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2.悲しみ
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険しい山々の麓に築かれた小国・カヴァニス王国。
良質な葡萄酒の産地として知られる風光明媚なこの国の王女として、アリーチェは生を受けた。
緩やかに波打つ、カヴァニス王家特有の青みがかった白銀に近いアッシュブロンドの長い髪に、珍しい青や黄色そして橙色が複雑に混じり合った虹色の美しい瞳・アースアイを持つ美貌の王女は、優しい両親と聡明な兄に大切にされ、何不自由なく育った。
カヴァニスはイザイア王国とブロンザルド王国という二つの大国に挟まれている。
それでも平和を維持出来ていたのは、両国との間に結ばれた不可侵協定があったからだ。
しかし、その均衡が破られたとの一報が齎されたのは、あの悲劇が起きる僅か半日前だった。
血相を変えた宰相がその知らせを持って広間に飛び込んできた時には、既に王都にまでイザイアが進軍しており、街のあちこちから火が上がっていた。
イザイアの進軍を知った兄はすぐさま兵を率いて応戦したが、その奮闘も虚しく、僅か半刻後に戦死の知らせが届いた。
それから間もなく城にもイザイアの兵が大勢押し寄せてきて、勝算はないと悟った両親は自らの命と引き換えに民を救うように願い出た。
だがその結果が、あの惨状だった。
イザイアは両親の願いなど、初めから聞き入れるつもりなどなかったのだ。
「わたくしの大切なものは、炎に全て呑み込まれてしまったわ。それなのに…………っ」
アリーチェは力の入らない両手を、精一杯握り締めた。
大好きだった両親や兄、至らぬ王女であったアリーチェに精一杯仕えてくれた城の者達やカヴァニスの民。
あの平穏だった日々に戻りたいとどんなに強く願ったところで、叶わない。
それなのに自分一人だけがこうして生き残り、敵地で、しかも両親や兄の敵に囲われているという事実は耐え難い恥辱だった。
叫んだとたん、堪えていた涙が、堰を切ったように溢れ出した。
「アリーチェ様………、傷が悪化してしまいます」
アリーチェの世話をしてくれる侍女たちが、心配そうに声を掛けてきた。
彼女に何の罪もないということは分かっていても、彼女たちもまたイザイアの民。自分にとっては敵なのだということを考えてしまう。
それでも、やたらに当たり散らすのは間違っていると思い、荒ぶる気持ちを抑え込むように深呼吸をすると、ずきりと傷が痛んだ。
「……少し、休みます。出て行ってもらえますか?」
これ以上彼女たちといたら、今度こそ感情のままに怒鳴り散らしてしまいそうで、まるで突き放すようにアリーチェがそう告げると、申し訳なさそうな顔をした侍女が、ふるふると首を横に振った。
「アリーチェ様を、決して一人にしないようにと陛下から仰せつかっておりますので……」
寝台を自力で降りることすらも出来ない自分を監視するつもりなのだと、アリーチェは思った。
寝首を掻かれる心配があるからだろうか。それとも何か別の理由なのだろうか。
侍女の表情からは何も読み取ることが出来なかったが、彼女はあくまでルドヴィクの命令に従っているだけだ。
「………わかりました」
アリーチェは再び溜息をつくと、横になった。
耳にうるさいほどの静寂が、アリーチェを襲う。
ふと気を抜くと、あの光景が蘇ってくるようで、どうしようもなく誰かに縋り付きたい気持ちになるが、一人ぼっちのアリーチェが頼れる人間などこの世にはもういない。
敵地の中で、独りなのだと実感するだけで心細くなり、不安に胸が押しつぶされそうになる。
気を抜けば、自害してしまいたいという衝動さえ湧いてくるようだった。
それでも自分は生きなければならないと思えるのは、イザイアに………ルドヴィクに復讐をしたいという気持ちがあるからだろう。
例えそれで命を落とすことになろうとも、あの男に一矢報いてやりたい。
それこそが、自分が生きるただ一つの理由だと思った。
