2 / 351
1.目覚め
しおりを挟む
ひやりと額に冷たいものが触れて、アリーチェは微睡みの中からゆっくりと意識が戻ってくるのを感じた。
温かく、心地の良い眠りに、ずっと身を任せていたい衝動に駆られたが、鼻腔を擽る馴染みのない香りに違和感を覚え、重たい瞼を何とか持ち上げた。
重厚感のある、見慣れない天蓋が真っ先に視界に入ってきて、アリーチェはぼんやりとする頭を働かせようと息を吸い込んだ。
意識が覚醒するに従い、悪夢のような光景が脳裏に蘇り、アリーチェははっと大きく目を見開いた。
「気がついたか、アリーチェ姫」
すぐ近くで、聞いたこともない程に低く艷やかな声がして、アリーチェは身を固くする。
そして、恐る恐る声のした方へと視線を向けた。
アリーチェが名乗ってもいないのに『アリーチェ姫』と呼んでいる所をみると、『彼』はアリーチェが何者なのかも既に知っているという事になる。
アリーチェの双眸が捉えたのは、夜の闇を切り取ったかのような漆黒の長い髪を持つ、信じられない程に美しい顔立ちの男性だった。
空間を制するような圧倒的存在感が彼の周囲には漂っており、その美しさのせいなのか、逞しい体躯のせいなのか、近寄り難い雰囲気を醸し出していた。
だが、何よりもアリーチェが目を奪われたのは、彼の左目を覆う黒い眼帯だった。
それを見た瞬間、名乗られなくても彼が何者なのかに気が付いてしまい、アリーチェは飛び起きた。
「あ………っ」
突然ずきりと頭の芯が疼くような痛みが走り、アリーチェは思わず顔を顰めた。
同時に一気に体の感覚が戻ってきたかのように、あちこちがひりひりと熱を持ったかのように痛み出す。
あれが悪夢でないからこそ、自分は火傷を負っているのだという事実、まだぼんやりする頭で受け止めた。
「必要な治療は施したが、まだ痛むようだな」
冷たい光を宿した深いエメラルド色の隻眼が、じっとアリーチェを見つめてきた。
「…………」
「何だ?」
アリーチェがゆっくりと口を開くと、彼はアリーチェを覗き込むような仕草を見せる。
その瞬間、アリーチェは思い切り息を吸い込んだ。
「………何故、わたくしを助けたのです?………あんな風に、我が国を滅ぼしておきながらっ………!」
アリーチェは腹の底から声を絞り出し、アースアイと呼ばれる、青に黄色や橙色が混ざり合った、虹色にも見える美しい瞳で目の前の男、隻眼の騎士王ルドヴィク・イザイアを睨みつけた。
この男こそかアリーチェの祖国・カヴァニスをたった半日で攻め滅ぼした、張本人に違いなかった。
「…………」
ルドヴィクは何も言わずにただじっとアリーチェを見つめていた。
ふと、彼の隻眼の奥に、悲しげな光が見えた気がしたが、アリーチェにはそんな事を気にする余裕などなかった。
「あんな手を使っておきながら………!卑怯者!!騎士の名折れだわ!」
精一杯の侮蔑を込めてそう吐き捨てる。
もっと強い罵りの言葉はあるだろうが、激しい怒りに支配された頭の中にはそれしか浮かんでこなかったのが悔しくて仕方がない。
けれどもルドヴィクは、逆上することも、反論することもせず、アリーチェの言葉を受け止めるかのように、一つしかない瞳を静かに閉じただけだった。
騎士王という通り名のとおり、ルドヴィクは元々騎士として身を立てていた庶子の王子だった。
しかし彼の兄であった王太子が早逝し、他に王の血を受け継ぐ王子がいなかった為にルドヴィクが王太子の座に着いたという話はあまりにも有名だったが、彼は騎士としての誇りを、既に忘れてしまったのだろうか。
「…………」
「否定されないのですね?」
追い打ちを掛けるようにアリーチェが詰ると、ルドヴィクの瞼が動き、ゆっくりとエメラルドの隻眼がアリーチェへと向けられた。
今度ははっきりと、瞳が揺らぐのが見えてアリーチェははっとした。
沢山の人の命を奪った悪魔のような男だというのに、その瞳は何処までも澄んでいて、悲しげな光を湛えていたのだ。
途端にざわり、と怒りと憎悪に支配されていたはずのアリーチェの心がざわりと揺れる。
それは、今まで感じたことのない感覚だった。
「………今は何を言っても無駄だろう。傷が癒えるまでは大人しく休んでいるがいい」
小さく溜息をつくとルドヴィクは立ち上がり、己の感情に戸惑いながら呆然としているアリーチェに背を向けて足早に部屋を出ていったのだった。
