隻眼の騎士王の歪な溺愛に亡国の王女は囚われる

玉響

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275.命乞い

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「…………っ、こんな筈では…………っ!」

暫しの間を置いて、腹の底から絞り出したかのような耳障りなティルゲルの声が聞こえた。
乱れに乱れた髪の隙間から見える両目は強い怨念を宿していた。
しかしルドヴィクは怯むどころか全く気にも留めていない様子で、ティルゲルを一瞥しただけだった。

「………これ以上まだ無駄な弁明をするつもりなら、残りの記録も見せてやるが、カヴァニスの民の心はもう、決まっているようだぞ」

それは静かだがはっきりとした口調だった。
アリーチェははっとして、ルドヴィクの腕の中からティルゲルの周の様子を確認する。
彼の周りを囲む民達は、強い侮蔑の眼差しを向けながら拳を握りしめていた。

「下賤の民如きが、私にそのような視線を向けるとは………!」

ティルゲルは精一杯凄むが、その発言は彼らの怒りを増長させただけだった。
「…………黙れ、裏切り者の背教者め…………!」

若い男が、そう叫んだのをきっかけに、人々が口々にティルゲルを罵り始める。
蜂の巣を突付いたかのように、怒りが一気に広がっていった。

「………愚かですね、マルコ・ティルゲル」

暫く様子を見ていたアリーチェだったが、民の興奮が最高潮に達したのを見届けると、自分を包み込むルドヴィクの腕をやんわりと押し、自ら一歩進み出た。

今にもティルゲルに殴りかからんとしていた民を静止し、ゆっくりとアリーチェが進み出ると、その背後にはぴったりとルドヴィクが寄り添う。

アリーチェが前に出ると、先程まで叫んでいた人々も自ずと口を噤み、頭を垂れながらわずかに後ずさった。

「ひ、姫様………、どうか…………」

もう自力ではどうにもならないと判断したらしいティルゲルが、アリーチェに縋り付こうとした。
だがアリーチェは虹色の双眸に氷のような鋭さを含ませる。

「………あなたはわたくしの両親や兄が………あの日炎の中を逃げ惑い死んでいった人々が助けを求めたら、救おうと思いましたか?」

己の中で沸々と湧き上がる、この男への強い憎しみを精一杯抑えながら、アリーチェは裁きを行う者として、抑揚のない声でそう問いかけた。

「……………」

ティルゲルははっと目を見開き、それから視線を彷徨わせた。

その沈黙が何を意味するかは、明らかだ。
アリーチェは僅かに目を伏せると、両手の指を組み、強く握りしめた。

「………ならばわたくしもあなたと同じ選択を致しましょう。民の総意も確認できましたから、もう迷いはありません」

アリーチェはゆっくりと深く、息を吸い込んだ。
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