アリーチェは仄暗い感情を宿した虹色の瞳を、ゆっくりと閉じた。
良質な葡萄酒の産地として知られる風光明媚なこの国の王女として、アリーチェは生を受けた。
緩やかに波打つ、カヴァニス王家特有の青みがかった白銀に近いアッシュブロンドの長い髪に、珍しい青や黄色そして橙色が複雑に混じり合った虹色の美しい瞳・アースアイを持つ美貌の王女は、優しい両親と聡明な兄に大切にされ、何不自由なく育った。
カヴァニスはイザイア王国とブロンザルド王国という二つの大国に挟まれている。
それでも平和を維持出来ていたのは、両国との間に結ばれた不可侵協定があったからだ。
しかし、その均衡が破られたとの一報が齎されたのは、あの悲劇が起きる僅か半日前だった。
血相を変えた宰相がその知らせを持って広間に飛び込んできた時には、既に王都にまでイザイアが進軍しており、街のあちこちから火が上がっていた。
イザイアの進軍を知った兄はすぐさま兵を率いて応戦したが、その奮闘も虚しく、僅か半刻後に戦死の知らせが届いた。
それから間もなく城にもイザイアの兵が大勢押し寄せてきて、勝算はないと悟った両親は自らの命と引き換えに民を救うように願い出た。
だがその結果が、あの惨状だった。
イザイアは両親の願いなど、初めから聞き入れるつもりなどなかったのだ。
「わたくしの大切なものは、炎に全て呑み込まれてしまったわ。それなのに…………っ」
アリーチェは力の入らない両手を、精一杯握り締めた。
大好きだった両親や兄、至らぬ王女であったアリーチェに精一杯仕えてくれた城の者達やカヴァニスの民。
あの平穏だった日々に戻りたいとどんなに強く願ったところで、叶わない。
それなのに自分一人だけがこうして生き残り、敵地で、しかも両親や兄の敵に囲われているという事実は耐え難い恥辱だった。
叫んだとたん、堪えていた涙が、堰を切ったように溢れ出した。
「アリーチェ様………、傷が悪化してしまいます」
アリーチェの世話をしてくれる侍女たちが、心配そうに声を掛けてきた。
彼女に何の罪もないということは分かっていても、彼女たちもまたイザイアの民。自分にとっては敵なのだということを考えてしまう。
それでも、やたらに当たり散らすのは間違っていると思い、荒ぶる気持ちを抑え込むように深呼吸をすると、ずきりと傷が痛んだ。
「……少し、休みます。出て行ってもらえますか?」
これ以上彼女たちといたら、今度こそ感情のままに怒鳴り散らしてしまいそうで、まるで突き放すようにアリーチェがそう告げると、申し訳なさそうな顔をした侍女が、ふるふると首を横に振った。
「アリーチェ様を、決して一人にしないようにと陛下から仰せつかっておりますので……」
寝台を自力で降りることすらも出来ない自分を監視するつもりなのだと、アリーチェは思った。
寝首を掻かれる心配があるからだろうか。それとも何か別の理由なのだろうか。
侍女の表情からは何も読み取ることが出来なかったが、彼女はあくまでルドヴィクの命令に従っているだけだ。
「………わかりました」
アリーチェは再び溜息をつくと、横になった。
耳にうるさいほどの静寂が、アリーチェを襲う。
ふと気を抜くと、あの光景が蘇ってくるようで、どうしようもなく誰かに縋り付きたい気持ちになるが、一人ぼっちのアリーチェが頼れる人間などこの世にはもういない。
敵地の中で、独りなのだと実感するだけで心細くなり、不安に胸が押しつぶされそうになる。
気を抜けば、自害してしまいたいという衝動さえ湧いてくるようだった。
それでも自分は生きなければならないと思えるのは、イザイアに………ルドヴィクに復讐をしたいという気持ちがあるからだろう。
例えそれで命を落とすことになろうとも、あの男に一矢報いてやりたい。
それこそが、自分が生きるただ一つの理由だと思った。
アリーチェは仄暗い感情を宿した虹色の瞳を、ゆっくりと閉じた。
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