温かく、心地の良い眠りに、ずっと身を任せていたい衝動に駆られたが、鼻腔を擽る馴染みのない香りに違和感を覚え、重たい瞼を何とか持ち上げた。
重厚感のある、見慣れない天蓋が真っ先に視界に入ってきて、アリーチェはぼんやりとする頭を働かせようと息を吸い込んだ。
意識が覚醒するに従い、悪夢のような光景が脳裏に蘇り、アリーチェははっと大きく目を見開いた。
「気がついたか、アリーチェ姫」
すぐ近くで、聞いたこともない程に低く艷やかな声がして、アリーチェは身を固くする。
そして、恐る恐る声のした方へと視線を向けた。
アリーチェが名乗ってもいないのに『アリーチェ姫』と呼んでいる所をみると、『彼』はアリーチェが何者なのかも既に知っているという事になる。
アリーチェの双眸が捉えたのは、夜の闇を切り取ったかのような漆黒の長い髪を持つ、信じられない程に美しい顔立ちの男性だった。
空間を制するような圧倒的存在感が彼の周囲には漂っており、その美しさのせいなのか、逞しい体躯のせいなのか、近寄り難い雰囲気を醸し出していた。
だが、何よりもアリーチェが目を奪われたのは、彼の左目を覆う黒い眼帯だった。
それを見た瞬間、名乗られなくても彼が何者なのかに気が付いてしまい、アリーチェは飛び起きた。
「あ………っ」
突然ずきりと頭の芯が疼くような痛みが走り、アリーチェは思わず顔を顰めた。
同時に一気に体の感覚が戻ってきたかのように、あちこちがひりひりと熱を持ったかのように痛み出す。
あれが悪夢でないからこそ、自分は火傷を負っているのだという事実、まだぼんやりする頭で受け止めた。
「必要な治療は施したが、まだ痛むようだな」
冷たい光を宿した深いエメラルド色の隻眼が、じっとアリーチェを見つめてきた。
「…………」
「何だ?」
アリーチェがゆっくりと口を開くと、彼はアリーチェを覗き込むような仕草を見せる。
その瞬間、アリーチェは思い切り息を吸い込んだ。
「………何故、わたくしを助けたのです?………あんな風に、我が国を滅ぼしておきながらっ………!」
アリーチェは腹の底から声を絞り出し、アースアイと呼ばれる、青に黄色や橙色が混ざり合った、虹色にも見える美しい瞳で目の前の男、隻眼の騎士王ルドヴィク・イザイアを睨みつけた。
この男こそかアリーチェの祖国・カヴァニスをたった半日で攻め滅ぼした、張本人に違いなかった。
「…………」
ルドヴィクは何も言わずにただじっとアリーチェを見つめていた。
ふと、彼の隻眼の奥に、悲しげな光が見えた気がしたが、アリーチェにはそんな事を気にする余裕などなかった。
「あんな手を使っておきながら………!卑怯者!!騎士の名折れだわ!」
精一杯の侮蔑を込めてそう吐き捨てる。
もっと強い罵りの言葉はあるだろうが、激しい怒りに支配された頭の中にはそれしか浮かんでこなかったのが悔しくて仕方がない。
けれどもルドヴィクは、逆上することも、反論することもせず、アリーチェの言葉を受け止めるかのように、一つしかない瞳を静かに閉じただけだった。
騎士王という通り名のとおり、ルドヴィクは元々騎士として身を立てていた庶子の王子だった。
しかし彼の兄であった王太子が早逝し、他に王の血を受け継ぐ王子がいなかった為にルドヴィクが王太子の座に着いたという話はあまりにも有名だったが、彼は騎士としての誇りを、既に忘れてしまったのだろうか。
「…………」
「否定されないのですね?」
追い打ちを掛けるようにアリーチェが詰ると、ルドヴィクの瞼が動き、ゆっくりとエメラルドの隻眼がアリーチェへと向けられた。
今度ははっきりと、瞳が揺らぐのが見えてアリーチェははっとした。
沢山の人の命を奪った悪魔のような男だというのに、その瞳は何処までも澄んでいて、悲しげな光を湛えていたのだ。
途端にざわり、と怒りと憎悪に支配されていたはずのアリーチェの心がざわりと揺れる。
それは、今まで感じたことのない感覚だった。
「………今は何を言っても無駄だろう。傷が癒えるまでは大人しく休んでいるがいい」
小さく溜息をつくとルドヴィクは立ち上がり、己の感情に戸惑いながら呆然としているアリーチェに背を向けて足早に部屋を出ていったのだった。
2
お気に入りに追加
449
あなたにおすすめの小説
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。

愛しき夫は、男装の姫君と恋仲らしい。
星空 金平糖
恋愛
シエラは、政略結婚で夫婦となった公爵──グレイのことを深く愛していた。
グレイは優しく、とても親しみやすい人柄でその甘いルックスから、結婚してからも数多の女性達と浮名を流していた。
それでもシエラは、グレイが囁いてくれる「私が愛しているのは、あなただけだよ」その言葉を信じ、彼と夫婦であれることに幸福を感じていた。
しかし。ある日。
シエラは、グレイが美貌の少年と親密な様子で、王宮の庭を散策している場面を目撃してしまう。当初はどこかの令息に王宮案内をしているだけだと考えていたシエラだったが、実はその少年が王女─ディアナであると判明する。
聞くところによるとディアナとグレイは昔から想い会っていた。
ディアナはグレイが結婚してからも、健気に男装までしてグレイに会いに来ては逢瀬を重ねているという。
──……私は、ただの邪魔者だったの?
衝撃を受けるシエラは「これ以上、グレイとはいられない」と絶望する……。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。

【掌編集】今までお世話になりました旦那様もお元気で〜妻の残していった離婚受理証明書を握りしめイケメン公爵は涙と鼻水を垂らす
まほりろ
恋愛
新婚初夜に「君を愛してないし、これからも愛するつもりはない」と言ってしまった公爵。
彼は今まで、天才、美男子、完璧な貴公子、ポーカーフェイスが似合う氷の公爵などと言われもてはやされてきた。
しかし新婚初夜に暴言を吐いた女性が、初恋の人で、命の恩人で、伝説の聖女で、妖精の愛し子であったことを知り意気消沈している。
彼の手には元妻が置いていった「離婚受理証明書」が握られていた……。
他掌編七作品収録。
※無断転載を禁止します。
※朗読動画の無断配信も禁止します
「Copyright(C)2023-まほりろ/若松咲良」
某小説サイトに投稿した掌編八作品をこちらに転載しました。
【収録作品】
①「今までお世話になりました旦那様もお元気で〜ポーカーフェイスの似合う天才貴公子と称された公爵は、妻の残していった離婚受理証明書を握りしめ涙と鼻水を垂らす」
②「何をされてもやり返せない臆病な公爵令嬢は、王太子に竜の生贄にされ壊れる。能ある鷹と天才美少女は爪を隠す」
③「運命的な出会いからの即日プロポーズ。婚約破棄された天才錬金術師は新しい恋に生きる!」
④「4月1日10時30分喫茶店ルナ、婚約者は遅れてやってきた〜新聞は星座占いを見る為だけにある訳ではない」
⑤「『お姉様はズルい!』が口癖の双子の弟が現世の婚約者! 前世では弟を立てる事を親に強要され馬鹿の振りをしていましたが、現世では奴とは他人なので天才として実力を充分に発揮したいと思います!」
⑥「婚約破棄をしたいと彼は言った。契約書とおふだにご用心」
⑦「伯爵家に半世紀仕えた老メイドは伯爵親子の罠にハマり無一文で追放される。老メイドを助けたのはポーカーフェイスの美女でした」
⑧「お客様の中に褒め褒めの感想を書ける方はいらっしゃいませんか? 天才美文感想書きVS普通の少女がえんぴつで書いた感想!」

好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】
皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」
「っ――――!!」
「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」
クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。
******
・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。

夫が寵姫に夢中ですので、私は離宮で気ままに暮らします
希猫 ゆうみ
恋愛
王妃フランチェスカは見切りをつけた。
国王である夫ゴドウィンは踊り子上がりの寵姫マルベルに夢中で、先に男児を産ませて寵姫の子を王太子にするとまで嘯いている。
隣国王女であったフランチェスカの莫大な持参金と、結婚による同盟が国を支えてるというのに、恩知らずも甚だしい。
「勝手にやってください。私は離宮で気ままに暮らしますので」

甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。
海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。
ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。
「案外、本当に君以外いないかも」
「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」
「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」
そのドクターの甘さは手加減を知らない。
【登場人物】
末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。
恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる?
田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い?
【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる