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13.憎しみ
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「アリーチェ姫」
夜の闇が一層濃くなってきた頃、唐突にアリーチェの許を訪れたルドヴィクは、いつになく険しい表情を浮かべていた。
「………既に食事は済ませてしまいましたが…………」
「ああ、知っている」
抑揚のない声で呟くルドヴィクの瞳が、また不安気に揺れた。
「………もう夜更けですが、本日はどちらに連れていって下さるのですか?」
「………いや」
ルドヴィクは元々無愛想で口数の少ない男だが、今日はいつもに増してそれが目につく。
「では、お茶でも………」
「アリーチェ姫」
淹れさせましょうか、と続く筈だった言葉が遮られるのと同時に、唐突にルドヴィクがアリーチェの体を力強く抱き寄せた。
「あ…………っ!?」
予想だにしなかった事態に、アリーチェは小さく悲鳴を上げた。
ルドヴィクに、抱き締められているという、俄には信じ難い事実にアリーチェは混乱した。
彼は王であり、騎士だ。
騎士は礼節を重んじ、騎士道精神に則った行動をする。
淑女に対しての態度もその中に含まれていた筈だが、婚約者ではない………寧ろ捕虜か囚人に近い状態の未婚女性をいきなり抱きしめるというのは、丁重な扱いに入るのだろうか。
「アリーチェ姫………」
まるで神への祈りを捧げるように、三度アリーチェの名を紡ぎ出した。
尋常でないルドヴィクの様子に、アリーチェは強い不安に苛まれた。
一体彼は何故、こんな態度を取るのだろう。
祖国を卑劣な方法で滅ぼした残虐非道な男と、目の前にいる彼がどうしても結びつかず、アリーチェはひどく困惑した。
「陛下………、このような………」
アリーチェはルドヴィクの腕から逃れようと、両手で彼の胸を突っ撥ねるように押すが、びくともしない。
それどころか、アリーチェが抵抗していることにすら気がついていないようだ。
今すぐにでも殺してやりたいと思う程に憎い男なのに、本気で抗う事が出来ない。
整理のつかない気持ち同様に、行動にも矛盾が生じているのを、アリーチェは分かっていた。
「アリーチェ姫、私を憎め。………憎むんだ。あなたの大切なものを奪った私を、憎んでくれ………!」
まるで呪文のように繰り返される言葉は、回数を重ねる毎に違和感が生じる。
彼が憎いのも、彼が祖国の敵であるのも事実だが、それが分かっていながら『憎め』と命令するなど、正気の沙汰ではない。
「陛下…………?」
尋常ではない彼の様子に、アリーチェは静かに口を開いた。
「………陛下が望むとおりにわたくしが陛下を憎めば、陛下の御心は安らぐのでしょうか………?」
別に彼の気持ちなど気に掛けても仕方がないはずなのに、どうしてそんな言葉が自分の口から出てきたのかは分からなかった。
ただ、ルドヴィクはもしかしたらカヴァニスを攻め滅ぼした事を悔いているのかもしれないと思った。
だから、アリーチェが自分を憎む事を望んでいると考えれば、彼のあの瞳の奥に見え隠れする感情も、アリーチェに対する一連の行動も納得がいく。
「…………そうだ」
不意にアリーチェを抱き締めるルドヴィクの腕の力が緩み、ルドヴィクとアリーチェの視線がぶつかった。
その瞬間のルドヴィクの表情は酷く幼く、そして怯えたように見えた。
「言われずとも、わたくしは陛下が憎いです。叶うのならば、この手で殺したいと、願うほどに…………」
アリーチェが囁くようにそう告げると、ルドヴィクは安堵したように微笑んだ。
やはり、彼はどうかしている。殺したいと言われて悦ぶなど、どう考えても正気の沙汰でなかった。
その様子を見たアリーチェはその奥に隠された本心を、無理矢理に飲み込んだ。
ルドヴィクが憎くて仕方がない筈なのに、本気で憎む事が出来ない。
あの時復讐を誓ったはずなのに、その気持ちは段々と揺らいできている。
暫く時を共に過ごすうちに、情が湧いたのかもしれない。
だが、彼が自分に復讐を望んでいるのならば、その感情は彼にとっても自分にとっても、邪魔にしかならないのだ。
そう自分に言い聞かせると、アリーチェは静かに目を閉じるのだった。
夜の闇が一層濃くなってきた頃、唐突にアリーチェの許を訪れたルドヴィクは、いつになく険しい表情を浮かべていた。
「………既に食事は済ませてしまいましたが…………」
「ああ、知っている」
抑揚のない声で呟くルドヴィクの瞳が、また不安気に揺れた。
「………もう夜更けですが、本日はどちらに連れていって下さるのですか?」
「………いや」
ルドヴィクは元々無愛想で口数の少ない男だが、今日はいつもに増してそれが目につく。
「では、お茶でも………」
「アリーチェ姫」
淹れさせましょうか、と続く筈だった言葉が遮られるのと同時に、唐突にルドヴィクがアリーチェの体を力強く抱き寄せた。
「あ…………っ!?」
予想だにしなかった事態に、アリーチェは小さく悲鳴を上げた。
ルドヴィクに、抱き締められているという、俄には信じ難い事実にアリーチェは混乱した。
彼は王であり、騎士だ。
騎士は礼節を重んじ、騎士道精神に則った行動をする。
淑女に対しての態度もその中に含まれていた筈だが、婚約者ではない………寧ろ捕虜か囚人に近い状態の未婚女性をいきなり抱きしめるというのは、丁重な扱いに入るのだろうか。
「アリーチェ姫………」
まるで神への祈りを捧げるように、三度アリーチェの名を紡ぎ出した。
尋常でないルドヴィクの様子に、アリーチェは強い不安に苛まれた。
一体彼は何故、こんな態度を取るのだろう。
祖国を卑劣な方法で滅ぼした残虐非道な男と、目の前にいる彼がどうしても結びつかず、アリーチェはひどく困惑した。
「陛下………、このような………」
アリーチェはルドヴィクの腕から逃れようと、両手で彼の胸を突っ撥ねるように押すが、びくともしない。
それどころか、アリーチェが抵抗していることにすら気がついていないようだ。
今すぐにでも殺してやりたいと思う程に憎い男なのに、本気で抗う事が出来ない。
整理のつかない気持ち同様に、行動にも矛盾が生じているのを、アリーチェは分かっていた。
「アリーチェ姫、私を憎め。………憎むんだ。あなたの大切なものを奪った私を、憎んでくれ………!」
まるで呪文のように繰り返される言葉は、回数を重ねる毎に違和感が生じる。
彼が憎いのも、彼が祖国の敵であるのも事実だが、それが分かっていながら『憎め』と命令するなど、正気の沙汰ではない。
「陛下…………?」
尋常ではない彼の様子に、アリーチェは静かに口を開いた。
「………陛下が望むとおりにわたくしが陛下を憎めば、陛下の御心は安らぐのでしょうか………?」
別に彼の気持ちなど気に掛けても仕方がないはずなのに、どうしてそんな言葉が自分の口から出てきたのかは分からなかった。
ただ、ルドヴィクはもしかしたらカヴァニスを攻め滅ぼした事を悔いているのかもしれないと思った。
だから、アリーチェが自分を憎む事を望んでいると考えれば、彼のあの瞳の奥に見え隠れする感情も、アリーチェに対する一連の行動も納得がいく。
「…………そうだ」
不意にアリーチェを抱き締めるルドヴィクの腕の力が緩み、ルドヴィクとアリーチェの視線がぶつかった。
その瞬間のルドヴィクの表情は酷く幼く、そして怯えたように見えた。
「言われずとも、わたくしは陛下が憎いです。叶うのならば、この手で殺したいと、願うほどに…………」
アリーチェが囁くようにそう告げると、ルドヴィクは安堵したように微笑んだ。
やはり、彼はどうかしている。殺したいと言われて悦ぶなど、どう考えても正気の沙汰でなかった。
その様子を見たアリーチェはその奥に隠された本心を、無理矢理に飲み込んだ。
ルドヴィクが憎くて仕方がない筈なのに、本気で憎む事が出来ない。
あの時復讐を誓ったはずなのに、その気持ちは段々と揺らいできている。
暫く時を共に過ごすうちに、情が湧いたのかもしれない。
だが、彼が自分に復讐を望んでいるのならば、その感情は彼にとっても自分にとっても、邪魔にしかならないのだ。
そう自分に言い聞かせると、アリーチェは静かに目を閉じるのだった。
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