。
しかしルドヴィクは怯むどころか全く気にも留めていない様子で、ティルゲルを一瞥しただけだった。
「………これ以上まだ無駄な弁明をするつもりなら、残りの記録も見せてやるが、カヴァニスの民の心はもう、決まっているようだぞ」
それは静かだがはっきりとした口調だった。
アリーチェははっとして、ルドヴィクの腕の中からティルゲルの周の様子を確認する。
彼の周りを囲む民達は、強い侮蔑の眼差しを向けながら拳を握りしめていた。
「下賤の民如きが、私にそのような視線を向けるとは………!」
ティルゲルは精一杯凄むが、その発言は彼らの怒りを増長させただけだった。
「…………黙れ、裏切り者の背教者め…………!」
若い男が、そう叫んだのをきっかけに、人々が口々にティルゲルを罵り始める。
蜂の巣を突付いたかのように、怒りが一気に広がっていった。
「………愚かですね、マルコ・ティルゲル」
暫く様子を見ていたアリーチェだったが、民の興奮が最高潮に達したのを見届けると、自分を包み込むルドヴィクの腕をやんわりと押し、自ら一歩進み出た。
今にもティルゲルに殴りかからんとしていた民を静止し、ゆっくりとアリーチェが進み出ると、その背後にはぴったりとルドヴィクが寄り添う。
アリーチェが前に出ると、先程まで叫んでいた人々も自ずと口を噤み、頭を垂れながらわずかに後ずさった。
「ひ、姫様………、どうか…………」
もう自力ではどうにもならないと判断したらしいティルゲルが、アリーチェに縋り付こうとした。
だがアリーチェは虹色の双眸に氷のような鋭さを含ませる。
「………あなたはわたくしの両親や兄が………あの日炎の中を逃げ惑い死んでいった人々が助けを求めたら、救おうと思いましたか?」
己の中で沸々と湧き上がる、この男への強い憎しみを精一杯抑えながら、アリーチェは裁きを行う者として、抑揚のない声でそう問いかけた。
「……………」
ティルゲルははっと目を見開き、それから視線を彷徨わせた。
その沈黙が何を意味するかは、明らかだ。
アリーチェは僅かに目を伏せると、両手の指を組み、強く握りしめた。
「………ならばわたくしもあなたと同じ選択を致しましょう。民の総意も確認できましたから、もう迷いはありません」
アリーチェはゆっくりと深く、息を吸い込んだ。
暫しの間を置いて、腹の底から絞り出したかのような耳障りなティルゲルの声が聞こえた。
乱れに乱れた髪の隙間から見える両目は強い怨念を宿していた。
しかしルドヴィクは怯むどころか全く気にも留めていない様子で、ティルゲルを一瞥しただけだった。
「………これ以上まだ無駄な弁明をするつもりなら、残りの記録も見せてやるが、カヴァニスの民の心はもう、決まっているようだぞ」
それは静かだがはっきりとした口調だった。
アリーチェははっとして、ルドヴィクの腕の中からティルゲルの周の様子を確認する。
彼の周りを囲む民達は、強い侮蔑の眼差しを向けながら拳を握りしめていた。
「下賤の民如きが、私にそのような視線を向けるとは………!」
ティルゲルは精一杯凄むが、その発言は彼らの怒りを増長させただけだった。
「…………黙れ、裏切り者の背教者め…………!」
若い男が、そう叫んだのをきっかけに、人々が口々にティルゲルを罵り始める。
蜂の巣を突付いたかのように、怒りが一気に広がっていった。
「………愚かですね、マルコ・ティルゲル」
暫く様子を見ていたアリーチェだったが、民の興奮が最高潮に達したのを見届けると、自分を包み込むルドヴィクの腕をやんわりと押し、自ら一歩進み出た。
今にもティルゲルに殴りかからんとしていた民を静止し、ゆっくりとアリーチェが進み出ると、その背後にはぴったりとルドヴィクが寄り添う。
アリーチェが前に出ると、先程まで叫んでいた人々も自ずと口を噤み、頭を垂れながらわずかに後ずさった。
「ひ、姫様………、どうか…………」
もう自力ではどうにもならないと判断したらしいティルゲルが、アリーチェに縋り付こうとした。
だがアリーチェは虹色の双眸に氷のような鋭さを含ませる。
「………あなたはわたくしの両親や兄が………あの日炎の中を逃げ惑い死んでいった人々が助けを求めたら、救おうと思いましたか?」
己の中で沸々と湧き上がる、この男への強い憎しみを精一杯抑えながら、アリーチェは裁きを行う者として、抑揚のない声でそう問いかけた。
「……………」
ティルゲルははっと目を見開き、それから視線を彷徨わせた。
その沈黙が何を意味するかは、明らかだ。
アリーチェは僅かに目を伏せると、両手の指を組み、強く握りしめた。
「………ならばわたくしもあなたと同じ選択を致しましょう。民の総意も確認できましたから、もう迷いはありません」
アリーチェはゆっくりと深く、息を吸い込んだ。
1
お気に入りに追加
449
あなたにおすすめの小説
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。

