隻眼の騎士王の歪な溺愛に亡国の王女は囚われる

玉響

文字の大きさ
上 下
4 / 351

3.捕虜

しおりを挟む
それから三ヵ月ほどで、目に見える傷は殆ど回復した。
幸いなことに酷かった火傷も跡が残ることはなく、アリーチェのきめ細かな肌は何事もなかったかのように元通りになった。
だが、癒える体とは対照的に、アリーチェの心は酷く傷付き、疲弊していた。
目を閉じれば、あの日の光景が思い浮かび、耳を塞いでも人々の悲鳴が聞こえてくる。
そのせいか、休んでも熟睡することは出来ず、常に浅い微睡の中で悪夢を見るような状態がずっと続いていた。
食欲もなく、横になっているのに衰弱していく様子はまるで病人のようだとアリーチェは自らの有様を見て思った。

この状態では、復讐を成し遂げる前に死んでしまうだろう。
それが分かっていても、悪夢を振り払う術を持ち合わせていないアリーチェにはどうしようもなかった。

溜息を一つ零したとき、扉を叩く音が聞こえた。
ただそれだけなのに、誰が来たのか解ってしまい、アリーチェは顔を顰めた。

「アリーチェ様、陛下がお越しです」

王の来訪を告げる侍女の声と同時に、軍服に身を包んだルドヴィクが、威圧的な空気を纏って入ってくる。
あの日から、毎日ルドヴィクはアリーチェの様子を見に来る。
本当に顔を見る程度だが、多い時には一日に四、五回も部屋を訪れることすらあった。
イザイア国王は卑怯な手を使って他国を攻め滅ぼす以外は、よほど暇らしいとアリーチェはぼんやりと考えた。
アリーチェにとって、この世で最も憎い相手であるルドヴィクと毎日顔を合わせなければならないということが、どのくらいの苦痛を伴うものなのかを彼は知っているのだろうか。

「随分と回復したようだな」
「…………はい、陛下」

アリーチェは彼の顔を見まいと目を伏せたまま、淡々とした口調で答える。

「陛下ではなく、名を呼べと言っただろう。あなたは私の配下ではない」

見た目通り無愛想なルドヴィクは、こうして顔を見に来ても必要最低限しか言葉を交わさない。
それなのに一日も欠かさずに自分の様子を確認しに来る彼の真意を図りかねたアリーチェは、戸惑いながらも警戒していた。

相手は冷酷無比な『隻眼の騎士王』。騎士道精神に反する行いは決してしないという評判だったが、あのカヴァニス滅亡の一件から、その信用は地に落ちたも同然だろう。
それに片方しかない彼の深いエメラルド色の瞳は、何を考えているのかわからない、どこか不気味な雰囲気が漂っていて、恐ろしかった。

「いえ、陛下はこの国を統べる御方。対してわたくしは陛下に命を救われただけの捕虜。恐れ多くも陛下の御名を口にするなど……」

これでもかというくらいに遜った口調で答えると、ルドヴィクがあからさまに不快そうに、顔を顰めた。

「アリーチェ姫。私はあなたを捕虜だなどとは思っていない」

低く、落ち着いたルドヴィクの声に、アリーチェは心がざわつくのを感じた。
戸惑いながらもその日初めてルドヴィクの前で顔を上げ、真っ直ぐにルドヴィクを見据えた。
アリーチェが怖いと感じる深いエメラルド色の隻眼が、こちらを見ている。
底知れないような瞳には、微かに胸に染みるような哀愁にも似た光が見え隠れするように感じるのは、疲弊した心が見せる幻なのだろうか。
視線を逸らしたら負けだと思いながら、アリーチェは震えそうになるのを懸命に堪えた。

「捕虜でなければ何だと仰るのです?わたくしはもう自分の足で歩き回ることが出来るくらいに回復しているというのに、この部屋から一歩も外に出さず、侍女や護衛にわたくしを監視させているではありませんか。それとも、わたくしのような小娘が恐ろしいのですか?」
「………………」

虹色に煌めくアースアイに目一杯の憎しみを浮かべた。その様子を見たルドヴィクは、何かを言いかけてから形の良い唇を引き結んだように見えた。
そしてたった一つしかない瞳でじっとアリーチェを見つめると、静かに目を閉じて踵を返す。
一瞬だけ、彼の瞳の中に強い悲しげに揺れるものが浮かんだように見えた気がした。

「………この部屋から出してやることは出来ないが、それ以外の希望があれば侍女にでも伝えるがいい」

まるで全ての感情を押し殺しているかのような低い声でそれだけ告げると、ルドヴィクはアリーチェを見ようともせず部屋を出ていった。
扉が閉まる音が聞こえると、アリーチェは安堵の溜息を零した。

緊張していたせいで胸の鼓動が速いし、握りしめた掌にはしっとりと汗が滲んでいた。
あの男を目の前にするだけでもこの有様だということが悔しくて、アリーチェは人知れずもう一度ぎゅっと手を強く握りしめたのだった。
しおりを挟む
感想 193

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

愛しき夫は、男装の姫君と恋仲らしい。

星空 金平糖
恋愛
シエラは、政略結婚で夫婦となった公爵──グレイのことを深く愛していた。 グレイは優しく、とても親しみやすい人柄でその甘いルックスから、結婚してからも数多の女性達と浮名を流していた。 それでもシエラは、グレイが囁いてくれる「私が愛しているのは、あなただけだよ」その言葉を信じ、彼と夫婦であれることに幸福を感じていた。 しかし。ある日。 シエラは、グレイが美貌の少年と親密な様子で、王宮の庭を散策している場面を目撃してしまう。当初はどこかの令息に王宮案内をしているだけだと考えていたシエラだったが、実はその少年が王女─ディアナであると判明する。 聞くところによるとディアナとグレイは昔から想い会っていた。 ディアナはグレイが結婚してからも、健気に男装までしてグレイに会いに来ては逢瀬を重ねているという。 ──……私は、ただの邪魔者だったの? 衝撃を受けるシエラは「これ以上、グレイとはいられない」と絶望する……。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

【完結】失いかけた君にもう一度

暮田呉子
恋愛
偶然、振り払った手が婚約者の頬に当たってしまった。 叩くつもりはなかった。 しかし、謝ろうとした矢先、彼女は全てを捨てていなくなってしまった──。

旦那様、そんなに彼女が大切なら私は邸を出ていきます

おてんば松尾
恋愛
彼女は二十歳という若さで、領主の妻として領地と領民を守ってきた。二年後戦地から夫が戻ると、そこには見知らぬ女性の姿があった。連れ帰った親友の恋人とその子供の面倒を見続ける旦那様に、妻のソフィアはとうとう離婚届を突き付ける。 if 主人公の性格が変わります(元サヤ編になります) ※こちらの作品カクヨムにも掲載します

【掌編集】今までお世話になりました旦那様もお元気で〜妻の残していった離婚受理証明書を握りしめイケメン公爵は涙と鼻水を垂らす

まほりろ
恋愛
新婚初夜に「君を愛してないし、これからも愛するつもりはない」と言ってしまった公爵。  彼は今まで、天才、美男子、完璧な貴公子、ポーカーフェイスが似合う氷の公爵などと言われもてはやされてきた。  しかし新婚初夜に暴言を吐いた女性が、初恋の人で、命の恩人で、伝説の聖女で、妖精の愛し子であったことを知り意気消沈している。  彼の手には元妻が置いていった「離婚受理証明書」が握られていた……。  他掌編七作品収録。 ※無断転載を禁止します。 ※朗読動画の無断配信も禁止します 「Copyright(C)2023-まほりろ/若松咲良」  某小説サイトに投稿した掌編八作品をこちらに転載しました。 【収録作品】 ①「今までお世話になりました旦那様もお元気で〜ポーカーフェイスの似合う天才貴公子と称された公爵は、妻の残していった離婚受理証明書を握りしめ涙と鼻水を垂らす」 ②「何をされてもやり返せない臆病な公爵令嬢は、王太子に竜の生贄にされ壊れる。能ある鷹と天才美少女は爪を隠す」 ③「運命的な出会いからの即日プロポーズ。婚約破棄された天才錬金術師は新しい恋に生きる!」 ④「4月1日10時30分喫茶店ルナ、婚約者は遅れてやってきた〜新聞は星座占いを見る為だけにある訳ではない」 ⑤「『お姉様はズルい!』が口癖の双子の弟が現世の婚約者! 前世では弟を立てる事を親に強要され馬鹿の振りをしていましたが、現世では奴とは他人なので天才として実力を充分に発揮したいと思います!」 ⑥「婚約破棄をしたいと彼は言った。契約書とおふだにご用心」 ⑦「伯爵家に半世紀仕えた老メイドは伯爵親子の罠にハマり無一文で追放される。老メイドを助けたのはポーカーフェイスの美女でした」 ⑧「お客様の中に褒め褒めの感想を書ける方はいらっしゃいませんか? 天才美文感想書きVS普通の少女がえんぴつで書いた感想!」

好きでした、さようなら

豆狸
恋愛
「……すまない」 初夜の床で、彼は言いました。 「君ではない。私が欲しかった辺境伯令嬢のアンリエット殿は君ではなかったんだ」 悲しげに俯く姿を見て、私の心は二度目の死を迎えたのです。 なろう様でも公開中です。

甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。

海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。 ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。 「案外、本当に君以外いないかも」 「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」 「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」 そのドクターの甘さは手加減を知らない。 【登場人物】 末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。   恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる? 田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い? 【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】

処理中です...