愛しき夫は、男装の姫君と恋仲らしい。
星空 金平糖
恋愛
シエラは、政略結婚で夫婦となった公爵──グレイのことを深く愛していた。
グレイは優しく、とても親しみやすい人柄でその甘いルックスから、結婚してからも数多の女性達と浮名を流していた。
それでもシエラは、グレイが囁いてくれる「私が愛しているのは、あなただけだよ」その言葉を信じ、彼と夫婦であれることに幸福を感じていた。
しかし。ある日。
シエラは、グレイが美貌の少年と親密な様子で、王宮の庭を散策している場面を目撃してしまう。当初はどこかの令息に王宮案内をしているだけだと考えていたシエラだったが、実はその少年が王女─ディアナであると判明する。
聞くところによるとディアナとグレイは昔から想い会っていた。
ディアナはグレイが結婚してからも、健気に男装までしてグレイに会いに来ては逢瀬を重ねているという。
──……私は、ただの邪魔者だったの?
衝撃を受けるシエラは「これ以上、グレイとはいられない」と絶望する……。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。

【掌編集】今までお世話になりました旦那様もお元気で〜妻の残していった離婚受理証明書を握りしめイケメン公爵は涙と鼻水を垂らす
まほりろ
恋愛
新婚初夜に「君を愛してないし、これからも愛するつもりはない」と言ってしまった公爵。
彼は今まで、天才、美男子、完璧な貴公子、ポーカーフェイスが似合う氷の公爵などと言われもてはやされてきた。
しかし新婚初夜に暴言を吐いた女性が、初恋の人で、命の恩人で、伝説の聖女で、妖精の愛し子であったことを知り意気消沈している。
彼の手には元妻が置いていった「離婚受理証明書」が握られていた……。
他掌編七作品収録。
※無断転載を禁止します。
※朗読動画の無断配信も禁止します
「Copyright(C)2023-まほりろ/若松咲良」
某小説サイトに投稿した掌編八作品をこちらに転載しました。
【収録作品】
①「今までお世話になりました旦那様もお元気で〜ポーカーフェイスの似合う天才貴公子と称された公爵は、妻の残していった離婚受理証明書を握りしめ涙と鼻水を垂らす」
②「何をされてもやり返せない臆病な公爵令嬢は、王太子に竜の生贄にされ壊れる。能ある鷹と天才美少女は爪を隠す」
③「運命的な出会いからの即日プロポーズ。婚約破棄された天才錬金術師は新しい恋に生きる!」
④「4月1日10時30分喫茶店ルナ、婚約者は遅れてやってきた〜新聞は星座占いを見る為だけにある訳ではない」
⑤「『お姉様はズルい!』が口癖の双子の弟が現世の婚約者! 前世では弟を立てる事を親に強要され馬鹿の振りをしていましたが、現世では奴とは他人なので天才として実力を充分に発揮したいと思います!」
⑥「婚約破棄をしたいと彼は言った。契約書とおふだにご用心」
⑦「伯爵家に半世紀仕えた老メイドは伯爵親子の罠にハマり無一文で追放される。老メイドを助けたのはポーカーフェイスの美女でした」
⑧「お客様の中に褒め褒めの感想を書ける方はいらっしゃいませんか? 天才美文感想書きVS普通の少女がえんぴつで書いた感想!」

好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】
皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」
「っ――――!!」
「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」
クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。
******
・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。

夫が寵姫に夢中ですので、私は離宮で気ままに暮らします
希猫 ゆうみ
恋愛
王妃フランチェスカは見切りをつけた。
国王である夫ゴドウィンは踊り子上がりの寵姫マルベルに夢中で、先に男児を産ませて寵姫の子を王太子にするとまで嘯いている。
隣国王女であったフランチェスカの莫大な持参金と、結婚による同盟が国を支えてるというのに、恩知らずも甚だしい。
「勝手にやってください。私は離宮で気ままに暮らしますので」

甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。
海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。
ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。
「案外、本当に君以外いないかも」
「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」
「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」
そのドクターの甘さは手加減を知らない。
【登場人物】
末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。
恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる?
田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い?
【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる